こんばんは、朝山家です。 ― 2025年09月03日
日曜の夜に放送中のドラマ『こんばんは、朝山家です。』。この作品は良い。主演は中村アンと小澤征悦。毒を吐く妻と、ぼやき続ける夫。反抗期の娘に、学校に馴染めない息子。どこかで見たことがあるようで、実際にはなかなか描かれてこなかった家族の姿が、ユーモアと痛みを織り交ぜてリアルに描かれている。中村アン演じる朝子。いわゆる“毒妻”だが、その毒はただのヒステリーではなく、家事も育児も仕事も背負いながら、夫の承認欲求や無責任さに振り回される中で積み重なった“生活の叫び”だ。ときに言葉の刃のように鋭く、ときにユーモアを帯びるその口調は、多くの視聴者に「わかる…」と共感させる。しかも彼女自身の美しさが、その毒をより切実で魅力的に見せてしまう。
一方、小澤征悦が演じる賢太は、ぼやきで自分を正当化する“残念な夫”。「言わなきゃいいのに…でもさー…だけどさー…」と繰り返す姿は、思わず笑ってしまうのに、どこか哀愁を漂わせる。マザコンぶりに呆れながらも「いるいる、こういう人」と思わせる妙な説得力がある。不器用で情けないのに、どこか憎めない存在感だ。子どもたちの演技も光っている。渡邉心結が演じる蝶子は、野球部の高校生。反抗期の真っ只中で母に反発しながらも、心の底では母を嫌いきれない複雑さを覗かせる。その微妙な心の揺れを自然に表現していて、観る側に切なさを残す。
そして注目すべきは、嶋田鉄太が演じる晴太。不登校気味で、学校ではなかなか周囲に馴染めない小学生という難しい役どころだ。彼のキャラクターは、ASD(自閉スペクトラム症)の一部のタイプをよく表現している。特別な才能や極端な個性を持っているわけではなく、「ちょっと変わっていて、集団の中で浮いてしまう」――そんな現実に即した姿だ。晴太は家庭や学校外ではよく喋る明るい子で、そのギャップがむしろ演技のリアリティを強めている。他のドラマでよく描かれるASD像は、空気を読まずに天才的な才能を発揮するキャラや、無表情で機械のように振る舞うキャラといった“ステレオタイプ”が多い。だが実際には、晴太のような「学校では不器用で浮いてしまうタイプ」のほうが多い。脚本家のリアルな観察眼には舌を巻く。
ドラマの面白さは、登場人物が“思ったことを全部口にする”ところにある。普通のホームドラマなら飲み込んでしまうような言葉が、朝山家では真正面からぶつけ合う。その衝突が痛快で、笑えて、そして少し胸に刺さる。さらに、激しいやり取りの中にもふとした優しさがのぞく。朝子がほんの少し柔らかくなる瞬間。賢太が子どもに寄り添おうとする不器用な仕草。そんな小さな揺らぎが「まだこの家族は壊れていない」と感じさせ、観ている側を安心させる。
『こんばんは、朝山家です。』は、笑いと痛みを同時に描くホームドラマの新しい形だ。毒やぼやきに込められた切実さを笑い飛ばしつつ、気づけば自分の家族や日常を重ねてしまう。キャストの熱演と脚本の緻密さがかみ合い、観終わった後にじんわり心に残る。今年のホームドラマの中でも異彩を放つ秀作だ。日曜の夜、テレビの前で自分の家族を少しだけ振り返ってみたくなる――そんな時間をくれる作品だ。
一方、小澤征悦が演じる賢太は、ぼやきで自分を正当化する“残念な夫”。「言わなきゃいいのに…でもさー…だけどさー…」と繰り返す姿は、思わず笑ってしまうのに、どこか哀愁を漂わせる。マザコンぶりに呆れながらも「いるいる、こういう人」と思わせる妙な説得力がある。不器用で情けないのに、どこか憎めない存在感だ。子どもたちの演技も光っている。渡邉心結が演じる蝶子は、野球部の高校生。反抗期の真っ只中で母に反発しながらも、心の底では母を嫌いきれない複雑さを覗かせる。その微妙な心の揺れを自然に表現していて、観る側に切なさを残す。
そして注目すべきは、嶋田鉄太が演じる晴太。不登校気味で、学校ではなかなか周囲に馴染めない小学生という難しい役どころだ。彼のキャラクターは、ASD(自閉スペクトラム症)の一部のタイプをよく表現している。特別な才能や極端な個性を持っているわけではなく、「ちょっと変わっていて、集団の中で浮いてしまう」――そんな現実に即した姿だ。晴太は家庭や学校外ではよく喋る明るい子で、そのギャップがむしろ演技のリアリティを強めている。他のドラマでよく描かれるASD像は、空気を読まずに天才的な才能を発揮するキャラや、無表情で機械のように振る舞うキャラといった“ステレオタイプ”が多い。だが実際には、晴太のような「学校では不器用で浮いてしまうタイプ」のほうが多い。脚本家のリアルな観察眼には舌を巻く。
ドラマの面白さは、登場人物が“思ったことを全部口にする”ところにある。普通のホームドラマなら飲み込んでしまうような言葉が、朝山家では真正面からぶつけ合う。その衝突が痛快で、笑えて、そして少し胸に刺さる。さらに、激しいやり取りの中にもふとした優しさがのぞく。朝子がほんの少し柔らかくなる瞬間。賢太が子どもに寄り添おうとする不器用な仕草。そんな小さな揺らぎが「まだこの家族は壊れていない」と感じさせ、観ている側を安心させる。
『こんばんは、朝山家です。』は、笑いと痛みを同時に描くホームドラマの新しい形だ。毒やぼやきに込められた切実さを笑い飛ばしつつ、気づけば自分の家族や日常を重ねてしまう。キャストの熱演と脚本の緻密さがかみ合い、観終わった後にじんわり心に残る。今年のホームドラマの中でも異彩を放つ秀作だ。日曜の夜、テレビの前で自分の家族を少しだけ振り返ってみたくなる――そんな時間をくれる作品だ。