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    <title>然う然う（そうそう）</title>
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    <language>ja</language>
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    <pubDate>Mon, 04 May 2026 11:01:37 +0900</pubDate>
    <item>
      <title>空飛ぶクルマ</title>
      <link>https://so2.asablo.jp/blog/2026/05/04/9852415</link>
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      <pubDate>Tue, 05 May 2026 06:23:27 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-05-04T11:01:37+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-05-03T18:30:18+09:00</dcterms:created>
      <description>最近、空飛ぶクルマのニュースをとんと見かけなくなった。あれほど万博前には「未来の交通だ」「空のタクシーだ」と、政府から企業からメディアまで、まるで新発売の激辛カップ麺みたいに持ち上げていたのに、万博が終わった途端、棚の奥に押し込まれた季節限定フレーバーのように姿を消した。あれは一体なんだったのか。空飛ぶクルマは、あの時だけ日本の空をふわっと漂い、気がつけば湯気のように消えていた。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
そもそも空飛ぶクルマというものは、物理法則の前に立つと急にしょんぼりしてしまう存在だ。ガソリンのエネルギー密度は約12,000Wh/kg、一方でリチウムイオン電池は200〜300Wh/kg程度にすぎない。つまり40倍から60倍の差がある。カロリー満点のちゃんこ鍋と、ほとんど水に近い春雨スープほどの開きだ。それでも無理を承知で飛ばそうとするのだから、話としては最初から苦しい。つまり空飛ぶクルマとは、お相撲さんに春雨スープで勝負しろと言っているようなものだ。食べ物ではある。カロリーもゼロではない。しかし土俵に上がる前に、もう勝負の輪郭が溶けている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ヘリコプターですら、あれだけの騒音と振動と燃料を食って、ようやく空に居場所を作る。あれはエネルギー密度の高い燃料を前提に成立している“重たい飛行体”だ。それを春雨スープのような電池で「未来です」と言われても、こちらとしては力士のまわしの前に話の腰が抜ける。飛行時間は10〜20分。空のタクシーどころか、空の散歩にも届かない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
それでも万博前は必要だったのだろう。「未来社会ショーケース」と看板を掲げる以上、何かしら“未来っぽいもの”が要る。そこで空飛ぶクルマが引っ張り出され、「ほら、未来はもうここまで来ています」と空に掲げられた。実際には、決められたルート、決められた天候、決められた時間だけのデモ飛行である。それでも語られ方だけは、明日から通勤できる乗り物の顔をしていた。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
だが祭りが終われば現実が戻る。航続距離は短く、安全基準は重く、採算は見えない。ヘリの下位互換で、しかも高い。誰が日常の足として選ぶのかと言えば、ほとんど誰も選ばない。そうなるとニュースも消える。消えたというより、維持する理由がなくなっただけだろう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
問題は、こうした“未来の語り口”が、物理法則をすっ飛ばしたまま社会に流通してしまうことだ。「できる」と言い切る声が先に走り、エネルギー密度や重量といった制約条件の説明は後回しになる。そして都合が悪くなると、説明そのものが静かに棚に戻される。これでは技術より先に、認識のほうが歪む。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
さらに厄介なのは、これが子どもの教育にもそのまま影響してしまうことだ。未来とはこういうものだ、という語り方だけが先に刷り込まれ、実現可能性や制約条件は抜け落ちる。空を飛ぶ乗り物が「かっこいい未来」として提示される一方で、エネルギー密度という決定的な差や、重量・コストといった現実の話は退屈なものとして横に置かれる。その結果、技術は「積み上げて到達するもの」ではなく、「それっぽく語れば成立するもの」に見えてしまう。だが本来の工学は逆だ。エネルギー密度、重量、安全性、整備性、コスト。そうした制約の束の中で、可能な範囲を一ミリずつ削り出していく作業でしかない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
それなのに未来の演出だけが先行すると、子どもに残るのは「技術は魔法に近い」という誤った感覚だ。そしてこの誤解は、後になって静かに効いてくる。現実は思ったほど飛ばないし、思ったほど自由でもない、という場面で初めて齟齬になる。空飛ぶクルマのニュースが消えたのは、技術が成熟したからではない。幻想を日常として維持する燃料が尽きただけだ。未来の象徴として消費され、役割を終えた。空に浮かぶ前に、そもそも地に足のついた議論がなかったのである。&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>教育</dc:subject>
      <dc:subject>ニュース</dc:subject>
      <dc:subject>政治</dc:subject>
      <dc:subject>テクノロジー</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>インフレ騒ぎと町内の噂話</title>
      <link>https://so2.asablo.jp/blog/2026/05/04/9852080</link>
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      <pubDate>Mon, 04 May 2026 06:01:08 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-05-03T10:20:08+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-05-02T01:22:43+09:00</dcterms:created>
      <description>最近のインフレ報道というのは、どうもタチの悪い「町内の噂話」に似ている。「物価が大変らしいわよ」。誰が言い出したのかも、どこに根拠があるのかも分からない。それでも噂は、回覧板より速く、路地裏の湿気を吸い込みながら広がっていく。指でつまめば霧散しそうな“空気”に過ぎないのに、その空気は妙に腕力が強い。本来なら、東京都区部の4月消費者指数速報値がこの空気を落ち着かせる役目を果たすはずだった。変動の激しい野菜を抜けばコアで1.5％。味噌汁でいえば「今日はちょっと薄いかな？」程度の、どうということのない数字である。ところがニュースは、この静かな1.5％をほとんど報じない。代わりに「値上げラッシュ」「原油高が直撃」「物価高止まらず」といった、町内の噂話のような“うるさい言葉”だけを拾い上げる。数字が静かだからこそ、その空白を埋めるように噂話だけが勝手に歩き回り、町内は“インフレらしい空気”で満たされていく。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
噂が一周する頃には、「日銀が金利を上げるらしい」という不穏なスパイスが混ざり始める。誰も総裁の顔を見たわけでもないのに、「夜逃げの準備をしてるらしいわよ」とでも言うような口ぶりで広まる。根拠は相変わらず、例の“空気”と、報じられない“静かな数字”だけだ。空気が根拠を作り、根拠がまた空気を濃くする。実際の経済指標が動くより先に、町内はすっかり「利上げムード」という熱病に浮かされてしまう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この噂の出所を辿ると、古い長屋を束ねる大家に行き当たる。大家は家賃を上げたい。しかし無策な値上げは住人の反発を招く。そこで「いやぁ、世間はインフレでしょ？ 日銀も金利を上げるって言うし……」と困り顔で伏線を張る。すると住人は「ああ、そういう時代なのか」と、狐につままれたような顔で納得してしまう。実際の経済より先に、大家の“言い訳としての空気”が長屋の家計を浸食していく。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
日本の労働者の8割は、この壁の薄い「長屋ゾーン」にひしめき合っている。ここでは町内会費がやたらと高い。しかも性質が悪いことに、住人の給料が1円でも増えると、それを察知したかのように町内会費も増額される。郵便受けに、住人の血色を吸って自動で肥え太る「寄生する封筒」が住み着いているようなものだ。一方、町外れの丘に建つ豪邸の「家持」たちは涼しい顔をしている。長屋の住人が汗水垂らして得た昇給分を町内会費にさらわれていく横で、彼らの会費は「今年も据え置きで」と何十年も変わらない。風鈴の音だけが、のんきに揺れている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この不条理の正体は、「社会保険料」という名の、見えない税金である。年収440万円の世帯なら、社会保険料と住民税で年間93万円が消えていく。100万円近い金があれば、長屋の雨漏りも傾いた床も綺麗に直せるはずだ。ところがこの社会保険料というシステムは、給料が上がると即座に跳ね上がる。上がる時はロケットの如く素早いが、景気が冷えても下りてくる気配はない。年収600万円以下の層は、この「標準報酬月額」という名の細かな罠が敷き詰められた長屋に押し込められ、働けば働くほど、先回りした町内会費に利益を吸い上げられる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ニュースは、この巨大な「町内会費」の不条理には決して触れようとしない。ひたすら「値上げが」「原油高が」「利上げが」と、庭に落ちた枯れ葉の掃除法について議論を重ねる。しかし本当に長屋を崩壊させようとしているのは枯れ葉ではない。屋根裏に巣食い、柱を食い荒らし、膨張し続ける「社会保険料」という現物の重みだ。町内を支配しているのは経済原理ではない。「そういうことにしておきたい」という大家の思惑と、それに抗えない空気である。今日も町内会は、漬物の塩加減を議論しながら、台所から上がる煙に気づかないふりをしている。&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>日常</dc:subject>
      <dc:subject>ニュース</dc:subject>
      <dc:subject>経済</dc:subject>
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    <item>
      <title>京都大深度とガンモドキ</title>
      <link>https://so2.asablo.jp/blog/2026/05/03/9851880</link>
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      <pubDate>Sun, 03 May 2026 06:15:44 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-05-01T09:28:02+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-05-01T00:22:04+09:00</dcterms:created>
      <description>北陸新幹線の延伸をめぐり、京都の地下深くをシールドマシンで突き進もうという計画が、いま大きなざわめきを呼んでいる。だが「トンネルを掘る」といっても、相手はただの土ではない。京都の地下とは、巨大ながんもどきのようなものだ。表面の粘土層は揚げたての皮のようにしっとりしているが、その奥には山から転がり込んだ砂利や岩がぎっしり詰まり、隙間には千年の都を支えてきた“出汁”、すなわち地下水がたっぷり染み込んでいる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
議論の核心は、この出汁をどう守るかだ。本来、大深度地下とは建物の杭も届かぬ“都市の最後の空白地帯”である。だが京都は違う。地下水脈は酒蔵の命であり、豆腐屋の商売道具であり、茶の湯の美意識そのものだ。その下を、巨大な鉄の円筒を回転させながら進むシールドマシンが横切る。これが地下に長大な仕切り板となり、水の流れをせき止めるのではないか。誰もが息をのむ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
技術者は胸を張る。「豆腐に針を通すように、瞬時に穴を開け、すぐ固める。水は漏らさない」と。頼もしいが、相手は具材の偏ったがんもどきである。硬い岩に刃が止まれば圧力が乱れ、地下水がジュワッと噴き出すかもしれない。あるいは見えぬところで水脈が細り、井戸が静かに枯れるかもしれない。一度濁った名水は、札束を積んでも戻らない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
大阪のなにわ筋線は地下五十メートルで奮闘中だ。あちらの敵は過去の杭や基礎の残骸で、食べ終えた魚の骨を一本ずつ抜くような外科手術である。だが京都に求められるのは、もっと繊細な仕事だ。水脈を避け、地盤を乱さず、文化財の足元を揺らさず、暗闇の中で毛細血管を縫うように新たな大動脈を通す。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
さらに恐ろしいのは地上への影響だ。五重塔は堂々として見えて、実は絶妙な重心と木組みの均衡で立っている。地下工事で片側だけわずかに沈めば、一ミリの傾きでも大騒ぎだ。釘一本使わぬ古建築に地下の振動がじわりと伝わる。想像するだけで、技術者の胃は痛み、関係者の夜は浅くなる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
国と経済界は「日本海と太平洋を結ぶ大動脈のためには、このがんもどきを貫くしかない」と言い、地元は「この繊細な風味こそ京都の本体だ。穴だらけにするな」と叫ぶ。どちらにも理があり、どちらにも欲がある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
政治を脇に置いても、求められているのは人類未踏の精密な豆腐細工だ。シールドの刃が地下でガリッと鳴った瞬間、京都の井戸から茶の香りが消えるのか。それとも最新技術が奇跡のバイパス手術を成功させ、地下には新幹線、地上には清らかな水という共存が実現するのか。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
我々にできるのは、この高価すぎるがんもどきの行方を見守ることだけだ。願わくば、千年かけて染み込んだ出汁が、一時の便利さで濁らぬように。&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>観光名所</dc:subject>
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      <dc:subject>ニュース</dc:subject>
      <dc:subject>テクノロジー</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>なんちゃってトヨタがホンダを抜く</title>
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      <pubDate>Sat, 02 May 2026 06:31:10 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-04-30T02:38:21+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-04-30T02:38:21+09:00</dcterms:created>
      <description>アメリカの新車市場というのは、巨大な暖房器具売り場みたいなもので、客がこの冬を何でしのぐか、毎日ざわついている。あの売り場特有の、金属と段ボールの匂い。どこか遠くで誰かが灯油をこぼしたような気配。冬の匂いである。近ごろはガソリンが高い。電気代も高い。となれば客の考えることは一つだ。「理屈はいいから、ちゃんと暖まるやつをくれ」。人間、寒いと現実的になる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
そこで急に頼られ始めたのがハイブリッド車である。これはもう石油ファンヒーターだ。スイッチを入れれば「ピッ」「ボッ」と点火し、部屋全体がじんわり暖かくなる。あの安心感である。トヨタはHV比率が50％を超え、「うちは昔からこれです」と言わんばかりの落ち着きぶり。売り場なら、一番いい棚に鎮座する定番商品である。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
その横で、急に売り場の真ん中へ押し出されてきたのが韓国の現代自動車である。販売は前年同月比54％増。昨日まで棚の端で静かにしていた暖房器具が、今日は中央通路に移され、「売れてます！」の札まで下がっている。現代のHVというのは、いわば“なんちゃってトヨタ”である。本家ほど重厚ではない。だが、値札を見ると急に魅力的に見えてくる。暖房でいえば、有名メーカーそっくりの形をして、しかも少し安い。客は案外そこに弱い。革命児として現れたのではない。トヨタの背中に似せた服を着て、価格札だけ控えめに下げ、気づけば横をスッと抜いていったのである。こうして現代はホンダを追い抜いた。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ホンダも黙っているわけではない。「うちの暖房も悪くないんですがね」と言いたげである。だが次世代HVの本格投入は2027年以降。暖房売り場の客はそんなに悠長に待ってくれない。現代は18機種以上の省エネ暖房を並べると言い、ホンダは電気ストーブの補助金に気を取られて開発費も職人もそちらへ回し、肝心の新型暖房はいまだ開発室の中である。店の奥から試作品のぬるい風だけが、ときおり流れてくる。売り場は、その完成を待ってはくれぬ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
一方、EV市場はどうも電気ストーブに似ている。理屈は立派だ。赤く光って、足元はすぐ暖かい。だが部屋全体はなかなか暖まらない。スネだけ熱く、背中は寒い。寒波が来ると、急に心細い。補助金が切れた途端に客足が遠のくのは、「これ一台で冬を越せると思ったら、結局こたつを出した」あの感じに近い。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
では日産のE-POWERは何か。これは電気ファンヒーターである。スイッチを入れれば「ウィーン」と風が出て、足元はすぐ春になる。静かで扱いやすく、街なかでは実に快適だ。だが広い部屋や強い寒波には少し頼りない。部屋の一角だけ春で、背中は冬。市街地は得意だが、高速巡航はやや苦手。性格がそのまま出ている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
そしてホンダのi-MMDである。これはもう、世界最強級の石油ファンヒーターだ。スイッチを入れた瞬間に「ブォォッ」と風が出て、部屋全体が一気に春になる。寒波？ 来るなら来い、である。高速巡航の効率も高い。強モードにした瞬間、窓ガラスの結露まで吹き飛ばしそうな火力だ。ただし本体は大きい。重い。値段も張る。ワンルームに置けば、「いや、そこまでしなくても……」と部屋のほうが恐縮する。性能は最強級だが、置き場所を選ぶ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
もしこの二つが組めばどうなるか。日産の素早い足元暖房と、ホンダの部屋全体を制圧する火力が合体する。立ち上がりは速く、巡航は強く、燃費もいい。理屈の上では、トヨタの牙城を脅かすほどの“最強暖房”になりうる。しかも両社とも単独では届かない領域である。だが現実には、ホンダは電気ストーブに夢中になって開発費を使い込み、日産は電気ファンヒーターの改良に熱中し、それぞれ単独では決め手を欠いた。その隙を、現代がきっちり突いたのである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
だからこそ、ホンダが少しへこんでいる今こそ、日産との連携は最後の好機かもしれない。暖房は、意地で選ぶものではない。冬を越せるかどうかで選ばれる。そしてアメリカ市場の冬は、まだ終わっていない。&#13;&lt;br&gt;
凍えるのは、暖房を選び間違えたメーカーからである。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>車</dc:subject>
      <dc:subject>ニュース</dc:subject>
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    <item>
      <title>金利を上げろ病？</title>
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      <pubDate>Fri, 01 May 2026 06:19:10 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-04-29T17:30:15+09:00</dcterms:modified>
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      <description>円安である。物価高である。スーパーへ行けば、キャベツの前で腕組みをする人が増え、レジ前では「これ戻します」が静かな流行語になっている。豆腐売り場では三つ入りと二つ入りを見比べ、卵の前で十秒ほど沈黙する人もいる。家計というものは、景気の会議室ではなく、冷蔵庫の前で判断される。こうなると世間は単純明快な言葉を欲しがる。「金利を上げろ」である。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかしその議論、どこか噛み合わない。虫歯で頬を押さえている人に向かって、「目薬だ、目薬がいちばん効く」と皆が声をそろえているようなものだ。ひとりが言い出し、ふたりがうなずき、三人目あたりからは疑う者のほうが非常識な顔をされる。痛いのは口の中なのに、議論だけが眼科へ向かって走り出す。世間では、ときどきこういう誤診が起きる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
今回の物価高は、原油高、物流混乱、海外金利、地政学と、外から飛んでくる羽虫が多い。こちらが団扇であおいでも、なかなか帰ってくれない。そこへ日本だけ0.25％、0.5％と金利を上げたところで、3％もある日米金利差の大河に、コップ一杯の水を注ぐようなものだ。川幅は変わらない。それなのに「これで円高だ」と言う。天気予報で傘を一本振ったら台風が曲がる、と言うくらい頼もしい話である。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかも金利を上げれば、銀行は日銀当座預金に利息がつく。何十兆円という残高に、ぺたりと利率が貼られる。こちらは住宅ローンの金利上昇に眉をしかめ、あちらは何もしなくても受取利息が増える。努力賞ならぬ制度賞である。表彰状の文面を見たい。「右、特段の汗もかかず収益増大につき、ここにこれを賞す」。ついでに紅白のリボンも付けていただきたい。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
一方で減税の話は進まず、社会保険料はじわりと上がる。給料明細を見ると、春の陽気なのに財布の中だけ北風が吹いている。そのうえ金利まで上げるとなれば、家計は三方向から戸を閉められる。消費者は外食を一回減らし、旅行を見送り、洗濯機の買い替えを来年にする。町のとんかつ屋は昼の客が一人減り、商店街の電器屋は展示品の前で腕を組む時間が増える。景気というのは、こうして静かに、しかし確実にしぼむ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
本来なら、円安もコスト高も使いようである。輸入に頼りすぎた産業を見直し、国内投資を増やし、観光で稼ぎ、賃金を上げ、地方に仕事を回す。逆風の日こそ、帆船をエンジン船に替える好機ではないか。ところが議論はいつも「次の会合で上げるか、据え置くか」。台所の床が抜けているのに、蛇口の閉め方ばかり相談している。床下から風が入ってきても、会議はなお続く。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
思い出すのは失われた30年である。景気が上向きかけると、どこからともなく冷や水が運ばれてきた。今回もまた、せっかく灯いた種火に向かって「火事になると困るから消しておこう」と水をかけるつもりらしい。そしてそのあとで、「なぜ寒いのだろう」と首をかしげるのである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
経済というのは、体温計の数字だけ見て健康になるものではない。飯を食い、働き、稼ぎ、使い、また明日も頑張ろうと思えることが大事だ。そこを忘れて虫歯に目薬をさし続けていると、そのうち財布の中から木魚の音がしてくる。南無阿弥陀仏、と小銭が鳴る。&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>日常</dc:subject>
      <dc:subject>ニュース</dc:subject>
      <dc:subject>経済</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>高齢者医療費「原則3割」へ</title>
      <link>https://so2.asablo.jp/blog/2026/04/29/9851511</link>
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      <pubDate>Thu, 30 Apr 2026 06:18:59 +0900</pubDate>
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      <description>財務省がまた「高齢者の医療費負担を増やすべきだ」と言い出した。ニュースでは、まるで「はい、もう決まりました」とでも言うような調子で読み上げる。こちらは朝の茶碗を手にしながら、「いや、それは厚労省のシマじゃないのか」とつぶやく。医療は厚労省、財政は財務省。普通なら味噌汁と漬物くらい役割が分かれているはずなのに、財務省は台所にまで入ってきて、鍋の味付けに口を出す。家計簿を握った夫が、台所に立つ妻へ「その米は一合でいい」と指図するようなものである。しかも財務省の言い分は、いつも驚くほど単純だ。「足りないから負担を増やします」&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
これだけなら官僚も議員もいらない。家計簿の赤字を見て「では食費を削ろう」と言うのと同じで、そこに知恵も工夫もない。必要なのは電卓と赤ペンだけである。本来、政策とは「どうすれば収入が増えるか」「どうすれば制度が回るか」を考えるためにある。それを「足りないから出せ」で済ませるのは、借金取りの論理そのままだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかも、その“出せ”と言われている相手が高齢者である。高齢者の米びつは年金だ。その中身は、もともと多くない。ふたを開ければ、底のほうに心細く残った米粒が、ちょっとした風でも飛んでいきそうな量しかない。そこへさらに「負担増です」と手を突っ込まれたら、翌朝のご飯が炊けない。ご飯が炊けなければ体力は落ちる。体力が落ちれば外出も減る。外出が減れば地域の消費も細る。家計を削る話は、たいてい町全体を痩せさせる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
財務省は「医療費が増えているから」と言う。だが、高齢者の医療費が多いのは当たり前だ。年を取れば膝も腰も痛むし、血圧も上がる。これは自然現象であって、桜が春に咲くのと同じくらい当然のことである。それを理由に米びつを差し出させるのは、どうにも筋が悪い。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかも健康保険の収支が苦しい本当の理由は、支出だけではなく収入の弱さにある。賃金が伸びない。若い加入者が減る。非正規雇用が増える。現役世代の懐が細れば、保険料収入も細る。ここを太らせない限り、どれだけ米びつを差し出させても、制度は立ち直らない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
いつも財務省は「若い人の負担は増やせない」とも言う。だがその言い分は、冷蔵庫に残ったわずかな卵焼きを前にして、「兄弟で分けろ。ただし兄は食べるな」  と指示する親のようなものだ。本来、弁当のおかずを増やすのが親の役目なのに、なぜか子ども同士を争わせる。若者と高齢者を向かい合わせにして、「どっちが我慢するか」を決めさせる。その構図が、どうにもえげつない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
結局のところ、財務省の負担増路線は、家計を立て直すために米びつそのものを売り払うような話だ。売ったその日は少し静かになる。だが翌朝の台所には、何も残らない。可処分所得を削れば消費は落ち、景気は弱り、保険料収入もまた細る。これでは財政再建どころか、土台から痩せていく。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
守るべきは米びつであって、差し出すことではない。本当に必要なのは、高齢者からさらに取ることではなく、現役世代の稼ぐ力を取り戻すことだ。賃金が上がり、働く人が増え、保険料を払える人が増える。制度を支えるとは、本来そういうことである。&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>医療</dc:subject>
      <dc:subject>ニュース</dc:subject>
      <dc:subject>政治</dc:subject>
      <dc:subject>経済</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>主婦年金と熱海の旅館</title>
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      <pubDate>Wed, 29 Apr 2026 06:33:58 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-04-28T00:53:55+09:00</dcterms:modified>
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      <description>年金制度というものは、気がつけば、まるで熱海の老舗旅館である。昭和の本館に平成の別館を継ぎ足し、さらに令和の新館まで無理やりドッキングした結果、廊下は曲がりくねり、階段は急で、どこが大浴場でどこが非常口なのか、案内板を三度見ても分からない。しかも、その案内板が少し黄ばんでいて、矢印が右を向いているのか左を向いているのかも判然としない。これが日本の年金制度である。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
たとえば「第3号被保険者」。旅館でいえば、「お連れ様は無料でお風呂に入れます」という、たいへん気前のいいサービスに近い。しかも、そのお連れ様がどれだけ長湯しようが、タオルを何枚使おうが、宿のほうは終始にこやかである。ところが、これを公平にしようとして「では全員から入浴料をいただきます」とやると、今度は「うちは風呂に入らぬ主義でして」という人まで巻き込むことになる。制度というものは、一度ゆがんだ廊下を造ると、後から真っすぐに直すのが実に難しい。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかも厄介なのは、経済成長を目指そうという時期に、家計の可処分所得を減らすような制度改正を、「公平です」と胸を張って差し出してくるところである。これは旅館の夕食で、刺身そのものは据え置きのまま、“ツマだけ増量しました”と言われるようなものだ。いや、そこではない。客が欲しいのは大根の千切りではなく、マグロである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
本当に公平を言うなら、やるべきことはもっと単純だ。完全個人単位の年金制度である。誰と結婚していようが、扶養だろうが別居だろうが、そんな事情は制度に持ち込まない。稼いだ人がその分だけ負担し、将来その分だけ受け取る。これ以上分かりやすい仕組みはない。所得比例にすれば、働けば働くほど手取りは増える。いまのように「130万円で止めると得です」という、まるで“食べ放題なのに途中で帰った方が元が取れる”ような妙な逆転現象も消える。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
では、働かない配偶者はどうなるのか。そこは個人の選択である。働かない自由はある。ただし、制度上の“タダ乗り席”までは用意しない、というだけの話だ。もっとも、世帯収入が300万円を下回るような家庭まで突き放してはならない。そこは給付付き税額控除で下支えする。旅館でいえば、「お風呂は有料ですが、収入の少ないお客様には割引券を差し上げます」という話で、じつに筋が通っている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
つまり、完全個人年金と給付付き税額控除を組み合わせれば、公平性を確保しながら、家計にも財政にも無理な打撃を与えずに済む。しかも、多くの働く人の可処分所得は増える。経済成長にも追い風になる。旅館でいえば、迷路のような廊下をすべて取り払い、一本のまっすぐな通路にして、浴場も食堂も迷わず行けるように配置し直すようなものである。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
公平を言うなら、刺身のツマを増やして満足していてはいけない。皿そのものを作り直すべきなのである。制度もまた料理と同じだ。盛り付けをいじるより、レシピから変えたほうが、話はずっと早い。&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>ニュース</dc:subject>
      <dc:subject>政治</dc:subject>
      <dc:subject>福祉</dc:subject>
      <dc:subject>経済</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>ルーキー「クロード・コード」</title>
      <link>https://so2.asablo.jp/blog/2026/04/28/9851133</link>
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      <pubDate>Tue, 28 Apr 2026 06:03:46 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-04-27T18:21:29+09:00</dcterms:modified>
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      <description>AI界の厨房で、いま最も派手な音を立てている鍋が「クロード・コード」である。グーグルが最大400億ドル、アマゾンが50億ドル、エヌビディアも巨額の計算資源契約を差し出し、世界の大手が次々と薪をくべている。まるで名だたる料亭が、将来の看板料理人を囲い込もうと札束をまな板代わりに積み上げているような騒ぎだ。厨房の外でこれだけ鍋の金属音が鳴れば、中の料理人たちが手を止めて振り向くのも無理はない。いったい何者なのか、と。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この新人、まず食べる量がおかしい。巨大な白菜を1玉まるごと飲み込み、「はい、全部わかりました」と平然としている。これがいわゆるミリオントークン、100万人分の走り書きレシピを1度に読み込むような力である。他のAI料理人が半玉で息切れし、水を飲みに行っている横で、クロード・コードは台所全体の流れまで見ながら包丁を研いでいる。ここがまず、尋常ではない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
だが、投資家たちが本当に値踏みしているのは食欲ではない。読んだうえで、壊さずに直す腕前である。世のAIには、レシピを少し読んだだけで勝手に砂糖を増やし、塩を抜き、最後には鍋まで焦がす者が少なくない。頼んでもいない創作料理を出してくる。ところがクロード・コードは違う。鍋の位置、火加減、食材の相性、客の好み、厨房の段取りまで見てから手を入れる。直した理由も説明する。これはアンソロピック社が掲げる「憲法つきAI」という思想の成果で、暴れない、嘘をつきにくい、筋道を示す。厨房を預ける側にしてみれば、こういう料理人がいちばんありがたい。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかも1人で終わらない。味噌汁を温めながら焼き魚を返し、漬物の塩分を見て、皿の向きまで整える。さらに焼き場担当、煮方担当、盛り付け担当と、AI同士を役割分担させる「エージェント・チーム」まで組めるという。料亭の厨房を丸ごと複製し、しかも全員が不眠不休で働くようなもので、企業が「これを入れないと置いていかれる」と青ざめるのも当然だ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
現場の評判も早い。SNSには、「どうにも救いようのない味のレシピを渡したら、料理長の好みに合わせつつ全体の辻褄まで整えて返してきた」といった体験談が流れ込む。口コミは新しい広告であり、広告より信用される。投資が話題を呼び、話題が導入を呼び、導入がまた投資を呼ぶ。鍋の湯気が別の鍋の火力になる。こうしてクロード・コードの名は、業界じゅうの厨房へ広がっていく。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
もっとも、腕が良すぎる料理人には昔から別の心配がつきまとう。クロード・コードは、棚の奥にしまった秘伝のスープ帳だろうが、代々継ぎ足したタレの配合表だろうが、一気に読み込み、矛盾も弱点も見つけてしまう。本来は古い厨房の危ない配線や、腐りかけた食材を見抜く守り神の力である。だが、悪意の料理人の手に渡れば、秘伝の味を丸ごと持ち帰る道具にもなる。名刀は名刀であるがゆえに、扱う手まで選ぶ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
結局のところ、クロード・コードの強さは3つに尽きる。大量に読み、構造を理解し、壊さず直す。この3拍子に巨額投資と口コミの追い風がついた。いま世界のAI厨房では、あちこちの鍋が一斉に鳴り始めている。そして鍋の音はさらに激しくなり、料理人たちの勝負はまだまだ続くのであろう。&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>ICT</dc:subject>
      <dc:subject>ニュース</dc:subject>
      <dc:subject>テクノロジー</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>饅頭に紛れ込んだ金属片</title>
      <link>https://so2.asablo.jp/blog/2026/04/27/9850888</link>
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      <pubDate>Mon, 27 Apr 2026 06:16:32 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-04-26T11:59:34+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-04-26T09:22:20+09:00</dcterms:created>
      <description>辺野古沖で起きた抗議船の転覆事故。それは、きれいに包まれた饅頭を一口かじったとき、中から鈍く光る金属片が出てきたような出来事だった。甘いはずのものの中に、説明のつかない硬質で危険な異物が混じっている。「平和学習」という言葉で包むには、その包み紙はあまりに薄く、中身の歪さが透けて見える。安全を語るべきテーブルに、いつの間にか宗教と教育と社会運動が同席していた。誰が彼らを招いたのか。招いた側も、招かれた側も、実はその座りの悪さを持て余していたのではないか。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
学校とは本来、安全という名の「物理的現実」を最優先にする場所である。ところが今回露呈したのは、学校と外部団体の長年の“なあなあ関係”の上に、宗教団体のネットワークと社会運動の論理が幾重にも重なる多層構造だった。宗教団体が私学教育に果たしてきた歴史的功績は否定できない。国家の教育が届かない領域に最初に光を当てたのは、常に信仰者たちの情熱だった。しかし、現代において宗教・教育・社会運動の距離が近づきすぎると、互いを律するはずのチェック機能は麻痺し、視線は同じ方向——「理念の実現」——へと固定されてしまう。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
今回の二つの団体が掲げた言葉は、どれも耳に心地よいものだった。平和、人権、尊厳。だが、彼らは「物理の世界」の警告に対しては致命的に鈍感だった。旅客船登録の欠如、波浪注意報下の出航、海上保安庁の警告無視。「理念の熱」でどれほど思考を昂ぶらせようとも、叩きつける「波」はどこまでも冷酷で平坦な物理現象である。 この温度差が、そのまま生徒を海へ放り出す結果を招いた。学校側もまた、「いつもの顔馴染み」という安心感に沈殿していたのだろう。長年の付き合いは、味噌汁の出汁のように組織の隅々に染み渡る。だが、効きすぎた出汁は素材の味を殺し、違和感を察知する嗅覚を奪う。宗教団体と学校が同じ組織体系に属していれば、その“出汁”はなおさら濃くなる。外部であるはずの存在が内部の延長として扱われ、客観的な検証は「信頼」という名の不作為に置き換わる。これが“なあなあ構造”の正体だ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この危うさは、決して平和学習に限った話ではない。環境保護でも、国際協力でも、キャリア教育でも、構図は同じだ。理念を語る団体と学校が、緊張感のない密室で繋がった瞬間、教育内容は性質を変え、安全を食いつぶす「劇薬」となる。平和学習そのものが悪なのではない。「理念優先の外部団体」を、検証なしに安全領域へと招き入れる構造そのものが、教育現場の病巣なのだ。本来、安全管理は理念の「上位」に置かれるべき鉄則である。しかし、この現場では理念が先頭に立ち、安全は最後尾に追いやられた。引率教員は岸に残り、生徒だけが荒れる海へ出航した。責任を負うべき大人が陸に留まり、リスクだけが波間に消えた。この配置の歪さこそが、この事故の本質を雄弁に物語っている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
宗教・教育・社会運動の境界が溶け落ちた場所では、誰もが「善意」を盾にし、誰も最終的な責任を引き受けなくなる。政治の問題、信仰の問題、そして安全の問題。これらが未分化のまま同じ皿に盛られたとき、その中心で最も過酷なリスクを背負わされるのは、常に守られるべき立場にある生徒たちだ。あの饅頭に紛れ込んだ金属片は、どこから来たのか。誰もが目を逸らし、責任の所在が霧散していく中で、その冷たい感触だけが生徒たちの記憶に刻まれる。&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>教育</dc:subject>
      <dc:subject>ニュース</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>浮気の結果（イラン戦争）</title>
      <link>https://so2.asablo.jp/blog/2026/04/26/9850662</link>
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      <pubDate>Sun, 26 Apr 2026 06:49:26 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-04-25T08:45:05+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-04-25T00:05:27+09:00</dcterms:created>
      <description>旦那（イラン）が浮気（核濃縮）を始めたのは、もうずいぶん昔のことらしい。らしい、というのは、この手の話はだいたい最初がぼやけているからである。気がつくともうやっている。「ただの知り合い（平和利用）だよ」と言い張る顔つきが、もうすでに“ただの知り合い”ではない。台所で包丁を握っている妻（米国）が、じっと見ている。「本当に？」と一言だけ聞く。この一言が、だいたい効かない。旦那は「誤解だよ」と笑う。誤解で済む顔ではないのだが、本人はそのつもりらしい。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかもこの旦那、癖が悪い。妻の友達（イスラエル）が大嫌いなのである。嫌いなら近づかなければいいのに、わざわざ近所をうろついては自分の子分（ハマス・ヒズボラ）にけしかけて石を投げさせる。投げる方もどうかしているが、受ける方も慣れているから始末が悪い。「また来たわよ」と友達から電話が入る。妻はため息をつく。旦那は「俺は悪くない」と言う。この手の「俺は悪くない」は、だいたい悪い。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
町内会（国際社会）も事情はよく知っている。「あの家はなあ……」と回覧板のついでに噂になる。問題は、ただの夫婦げんかでは済まない点だ。旦那の浮気相手（核開発）はどうにも物騒で、どこの家の屋根に火の粉が飛ぶかわからない。だから誰も笑えない。犬も食わぬどころか、犬が真っ先に逃げ出す。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
さて、昨年である。ついに妻の堪忍袋の緒が切れた。切れるとどうなるか。家中のタンスが開く。押し入れがひっくり返る。床下収納まで開く。そこへ友達を連れてくるのだから、これはもう大掃除ではなく家宅捜索である。旦那は「やめろ」と言うが、止まらない。茶碗は割れ、箪笥は軋み、床板は破壊され、近所は戸を閉める。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ところがである。ひっくり返したはずなのに、浮気相手は案外しぶとい。「ほぼ無傷だ」と友達が妻に言う。これを聞いた妻が黙っているわけがない。「まだ足りないのね」となる。追撃である。旦那は逆ギレする。ミサイルだのドローンだの、家庭内の道具ではないものを持ち出して、関係ないお隣に飛んでくる。玄関（ホルムズ海峡）にも物を積み上げ、「通るな」とやる。近所の商店は「商売あがったりだ」とぼやく。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
三月半ばともなると、家の中はほとんど戦場である。怒号が飛び、家具が倒れ、話し合いという言葉がどこかへ行く。「証拠はある」「誤解だ」「いやある」「ない」。堂々巡りとはこのことである。近所は壁越しに聞きながら、「もう少し静かにできんのか」と思うが、巻き込まれるのが嫌なので黙っている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
そこで登場するのが、親戚のおじさん（パキスタン）だ。「まあまあ」と言いながら座敷を整える。座布団を並べ、湯気の立つ茶を用意する。この段取りの良さが、いかにもおじさんである。イスラマバードのホテルというのは、要するにそういう座敷だ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
四月。ようやく二人が座る。ここまではいい。実にいい。ところが箸を持ったところで、旦那が妙なことを言い出す。「お前、あの友達と付き合うな」「暴れたことも謝れ」。妻が箸を落とす音がする。これはいい音ではない。「なぜ私が？」と聞く。旦那は続ける。「他の友達とも距離を置け」。つまり、自分の浮気の話をしている最中に、妻の交友関係を制限しようとするのである。筋が通らない。通らないものは通らない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
妻は怒る。怒るとどうなるか。財布が閉まる。「あなたの仲間との付き合いも全部止めるわ」。資金は止まり、物資は止まり、道は細くなる。いわゆる兵糧攻めである。旦那は「なんで俺の財布が」と言うが、理由はさっき自分で作った。因果応報とはこういう形で来る。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
せっかくの座敷はそのまま残る。茶は冷める。おじさんは肩をすくめる。「いつでも来なさい」と言うが、来ないものは来ない。四月二十四日、旦那側がようやく靴を揃えるが、妻が玄関に出てくるかどうかはわからない。夫婦げんかは続く。近所は回覧板を回しながら、「いっそ家ごと建て替えた方が早いんじゃないかね」と小声で言う。もっとも、その建て替えが一番難しいのも、この家の特徴なのである。&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>国際</dc:subject>
      <dc:subject>ニュース</dc:subject>
      <dc:subject>政治</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>足りない騒ぎと共産主義モード</title>
      <link>https://so2.asablo.jp/blog/2026/04/25/9850309</link>
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      <pubDate>Sat, 25 Apr 2026 06:36:30 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-04-24T11:02:36+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-04-23T08:54:53+09:00</dcterms:created>
      <description>新城市の日帰り温泉や砺波の焼却施設で「重油が入ってこない」というニュースを見た瞬間、なぜか台所の戸棚を開けてしまった。重油が入っているわけもないのに開けたくなるのは、コロナの時のマスクと同じだ。「足りない」という言葉が理屈を追い越し、自分の在庫を確認しないと気が済まない。今回の重油も、どうも同じ匂いがする。実際は鍋が空になったわけではなく、具が少し偏っているだけだ。原油は備蓄を含めて確保され、暖房需要も落ちる時期。医療などの優先順位が高いところには、きちんと回る。ところがニュースは「偏り」を語らない。「砺波で入らない」と聞けば、脳内で勝手に「入らない＝全部ない＝そのうち医療も危ない」と変換が始まる。冷蔵庫の隅で豆腐が一丁傷んでいるのを見て「全部ダメだ」と思い込むようなものだが、タンクの残量という「数字」を並べられると、鍋の底の小さな焦げが全体を焼き尽くす大火事に見えてくる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
不安は人を動かす。地元の議員には「センセー、油はどうなってるんです」と声が集まる。盆踊りの人数は把握していても、石油の流れまで追っていないセンセーは役所に駆け込み、役所は公平を期して一斉調査をかける。すると業者が「調査が入るなら、何か起きるぞ」と身構える。ここからは早い。仕入れは前倒し、在庫は積み増し、消費者も「今のうちに」と動き出す。自由に流れていたはずのものが急にぎくしゃくし始め、「誰かが配らないと危ない」という空気が生まれる。統制を求める声とお上への疑いが同時に膨らむ、いわば“共産主義モード”の完成である。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
本来、流通は猫のようなもので、放っておけば勝手に歩き回り、勝手に収まる。ところが、みんなで囲んで「大丈夫か」と背中を叩き続ければ、猫は一目散に逃げ出すだろう。かつて「足りている」と言われた瞬間に棚が空になったのも、あの光景の焼き直しだ。石油の量は変わっていない。ただ、「入らない」の一言と「足りていますか」という問いかけが、全員に一斉に箸を持たせる。まだ具はあるのに、みんなで鍋をかき回し、そうしているうちに本当に中身が減っていく。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
世の中の混乱は、大抵たいしたことのない焦げから始まる。そして厄介なのは、その焦げを広げるきっかけが、決まって「ここが焦げています」と教えてくれる親切な声のほうだということである。&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>日常</dc:subject>
      <dc:subject>ニュース</dc:subject>
      <dc:subject>政治</dc:subject>
      <dc:subject>経済</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>東海林風再審制度見直し</title>
      <link>https://so2.asablo.jp/blog/2026/04/24/9850126</link>
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      <pubDate>Fri, 24 Apr 2026 06:31:43 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-04-23T07:47:53+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-04-22T09:07:58+09:00</dcterms:created>
      <description>再審制度の見直しというから、もっと本格的な料理が出てくるのだと思っていた。ところが登場したのは巨大なフライパンを振り回し、「検察の抗告禁止コロッケでございます！」と張り切る料理パフォーマー議員である。照明はギラギラ、音はジャカジャカ、カメラは派手なパフォーマンスだけを映し出す。しかし、料理番組で最も大事な“具材”のジャガイモがどこにも見当たらない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
再審という料理は、証拠というジャガイモがなければ始まらない。ところが、そのジャガイモは厨房奥の“検察専用冷蔵庫”にしまい込まれ、冷蔵庫番が鍵を抱え込んで離さない。この冷蔵庫、扉を開ければ過去の調理で焦がした鍋の匂いが立ち上り、棚の奥には落としたまま拾わなかった食材や、見なかったことにした切れ端が転がっている。だから冷蔵庫番は必死だ。開けた瞬間、何が飛び出すか分からないらしい。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
本来、再審の主役は「証拠開示」というジャガイモであり、これが出てこなければコロッケも肉じゃがも作れない。ところが法務省特製レシピは特売チラシの隅のような但し書きだらけで、「証拠は開示します（原則）。ただし再審理由に関係があると冷蔵庫番が判断したものに限ります（但し書き）。裁判所も十分には踏み込めません（さらに但し書き）。」という具合だ。これでは都合の悪いジャガイモは永遠に冷蔵庫の奥で眠ったまま。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
それでもパフォーマンスは続く。「どうです、この抗告禁止の衣！」と空のフライパンを振られても、油の音だけが虚しく響く。衣（手続き）ばかり立派で、具（証拠）は冷蔵庫の奥でホコリをかぶったまま。具が腐っている可能性さえあるような気もする。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
再審制度の改革とは、衣の揚げ方を議論することではない。料理を作るなら、まず冷蔵庫を開け、ジャガイモを全部出すことだ。つまり証拠を全部出せ、というだけの話である。中身のない衣だけのコロッケを差し出され「改革の味です」と言われても、こちらは頷く気になれない。私はただ、土のついた本物のジャガイモ――但し書きのない、まっとうな証拠――のコロッケを料理してほしいだけだ。&lt;br&gt;
</description>
      <enclosure url="https://so2.asablo.jp/blog/img/2026/04/24/732aed.jpg" length="12296" type="image/jpeg"/>
      <dc:subject>ニュース</dc:subject>
      <dc:subject>政治</dc:subject>
    </item>
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      <title>東海林風ラグビー椀チーム</title>
      <link>https://so2.asablo.jp/blog/2026/04/23/9849923</link>
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      <pubDate>Thu, 23 Apr 2026 06:05:12 +0900</pubDate>
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      <description>ラグビーのリーグワンで、妙な規定ができたという。「義務教育を日本で六年以上受けていないと、日本出身扱いにはせぬ」……六年である。七年でもなく五年でもなく、六年。この「六年」という数字の、なんともいえない「どうだ、これなら文句あるまい」という役所的なドヤ顔はどうだろう。そうなると、日本で小学校を卒業すれば立派な「国産」として認められるということか。味噌汁を六年飲めば日本出身、七年飲んだらもう味噌汁博士。そんなことを考えながら食卓につくと、今朝の味噌汁が急に“国籍審査官”みたいな顔をしてこちらを睨んでいるような気がして、箸がすすまない。&#13;&lt;br&gt;
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そもそもラグビー日本代表は昔から多国籍チームなのである。ワールドカップのときなどは、メンバーの半分近くが海外出身者だった。だが彼らは日本代表だ。いわば日本料理店の厨房に、フランスの鍋とイタリアのフライパンと中華の中華鍋が全部そろっているようなもの。味噌汁の横でパスタが茹でられ、隣で麻婆豆腐がグツグツいっている。これぞワンチーム、いやわが家流にいえば「椀チーム」である。一つの椀の中に、世界が仲良くおさまっている。&#13;&lt;br&gt;
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ところが今回の規定は、この国際色豊かな厨房に突然「味噌汁は味噌の故郷で六年以上暮らした者に限る」という頑固な張り紙を貼るようなものだ。しかしちょっと待ってほしい。味噌汁の主役である大豆にしても多くは外国産ではないか。日本の食卓は千年前からワンチームだったのに、今さら「出身地」を気にし始めた。これには大豆だって戸惑うだろう。「あなたはブラジル出身だから、今日の朝食には出場できません」などと言われたら、納豆だって泣きだすに違いない。&#13;&lt;br&gt;
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世界を見渡せば、この“出身地問題”の扱いは実にさまざまだ。アメリカなどは「国籍があればアメリカ人」という、いわばサラダボウル方式で、マンゴーがいようがアボカドがいようが気にしない。「今日のサラダは国際会議だな」とドレッシングをドバドバかけて喜んでいる。中国はまた極端で、国家が厨房を丸ごと管理している。材料も調味料もすべて国家の倉庫から出てきて、帰化選手も国家戦略の一環、料理長は国家そのもの、味見すら国家検定といった具合だ。英国にいたってはもっとややこしい。あの狭い島の中に厨房が四つもあり、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド（ラグビーはアイルランド）がそれぞれ「うちの鍋が一番だ」と譲らない。だからサッカーもラグビーも「イギリス代表」なんてものは存在しない。無理に一つの鍋にまとめようものなら蓋が飛び、スコットランドの鍋が「イングランドの味付けはなっとらん」と怒りだし、ウェールズの鍋が「俺のネギを返せ」と暴れだすらしい。&#13;&lt;br&gt;
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こうして見ると、今回の「六年規定」は、日本のラグビー界が急に「材料の純度」にこだわり始めたようにも見える。だが考えてもみてほしい。味噌汁、豚汁、けんちん汁、粕汁――どれもこれも外国産の大豆や野菜が混ざり合い、熱々の汁の中でとろけ合い、毎朝しれっと「ニッポンの朝」を演出しているではないか。味噌汁の大豆がどこから来たかより、その味噌汁がちゃんと熱いかどうかのほうが、よほど大事だ。ラグビーも同じで、どこで義務教育を受けたかより、どれだけ日本のために身を挺して泥にまみれたか、その「熱さ」こそが胸を打つ。&#13;&lt;br&gt;
ふうふうと、今朝の審査官を啜る。熱い。椀チーム。これでいいのだ。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>ホビー</dc:subject>
      <dc:subject>国際</dc:subject>
      <dc:subject>ニュース</dc:subject>
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      <title>東海林風「軽油補助金」と談合</title>
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      <pubDate>Wed, 22 Apr 2026 06:16:25 +0900</pubDate>
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      <description>軽油補助金と談合話を聞いていると、どうにも頭の中で江戸の町が立ち上がってくる。日本橋界隈の真ん中にどっしり構える油問屋、巨大な油樽がずらりと並び、油の匂いが鼻にまとわりつく。あれは匂いというより“油の気配”で、樽の前を通るだけで袖口がテカテカしてくる気がする。樽の木目がやけに艶っぽいのも気になる。あれは油が染みているのか、店主が毎朝磨いているのか。雑巾もきっとテカテカだ。現代でいえば元売りで、町の灯りの行灯や灯明、天ぷらの揚げ油とみんなこの樽頼みである。で、この油問屋の奥には、なぜか悪代官が“ふらりと”現れる。ふらりと来るくせに足音だけは妙に重い。「油問屋よ、例の“下々へのご自愛の金子”の沙汰じゃがな……」と袖の下の匂いを漂わせながら現れる。この“ふらり感”が実に胡乱で、しかも帳簿は奥の間のさらに奥、なぜか屏風の裏に立てかけてある。屏風の裏に帳簿を置く家なんて見たことがないが、江戸の“見せぬ文化”は現代の不透明さと妙に重なる。&#13;&lt;br&gt;
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一方、町場には商いが軒を連ねる。油屋の看板がずらりと並び、どの店もなぜか同じような字体で「油」と書いてある。あれは町内の書道の先生が指導しているのかもしれない。表向きは「うちは安いよ」と競い合っているように見えるが、日が暮れると店主たちがこそこそ集まり、「なあ、来月から一升あたり二文、揃えて上げようじゃありませんか」「師走は二文半でどうです」「値下げの折も足並み揃えませんか」と相談を始める。これが談合である。表では「いやあ、仕入れ値が高うございまして」と頭をかくが、その頭のかき方がまた妙に同じ角度で、見ていると“談合のクセ”が身体に染みついているように思えてくる。裏では“値寄せの寄り合い”。この裏の結束だけは江戸も現代も変わらない。町人は「油の値が揃いすぎてやしねえか」と首をひねるが、商いはどこ吹く風で、むしろ「揃ってるから安心でございましょ」みたいな顔をしている。いや、安心じゃない。&#13;&lt;br&gt;
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そこへ現れるのが奉行所。現代でいえば公取委だ。この奉行所、なかなか目が利く。町場の油売りどもが夜な夜な値を寄せ合っていたことまではきっちり嗅ぎつけ、「油売り一同、密々に値を取り決めておった証拠、奉行所にてしかと改めた。これよりお白州にて沙汰を申し付ける」と淡々と申し渡す。奉行所の役人は、なぜか皆、眉の角度が同じで、怒っていないのに怒っているように見える絶妙な角度だ。怒鳴らないが、言葉が妙に冷たい。こういう冷たさがいちばん効く。しかし、である。奉行所がいくら目を凝らしても、その奥にいる油問屋と悪代官の“屏風の裏の密談”まではどうにも手が届かない。屏風の裏というのは、どうしてこうも都合よく“見えない場所”として使われるのだろう。あそこにはたいてい猫が寝ているものだが、今回は帳簿が寝ている。猫より静かで、猫より質が悪い。&#13;&lt;br&gt;
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町人たちは困り果て、「金子はどこへ消えたんでい」「油の値は下がらず、むしろ上がってんじゃねえか」と嘆くが、油問屋の帳簿は屏風の裏、悪代官はふらりと現れては消え、商いは横並びで値を上げ、奉行所は町場までしか斬り込めない。こうしてみると今回の話は「油問屋と悪代官の屏風の裏」「町場の商い」「そこまでしか行けぬ奉行所」の三幕芝居になっている。そしてここまで来ると、江戸芝居を見慣れた町人としてはどうしても期待してしまうのだ。――そろそろ、ふすまがバァンと開き、片肌脱ぎの遠山の金さんが現れるんじゃないか、と。もろ肌脱いで「油問屋、悪代官、屏風の裏はこの桜吹雪がお見通しだぜい！」と啖呵を切る、あの場面を。だが現実は芝居ほど気が利いていない。ふすまは、いつまで経っても開かない。それでも人は、あの桜吹雪を一度くらい見たくなる。そう思わせるほど、この構図は江戸の町と、いやに似ているのである。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>ニュース</dc:subject>
      <dc:subject>政治</dc:subject>
      <dc:subject>経済</dc:subject>
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      <title>東海林風CO2と残菜問題</title>
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      <pubDate>Tue, 21 Apr 2026 06:15:50 +0900</pubDate>
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      <description>残菜というのは、どうにも扱いが難しい。食卓の端に取り残された煮物の人参。嫌われているわけでもないのに、気がつくと皿の隅でぽつんとしている。ポテトサラダのすくい損ねた一塊も、妙に粘り強く皿にへばりつき、取ろうとすると広がる。どれも捨てるには惜しいが、これだけで一品になるかといえば心許ない。「惜しい」と「いらない」の中間にあるのが残菜である。いま世間で盛大に繰り広げられている脱炭素の「エコエコ大作戦」も、この残菜の扱いに似ている。あちこちから野菜の端っこをかき集め、高級調味料を惜しげもなく投入し、最新鋭の圧力鍋――メタネーション装置――を据えて再調理する。しかし材料をばらしてまたくっつけるようなもので、どうにも手間がかかる。普通に新しい材料で一品こしらえたほうが早いのではないか、と箸先が止まる。それでも「特製eメタンです」と出されると、一応は箸を持つが、「そこまでして食わなきゃならんのか」と思う。台所の隅から町内会の視線がじわっと効いてくる。「ちゃんと食べなさい」という、あの無言の圧である。&#13;&lt;br&gt;
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そこへ現れたのが、期待の新人・SMR（小型モジュール炉）だ。「残菜の出にくい最新式の万能鍋」という触れ込みで、町内会でも噂になる。我が家にも一台ほしい気がする。しかしどんな鍋でも十年も使えばお焦げがつく。SMRとて例外ではなく、気がつけば“残りかす”が溜まってくる。「話が違うじゃないか」と町内会が騒ぎ出し、「あのお焦げはどうするんですか」と詰め寄る。そこで人は考える。見えなければいいのではないか、と床下に押し込む。しかし床下は案外狭く、十年分も押し込めばパンパンだ。しかも自分の家の床下だと思うと落ち着かない。町内会も妙に詳しくなり、「床下は危ないらしいですよ」と知識を披露してくる。&#13;&lt;br&gt;
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ではどうするか。ここで出てくるのが核変換である。溜まったものをそのままにせず、性質そのものを変えてしまおうという発想だ。長く置くと厄介なものを、時間をかけて扱いやすいものにしていく。ちょうど、ぬか床に放り込んだ野菜が、気がつけば漬物になっているようなものだ。手を入れ、様子を見ながら、じわじわと変えていく。いわば、これはエネルギー界のぬか床である。ただし、まだ「うまく漬かるか様子見」の段階で、町内会に説明しても納得はされにくい。さらにその先には、核融合という“そもそも残り物がほとんど出ない台所”が控えているらしい。ここまで来れば町内会も静かになるかと思いきや、「その鍋、いつ来るんですか」と一言。夢の話は嫌いではないが、夕飯の支度は今日もある。夢を食べて生きるわけにはいかないところが、なんとも悩ましい。&#13;&lt;br&gt;
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こうして眺めると、残り物をどう扱うかに知恵を絞り、高い道具を持ち出して右往左往している姿は、どこか滑稽でもある。もちろん無駄ではないが、そればかりに熱中すると、肝心の台所全体を忘れてしまう。結局必要なのは「残菜をどう食べきるか」ではなく、「そもそもちゃんと食える飯をどう用意するか」である。町内会に言われて渋々食べる飯ではなく、最初から箸が進む飯だ。無理に温め直した残り物は、やはり残り物の味がする。だったら早いところ、新しい釜でまっとうな飯を炊いたほうがいい。エネルギーの未来は、そのあたりにあるような気がする。&lt;br&gt;
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