算数を数学に?2026年05月19日

算数を数学に?
いやはや、文部科学省の中央教育審議会というところは、ときどき「看板屋さん」みたいなことを言い出す。「小学校の算数を中学・高校と同じ“数学”にしてはどうか」。理由は「学びの連続性」だそうである。なるほど、表札を揃えれば家並みはきれいに見える。だが、家の中が迷路のままでは、来客は相変わらず廊下で右往左往するばかりではないか。しかもその迷路、ところどころに段差があって、油断するとつまずく。そんな家に「数学」と書いた表札を掲げても、訪れた人はやっぱり転ぶ。

そもそも日本のカリキュラムというのは、どこか「急げ急げ」と背中を押す癖がある。小5から中1にかけて、割合だの単位量あたりだの速さだの密度だの濃度だの、あげくに文字式まで、「はい次、はい次」と流し込んでくる。まるで、昨日まで平地を歩いていたのに、今日から急に登山口に立たされ、「さあ、あの山の頂上まで行ってきて」と言われるようなものだ。しかも地図は渡されず、コンパスもなし。頼りは自分の足と勘だけである。

ところが10歳から12歳というのは、頭の中の“抽象スイッチ”の入り方にずいぶん個人差がある。軽やかにポンポン上がる子もいれば、「あれ、次の段が見えないぞ」と足踏みする子もいる。中には、階段の前で「これは本当に階段なのか」と哲学的な疑問を抱き始める子もいる。そこへ“抽象化ラッシュ”が押し寄せるのだから、つまずく子が出るのは、まあ自然の成り行きである。実際、国際調査のTIMSSでも、日本では小4のときには「算数が得意」と胸を張っていた子どもが半分以上いたのに、中2になるとぐっと減る。これはどう考えても、「算数か数学か」という看板の問題ではない。家のつくりの問題である。階段の角度が急すぎるのだ。

ところが議論のテーブルを見ると、これがまた立派な肩書きの方々がずらりと並んではいるのだが、どうも「算数は得意でした」という人が多すぎる。しかも、子どもの認知発達を専門にする研究者は皆無である。そのせいか、「子どもがどこでつまずくか」を肌で知っている人が、あまり見当たらない。靴屋が足のサイズも測らずに「最近は26センチが流行りです」と言って靴を並べているようなもので、履くほうはたまったものではない。しかもその靴屋、流行の色やデザインにはやたら詳しいのに、「この人は外反母趾かもしれない」という視点はまるで持ち合わせていないのである。

ではどうするか。話はそう難しくない。階段の段差を少し低くしてやればいいのである。具体的なものから入り、少しずつ半分だけ抽象にし、最後にきちんと抽象へ持っていく。速さや密度といったものも、「比の仲間」としてまとめて教えれば、「ああ同じ顔をしているな」と気づける。これを小4から中1までにばらして置いておけば、いまのような“ドッと来る感じ”はずいぶん和らぐはずだ。

人間の頭というのは不思議なもので、余裕があるときにこそ、寄り道をしたり、面白いことを考えたりする。ところが、いまのカリキュラムは、どうも頭の中に荷物を詰め込みすぎて、立ち止まる場所がない。これでは創造力もへったくれもない。結局のところ、「算数」を「数学」と呼び替えるかどうかは、玄関の表札を新しくするような話である。もちろん表札が曲がっているよりは、まっすぐなほうがいい。しかし、その前にやるべきは、家の中の段差を削ることではないか。来た人が転ばない家。それが、まず先だと思うのである。

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