LINE情報漏洩2024年05月08日

LINEの個人情報が何度も大量流出した問題で、運営元のLINEヤフーの出沢剛社長は決算会見で謝罪した。アメリカでは、米議会上院が4月、TikTokについて、運営元のバイトダンス(中国)が最長で1年以内に米国事業を売却しなければ、米国内での利用を禁止する法律をバイデン大統領が署名して成立した。これに対しバイトダンスは、米で成立したアプリ禁止につながる法律の差し止めを求め、米政府を相手取って表現の自由を保証する憲法に違反するとして提訴している。LINEユーザーは日本で9,500万人以上で8割を超える。長く韓国資本ネイバーがLINEを育ててきた経過もあり、最近ソフトバンク子会社のYahooと資本を折半して経営しているがその技術者は以前のままで韓国に情報が洩れていたという。

政府はLINEの株式を全て日本資本に転換するように行政指導しているが外国資本を相手にそう簡単に交渉が進むはずもない。アメリカのように国益に害のある会社を支配する外国資本は国内資本に売り渡せという命令の方がすっきりしている。会長が謝罪して済む話ではない。行政は法の範囲内で努力しているが、それを後押しする法律を作る国会議員が何もしないままでは同じことが繰り返される。

生きる LIVING2024年05月07日

生きる LIVINGをAmazonで観た。黒澤明監督の名作映画「生きる」を、ノーベル賞作家カズオ・イシグロの脚本によりイギリスでリメイクした映画だ。2023年度のアカデミーにノミネートされた作品なので、またぞろアカデミーに釣られて観た。良い。この年のアカデミー賞は「エブエブ」でがっかりさせられたが、こちらの方がはるかに良い。脚本が良ければ和製だろうが洋物だろうが感動する。1952年作の黒澤作品は見たことがなかったので、先入観なく堪能することができた。回想シーンが多い映画は脚本の腕がないと失敗すると「オッペンハイマー」で酷評したが、全く違和感なく楽しむことができた。リメイクの石黒脚本ではあるが黒澤らの脚本の完成度が高いことに納得させられた。原作は140分と長いのだがリメイクは90分と短いのも脚本の良さを引き出している。石黒の脚本はハッピーエンドをほのめかして締めくくられる。役場をやめた若い女性官吏がキュートに描かれたのも良い。役人が縦割り支配で厄介なことには手を出さず、市民をたらいまわしする今も変わらぬ役場の現状を見事に描いていた。

原作も翌日に観た。原作は回想シーンがお通夜に集まった職員の酒盛り場面に挟み込むのでややくたびれる。リメイクの方はイギリスの田園地帯を走る汽車の中で職員たちが回想している。こちらの方がしっとりしていて美しい。主人公を最後に見たという警察官の回想場面もリメイクの方がはるかに感動的に描かれている。東宝名画座14日間の無料体験を登録したので、しばらく黒澤作品を観ようと思う。

注意転導は老化?発達障害顕在化?2024年05月06日

最近、注意の転導が激しい。コップを取りに行こうと台所へ行く時に床の埃が目に付いたりすると掃除機をかけだしコップを持ってくるのを忘れてしまう。物干しのために洗濯物を洗濯機から取り出すつもりが風呂場が目に入り掃除を始めてしまい部屋に戻って物干しを忘れたことを思い出す。玄関の修理をするために小さなネジを外して部屋に戻ろうとするときに、ポストに入った郵便物が気になり取り出し際でネジを地面に落として見つからなくなる。「ついで行動」はものぐさ性格もあるが、最近はついでというより目に入ったものに注意が移って肝心なメインの行動を忘れたりおろそかになったりする。これは老化によるものだと思ってきたが、どうにも多すぎると気になっていた。

熊本大学では認知症が疑われ、認知症専門外来に訪れた446名の患者についての調査研究を行った。約1.6%にあたる7名は認知症ではなく、高齢によって顕在化した発達障害の1つである「注意欠陥多動性障害(ADHD)」であったと昨年に発表した。子供のADHDの比率は1割程度で成人期には2%程度だと言われる。その傾向があっても成長によって自分で制御していくようになる表れだろう。その延長線上で考えれば加齢によって前頭前野の働きは次第に劣化し、抑制していた注意の転導や衝動性が顕在化するのだろう。子供時代に既往歴のあるワシはたぶんこれがあてはまる。ADHDの治療薬で効果が出たことも確認されたらしいのでお世話になるかもしれぬ。

少子化は是正できない2024年05月05日

総務省は4日、外国人を含む15歳未満の子どもの数が1401万人で、43年続けて減少したと発表した。前年より33万人少なく、総人口に占める割合は0・2ポイント低下して11・3%。人数、割合ともに比較可能な1950年以降最低を更新した。出生数の落ち込みによる少子化の進行がさらに鮮明になった。ここ50年間減り続けている少子化に対し、政府は保険料からも金を吸い上げて子育て支援だと金をばらまくつもりだ。先進国中最悪の子育て施策の我が国が子育て支援に注力することには異論はないし進めるに越したことはない。しかし、子育て環境の充実と出生数を増やすことは、先進国の統計を見ると有意と言えるほどの関連性はなくあまり効果はない。

フランスの多子化政策にはN分N乗税制があげられる。フランスが戦争で減った人口を増やそうと導入した制度だ。世帯の総所得を家族の人数で割り出した「所得」に課税するため、子どもが多いほど税率は低くなる。しかし、増えた子供は移民の子供で今や出生率は1.7を切った。子育て福祉が充実している北欧5か国の合計特殊出生率は、2010年頃から急激に減少しており、2022年には1.6を切っている。結婚年齢の上昇や出生率の低下は文明進化の現象とみる方が潔い。政府は出生数を制度で増やそうとするのは困難だとあきらめ、人口は減り当面は高齢化が進むがやがて収まると考え、人口動態に合わせた社会制度を作っていく方が理にかなっていると思う。

物言わぬ日本2024年05月04日

連休中はどこにもいかず家の中でふわふわしている。昨年までなら孫家族が来て賑やかだったが、渡米してしまったので帰省も叶わない。暇になるとニュースを見る機会が増えるが大谷翔平以外は楽しいニュースは少なく血圧が上がりそうな記事ばかりだ。バイデン米大統領が日本経済が低調なのは「外国人嫌いで、移民を望んでいないためだ」と発言した。これに対し日本政府は「正確な理解に基づかない発言があったことは残念だ」と米側に伝達した。こんなつまらぬニュースがなぜ新聞ネタなのかとも思う。日本政府は他国の言動についてものを言わない。同じ米国ネタでも、3月に米共和党のティム・ウォルバーグ下院議員が、パレスチナ自治区ガザ地区の戦争について「手っ取り早く終わらせるため、長崎や広島のような」爆弾を投下すべきだという発言に外務省は何のコメントも発表しなかった。

亜細亜大の范雲濤教授(61)=中国籍=が昨年2月に、神戸学院大の胡士雲教授も昨年夏に、どちらも中国に一時帰国して消息不明になったが、外務省は個人の人権上に影響があると中国に対し何のコメントもしていない。中国の人権蹂躙に対し一言も言えないのは、中国での日本人拘束でも、ウィグル人の強制労働でも香港の民主化運動弾圧でも同じ態度だ。北朝鮮の日本人誘拐拉致者への対応でも「遺憾」を繰り返すばかりだ。今回のバイデン発言への「残念」コメント程度しか日本政府がメディアへ流す情報がないということだ。残念なのは日本政府と外務省だ。

コーナン2024年05月03日

いつもはガラガラの駐車場が今日は満車に近い。連休後半の昼下がり、コーナンは大繁盛だ。何か特別なものが売れているわけではない、あれこれ商品を見歩いて気にったものを一つ二つ買っていく客がほとんどのようでレジはそんなには込み合わない。ワシは朝顔の栽培に必要なポールを買った。そろそろ植え時だが、ひまわり畑にではかぶってしまうので6月に開花するラベンダーの前に植えることにした朝顔の開花は7~8月なのでラベンダーが終わるころにツルが伸びていくはずだ。

ツルが下に向かうつばめ朝顔やマリーゴールドの種もある。連休が明けたら今のハナビシソウやらマーガレットコスモスを抜いてチューリップの球根を掘り出して夏に向けて庭仕事を始めようかと思う。

円安は悪いのか?2024年05月02日

この間160円につける勢いの円安基調を日銀のせいだとたたく人が多い。市場介入は財務省が指示し日銀が行う。日銀の権限は公定歩合の上げ下げを担当する。日銀が悪いというお説によると、日本の銀行利率が低く、アメリカの銀行金利が高いので、ドルを買って金利で稼ごうという輩が多いのでドルの需要が増え円を売ってドルを買うから円が安くなるという。しかし、為替レートの動きはもっと単純なものだ、円の量からドルの量を割れば1ドルあたりの円価格が出る。円が100兆円あってドルが1兆ドルあれば1ドル100円だ。分母が2兆ドルなら1ドル50円だ。逆に分子の円が200兆円なら1ドル200円だ。この各国の通貨量マネタリーベース比が為替として表れる。

円が安くなるのは国力が落ちたからだという人がいるが、円安円高と国力というような抽象的なものは比較しようがない。15年前の1ドル70円の円高の時、日本の商品は海外に売れず日経平均は1万円を割り込み投資は冷え氷河期と言われる就職難だったことを忘れたのだろうか?しかし、その時々の財務省の保有するドル資産と円の差益還元や為替介入は意味がある。財務省が保有するドルを売れば我が国の財政は潤う。減税もできるし、公共投資も莫大にできる。わが国はある理由で世界一の膨大なドルを保有している。小麦が上がった石油が上がったと大騒ぎする割には、政府が保有するドルを売れと主張するメディアは皆無に近い。

セルフレジ2024年05月01日

連休中でもスーパーマーケットは人が多い。レジにはずらりと人が並んでいる。こういう時はセルフレジ一択となる。スーパー指定のスマホ決済にしようとアプリを見ると更新マークがついている。いつも急いでいるときに限って決済アプリが更新を求めるのはあるあるだ。WIFIがないので更新するのに3分程度かかるのをイライラしながら待つ。やっと更新が終わってバーコードを読みとっていくが、商品によってバーコード位置が違うので探すのに時間がかかり焦る。レジ店員なら慣れているのでスラスラ読み込めるが今日は仕方がない。

やっとバーコードを読み終えて清算しようとすると残高が足りない。昔ならここで現金読み取り機まで行って現金の読み込み手続きをしていたのだが、半年前から貯金口座と連携するようになっていたので助かった。いまだに口座と連携しない店舗があるのだが、そいう店舗は敬遠している。しかし、このスーパーは連携といってもスイカのようにいちいち定額を選択をして増額しないといけない。面倒くさいと思いながら1万円を追加して購入を終えた。セルフなのだからもっとスマートにできないものか。

高校授業料無償化(2)2024年04月30日

公立高校も私立高校も無償化すると経営努力を惜しまぬ私学が生徒を集めてしまい、公立は私学の滑り止めになり、学力の低い生徒が集まりやすい高校は定員割れも起こる。この事態を防ごうと、地方の教育行政は一部の公立高校に特化してサイエンス校だの国際学科だのを設けて学力の高い上澄みの生徒だけを集めようとしてきたが、これに対応した教員人材を集めようとしても私学の資金力には太刀打ちできず、そればかりか各校から有能な人材を引き抜いた結果、平均的な高校の教員人材の質が低下したのは否めない。公立校の教員は私学とは違い、どこで勤務しても給与は同じで、その能力を金銭的に評価はされない。だが、本来公立校の教員は金銭や地位とは関係なく生徒に奉仕するところに意味がある。上澄みだけの生徒を集めて高い知識を授けるだけが学校の役目ではないからだ。

現実的には皆が同じ「学力」になるわけがないし、受験が求める「学力」は能力の一部分でしかない。しかし、この一部分の能力によって進学先や就職先が決まっていくのも現実だ。子弟の将来を考えるならば多くの親が少しでもその可能性を高めようとして、有名大学に進学させる経営努力を正面に打ち出す私学を選ぶのは当然だ。我が家の収入に影響がなければその選択はますます私学に集中にする。こうして高校の一律無料化の施策は、高校の独自色を失わせ一人でも多くの子弟を有名大学に進学させる目的一択になってしまう。しかし、もはやこれは学校ではなく受験学力のスクリーニング機関だ。それならばAI搭載機器で生徒に勉強させる方が効率が良い。教育はかくして崩壊していくとワシは思う。無償化とは税金化であるばかりか税金を使った学校破壊の道でもある。エリート教育は資金に余裕のあるものが受ければいい。金持ち以外の家庭の子弟は受験能力で輪切りされることなく様々な学力や能力を持つ生徒が在籍し、受験能力とは別の能力が見いだされる、ゆったりとした学校環境が必要だ。

高校授業料無償化(1)2024年04月29日

東京都は、高校の授業料を2024年度から所得制限を撤廃して実質無償化した。これについて「九都県市首脳会議」のなかで議論が行われた。「教育は国による統一的な制度設計が基本」「一部の自治体が単独で行い不均衡が生じている」「住んでいる地域によって差がつくべきではない」と近隣自治体の首長は不公平だと批判した。都知事はこれについて「人口1人当たりの一般財源で見ると、都は全国平均と同水準にある」から財源の差ではないと不公平論を退け、他の居住地より出費も多い東京の授業料無償化は緊急焦眉の課題だと一蹴した。すでに国の支援では公立高校授業には年収910万円未満に年間11万8800円が支給され無償だ。私立高校授業料にも年収590万円未満の世帯に最大39万6000円が加算支給されている。ただ、私学の年間授業料は平均70万程度なので全額無償にまでは至っていない。つまり、私学授業費の差額にも東京や大阪などは全額無償化する施策を打ち出したわけだ。

都市圏の私立高校の生徒数は10年程前から公立高校の生徒数を超えようとしている。少子化と無償化施策が公立校生徒数を減らす結果に拍車を掛けているのは間違いない。私学の教育内容が公立より高く支持されているとも言える。今や都市圏の公立高校の多くは有名私学の滑り止めになっているともいえる。学校選択に学費の格差が無くなり努力すれば高い教育内容が手に入るとなれば私学を選ぶ子弟が増えることは自明の理だ。もともと公立学校は低所得家庭の子弟でも後期中等教育が受けられることが目的だ。私学の高い学費は払えぬが、学力の高い子弟に開かれたのが名門公立学校だった。しかし、少子化の中、他校と鎬を削って経営努力を重ねる私学に、競争と無縁の公務員教員が勝てるわけがない。高校教育の無償化はこうした経営格差を浮き彫りにして私立高校の士気の高さが顕在化したともいえる。次回は、行き過ぎた教育の無償化は公教育破壊につながる可能性を述べていきたい。
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