核兵器廃絶国際デー2025年09月27日

核廃絶国際デー
9月26日、「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」。国連本部で「核のない世界」を掲げた会議が開かれた。耳慣れた言葉ではあるが、現実が追いついていないのもまた事実だ。その場に立ったのは、広島で被爆した田中聡司さん(81)。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の代表として、「一刻も早く核をなくしてほしい」と訴えた。老いた声は震えながらも力を帯び、「核兵器に頼る平和は危険だ」「このままでは人類が滅びるかもしれない」と言い切った。そして「人間は核兵器と共存できない。命ある限り伝え続ける」と締めくくった言葉には、会場を静まり返らせるだけの重みがあった。しかし現実は非情だ。会議が終われば、各国代表は涼しい顔で帰国し、相変わらず核のボタンを抱えて眠る。毎年のように繰り返される「核廃絶の儀式」が、虚しく見えてしまうのはそのためだ。

国連のグテレス事務総長も「被爆者は苦しみを平和への願いに変えてきた」と称えた。だが同じ口で「無人機や極超音速兵器などの拡大」に不安を示し、米露に核削減を促した。言葉は立派でも、世界の核兵器の大半を握る米露が削減どころか“近代化”に走っている現実を変える力はない。会議の裏で、各国は黙々と武器カタログを更新しているのだから、皮肉な話である。しかも今や核を欲しがるのは米露や先進国だけではない。人権を踏みにじる全体主義国家、権威主義国家までもが血眼になって核を求めている。国民がどれほど困窮しようとも、指導者が大国に対して虚勢を張るためには核が必要だからだ。核は「抑止力」というより、強権国家の免罪符であり、恫喝の象徴になりつつある。

では、なぜ被爆者の叫びは届かないのか。理由は単純だ。核を「必要な防衛手段」とする国があること。広島・長崎の記憶が風化し、若い世代にとっては歴史教科書の一行に過ぎなくなっていること。そして日本自身が米国の「核の傘」に守られながら核廃絶を唱えるという、二重基準を抱えていること。さらに被団協が「政治に関わらない立場」をとることも、一見中立で崇高に見えるが、実はここが逆に政治的である。つまり「どの国にも文句を言わない」姿勢を守ることで、侵略や力による支配といった現実の暴力を正面から批判できず、結果として理想論を突破する力が制限されてしまうのだ。現実に向き合わず中立を貫くことが、かえって現実政治に食い込めない壁となっているのである。

実際、核兵器は「抑止力」と呼ばれるが、核保有国が他国に侵攻する現実を前にすれば、その理屈が空虚に響く。核は平和の守り手どころか、強者が力を誇示するための道具にすぎない。だからこそ、これから必要なのは「核兵器はダメ」「侵略もダメ」という二つの柱を同時に掲げることだ。核廃絶だけを訴えれば理想論に聞こえるが、「核も侵略も許さない」と言い切ったとき、初めて現実の国際政治に食い込む。

田中さんが語った「命ある限り伝え続ける」という言葉は、被爆者の世代が残された時間の少なさを突きつける。だからこそ、その声を「美談」で終わらせてはならない。核の恐ろしさを語ると同時に、それを利用して他国を脅す政治の欺瞞を暴くことが必要だ。皮肉なことに、核廃絶を阻む最大の壁は「核を持つ側の冷笑」である。被爆者が命を削って訴えても、指導者たちは眉ひとつ動かさない。ならば、私たちにできるのは、美辞麗句を繰り返すのではなく、現実を直視し、その欺瞞を次の世代に伝えていくことだ。

被爆者の声を「平和の祈り」にとどめるのではなく、「権力者の偽善を映す鏡」として残すことこそ、未来への責任ではないだろうか。