検察官の醜態動画公開2026年07月17日

検察官の醜態動画公開
この事件の本質を一言で言えば、不動産会社と学校法人の間に入り込んだ詐欺師が、双方を巧妙に欺いて21億円をだまし取った事件である。そして、その巧妙なからくりは当事者だけにとどまらず、検察までも虚構の物語へと引き込み、存在しない横領構図をあたかも現実であるかのように描かせてしまった。プレサンスコーポレーション元社長・山岸忍氏の逮捕は、日本の刑事司法が長年抱え込んできた「人質司法」という病を、これ以上なく鮮やかに照らし出した出来事であった。

検察は、学校法人への資金提供を不正な資金流出と位置づけ、その意思決定を主導したとして山岸氏の刑事責任を追及した。しかし、この立件の出発点には、不動産開発の実務に対する根本的な誤解があった。マンション開発では、土地の売主が移転できなければ事業は一歩も進まない。そのため、売主が新たな移転先を確保できるよう、デベロッパーが資金や用地の手当てを行うことは、決して珍しい話ではない。むしろ円滑に事業を進めるための、ごく常識的な実務である。

ところが検察は、この資金の流れだけを切り取り、「横領」という筋書きを組み立てた。しかし、その物語を支えるべき肝心の事実は驚くほど乏しい。山岸氏に私的利益が還流したことを示す客観的証拠は見当たらず、資金の流れを超えて横領の故意を裏付ける証拠も十分には示されなかった。それにもかかわらず、「資金が動いた」という事実だけが肥大化し、「横領」という言葉だけが独り歩きしたのである。

その物語を支えた証拠もまた心許ない。山岸氏の関与を直接示す客観的証拠は乏しく、捜査は密室で形成された供述に大きく依存した。法廷で公開された取調べ映像には、検察官が怒声を浴びせ、被疑者を心理的に追い詰める様子が映っていた。あれを見て、論理で人を説得していると思う者は少ないだろう。威圧によって供述を形づくろうとする姿は、法治国家というより、筋書きを先に決めて役者に台詞を言わせる芝居小屋を思わせる。本来なら証拠があって身体拘束が許されるべきなのに、この事件では身体拘束によって証拠を探そうとしているかのようだった。法の順序が、見事に逆立ちしていたのである。

さらに検察は、山岸氏らが会社や弁護士とともに行った尋問対策の協議メモを見つけて「証拠隠滅の教唆」と位置づけた。しかし、不当な嫌疑をかけられたと考える者が会社や弁護士と相談し、取調べへの備えをすることは、防御権そのものである。動画はこのメモの作成動機をめぐっての詰問だった。法が保障した権利を犯罪の兆候に読み替えるなら、誰も安心して弁護士に相談できなくなる。大川原化工機事件でも、「まず結論ありき」で証拠を後から当てはめようとした捜査が破綻した。本件もまた、その延長線上にあるように見えてならない。

プレサンス事件では、会社側は当初、検察と正面から争わず、早期収束を期待した。しかし、人質司法という病に対して沈黙は万能薬ではない。密室で進む捜査には、報道により世論という光を当てなければならない。近年ようやく取調べの録画や内部告発によって、刑事司法の密室にも風が通い始めた。「証拠なくして人を拘束してはならない」という、民主国家ではあまりにも当然の原則が、ようやく現実の司法でも語られ始めたのである。

にもかかわらず、事件全体を振り返る報道は、山岸氏の冤罪には光を当てても、その立件の過程で重要な位置を占めたK氏の事件にはほとんど踏み込まない。公開された取調べ映像を見れば、強い心理的圧力の下で供述が形成される危うさは誰の目にも明らかである。K氏の事件についても、その供述形成の過程や有罪認定の根拠が十分検証されているとは言い難い。事件を本当に検証するというなら、そこまで掘り下げなければ片手落ちであろう。司法を監視する最後の砦は裁判所だけではない。事実を掘り起こし、密室に光を当て続ける報道もまた、その重い責任を負っているのである。

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