東大と「六四天安門」2026年08月08日

東大と「六四天安門」
東大というのは、日本の学術界における巨大な「基幹装置」である。知識を生産し、言論を循環させ、社会に自由主義の酸素を送り込む役割を担う。その装置が今回、教授が入試情報ページのソースコードに「六四天安門」と記述していたとして、出勤停止三日の懲戒処分を下した。山本副学長は「本学教員としてあるまじき行為」と断じた。しかし、この「あるまじき」という言葉には、装置のネジが一本だけ逆向きに締められたような、どこか微妙な歪みが残る。問われるべきは、教授個人だけでなく、大学側の判断そのものではなかったか。

教授が記した「六四天安門」という語は、日本では完全に合法であり、政治的言論の自由の中核に位置する表現である。中国の検閲事情を理解したうえで、中国からのアクセスを妨げる意図があった可能性は否定できず、その点への批判は成立し得る。しかし、それが直ちに出勤停止という懲戒処分に値するかには疑問が残る。実際にアクセスを制限する主体は教授ではなく、中国の検閲システムである。教授は日本の自由主義の地面の上で行動しているのに、大学はいつの間にか中国の地形図を参照して足元を決めているようにも映る。

東大は中国の大学ではない。日本は自由主義国家であり、外国政府の検閲基準に従う義務もない。それにもかかわらず、「中国の検閲が作動する可能性」を処分理由の一部として掲げるのであれば、外形的には「中国で検閲対象となる言葉を用いると処分される大学」という構図が生まれてしまう。それは学術機関が最も慎重であるべき自己検閲を想起させる。結果として、教授の行為以上に、大学の対応そのものが自由主義の理念との整合性を問われることになった。

本来、東大には別の選択肢があったはずだ。業務上必要のないコードを書き込んだ教授を処分するならば、同時に「他国による検閲を研究府として容認することはできない。東大は学術と言論の自由を守る立場から、アクセス制限を正当化しない」と明確に発信する道もあった。それこそが最高学府として示すべき矜持である。もちろん、そのような発信は中国政府や中国社会の反発を招き、学術交流や留学生の受け入れなどに影響を及ぼす可能性もあっただろう。それでも、教授個人への処分だけで事態の収束を図れば、最も守るべき原則まで後景に退いてしまう。

今回の処分は、その矜持を示す機会でもあった。しかし結果として、外国の検閲への配慮を優先したようにも受け止められ、東大の姿勢に疑問を投げかけることになった。教授の行為に批判の余地があったとしても、出勤停止という懲戒処分だけで終わらせた判断が適切だったのかについては、なお議論の余地がある。自由主義社会において大学が守るべきものは研究成果だけではない。自由そのものを支える姿勢である。その意味で今回最も厳しく問われるべきだったのは、教授ではなく、最高学府としての東大自身の判断だったのではないだろうか。

脱炭素ナイター2026年08月07日

脱炭素ナイター
日本最大の発電会社で、セ・リーグのタイトルスポンサーでもあるJERAは、今シーズンから各球団と協力し、再生可能エネルギー由来の電力を活用した「脱炭素ナイター」を始めた。その目玉の一つが、洋上風力を含む再生可能エネルギーでナイター球場の照明を支える取り組みである。夜の海風で巨大な風車をぐるんぐるん回し、その電気で球場を照らす──なんとも未来的で、聞いているだけで胸がすく話だ。太陽光のように「夜は発電できない」という弱点もなく、海の上なら風も強い。これぞ夢のグリーン電力、と手放しで喜びたくなる。

だが、現実はそう甘くない。日本で洋上風力を建てようとすると、建設費は陸上風力の倍、太陽光の数倍に達することもある。台風、塩害、漁業との調整、急峻な海底地形──条件は決して恵まれていない。欧州では発電コストが10円台前半、案件によっては10円を下回る例もある一方、日本では二十数円から三十円程度と高止まりしている。しかも大型風車の主力部品は海外メーカーへの依存が大きく、欧州製を円安で高く調達するか、中国製に安全保障上の懸念を抱えるかという、胃が痛くなる二者択一に追い込まれている。

この袋小路の背景には、もっと根本的な問題がある。産業の競争力は、人材と設備、そして技術の積み重ねで成り立つ。しかし日本は、その三つへの投資を30年にわたり後回しにしてきた。なかでも深刻なのが人材、すなわち技術者である。巨大風車を設計し、海上施工を管理し、保守点検を担う技術者は、教科書を読んだだけでは育たない。現場で10年、20年と経験を積み、失敗を重ねて初めて一人前になる。欧州が巨大風車を量産できるのは、こうした技術者が厚い層を成しているからだ。この層は資金を投じても、一朝一夕には手に入らない。技術者とは「時間でしか育たない資産」なのである。

日本は、その資産を十分に育ててこなかった。大型風車を扱える港湾整備は遅れ、送電網の増強も進まず、研究開発や製造基盤への投資も十分とは言えなかった。企業は利益を内部留保として積み上げ、リスクの高い設備投資を避ける傾向を強めた。国全体が、まるで「壊れたエアコンの前で、涼しくなるのを待っている人」のように、動かないまま時間だけが過ぎていった。

その間に世界は巨大風車を量産し、港湾を拡張し、洋上建設船を整備し、技術者を育ててきた。対して日本は十分な準備ができず、気づけば大型風車の主要部品も施工ノウハウも海外に依存する国になっていた。洋上風力の高コストは、自然条件だけでは説明できない。より根本的には、未来への投資を先送りし、「時間でしか育たない資産」である技術者を育ててこなかった結果なのである。

嘆きたくなる。しかし、嘆いても風車は立たない。10メガワット級の風車をいきなり国産化するのは現実的ではない。それでも港湾整備や送電網の強化、保守点検体制の充実、部材の国内調達を一歩ずつ進めていけば、コストと安全保障の両方を取り戻すことはできる。技術者もまた、一朝一夕には育たない。だからこそ、始めるのは今日しかない。ナイターの明かりは、風だけでは灯らない。その光を支える技術も、人も、長い年月をかけて育てていく必要がある。海風で球場を照らす未来を本当に望むなら、未来への投資は今日から始めるしかないのである。

メイド・イン・チャイナ砂漠の戦い2026年08月04日

サハラ砂漠で中国対中国
セウタの事案からモロッコの現状をたどると、思いのほか複雑な地政学が浮かび上がる。アフリカの西の果て、西サハラ。地図の端っこにちょこんとある砂漠の領土争い──と聞くと、世界の片隅で続く地味なローカル紛争のように思える。ところがどっこい、砂の下には世界最大級のリン鉱石、沖には豊かな漁場。つまり、砂漠のくせに“おいしいところ”だけはしっかり持っている。そこへ米・欧・中・中東の欲望が、まるで夏祭りの屋台のようにずらりと並び、テクノロジーと利権がごちゃっと混ざり合った、現代のウラ地政学が展開しているのである。

まず、モロッコ。絶対王政の威信をかけて「西サハラは自国の領土だ」と譲らない。背後にはアメリカがどっしり構え、イスラエルとの国交正常化の“ご祝儀”として西サハラに対するモロッコの主権を承認した。外交面では強固な親米国家となった一方で、軍備の近代化は中国製の大型攻撃ドローン「翼竜」などを導入することで進み、砂漠には最新の無人機が飛び交うという奇妙な光景が広がっている。外交の後ろ盾はアメリカ、ハイテク兵器の仕入れ先は中国──という、米中対立の時代には本来ありえない“ねじれ構造”が砂の上にできあがっているのだ。砂漠にテクノロジーが乗ると、どうしてこうもシュールになるのか。

一方、旧宗主国スペインはというと、国内には独立支持の声も根強いものの、政府は移民問題と安全保障を前にモロッコとの協調へ大きく舵を切った。モロッコに逆らえば、国境にはたちまち“人間の波”が押し寄せる。西サハラ問題は領土紛争であると同時に、移民を外交カードとする現実政治でもある。理想論だけでは国境は守れない──冷蔵庫の容量も測らずに「ごちそうを作ります」と宣言するようなものだ。

そして、この隙間にぬるっと入り込んでくるのがイランだ。中東での影響力拡大を狙い、北アフリカにもネットワークを伸ばし、独立派勢力への無人機技術供与が指摘・報道されている。もちろん、その関与の実態には議論も残るが、イランの“遠隔でちょっかいを出す”癖が、この砂漠でも顔をのぞかせている。

しかし、この紛争をいちばん漫画みたいにしているのは中国である。モロッコ軍は中国製の大型攻撃ドローン「翼竜」を正規購入し、砂漠のゲリラを24時間監視し、空から制空権を握ってピンポイント攻撃を行う。一方で、イラン製無人機「シャヘド」を各国当局が分解・解析した結果、中国製の半導体や電源モジュール、通信部品などの民生用電子部品が多数確認されている。つまり、砂漠の上空では「中国製の軍事ドローン」が「中国製部品で動くドローン」を追いかけ回し、中国製のミサイルで撃墜するという、なんとも奇妙な“メイド・イン・チャイナの身内潰し”が繰り広げられているのだ。世界の工場は、とうとう戦場でまで一人二役を演じるようになった。

正義も思想も、巨大なサプライチェーンの利益の前では砂粒ほどの重さしかない。無人機が飛び交う西サハラは、資源、移民、安全保障、そして経済が複雑に絡み合う、二十一世紀の地政学を凝縮した縮図である。砂漠の風は今日も、世界の欲望の匂いを運んでくる。

還付通知書2026年08月01日

マイナポータル自動口座振り込み申請
ある日、役所から封筒が届いた。税金の通知といえば、たいてい「払ってください」である。ところが今回は違った。開けると「還付通知書」。返してくれるらしい。おや、ずいぶん気前がいいではないかと思って金額を見ると、400円。思わず桁を見直したが、やはり400円である。コンビニのコーヒーなら2杯ほど。その400円を返すために、役場は通知書を印刷し、封筒に入れ、郵送する。さらに返送された申請書を職員が確認し、振込処理を行う。自治体によって差はあるが、還付1件あたりの事務費は数百円規模になる例もあるという。400円を返すために数百円を使う。何とも不思議な仕事である。

住民の側も決して楽ではない。高齢者なら、まず通帳を探すところから始まる。「あれはどこへしまったかな」と家中を歩き回り、ようやく見つけたら、今度は老眼鏡を探す。口座番号を確認し、必要なら返信の手続きをする。真夏なら炎天下を郵便ポストまで歩くことにもなる。400円を受け取るために汗と時間を使う。金額は軽いのに、そこへたどり着くまでの手間は妙に重い。還付というより、小さな障害物競走のようである。

今回、町では税額更正に伴い、住民税課税者に少額の還付が発生する。総額はいくらになるのだろうか。一方で、その還付事務にも1件あたり数百円規模の経費が発生し、還付人数分だけ積み重なる。役場の職員が悪いわけではない。法令どおり通知を作成し、審査し、支払い手続きを進めているだけである。しかし、同じ作業を何度も繰り返せば、人件費も郵送費も積み重なる。紙は静かに増え続け、人の時間だけが少しずつ削られていく。しかも全国ほとんどの自治体でこの無駄が積み上げられている。

大阪市などが進めるマイナポータル連携の公金受取口座を使えば、還付額の計算や法定確認こそ残るものの、口座確認や入力作業といった事務負担は大きく減らせる。紙ベースの給付事務を電子化することで、定型的な作業がごっそり削れることは、すでに多くの自治体が実証している。公金受取口座を利用すれば、口座情報の記入や通帳の写しの添付といった“昭和の手続き”も省略できる。

そもそも給付DXを実現している自治体であれば、還付DXができない理由はない。給付と還付は小規模自治体では同じ職員が同じ机で同じシステムを使って処理しているのだから、還付だけが特別に複雑という説明は成り立たない。希望しない住民には紙ベースの作業が残るなど制度上の制約はあるにせよ、「前からこうしている」だけで紙中心の運用を続けるのは、住民にも職員にも優しい仕組みとは言い難い。

400円という金額は小さい。しかし、この400円騒動は、日本の行政が抱える問題をよく映している。1件では取るに足らない非効率も、何万件、何百万件と積み重なれば、失われる税金も時間も決して小さくない。行政改革とは、大きな制度を作り替えることだけではない。400円を返すために数百円規模の事務費をかける。その当たり前を一度立ち止まって見直すことも、立派な改革だと思う。そして今日、役所からご丁寧に支払通知書「振込400円」が郵送で届いていた。

イオンモール爆発とガス配管2026年07月30日

イオンモール爆発
先日の熊本地震で、イオンモール熊本の南側が大きく破壊された。外壁や床が吹き飛び、鉄骨の骨組みがむき出しになった光景は、巨大な爆発力が建物内部を一気に押し広げたことを示しており、多くの人に衝撃を与えた。記者会見で経営陣は「調査中」としつつも、「調理用と空調にLPガス(LPG)を使用していた」と明らかにした。以下は、公表されている情報と建築設備工学を基に組み立てた一つの技術的仮説である。事故原因を断定するものではないが、今後の防災設備を考える上で検討に値する視点ではないかと思う。

事故後、一部では「大量のガスを使用する空調・エネルギー設備を建屋内や屋上機械室に配置したこと」そのものを問題視する論調も見られた。しかし、こうした配置は浸水対策(BCP)や敷地制約、設備の維持管理を考えれば極めて合理的であり、今回の本質的な原因とは考えにくい。仮に設備が屋外や地下に設置されていたとしても、ガス供給が止まらなければ、より密閉された空間でさらに甚大な爆発が起きた可能性もある。破断した配管や建屋内の熱源設備は、ガスが漏れ出た「出口」であっても、「原因」ではない。検証すべき焦点は、「なぜ元栓でガスを止められなかったのか」、そして「なぜ危険な漏えいを警報として検知できなかったのか」という二点にある。

もしこの仮説が正しいとすれば、第一に浮かび上がる課題は、「自動遮断弁の物理的強靱化と多重ロック」である。感震装置によって自動遮断弁は作動したとしても、震度7級の地盤変位や配管から伝わる強烈な捻り応力によって、弁箱(ボディ)や接続部に微小な変形が生じれば、バネ力だけでは密閉を維持できず、ミクロン単位の隙間から高圧ガスが漏れ続ける可能性は十分考えられる。その結果、約1時間にわたってガスが漏えいし、巨大なガスクラウドが形成されたとすれば、爆発までの時間差も説明できる。どれほど高度な制御プログラムを組んでも、最終段の「バルブ」というハードウェアが物理的な変形に耐えられなければ、システム全体は破綻する。配管応力を逃がすアンカー構造、高トルクによる機械的ロック機構、構造の異なる遮断弁を直列に配置するダブルブロックなど、愚直なまでに頑丈なハードウェアこそ第一の砦となる。

第二に浮かび上がるのは、「中央監視から完全に独立した単独動作型ガス検知器」の必要性である。報道では、一部の利用者が異臭を感じたとの証言が伝えられている。一方で、自家発電によって電力が維持されていたにもかかわらず、爆発に至るまで館内で危険を知らせる警報が十分機能した形跡は確認されていない。仮に中央監視盤(BMS)への依存度が高く、地震による断線や制御系統の障害によって警報機能が失われていたとすれば、それは集中監視システムが抱える単一障害点(シングルポイント・オブ・フェイラー)の弱点を示したことになる。もし配管ルートや機械室など危険箇所に、電池駆動で中央監視から独立して作動するガス検知器を多重配置していれば、通信や監視設備が停止しても現場で直ちに警報を発し、利用客や従業員の避難開始を早められた可能性はある。

もちろん、これらはあくまで一つの技術的仮説であり、最終的な評価は事故調査の結果を待たなければならない。しかし、事故原因がどこにあったとしても、巨大地震では「制御システムは止まることがある」「ハードウェアも壊れることがある」という前提で安全設計を考える必要がある。今回の事故が問い掛けているのは、「建屋内配置の是非」ではない。巨大地震の歪みにも耐えてガスを確実に止める自動遮断機構と、中央監視が機能しなくても現場で確実に危険を知らせる独立型ガス検知器という、二重の安全網をどう構築するかである。複雑なシステムほど、最後に人命を守るのは堅牢なハードウェアと独立した安全装置である。今回の事故は、防災技術の設計思想そのものを見直す契機となるべきではないだろうか。

東京都EVに130万円補助2026年07月28日

東京都EVに130万円補助
政府に続いて東京都がEVやPHEVへの補助金を大幅に拡大した。EVには最大130万円、国のCEV補助金と合わせれば最大260万円にもなる。一方、HVは国も東京都も補助金はゼロである。脱炭素という旗は政治の世界で強い正当性を持つが、政策は旗を振れば自動的に前へ進む便利な機械ではない。問われるべきは「EVをどれだけ増やすか」ではなく、「いまの日本の電力事情の下で、どの技術をどの順番で導入するのが社会の利益になるか」という、やや地味だが本質的な問いである。

結論を言えば、2030年代から2040年頃までの移行期に日本が最も普及を促すべき技術はHVである。これはEVの未来を否定する話ではない。未来の技術はいつだって眩しく見えるが、眩しさと適時性は別物だ。政策とは、技術の成熟度と社会条件が交差する一点を見極める作業であり、そこを外せば「正しい技術を、誤った時期に導入する」という事態が起こる。自動車の環境性能は、車両単体の美点だけでは決まらない。EVは走行時に排出ガスを出さないが、その電気がどの発電によって生み出されているかを無視すれば、議論は机上の模型のように軽くなる。

日本では再生可能エネルギーは増えつつあるものの、火力発電がなお主役である。太陽光や風力には出力変動という癖があり、送電網の整備も追いつかない。東京都は充電設備補助を太陽光とPEVのセットで考えているが、多くのEVが夜間に充電する現実を踏まえれば、その効果は限定的である。昼間に太陽光が発電し、夜間にEVが充電するという時間のずれは、制度設計の意図と実際の利用行動がかみ合っていないことを示している。原子力は震災前の姿に戻らず、電力の低炭素化は道半ばだ。こうした電源事情を踏まえれば、EVの環境性能を最大限発揮できる舞台装置は、まだ組み上がっていないと言わざるを得ない。

さらにこれから日本ではAI、データセンター、半導体工場などが電力をどんどん食べる。電気は蛇口をひねれば無限に出てくる水ではない。限られた低炭素電力をどこに優先配分するかという議論なしに、自動車だけを急速に電動化するのは、政策の順序を取り違える危険がある。その点、HVは既存の燃料供給網を使いながら燃料消費を削減し、充電インフラを待つ必要もない。都市部にも地方にも対応し、確実なCO₂削減効果を生み出す「腰の強い技術」である。

もちろん、EVの技術革新を止める理由はない。電池性能の向上、価格低下、資源問題の改善、そして電源の低炭素化が進めば、EVが最も効率的な選択になる時代は訪れる。その段階に達したなら、補助政策をEV側へ転換すればよい。重要なのは技術の勝敗ではなく、社会条件に応じて適切な順番で導入することである。HVの普及期間はEVへの抵抗ではなく、次の時代へ向かうための助走期間なのだ。

本来、補助金とは単なる購入支援ではなく、社会の状態を国民に示す「情報」であるべきだ。毎年、電源構成や技術進歩を評価し、HV、PHEV、EVへの補助比率を調整すれば、その変化自体が日本のエネルギー政策の現在地を示す指標になる。また、車両重量による道路維持負担は重量税で反映すべきである。補助金は環境価値を、重量税は社会的コストを表す。制度を透明化すれば、国民は単なる得失ではなく、自らの選択が社会に与える影響を理解できる。

未来の車を選ぶ前に、未来の電気の作り方を考える。その順序を忘れた「脱炭素」政策は、目的地を見失った高速道路のようなものである。

議論の季節は過ぎた2026年07月22日

温暖化シュートの守護神SMR
【昨日の続き】
北極海の海氷は、冷凍庫のコンセントを抜いた翌朝の氷みたいに、静かに、しかし確実に消えていく。しかも、いま失われつつある分は2050年前後には夏のあいだほとんど姿を消し、その欠損は簡単には戻らないと予測されている。これは複数の気候モデルが淡々と示す物理的な帰結である。氷が減れば黒い海面が太陽熱を吸収し、さらに氷を融かす。この「正のフィードバック」がいったん作動した以上、温暖化は自分で自分の勢いを増しながら進む。北極海の現実は、もはや温暖化を「止められるかどうか」ではなく、「どれだけ悪化を遅らせられるか」という段階に入ったことを告げている。

それなのに、議論はいまだに原因論をぐるぐる回っている。自然変動か、人間活動か──科学的にはもう大きな方向性は出ているのに、同じ議論が繰り返される。火事の家の前で「出火原因は何だったのか」と討論しているようなものだ。もちろん原因究明は大事だが、家が燃えている最中なら、まずホースを持つのが先である。人類が直接操作できる最大の気候のレバーはCO₂排出であり、太陽活動や海洋循環を人間の都合でいじることはできない。

では、排出を減らしながら増え続ける電力需要をどう支えるか。都市の冷房は年々強まり、AIやデータセンターは昼夜を問わず電力を食べ、半導体工場は一瞬の停電も許さない。文明社会に必要なのは、「作れる時だけ」の電気ではなく、「必要な時に、必要な量を」毎日きっちり供給できる電気である。太陽光や風力は大事な低炭素電源だが、変動を補うには送電網や蓄電設備、調整電源への投資が欠かせず、再エネが増えるほどバックアップ電源も必要になる。

高効率火力やCO₂回収技術(CCS)は排出削減に一定の役割を果たすが、短期間で大量排出をゼロに近づける決定打にはならない。燃え広がる火事に向かって「昨日より少しだけ油を減らしました」と説明しているようなもので、それだけでは火は消えない。文明を支えるベースロード電源は原子力しかないが、原子力にも量の限界がある。SMR(小型モジュール炉)を増やすにしても、核燃料にもサプライチェーンにも人材にも上限があり、最大限努力しても電力需要のすべてを担うことは難しい。

十数年の原発停止のあいだに、燃料加工、部材製造、品質保証、検査、建設、運転──これらを支える産業基盤は痩せ細り、熟練した技術者も減った。原子力は、炉を建てれば翌日から動く産業ではない。広範な企業群と長年培われた技能の積み重ねによって初めて成り立つ産業である。失われたのは設備ではなく、「産業を支える時間」だった。量産化を前提とするSMRであればなおさら、サプライチェーンと人材の再構築なしに普及はあり得ない。

北極海に回復の限界があるように、電力産業にも再構築の限界がある。どちらにも共通する最大の制約は「時間」である。だから、自然変動か人間活動か、原発か再エネか──そんな不毛な二者択一を繰り返している余裕はない。必要なのは、限られた時間の中で現実に積み上げられる最適解である。火事の家の前で「そろそろ消火活動を始めましょうか」と相談している人はいない。物理法則は政治日程も選挙も待たない。そして、人材だけは予算を積んでも明日には育たない。失われた時間は取り戻せない。その現実こそが、いま文明が直面している最大の制約なのである。
【議論の季節は過ぎた…】

欧州の異常猛暑と北極海氷2026年07月21日

欧州の異常猛暑と北極海氷
ヨーロッパが「平年より+10℃」という常識の枠を外れた数字を示し始めた頃から、地球の季節はどこかで歯車を落としたように狂い始めた。溶けかけたアイスを握りしめるフランスの老婦人の姿は、この異常事態の象徴にすぎない。北極は、もはや冬の静謐を湛える場所ではなく、熱を吸収し続ける巨大な海へと変わりつつある。季節の秩序が崩れれば、文明の秩序もまた揺らぐ。われわれは、その入り口に立っている。

まず直視すべきは、北極海の海氷が急速に失われている現実である。氷が溶けて黒い海面が露わになれば、海は太陽光を反射せず吸収し、さらに暖まり、さらに氷を溶かす。この正のフィードバックは、一度動き始めれば自らを加速させる。永久凍土からのメタン放出も温暖化を後押しする。近年の研究では、仮に今すぐ二酸化炭素の排出を止めたとしても、2050年頃までには夏季の北極海海氷がほぼ消滅する可能性が高いとされる。人類は、もはや変化を止める段階ではなく、その速度を遅らせる段階へ入ってしまった。

北極と中緯度の温度差が縮まれば、ジェット気流は不安定化し、暖気や寒気が長期間同じ地域に居座りやすくなる。ヨーロッパや日本では猛暑が続き、北米や中国では厳寒が長引く。気候は単純に「暖かくなる」のではない。季節そのものが居場所を失い、極端な姿で現れるようになるのである。北極海の氷が減り続ける限り、この傾向が旧に復することはない。

この変化は政治や経済の都合を待ってはくれない。発電所や送電網などの基幹インフラは、計画から完成まで十数年を要するが、温暖化はその準備を待たずに進む。関東以南では冷房需要が急増し、交通の電化、産業の脱炭素化、AIやデータセンターの拡大が重なれば、電力需要は減るどころか増え続ける。温暖化の原因を巡る論争よりも、文明を維持するための備えを急ぐことの方がはるかに重要である。

「世界には35℃の都市はいくらでもある」と言う人は少なくない。しかし、日本の35℃は湿度が極めて高く、湿球温度が30℃近くまで達することがある。汗が蒸発しなければ体温を下げることはできず、都市は冷房が止まれば機能そのものを失う。同じ35℃という数字でも、日本では「暑い」のではなく、「社会が電力なしでは維持できない温度」なのである。これは単なる不快さではない。放置すれば人の体は熱を逃がせず、静かに死へ近づいていく。数字が一致しても、その意味はまるで一致しない。

巨大な冷却装置であった北極が機能を失えば、日本の都市は冷房と電力への依存をさらに深める。文明の存続は、人が住めるかどうかではなく、社会機能を維持できるかどうかで決まる。そのためには、原子力を軸とした安定した脱炭素電源の確保と、冷涼で水資源に恵まれた地域への行政・産業・研究機能の分散を国家戦略として進める必要がある。札幌など現在の寒冷地への副首都設置は、そのための危機管理政策として不可欠と言える。北極の白い帽子は失われつつある。その変化は、人類の願望にも政治的立場にも関係なく進み続ける。文明を守るか、それとも変化に追われるか。残された時間は、決して長くはない。

【明日のブログに続く・・・・・】

インド民間ロケットの強み2026年07月20日

インド民間ロケット初飛行で成功
インドの民間企業が開発したロケット「ビクラム1」が、初飛行で衛星を軌道に乗せたというニュースが流れた。日本では案の定、「またインドに抜かれた」と肩を落とす声が聞こえる。しかし、である。ここで「インドすごい」で終わらせてしまうのは、有名家電で「次の新製品はまだかな」と待っているうちに、ぽっと出の会社が「できました」と先に売り場へ並べてしまったような話である。驚くべきは結果そのものより、その作り方だ。ロケットというものが、いったい何でできているのか――その中身を考える格好の教材なのである。

ロケットは空へ向かってビューッと飛んで終わりではない。高度数百キロの宇宙空間へ衛星を正確に運び、毎秒約八キロという猛烈な速度で軌道へ放り込んで初めて仕事になる。そのためには推進、構造、誘導、段分離、制御と、あらゆる技術が弁当箱のおかずのように、ひとつでも収まりが悪ければ蓋が閉まらないという具合に噛み合わなければならない。なかでも最も難しいのは、機体を軌道まで押し上げる推進系である。巨大なロケットエンジンを思い通りに燃やし、機体を壊さず、狙った場所まで運ぶ。この部分こそが国家の技術力を映す鏡なのだ。

では、なぜインドは初飛行で成功できたのか。答えは、「初飛行だから初心者だった」という思い込みが間違っているからである。ビクラム1を開発したSkyroot社の技術者の多くはインド宇宙研究機関(ISRO)の出身であり、その背後には半世紀を超える宇宙開発の蓄積がある。さらに軍のミサイル開発機関DRDOが培った固体ロケットや誘導技術もある。宇宙ロケットと弾道ミサイルは目的こそ違うが、推進や制御の基盤技術は共通する部分が少なくない。つまりインドでは、軍、宇宙機関、民間企業の間を、人も技術も自然に行き来している。昔は味噌屋の息子が酒屋へ奉公に出て、次は豆腐屋を手伝う、そんな町があった。技術というものも、本来はそうやって歩き回って育つものらしい。歩き回らない技術は、どうも運動不足になる。

ここで面白いのは、予算だけ比べても答えは見えてこないことである。日本の宇宙予算は決して極端に少ないわけではない。民間企業の資金調達額だけ見ても、インド企業に大きく劣るとは言い切れない。それでも成果には雲泥の差がある。違うのは金額ではなく、経験者の密度なのである。ロケットは設計図だけ読めば作れるものではない。「前回はここが燃えた」「配管が振動で割れた」「段分離が半秒遅れた」。そんな失敗の積み重ねこそが技術になる。インドでは、その経験を持つ技術者がISROから民間へ移り、試験設備も国家のものを使える。国家全体が、一つの大きな工場のように機能しているのである。

一方、日本にも優秀な技術者はいる。JAXAにも重工メーカーにも世界水準の技術はある。ただ、その技術が組織の壁を越えて流れにくい。経験者は組織にとどまり、設備も分かれ、民間企業はゼロから体制を築かなければならない。料理の本は同じでも、毎日台所に立つ人はレシピに書いていない火加減を知っている。その勘は、本ではなかなか伝わらない。ロケットも案外そんな世界なのである。ビクラム1が宇宙へ運んだのは衛星だけではなかったのかもしれない。失敗を次の挑戦へ渡し、技術を組織の外へ歩かせる国の仕組み――そんな目には見えない荷物まで、一緒に軌道へ乗せてしまったような気がするのである。

少年ハッカーの人生2026年07月11日

少年ハッカーの人生
動画配信サービス「バンダイチャンネル」を運営するバンダイナムコフィルムワークスに対し、埼玉県所沢市の高校一年生の男子生徒(十五)が偽計業務妨害の疑いで逮捕された。昨年十一月、当時中学三年生だった少年が自作プログラムを用い、約四万六八一二件のアカウントを無断退会させ、サービスを一時停止に追い込んだという。数字の迫力だけ見れば、まるで怪物的な悪意がそこに潜んでいるかのようだが、事件の内部を丁寧にたどると、むしろ年齢不相応の技術力が静かに姿を現す。世間が「中学生がやった」と驚くのは自由だが、驚きの向け先を少し間違えているようにも思われる。

報道によれば、少年は小学生の頃から独学でプログラミングを学び、通信を解析して脆弱性を発見し、退会処理を自動化するスクリプトを設計し、さらにIPアドレスを三十回以上切り替えながら実行したという。これらは、生成AIに「コードを書いて」と頼めば即座に出てくるような簡便な作業ではない。AIは便利な道具ではあるが、通信解析や脆弱性の抽出、攻撃手順の構築といった“骨のある部分”を肩代わりしてくれるわけではない。基礎力のない人間が握れば、エクセルのVBAマクロすらまともに動かせないのが現実である。それにもかかわらず、一部報道では「ChatGPTで作成したプログラム」という点が妙に強調され、あたかもAIが事件の主役であるかのような印象を与えている。料理番組で、料理人ではなく“塩ひとつまみ”が主役扱いされるような奇妙さが残る。

むしろ本質は、少年自身が脆弱性を見つけ、攻撃の流れを組み立て、実行まで完遂した点にある。もちろん違法行為であり、被害も小さくない。しかし、善悪とは別に、その技術力が年齢を考えれば突出していたことまで否定する必要はないだろう。日本では、こうした突出した技術を持つ若者を受け止め、正しい方向へ導く仕組みが十分整っているとは言い難い。結果として「犯罪」と「才能」が同じ袋に放り込まれ、処罰だけで議論が終わってしまう。少年法が掲げる更生重視の理念が、サイバー分野ではまだ十分に生かされていないという印象を受ける。

企業には利用者への責任や再発防止、抑止効果も求められるため、安易な「許し」は許されない。そこは当然である。しかし、被害回復や反省が十分に確認されるのであれば、司法上の処分とは別に、自社システムの脆弱性改善への協力や、将来的にホワイトハッカーとして能力を生かす道を模索する余地はあるはずだ。というのも、こうした少年は社会復帰後、地下の犯罪集団から“勧誘”という名の誘惑を受けやすい。技術力のある若者を狙うのは、彼らの常套手段である。社会がその手より先に、正しい方向へ導く手を差し伸べなければならない。企業、教育機関、司法がそれぞれの立場で連携し、若い技術者を社会へつなぎ直す仕組みを整えることは、結果として社会全体の利益にもつながる。技術者の卵を摘み取ることは簡単だが、育てることの方がはるかに社会的価値が高い。

AI時代には、このような突出した技術を持つ若者は今後さらに現れるだろう。彼らをどう扱うかは、単なる犯罪抑止の問題ではなく、未来の技術人材をどう育てるかという国家的な課題でもある。少年法の理念を時代に合わせて具体化し、才能を社会の側へ引き戻す仕組みを整えることが、これからの日本には求められている。事件の表面だけを見て「悪いことをした子ども」と片づけるのは容易だが、その奥に潜む可能性まで見ようとする姿勢こそ、社会の成熟を測る尺度になるのではないか。