人民解放軍幹部の相次ぐ粛清2026年02月04日

人民解放軍幹部の相次ぐ粛清
人民解放軍の最高幹部である張又侠と劉振立が相次いで表舞台から姿を消し、中央軍事委員会には習近平主席と副主席一名のみが取り残された。この異常事態を、単なる人事刷新と片付けるのはあまりに能天気だ。今、中国軍の意思決定中枢は、文字通り「脳死」に近い縮減状態にある。公式発表の「規律違反」を真に受ける者はいないだろう。理由が権力闘争であれ機密漏洩であれ、導き出される結論は一つしかない。最も冷徹な判断が求められる軍事組織において、正常な「思考装置」が歪み始めているという恐怖である。

独裁国家において、軍は常に最大の内部リスクだ。戦功を挙げた将軍よりも、影響力を持ちすぎた将軍が排除され、現場には恐怖と忖度が蔓延する。有能な人材は沈黙し、独裁者のもとには耳障りの良い忠誠報告だけが積み上がる。歴史が証明する通り、国家はこうして判断を誤り、取り返しのつかない博打に手を染める。我々が真に警戒すべきは、台湾侵攻の「意図」そのものではない。その判断過程から合理性が失われることにある。冷静な損得勘定が消え、国内向けの強硬姿勢や忠誠競争が暴走したとき、戦争は合理的選択から制御不能な「政治的衝動」へと変質する。

その兆候は、対日圧力の支離滅裂さにも現れている。日本の素材や製造技術に依存しながら、レアアースや半導体で圧力をかけるのは、戦略的な自傷行為に他ならない。それでもブレーキを踏めないのは、理性よりも「強さの演出」を優先せざるを得ない独裁体制の末期症状だからだ。この現実を前に、日本が最も忌むべきは「日米安保があるから大丈夫」という思考停止である。米国は慈善事業で若者の血を流す国ではない。自らを守る覚悟なき国家に、冷徹な契約である同盟を維持する資格はない。

今回の選挙で問われているのは、単なる政党の選択ではない。国家としての「自尊と責任」の所在である。反撃能力の整備や南西諸島への配備を「刺激」と称して先送りする政治は、抑止の本質を理解していない。抑止とは、相手の計算式に「侵略は必ず失敗する」という解を力で書き込む作業だ。半導体や重要鉱物の対中依存をいつまでに何割減らすのか、その数字なき経済安全保障はただのスローガンに過ぎない。憲法論争から逃げ、自衛の範囲を曖昧にし続けることは、有事の初動を遅らせ、他国軍の犠牲に自国の安全を委ねる恥ずべき行為である。

選挙は、中国への勇ましさを競う場ではない。不安定な隣国と向き合う現実的な盾を持つのか。それとも、根拠なき希望的観測に逃げ続けるのか。我々は今、その残酷な二択を突きつけられている。

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