京都府知事選2026年04月06日

京都府知事選
京都府知事選。24年ぶりの三つ巴、有権者は200万を超えるとか。ほんまやったら、もうちょっと賑おうててもよろしおすのに、まあ……街はえらい静かなもんどっせ。四条を歩いても祇園を抜けても、選挙の話題なんてどこにもあらしまへん。貼られたポスターだけが、なんや取り残されたみたいに浮いて見えてます。これは偶然やあらしまへん。長いことかけて、「どうせ結果は決まってますやろ」という空気が、じわじわと染み込んでしもたんどす。投票率が3割そこそこで止まったままやから無理もあらしまへんなぁ。関心がないんやのうて、関心を持ってもしゃぁない、そう思わされてきたんどす。自民さんと共産さんが半世紀も向き合うて、その間に業界や地域の組織が入り込んで、票は固まりきってますやろ。勝敗の輪郭は最初から見えてしもて、政策の違いは薄うて、候補者の個性なんかどこへ行ったかわからしまへん。選挙やなんて言うて、実際は“形ばかりの儀式”みたいなもんどっせ。

それにしても、京都という土地はほんまに重たい街どすな。お寺さんやら、文化財、景観、地域のしきたり……歴史の層が幾重にも重なって、行政が何かしょうとすると、あっちこっちから「まあ、ちょっと待ちなはれ」と声がかかる。動かへんのやのうて、動こうとすればするほど動けんようになる構造どす。そこへ府と市の分断が重なる。どっちも同じ土地におっても、権限も財源も優先順位も違う。片方が動いても、もう片方が静かんままやと、そら景色は変わりまへんわなぁ。

どこの自治体も変わらしまへんけど財政の制約もきつうて、自由に使えるお金は3割程、国の制度に縛られて、知事さんが打てる手はほんまに少ない。せやから公約は似たり寄ったりになって、選挙の違いなんて見えへんようになる。こないして「変わらへん街」という印象が、じわじわと固まってきたんどす。

そやけど、どんなに静かでも、底のほうで動いてるもんはあるんとちゃうやろか。無党派層は約58万票とも言われてはるけど、実際に動くのはその一部。それでも、この層がいっぺんに動いたら、選挙の前提そのものが崩れるかもしれまへん。自民さんも共産さんも組織票は持ったはるけど、無党派層はそのどちらにも寄りつきはりまへん。動くとしたら、そら“第三の選択肢”いうことになるんとちゃいますか。

国政の支持率がどうであれ、それが地方選にそのまま出るわけやあらしまへん。地方選は政党の看板やのうて、地域の構造と受け皿で決まりまっしゃろ。無党派層の受け皿が現れたら、これまでの力学なんて、案外あっさり揺らぎますえ。もし今回、第三極が二位に入るようなことがあれば、それだけで十分どす。勝ち負け以上に、「組織票だけでは決まりまへん」という前例ができます。そうなれば政党も無党派層を無視でけへんようになって、候補者選びも政策も変わってきますやろ。地方議会いうのは風に敏感どっさかい、翌年の選挙に向けて、あっちゃこっちゃで動き出しはるかもしれまへん。

京都は「変わらへん街」やと言われますけど、ほんまは変わらへんのやのうて、変わりにくい構造に縛られてきただけどす。その構造が少しでも揺らいだら、変化は思てるより早いもんどす。今回の選挙が決定的な転換点になるとは限りまへんけど、長いこと動かへんかった無党派層が少しでも動くんやったら、それはただの数字やのうて“兆し”どす。静かな選挙の底で生まれる小さな揺らぎが、やがて京都を動かす火種になるかもしれまへんなぁ。しらんけど。