ホンダEV軽Super-ONE2026年04月12日

ホンダEV軽Super-ONE
ホンダが発表したEV軽「Super-ONE」。未来の軽を標榜するその一台は、しかし皮肉にも、同社が積み上げてきた価値を自ら打ち消す存在に映る。航続距離は実質200km前後、価格はN-BOXの倍近い水準。そして極めつけが、“擬似エンジン音”や“フェイクシフト”といった演出である。本来、効率を突き詰めるべきEVで、あえてガソリン車の感覚を模倣し、電力を消費する。この発想の転倒は看過できない。静粛性や市街地での扱いやすさといったEVの利点を否定するものではない。だがそれは、価格や航続距離といった基礎性能が成立して初めて意味を持つ価値である。土台が曖昧なまま“体験”だけを上乗せしても、それは本質の代替にはならない。

対照的なのが、N-BOXという超人気軽の要因だ。広さ、使い勝手、取り回し、そして価格。軽自動車に求められる要素を徹底的に研ぎ澄まし、「何を足すか」ではなく「何を削るか」で完成度を高めてきた。その結果としてのヒットであり、そこに余計な演出はない。しかし、このクルマの価値は実用性だけにとどまらない。軽でありながら、ホンダのターボエンジンがもたらす余裕ある加速と、高速合流でも不足を感じさせないトルク感——この“走りの質”こそが、若年層を含めた支持のもう一つの理由である。単なる移動手段ではなく、「走れる軽」であることに意味がある。

Super-ONEは、その根幹を切り捨てた。エンジンという物理的裏付けを失い、その代わりに持ち込まれたのが擬似音と疑似変速という“演出”である。だがそれは走りの代替にはならない。むしろ、ホンダが本来持っていた技術的魅力を、自ら薄める結果になっている。すなわち、N-BOXが体現してきた「削って磨く思想」と、「技術で走りを支える価値」を、Super-ONEは同時に裏切っているのである。

この違和感は一車種にとどまらない。かつてNissanは、日産リーフでEVの先陣を切りながら、開発の重心を偏らせ、「技術の日産」という看板を自ら曇らせていった。EV偏重が全体の競争力を削ぐという構図は、決して他人事ではない。足元の数字も象徴的だ。ホンダは約6900億円、日産は約6500億円の赤字を計上した。内訳の違いを論じることに意味はない。重要なのは、戦略の焦点を誤ったとき、本来の強みが静かに失われていくという事実である。

さらに見逃せないのは、経営と技術の距離だ。本田宗一郎が体現した「技術で勝つ」という思想から見れば、擬似音やフェイクシフトに電力を割く発想はあまりに遠い。技術とは、本来“削る”ことで本質を際立たせるもののはずだ。ホンダが世界で戦える領域は明確である。ハイブリッドだ。エンジン、モーター、制御を一体で磨き上げるこの分野こそ、同社の真骨頂であるはずだ。にもかかわらず、その延長線ではなく、演出に依存したEVに軸足を移すのであれば、それは進化ではなく逸脱に近い。

Super-ONEは未来の軽なのか。それとも、ホンダが積み上げてきた価値を自ら打ち消す転換点なのか。少なくとも言えるのは、軽であっても「走り」は失ってはならないということだ。その本質を外した瞬間、どれだけ演出を重ねても、クルマの魅力は戻らない。