PECS40周年2025年09月29日

PECS40周年
Picture Exchange Communication System、通称PECS。絵カードを使って自閉症児が自分の意思を相手に伝えるための支援技法は、1985年に米国で生まれた。今年で40周年を迎えたこの仕組みは、いまや単なる補助ツールを越え、世界の自閉症教育と福祉を揺さぶり続けている。 PECSの核心は、子どもが「自ら意思を表す権利」を持つという点にある。支援者が子どもの声をどう引き出すのか、その姿勢を根底から変えてしまうのだ。だからこそPECSは単なる技術ではなく、制度と理念のあり方を問い直す「鏡」となってきた。

その象徴が香港である。国家安全法の導入で教育は徹底的に再編され、愛国教育が義務化される一方、2023年の教育局ガイドライン(日本の学習指導要領にあたる)にはPECSの名前が堂々と残っている。理念の部分は中国本土の色に染まっても、現場は実用的な技術を手放さない。「制度的二重性」と呼ぶべきこの現象は、政治がどれだけ理念を押し付けても、現場が生き残るための技術を確保しようとするリアリズムを物語る。

欧米もまたPECSを“当たり前”にしている。アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、イタリア——いずれも教育行政文書に明記し、専門職制度と実証研究に基づいて制度化してきた。PECSはAAC(補助・代替コミュニケーション)の中心的技法として「制度のお墨付き」を得ているのである。

では日本はどうか。答えは痛烈だ。文科省の特別支援教育文書には「合理的配慮」「個別の教育支援計画」といった耳障りのよい理念が並ぶものの、PECSやABAなど具体的な技法は一切出てこない。理念に酔い、抽象に逃げ、具体を避ける——これが日本の行政の体質だ。その結果、2010年代に熱心な教師たちが現場で導入したPECSは、異動や管理職の無理解で継承されず、いまや火種は消えかけている。

しかも問題は文科省だけにとどまらない。幼児療育を所管する厚労省も同じ穴のムジナだ。理念の看板は掲げるが、技術の制度化は避ける。現場は補助金の枠組みと書類作成に縛られ、肝心の支援技法は「現場次第」。その結果、PECSの波及はきわめて低調であり、日本の自閉症児療育は、支援者個人の努力と裁量に過度に依存する危うい構造のまま放置されている。制度が子どもを支えるどころか、制度が子どもを見捨てているのだ。

PECS40周年は、一つの技術が制度を越えて生き残り、制度を逆に変えていく力を持つことを雄弁に示している。香港に見る「政治と技術のねじれ」、欧米における「制度化の成功」、そして日本に漂う「理念偏重と制度不全」——この三者を並べると、日本の遅れがどれほど深刻かが浮き彫りになる。

理念を振りかざすだけの空疎な行政から、実証的技術を制度として位置づける本物の改革へと踏み出せるかどうか。PECSの歩みは、教育と福祉の制度的成熟を測るリトマス試験紙である。そして日本の現状は、その試験紙に「制度不全の象徴」として鮮烈に記録されてしまっている。

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