石破政権崩壊の舞台裏2025年09月09日

石破政権崩壊の舞台裏
石破茂総理が辞意を表明したが、政権崩壊のカウントダウンは確実に進んでおり誰も驚きに値しなかった。異様だったのは、森山幹事長がその事実を知ったのが会見のわずか3時間前だったと報道に漏らしたことだ。通常なら真っ先に伝えるべき幹事長を外したのは、参院選敗北直後に森山氏が一足先に辞意を示した“前科”への報復だとの見方が広がる。しかし、森山氏は議員総会後、辞表を出すのではなく「進退伺」を提出し、最後まで石破氏への気遣いをにじませていた。つまり信頼を切ったのは森山氏ではなく、石破氏の側だった。そして「情報統制の瓦解」はさらに露骨に現れる。幹事長よりも早く事情を察知したのは、報道各社だった。前夜の菅元総理・小泉農相との密談、官邸の不自然な動き、政権幹部からのリーク。もはやメディアのほうが政権中枢よりも先に動くという異常事態だった。これは参院選直後の「号外狂騒曲」でも生じていた。各紙が「石破退陣」を報じる中、本人は「誤報だ」と否定。政権は混乱し、メディアは暴走する──これこそ関係性の希薄さを物語っていた。

さらに辞任翌日には林官房長官が総裁選出馬を表明した。前日まで「最後まで支える」と語っていたのは一体何だったのか。忠誠を装いながら実際には“石破後”を狙っていたことが露呈した瞬間だった。しかも石破氏が林氏に事前相談をした痕跡すらなく、政権内の協調性はすでに壊死していた。その一方で、辞任に「心底残念」と涙ぐんだのが、よりにもよって村上総務相、岩屋外相、赤沢経済再生担当相という面々。世間からは「疑惑と失策のデパート」と揶揄される三人衆である。村上氏は旧統一教会との関係を否定しきれず、岩屋氏は外交交渉で迷走を繰り返し、赤沢氏に至っては国際会議で「格下の私に会ってくれてありがたい」と発言し、日本の品格を地に落とした。こうした人物が「石破推し」を名乗っていたこと自体、政権の人材難を象徴している。

結局、石破政権は「孤高(自己中)の代償」を支払う形で幕を下ろした。信念と現実の乖離、情報伝達の不均衡、信頼関係の欠如──三つの歯車が狂った結果である。自己中心的なトップの姿勢は、永田町という現場では致命傷だった。次の政権に求められるのは、美辞麗句でも強がりの孤独でもなく、「まともな仲間を作る力」に他ならない。