PECSと日本行政の歪み2025年09月30日

PECSと日本行政の歪み
言葉が出にくい子どもが「欲しい」「やりたい」を伝えられるようにするPECS(絵カード交換式コミュニケーション)。海外では教育や福祉制度に組み込まれ、公的文書のガイドラインにも明記され、専門職研修や研究と連動して広く普及している。ところが日本では、文科省や厚労省の資料に名前が載る程度で、制度的裏付けはない。現場では熱心な支援者が導入する例もあるが、継続性は属人的努力に頼るしかないという問題について昨日触れた。

例えば、保険医療制度では、エビデンスのある診療や手技は点数化され、制度として評価される。教育や福祉でも同様に、科学的根拠に基づく指導法は公文書で示されるべきだが、PECSに限らず、エビデンスのある支援法が指導法として正式に書かれない傾向は、日本独自の行政的歪みともいえる。

では、制度化すれば解決するのか。議論の軸は、安定性と柔軟性、公平性と現場裁量、中央集権と地方分権にある。

制度に明記すれば、全国どこでも同水準の支援が受けられる。現場の支援者も「制度で保証された技法」として安心して使えるし、支援の質と公平性も担保される。さらに、医療保険制度の点数制のように、研修や実践を評価する仕組みを導入すれば、現場のモチベーションも高められる可能性がある。ただ、公平性を担保する質を維持するには専門的研修や資格制度を確立する必要も出てくる。要は金がかかる。

一方で、慎重論もある。支援は子ども一人ひとりに応じて柔軟に選ぶべきで、特定の技法を制度に固定化すると、現場の自由度や工夫が制約されるリスクがある。もちろん教育・福祉には保護者同意の支援計画があるため、完全に自由が奪われるわけではないが、制度運用次第では柔軟な対応が難しくなる場面も想定される。さらに、日本の中央集権的な制度構造では、全国一律のルールが現場に合わないこともある。逆に地方に権限を委ねると、地域間で支援の質に差が出かねない。ここが制度化の難しさの核心だ。

しかし、政府が丸く収めていれば事態は遅々として進まない。地方行政同士が競い合うという構図も民主主義の発展には必要なことという意見もある。

結局、PECS制度化の議論は単純な「導入する/しない」を超える。重要なのは、理念と現場をどうつなぎ、支援の安定性と柔軟性を両立させるかである。制度の中でPECSを必須技法とせず、複数の選択肢の一つとして位置づけ、研修や評価の仕組みで現場のモチベーションを引き出す――こうした折衷案が現実的だろう。子どもたちにとって大切なのは、PECSの名前ではなく、「自分の気持ちを安心して伝えられる環境」が整っていることだ。行政が科学的根拠に基づく支援法を公文書で明記し、現場の判断と組み合わせて活用できる社会こそ、本来目指すべき姿である。

日本の行政だけが現場の方法論に無関心でいる現状は、制度設計のあり方そのものを問う警鐘と言えるだろう。