東海林風イス・レバ停戦2026年04月19日

レバノン・イスラエル停戦
今回のレバノン=イスラエル停戦というのは、長年ぐつぐつ煮えていた大鍋のシチューを、とりあえず火から少し離したようなものらしい。吹きこぼれは止まったが、鍋底には黒焦げの層が地層のように積み重なり、スプーンでこそげ落とそうとすると鍋が「やめてくれよ」と悲鳴を上げそうだ。まあ、まずは火が弱まっただけでもありがたい。そんな停戦であるらしい。そもそも南レバノンという場所は、昔から国家の手が届きにくい“冷蔵庫の奥のタッパー”みたいなところで、気づけば賞味期限の切れた煮物、謎の漬物、誰が入れたか分からない茶色い液体が眠っている、あの開けた瞬間に鼻が曲がる感じだ。オスマン帝国の頃からシーア派住民は冷遇され、フランス委任統治期には国境線がまるでサンドイッチの具のように適当に挟まれ、独立後の宗派配分制では完全に端っこ扱い。つまり、冷蔵庫の奥のタッパーとなり、蓋も外れて悪臭を放っていたわけだ。

そこへ、ヨルダンで大喧嘩を起こして追い出されたPLOという“巨大鍋の残り物”が、熱々のままレバノンに押し込まれた。冷蔵庫は狭いのに、いきなり巨大鍋がドンと入ってきたのだから、そりゃあ中は大混乱だ。PLOは隅っこで治外法権状態の南レバノンで勝手に唐辛子を刻み始め、イスラエルに向かって辛味をぶん投げる。イスラエルは怒って鍋をひっくり返しに来る。レバノン政府は「まあ、そのうち味が落ち着くでしょ」と冷蔵庫を閉めるだけ。台所全体が無法地帯になった。そして、この混乱の匂いを真っ先に嗅ぎつけたのが、遠く離れた“料理大国イラン”である。地理的には従妹、又従弟の先ぐらい遠いのに、なぜか台所の匂いだけは敏感に嗅ぎつける。しかもこの料理大国、ただの料理人ではない。「イスラエルの鍋は焦がして捨てるべきだ」という、やたら物騒な料理哲学を抱えたスパイス至上主義国家だ。

イランは巨大な鍋つかみとスパイス袋を抱えて登場し、「あらまあ、この台所はひどいわね」と勝手に鍋をかき回し始める。ヒズボラという“出張料理人チーム”まで送り込み、冷蔵庫の奥のタッパーを洗い、鍋の焦げを落とし、台所を仕切り、壊れた家を直し、病院や学校という味噌汁まで作り始める。だが、このチームの料理の最終目的が「イスラエルの鍋をひっくり返すこと」なので、やたらとスパイスが辛い。辛いどころか、火薬みたいな香りがする。ヒズボラのミサイル庫など、まるで“唐辛子の樽”を積み上げたようなものだ。大家のレバノンとしては迷惑この上ないが、大家というのは一度住み込まれてしまうと立場が弱い。何せ向こうは唐辛子を大量に抱えたならず者料理人だ。せいぜい「ご近所に迷惑なんで、もう少し静かにしてくれませんか」程度しか言えないらしい。

イスラエルから見れば、これは完全に「隣の家の台所に、遠くの親戚が勝手に入り込み、しかも鍋を爆発させようとしている」状態である。イスラエルはイスラエルで、鍋のフタを押さえ、火加減を調整し、時にはイランの料理人が持ち込んだ“怪しいスパイス瓶”を叩き落とす。どちらも「自分の台所を守っている」つもりなのだ。こうして南レバノンは、「国家の不在」「外部勢力の介入」「イランの暴走スパイス哲学」という三つの具材が、鍋の中でぐちゃぐちゃに混ざり合ったシチューのような、ややこしい地域になってしまった。今回の停戦は、その鍋の火をとりあえず弱め、吹きこぼれを止めたようなものだ。静かになったのは確かだし、台所の人々もホッとした。しかし、鍋底の焦げはそのまま。冷蔵庫の奥のタッパーもまだ怪しい。レバノン政府が本気で片づけをしない限り、またいつ騒ぎが起きてもおかしくない。

それでも今回の停戦は、「まずは火を弱めた」「まずは台所を静かにした」という意味で、大きな一歩だ。焦げもタッパーも一度に全部は片づかない。まずは息をつく時間ができた――その価値は、決して小さくない。

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