飛鳥・藤原宮跡と日本神話2026年06月07日

飛鳥・藤原宮跡と日本神話
飛鳥・藤原宮跡が世界遺産登録の勧告を受けた。めでたい話である。めでたいのだが、ニュースを眺めながら妙な気分にもなる。日本最初の本格的な都城が「人類共通の財産です」と国際的にお墨付きをもらうまで、ずいぶん時間がかかった。まるで実家の押し入れから出てきた古いアルバムを見て、「ああ、うちにもちゃんと歴史があったんだな」と今さら気づくような話である。

考えてみれば、日本の古代史というのは長いあいだ、どこか片目をつぶったまま眺められてきた。中国の史書は熱心に読む。だが日本神話になると、急にみんな視線をそらす。古事記や日本書紀は、本棚の上段に置かれたまま「触らないほうが無難です」という空気をまとっていた。おかげで古代史研究は、地図の半分だけ広げて旅に出るような状態になった。目的地を探しているのに、肝心のページが折り畳まれたままなのである。

世界では少し事情が違う。考古学者という人種は案外ロマンチストだ。ギリシャではホメロスの物語を頼りにトロイを探し、中国では長く伝説扱いだった殷王朝を甲骨文で掘り当てた。インドでも叙事詩に登場する地名を追いかけて遺跡が探されている。要するに「そんな話が残っているなら、一度スコップを入れてみよう」という発想である。世界標準では、神話は信じるものでも否定するものでもない。まず掘るための地図なのだ。

ところが日本では、戦後になると神話は急に扱いづらい存在になった。国家神道への反省もあったし、神話が歴史として教えられた時代への警戒もあった。事情は理解できる。だが戦後の教育現場には、「神話に触れるとどこか思想の地雷を踏むのでは」という、誰が決めたとも知れない妙な緊張感が長く漂った。その緊張感は、教室の床下に“どこに埋まっているか分からない地雷”があるようなもので、誰も確かめようとしないまま年月だけが過ぎていった。警戒心というのは便利なもので、ときとして必要なものまで物置にしまい込む。包丁が危ないからといって台所ごと封鎖するような話である。気がつけば神話そのものが遠ざけられ、「触れないのが大人」という妙な空気だけが残った。

その結果、日本の古代史はどこか窮屈になった。魏志倭人伝はもちろん重要である。だが古代日本を理解する手がかりが中国の史料だけで尽くせるなら、わざわざ日本列島に何万もの遺跡が残っている意味がない。近年になって、纏向遺跡の巨大な姿が見え、箸墓古墳の年代が絞り込まれ、藤原宮跡の都市計画が明らかになるにつれ、神話の中に描かれた政治統合や地理感覚と重なる部分も見え始めた。もちろん神話がそのまま史実だという話ではない。だが、まったくの空想話にしては妙に土地勘が良すぎるのである。

神話というものは面白い。英雄が現れ、国を造り、争い、和解し、ときにはとんでもない失敗もする。物語として読んでも十分楽しい。だから本来は国語の教材としても優秀だし、歴史への入口としても使いやすい。神話を読んだ子どもが「その場所はどこにあるの」と興味を持ち、遺跡を訪ねる。そうやって考古学へ進む子がいてもいい。神話は信仰でも教義でもなく、まず文化なのである。

今回の世界遺産勧告は、飛鳥・藤原の価値が認められたというだけの話ではないように思う。長いあいだ押し入れにしまわれていた古い地図を、ようやく広げ直す時期が来たという知らせにも見える。神話は神話、考古学は考古学である。しかし両方を机の上に並べてみると、これまで見えなかった輪郭がふっと浮かび上がることがある。古代史という風景は、どうやら片目だけでは見えないらしい。せっかく二つあるのだから、そろそろ両目を開いて眺めてみてもよい頃だろう。もっとも、古事記を読んだからといって翌日から神武東征に出発する人はいない。桃太郎を読んだから鬼ヶ島へ遠征しないのと同じである。神話は読むだけで人を変身させる魔法の書ではない。だったら怖がる必要もない。むしろ読まずに遠ざけてきたことのほうが、少しばかり不自然だったのかもしれない。

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