国旗でも外国旗でも罪は同じ ― 2026年06月19日
国旗損壊罪というものは、議論を始める前から空気がざわつく。ざわつくというより、そこに置かれた一枚の布が、突然「国家の象徴」という重力を帯び、触れるだけで何かが起きそうな気配を放ち始める。ほんとうは「壊したのか、壊していないのか」という単純な話のはずなのに、政治の世界へ持ち込まれた途端、周囲の人間は一斉に背筋を伸ばし、声の調子まで半音ほど低くなる。象徴とは、どうしてこうも人を緊張させるのだろう。
本来なら、外国の国旗を壊すのも日本の国旗を壊すのも、行為としては同じ棚に並ぶ話である。ならば条文の整合性をそろえ、あとは司法が淡々と判断すればいい。司法とは、まさにそうした細かな線引きを積み重ねるために存在している。しかし政治の世界では、その線引きが単なる法技術では終わらない。「どこに線を引くか」が、そのまま立場の表明として受け取られる。線を引けば、引いた本人の政治的意味まで背負い込むことになる。だから誰もが慎重になり、線はなかなか引かれない。
その結果、条文は少しずつ複雑になっていく。「著しく不快」「嫌悪の情」「外形や周囲の状況」といった抽象的な文言が積み重なり、読む側はだんだん息苦しくなる。こうした言葉は、立法段階の妥協には便利だが、運用の現場には必ずしも親切ではない。警察も検察も、どこまで踏み込んでよいのか慎重になり、結局は「触らぬ方が無難だ」という方向へ傾きやすい。条文を精密にすればするほど、運用はかえって鈍くなる。細部を埋めれば埋めるほど、現場の動きは重くなる。
今回はさらに、複数の政党が寄り集まって調整を重ねた。SNS上での扱いをどうするのか、表現の自由との関係をどう整理するのか、三年後の見直し規定を設けるのか。論点が増えるたびに条文は厚みを増し、そのぶん実務の側は身構える。政治家たちは「合意に至った」という達成感を得るが、行政には「本当にここまで踏み込んでよいのか」という不安が残る。調整を重ねるほど実務から遠ざかる――そんな逆説が顔をのぞかせる。
結局のところ、この法律の姿を決めたのは、法体系の整合性や行政実務の合理性だけではなく、政治の都合だった。行為の同質性をそろえるという発想も、細かな判断は司法に委ねるという刑法本来の姿勢も、いつの間にか脇へ押しやられている。象徴を扱うと、人は必要以上に慎重になる。その結果、誰も前へ進めなくなる。だから最後に、あまりにも当たり前で、かえって語られなくなった案を置いておく。
国旗でも外国旗でも、侮辱目的の損壊に限り、外国国章損壊罪と同じ刑罰――2年以下の懲役または20万円以下の罰金――で統一する。細かな判断は司法に委ねる。
それで足りたのではないか。むしろ、それで十分だったのではないか。
本来なら、外国の国旗を壊すのも日本の国旗を壊すのも、行為としては同じ棚に並ぶ話である。ならば条文の整合性をそろえ、あとは司法が淡々と判断すればいい。司法とは、まさにそうした細かな線引きを積み重ねるために存在している。しかし政治の世界では、その線引きが単なる法技術では終わらない。「どこに線を引くか」が、そのまま立場の表明として受け取られる。線を引けば、引いた本人の政治的意味まで背負い込むことになる。だから誰もが慎重になり、線はなかなか引かれない。
その結果、条文は少しずつ複雑になっていく。「著しく不快」「嫌悪の情」「外形や周囲の状況」といった抽象的な文言が積み重なり、読む側はだんだん息苦しくなる。こうした言葉は、立法段階の妥協には便利だが、運用の現場には必ずしも親切ではない。警察も検察も、どこまで踏み込んでよいのか慎重になり、結局は「触らぬ方が無難だ」という方向へ傾きやすい。条文を精密にすればするほど、運用はかえって鈍くなる。細部を埋めれば埋めるほど、現場の動きは重くなる。
今回はさらに、複数の政党が寄り集まって調整を重ねた。SNS上での扱いをどうするのか、表現の自由との関係をどう整理するのか、三年後の見直し規定を設けるのか。論点が増えるたびに条文は厚みを増し、そのぶん実務の側は身構える。政治家たちは「合意に至った」という達成感を得るが、行政には「本当にここまで踏み込んでよいのか」という不安が残る。調整を重ねるほど実務から遠ざかる――そんな逆説が顔をのぞかせる。
結局のところ、この法律の姿を決めたのは、法体系の整合性や行政実務の合理性だけではなく、政治の都合だった。行為の同質性をそろえるという発想も、細かな判断は司法に委ねるという刑法本来の姿勢も、いつの間にか脇へ押しやられている。象徴を扱うと、人は必要以上に慎重になる。その結果、誰も前へ進めなくなる。だから最後に、あまりにも当たり前で、かえって語られなくなった案を置いておく。
国旗でも外国旗でも、侮辱目的の損壊に限り、外国国章損壊罪と同じ刑罰――2年以下の懲役または20万円以下の罰金――で統一する。細かな判断は司法に委ねる。
それで足りたのではないか。むしろ、それで十分だったのではないか。