作ってほしいのは笑顔よりコメ2026年09月22日

作ってほしいのは簗農水大臣の笑顔よりコメ
農林水産大臣が交代した。引き継ぎ式では前大臣が新大臣に「メディアの前ではなるべく笑顔で」と助言し、新大臣も「意識して笑顔を作ります」と応じたという。なるほど、笑顔も大切だろう。しかし国民が知りたいのは大臣の口角の角度ではなく、コメ政策の中身である。令和の米騒動ではコメが足りなくなり、価格は高騰し、スーパーの棚から消えた。ところが今は景色が一変した。古米在庫が積み上がり、価格は下落している。銘柄や流通経路によっては新米より古米の方が高いという、なかなか理解に苦しむ。朝獲れのアジより昨日のアジが高い魚屋のようなものである。経営が成り立つわけがない。

そんな状況で迎えた新大臣の就任会見である。国民が聞きたいのは「なぜこうなったのか」「何を改めるのか」という説明だ。しかし示されたのは「需要に応じた生産」「備蓄の回復」「適正価格」といった聞き慣れた言葉ばかりである。前の会議でも聞いた気がするし、その前の会議でも聞いた気がする。農林水産省の会議室に額へ入れて飾ってあっても不思議ではない。まるでお寺の奥にずっとかかっている掛け軸である。特に不思議なのは数量の問題だ。備蓄米については21万トンの買戻しが示された。しかし備蓄水準を回復するというなら、最終的に何万トン備蓄するのか。残りをいつまでに、どれだけ調達するのか。そこが見えてこない。「健康のために運動しましょう」と言われて、体重何キロを目標にするのか分からないようなものである。米は気合いでも笑顔でも増えない。目標を上げなければ増えないのである。

さらに会見では「適正価格」という言葉が何度も登場する。適正価格とは何だろう。5キロ2500円なのか、3000円なのか、3500円なのか。そもそも市場価格は大臣が決めるものではない。天候、需要、生産量、在庫の変化によって動く。大臣が朝起きて「今日は2980円でいこう」と決意しても、その通りにはならない。もしその通りになるなら、先物市場がなくなってもおかしくない。価格は願望ではなく結果だからである。本来問われるべきなのは、価格そのものではなく供給力だ。何万トン作れるのか。何万トン増やせるのか。なぜ足りなくなり、なぜ今度は余るのか。ところが報道も会見も価格の話ばかりで、生産量の話になると急に霧がかかる。温度計の数字だけ眺めて、暖房機やエアコンの話をしないのである。

どうも話は値段だけでは済まないらしい。今回の混乱の原因は、供給能力と需給調整の問題ではなかったか。なぜ価格上昇という市場シグナルが出ても増産が進まなかったのか。なぜ農家は作りたくても作れないのか。なぜ担い手が減り、農地集約が進まず、農業所得が不安定なのか。本来はそこを議論すべきである。しかし会見では備蓄と価格の話が目立ち、生産性向上や所得保障、規制改革について、どのような数値目標と実行計画を持つのかは見えてこない。火事が起きたのに家の構造はそのままで、消火器の補充だけ相談しているようなものだ。しかも火事の原因については、みんなが何となく視線を外している。「需要に応じた生産」という言葉への反省も感じられない。役所が需要を予測し、供給を誘導する仕組みに限界があることを、今回の混乱は示したはずである。

もちろん農業には時間がかかる。田んぼは工場ではない。昨日までテレビを作っていたラインで、今日は冷蔵庫を作るわけにはいかない。価格が上がったからといって、来週から田んぼが二倍に広がるわけでもない。だからこそ平時から生産性を高め、農地と担い手を確保し、供給力を強化しておく必要がある。ところが日本の農政は、役所が需要を予測し、供給を誘導し、そのうえ価格にも配慮する方向からなかなか離れられない。予測が外れると、不足から過剰へ、過剰から不足へと振り子のように揺れる。去年は「ないない」と騒ぎ、今年は「余った余った」と困っている。コメ不足を心配していたら、今度は古米の山を心配しているのだから、農政というものはなかなか忙しい。結局、就任会見で最も具体的だったのは笑顔だった。備蓄は「回復する」。価格は「適正にする」。生産は「需要に応じる」。しかし笑顔だけは「作る」と断言した。分かったことは一つである。笑顔は変わるらしい。しかし、行き詰まった農政をどう変えるのかは最後までよく分からなかった。国民が聞きたいのは口角の角度ではない。コメを何万トン作れるようにするのかである。笑顔については具体策が示された。だが収穫量については、まだよく分からないのである。そして誰にもわからない需要変化を今後も予測するということだ。

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