障害の開示と就労支援 ― 2026年02月20日
先日、最高裁大法廷が下した一つの判断は、確実に日本社会の足元を揺らした。旧警備業法が成年後見制度の利用者を一律に警備員から排除していた欠格条項について、「職業選択の自由と平等原則に反し違憲」と明確に断じたのである。2019年、国会が180を超える法律から同種の欠格条項を削除した流れを追認する形とはいえ、今回は憲法判断として“属性による一律排除”を否定した点で重みが違う。判決は国の賠償責任を否定し、原告個人の救済には及ばなかった。違憲という明確なメッセージは示されたが、具体的な救済には届かない。その距離こそが、制度改革と当事者の現実のあいだに横たわる深い溝を物語っている。
背景にあるのは、日本の成年後見制度の構造だ。成年後見・保佐・補助という三類型は、障害の種類ではなく「判断能力の程度」で区分される。利用の可否は家庭裁判所が医師の鑑定などを基に決定し、制度の本旨は財産管理や契約支援にある。就労支援は本来、その設計思想に含まれていない。しかし現実には、制度を利用すれば官報公告がなされ、契約の場面では後見人が前面に立つ。軽度障害の人ほど「制度利用=能力不足の公表」と受け止めやすく、不利益を恐れて利用をためらう。守るための制度が、挑戦をためらわせる構造を内包しているのである。
最高裁は「能力は個別に評価すべき」と述べた。理念としては正しい。だが現場の企業が、その理想を担える制度的裏付けは十分だろうか。個別評価には時間も費用もかかる。結果として、形式的なペーパーテストに依存する流れが強まる可能性は否定できない。テストは“客観的”という装いを持つが、読字や筆記が苦手でも実務能力に優れた人材を排除する危険をはらむ。
そしてもう一つの壁がある。障害や制度利用を開示することに、当事者にも雇用側にも明確なインセンティブが乏しいという現実だ。開示すれば支援が自動的に強化されるわけではなく、企業側にとっても具体的な負担軽減や専門的支援が確実に伴うとは限らない。合理的配慮は理念として求められていても、その実効性は個々の現場に委ねられている。障害の開示が本人にとってリスクでしかなく、必要な支援が確実に担保されないのであれば、成年後見制度は積極的に活用されにくい。欠格条項の削除や違憲判断は制度上の前進であることは間違いない。しかし、障害をカミングアウトすることが本人にとって合理的な選択となり、かつ雇用側も安心して受け入れられる環境が整わない限り、就労機会の拡大は理念にとどまる可能性が高い。さらに、後見制度の利用が事実上の障害開示につながる現状では、プライバシーと就労権利のトレードオフが適切かどうかという点についても、なお検討の余地が残されている。
必要なのは、後見制度を「能力の欠如モデル」から「意思決定支援モデル」へと転換することだ。就労支援と制度を連動させ、本人の働く意思を制度的に保障する。同時に、開示と受け入れに対して具体的な支援と負担軽減を制度として設計する。その三者連携を実装して初めて、違憲の二文字は現実の変化へと接続される。今回の判決は一歩前進である。しかし真に問われているのは、その一歩を現場の変化へと結びつけられるかどうかだ。理念を語るだけでは足りない。制度が動く条件を整えられるかどうか――そこに改革の成否がかかっている。
背景にあるのは、日本の成年後見制度の構造だ。成年後見・保佐・補助という三類型は、障害の種類ではなく「判断能力の程度」で区分される。利用の可否は家庭裁判所が医師の鑑定などを基に決定し、制度の本旨は財産管理や契約支援にある。就労支援は本来、その設計思想に含まれていない。しかし現実には、制度を利用すれば官報公告がなされ、契約の場面では後見人が前面に立つ。軽度障害の人ほど「制度利用=能力不足の公表」と受け止めやすく、不利益を恐れて利用をためらう。守るための制度が、挑戦をためらわせる構造を内包しているのである。
最高裁は「能力は個別に評価すべき」と述べた。理念としては正しい。だが現場の企業が、その理想を担える制度的裏付けは十分だろうか。個別評価には時間も費用もかかる。結果として、形式的なペーパーテストに依存する流れが強まる可能性は否定できない。テストは“客観的”という装いを持つが、読字や筆記が苦手でも実務能力に優れた人材を排除する危険をはらむ。
そしてもう一つの壁がある。障害や制度利用を開示することに、当事者にも雇用側にも明確なインセンティブが乏しいという現実だ。開示すれば支援が自動的に強化されるわけではなく、企業側にとっても具体的な負担軽減や専門的支援が確実に伴うとは限らない。合理的配慮は理念として求められていても、その実効性は個々の現場に委ねられている。障害の開示が本人にとってリスクでしかなく、必要な支援が確実に担保されないのであれば、成年後見制度は積極的に活用されにくい。欠格条項の削除や違憲判断は制度上の前進であることは間違いない。しかし、障害をカミングアウトすることが本人にとって合理的な選択となり、かつ雇用側も安心して受け入れられる環境が整わない限り、就労機会の拡大は理念にとどまる可能性が高い。さらに、後見制度の利用が事実上の障害開示につながる現状では、プライバシーと就労権利のトレードオフが適切かどうかという点についても、なお検討の余地が残されている。
必要なのは、後見制度を「能力の欠如モデル」から「意思決定支援モデル」へと転換することだ。就労支援と制度を連動させ、本人の働く意思を制度的に保障する。同時に、開示と受け入れに対して具体的な支援と負担軽減を制度として設計する。その三者連携を実装して初めて、違憲の二文字は現実の変化へと接続される。今回の判決は一歩前進である。しかし真に問われているのは、その一歩を現場の変化へと結びつけられるかどうかだ。理念を語るだけでは足りない。制度が動く条件を整えられるかどうか――そこに改革の成否がかかっている。