足りない騒ぎと共産主義モード ― 2026年04月25日
新城市の日帰り温泉や砺波の焼却施設で「重油が入ってこない」というニュースを見た瞬間、なぜか台所の戸棚を開けてしまった。重油が入っているわけもないのに開けたくなるのは、コロナの時のマスクと同じだ。「足りない」という言葉が理屈を追い越し、自分の在庫を確認しないと気が済まない。今回の重油も、どうも同じ匂いがする。実際は鍋が空になったわけではなく、具が少し偏っているだけだ。原油は備蓄を含めて確保され、暖房需要も落ちる時期。医療などの優先順位が高いところには、きちんと回る。ところがニュースは「偏り」を語らない。「砺波で入らない」と聞けば、脳内で勝手に「入らない=全部ない=そのうち医療も危ない」と変換が始まる。冷蔵庫の隅で豆腐が一丁傷んでいるのを見て「全部ダメだ」と思い込むようなものだが、タンクの残量という「数字」を並べられると、鍋の底の小さな焦げが全体を焼き尽くす大火事に見えてくる。
不安は人を動かす。地元の議員には「センセー、油はどうなってるんです」と声が集まる。盆踊りの人数は把握していても、石油の流れまで追っていないセンセーは役所に駆け込み、役所は公平を期して一斉調査をかける。すると業者が「調査が入るなら、何か起きるぞ」と身構える。ここからは早い。仕入れは前倒し、在庫は積み増し、消費者も「今のうちに」と動き出す。自由に流れていたはずのものが急にぎくしゃくし始め、「誰かが配らないと危ない」という空気が生まれる。統制を求める声とお上への疑いが同時に膨らむ、いわば“共産主義モード”の完成である。
本来、流通は猫のようなもので、放っておけば勝手に歩き回り、勝手に収まる。ところが、みんなで囲んで「大丈夫か」と背中を叩き続ければ、猫は一目散に逃げ出すだろう。かつて「足りている」と言われた瞬間に棚が空になったのも、あの光景の焼き直しだ。石油の量は変わっていない。ただ、「入らない」の一言と「足りていますか」という問いかけが、全員に一斉に箸を持たせる。まだ具はあるのに、みんなで鍋をかき回し、そうしているうちに本当に中身が減っていく。
世の中の混乱は、大抵たいしたことのない焦げから始まる。そして厄介なのは、その焦げを広げるきっかけが、決まって「ここが焦げています」と教えてくれる親切な声のほうだということである。
不安は人を動かす。地元の議員には「センセー、油はどうなってるんです」と声が集まる。盆踊りの人数は把握していても、石油の流れまで追っていないセンセーは役所に駆け込み、役所は公平を期して一斉調査をかける。すると業者が「調査が入るなら、何か起きるぞ」と身構える。ここからは早い。仕入れは前倒し、在庫は積み増し、消費者も「今のうちに」と動き出す。自由に流れていたはずのものが急にぎくしゃくし始め、「誰かが配らないと危ない」という空気が生まれる。統制を求める声とお上への疑いが同時に膨らむ、いわば“共産主義モード”の完成である。
本来、流通は猫のようなもので、放っておけば勝手に歩き回り、勝手に収まる。ところが、みんなで囲んで「大丈夫か」と背中を叩き続ければ、猫は一目散に逃げ出すだろう。かつて「足りている」と言われた瞬間に棚が空になったのも、あの光景の焼き直しだ。石油の量は変わっていない。ただ、「入らない」の一言と「足りていますか」という問いかけが、全員に一斉に箸を持たせる。まだ具はあるのに、みんなで鍋をかき回し、そうしているうちに本当に中身が減っていく。
世の中の混乱は、大抵たいしたことのない焦げから始まる。そして厄介なのは、その焦げを広げるきっかけが、決まって「ここが焦げています」と教えてくれる親切な声のほうだということである。