浪人会 ― 2025年04月05日

大学時代、「浪人会」と名乗って仲間を作っていた。受験浪人や就職浪人ではない。主君に仕えることなく、自らの信念で生きる武士、すなわち“浪人”の精神をなぞらえてのネーミングだった。自由で自主独立を良しとする、そんな生き方を志すというまことに青臭いネーミングだ。あれから四十五年。その仲間たちと久々に泊まりがけの集まりを開いた。といっても、特別な目的があるわけではない。ただ同じ思い出話を何度も繰り返しながら、酒を酌み交わすだけの会だ。「俺たち、もう“老人会”になっちゃったな」と笑い合う。そう、今や“浪人”から“老仁”への移行期である。仲間の多くは、故郷に戻って田畑を引き継ぎ、プロの百姓としてのシニアライフを楽しんでいる。田舎では、地域の檀家制度や近所づきあい、行事ごとなど、あれこれと役回りが多い。その分、都会では味わえない“濃い”人間関係がある。正直、うらやましいと思うこともある。年を重ね、引きこもりがちになる都会暮らしと、何かと忙しく人と関わらざるを得ない田舎暮らし。どちらが良いかは人それぞれだが、少なくとも後者の方が自然な形で社会とつながり続けられるのかもしれない。
都会に残った仲間のひとりは、平和運動に取り組んでいると話してくれた。都市生活では、自ら関わる理由を作らなければ人との接点はなかなか生まれない。けれど、田舎ではそうした理屈は不要だ。人と人との関係が、暮らしの一部として当たり前に続いていく。女性は場所に関係なく関係性を育むのが上手だが、役割や理屈がなければ関係を作りにくい男性にとって、年をとってからの田舎暮らしは案外、生きやすいのかもしれない。今回の宿は、京都から百キロほど離れた山里にあった。帰りの車窓から見えた満開の桜は、まるで過去と現在をやさしくつないでくれるようで、しばし見惚れた。今日は町内イベント団体の花見が近所の公園で開かれる。二日連続の飲み会はやや堪える年齢になったが、顔を出して、細くとも人との絆をつないでおこうと思いながら、ふたたび街へと戻っていく。
都会に残った仲間のひとりは、平和運動に取り組んでいると話してくれた。都市生活では、自ら関わる理由を作らなければ人との接点はなかなか生まれない。けれど、田舎ではそうした理屈は不要だ。人と人との関係が、暮らしの一部として当たり前に続いていく。女性は場所に関係なく関係性を育むのが上手だが、役割や理屈がなければ関係を作りにくい男性にとって、年をとってからの田舎暮らしは案外、生きやすいのかもしれない。今回の宿は、京都から百キロほど離れた山里にあった。帰りの車窓から見えた満開の桜は、まるで過去と現在をやさしくつないでくれるようで、しばし見惚れた。今日は町内イベント団体の花見が近所の公園で開かれる。二日連続の飲み会はやや堪える年齢になったが、顔を出して、細くとも人との絆をつないでおこうと思いながら、ふたたび街へと戻っていく。