ホワイトハラスメント ― 2026年04月11日
またしても“新種のハラスメント”が喧伝されている。今度は「ホワイトハラスメント(ホワハラ)」だという。マイナビの調査によれば、中途入社1年以内の社員の約14%が「経験あり」と回答した。だが、その内訳を見れば苦笑を禁じ得ない。「仕事をカバーされすぎて成長機会を奪われた」「定時退社を促された」――。これがハラスメントに分類されるのであれば、言葉の射程は無限に拡張され、概念そのものが空洞化していると言わざるを得ない。もちろん、過剰な配慮が結果として若手の成長を阻害するケースはあるだろう。しかし、それは本来マネジメントの「巧拙」の問題であり、加害性の伴う「ハラスメント」とは厳格に峻別されるべきものだ。ハラスメントとは、権力の濫用や不利益の強制といった、客観的に確認可能な加害行為によって成立する概念であるはずだ。この境界線が曖昧になったとき、職場は規律を失い、混乱へと傾く。
そもそも、労働時間の管理は管理職に課せられた法的義務である。定時退社の指示は就業規則に基づく正当な業務命令であり、これを怠れば責任を問われるのは管理側だ。36協定を超える残業を黙認すれば、直ちに法令違反として企業と個人が指弾される。にもかかわらず、「もっと働きたかった」という個人の主観によって“被害”が構成されるのであれば、コンプライアンスの遵守そのものが非難の対象となりかねない。守っても責められ、逸脱すれば処分される。これはもはや、逃げ場のない袋小路である。例えば、定時を過ぎても席を立たず業務を続ける若手社員に対し、上司が「今日はここまでにしよう」と帰宅を促す場面を想像してみればよい。本来であれば、それは健康配慮であり法令遵守の一環である。だが、それすら「成長機会の剥奪」と受け取られるのであれば、現場の判断はたちまち萎縮する。正当な職務行為と“加害”の境界が曖昧になった瞬間、管理は機能不全に陥る。
問題の根深さは、個々人の「不快感」や「期待との不一致」を、そのまま“加害”へと変換する装置が社会的に機能し始めている点にある。注意すればパワハラ、支援すればホワハラ、帰らせれば機会損失。この風潮が蔓延すれば、管理職はリスク回避のために沈黙し、指示は弱まり、指導は形骸化する。真面目に職務を果たそうとする者ほど萎縮し、組織の規律は静かに崩壊していく。さらに看過できないのは、この構図を逆手に取る動きだ。職務命令を拒み、上司の反応を試すような振る舞いは、単なる反抗ではない。指揮命令系統の弱体化を前提に、自らの立場を相対的に優位に置こうとする一種の「演出」として機能している側面がある。こうした行為は組織運営の基盤を侵食するが、報道の多くは管理職側の振る舞いのみを切り取り、現場の歪みをさらに増幅させている。
ハラスメント概念のインフレは、単なる言葉の遊びではない。それは組織の意思決定力を奪い、現場を無責任な空気に塗りつぶす構造的リスクである。必要なのは、判断基準を主観的感情から切り離し、客観的行為へと引き戻すことだ。正当な職務遂行までを安易に「加害」と見なす風潮に歯止めをかけなければ、最後に損なわれるのは、職場の健全性と組織の持続可能性にほかならない。
そもそも、労働時間の管理は管理職に課せられた法的義務である。定時退社の指示は就業規則に基づく正当な業務命令であり、これを怠れば責任を問われるのは管理側だ。36協定を超える残業を黙認すれば、直ちに法令違反として企業と個人が指弾される。にもかかわらず、「もっと働きたかった」という個人の主観によって“被害”が構成されるのであれば、コンプライアンスの遵守そのものが非難の対象となりかねない。守っても責められ、逸脱すれば処分される。これはもはや、逃げ場のない袋小路である。例えば、定時を過ぎても席を立たず業務を続ける若手社員に対し、上司が「今日はここまでにしよう」と帰宅を促す場面を想像してみればよい。本来であれば、それは健康配慮であり法令遵守の一環である。だが、それすら「成長機会の剥奪」と受け取られるのであれば、現場の判断はたちまち萎縮する。正当な職務行為と“加害”の境界が曖昧になった瞬間、管理は機能不全に陥る。
問題の根深さは、個々人の「不快感」や「期待との不一致」を、そのまま“加害”へと変換する装置が社会的に機能し始めている点にある。注意すればパワハラ、支援すればホワハラ、帰らせれば機会損失。この風潮が蔓延すれば、管理職はリスク回避のために沈黙し、指示は弱まり、指導は形骸化する。真面目に職務を果たそうとする者ほど萎縮し、組織の規律は静かに崩壊していく。さらに看過できないのは、この構図を逆手に取る動きだ。職務命令を拒み、上司の反応を試すような振る舞いは、単なる反抗ではない。指揮命令系統の弱体化を前提に、自らの立場を相対的に優位に置こうとする一種の「演出」として機能している側面がある。こうした行為は組織運営の基盤を侵食するが、報道の多くは管理職側の振る舞いのみを切り取り、現場の歪みをさらに増幅させている。
ハラスメント概念のインフレは、単なる言葉の遊びではない。それは組織の意思決定力を奪い、現場を無責任な空気に塗りつぶす構造的リスクである。必要なのは、判断基準を主観的感情から切り離し、客観的行為へと引き戻すことだ。正当な職務遂行までを安易に「加害」と見なす風潮に歯止めをかけなければ、最後に損なわれるのは、職場の健全性と組織の持続可能性にほかならない。