金利を上げろ病? ― 2026年05月01日
円安である。物価高である。スーパーへ行けば、キャベツの前で腕組みをする人が増え、レジ前では「これ戻します」が静かな流行語になっている。豆腐売り場では三つ入りと二つ入りを見比べ、卵の前で十秒ほど沈黙する人もいる。家計というものは、景気の会議室ではなく、冷蔵庫の前で判断される。こうなると世間は単純明快な言葉を欲しがる。「金利を上げろ」である。
しかしその議論、どこか噛み合わない。虫歯で頬を押さえている人に向かって、「目薬だ、目薬がいちばん効く」と皆が声をそろえているようなものだ。ひとりが言い出し、ふたりがうなずき、三人目あたりからは疑う者のほうが非常識な顔をされる。痛いのは口の中なのに、議論だけが眼科へ向かって走り出す。世間では、ときどきこういう誤診が起きる。
今回の物価高は、原油高、物流混乱、海外金利、地政学と、外から飛んでくる羽虫が多い。こちらが団扇であおいでも、なかなか帰ってくれない。そこへ日本だけ0.25%、0.5%と金利を上げたところで、3%もある日米金利差の大河に、コップ一杯の水を注ぐようなものだ。川幅は変わらない。それなのに「これで円高だ」と言う。天気予報で傘を一本振ったら台風が曲がる、と言うくらい頼もしい話である。
しかも金利を上げれば、銀行は日銀当座預金に利息がつく。何十兆円という残高に、ぺたりと利率が貼られる。こちらは住宅ローンの金利上昇に眉をしかめ、あちらは何もしなくても受取利息が増える。努力賞ならぬ制度賞である。表彰状の文面を見たい。「右、特段の汗もかかず収益増大につき、ここにこれを賞す」。ついでに紅白のリボンも付けていただきたい。
一方で減税の話は進まず、社会保険料はじわりと上がる。給料明細を見ると、春の陽気なのに財布の中だけ北風が吹いている。そのうえ金利まで上げるとなれば、家計は三方向から戸を閉められる。消費者は外食を一回減らし、旅行を見送り、洗濯機の買い替えを来年にする。町のとんかつ屋は昼の客が一人減り、商店街の電器屋は展示品の前で腕を組む時間が増える。景気というのは、こうして静かに、しかし確実にしぼむ。
本来なら、円安もコスト高も使いようである。輸入に頼りすぎた産業を見直し、国内投資を増やし、観光で稼ぎ、賃金を上げ、地方に仕事を回す。逆風の日こそ、帆船をエンジン船に替える好機ではないか。ところが議論はいつも「次の会合で上げるか、据え置くか」。台所の床が抜けているのに、蛇口の閉め方ばかり相談している。床下から風が入ってきても、会議はなお続く。
思い出すのは失われた30年である。景気が上向きかけると、どこからともなく冷や水が運ばれてきた。今回もまた、せっかく灯いた種火に向かって「火事になると困るから消しておこう」と水をかけるつもりらしい。そしてそのあとで、「なぜ寒いのだろう」と首をかしげるのである。
経済というのは、体温計の数字だけ見て健康になるものではない。飯を食い、働き、稼ぎ、使い、また明日も頑張ろうと思えることが大事だ。そこを忘れて虫歯に目薬をさし続けていると、そのうち財布の中から木魚の音がしてくる。南無阿弥陀仏、と小銭が鳴る。
しかしその議論、どこか噛み合わない。虫歯で頬を押さえている人に向かって、「目薬だ、目薬がいちばん効く」と皆が声をそろえているようなものだ。ひとりが言い出し、ふたりがうなずき、三人目あたりからは疑う者のほうが非常識な顔をされる。痛いのは口の中なのに、議論だけが眼科へ向かって走り出す。世間では、ときどきこういう誤診が起きる。
今回の物価高は、原油高、物流混乱、海外金利、地政学と、外から飛んでくる羽虫が多い。こちらが団扇であおいでも、なかなか帰ってくれない。そこへ日本だけ0.25%、0.5%と金利を上げたところで、3%もある日米金利差の大河に、コップ一杯の水を注ぐようなものだ。川幅は変わらない。それなのに「これで円高だ」と言う。天気予報で傘を一本振ったら台風が曲がる、と言うくらい頼もしい話である。
しかも金利を上げれば、銀行は日銀当座預金に利息がつく。何十兆円という残高に、ぺたりと利率が貼られる。こちらは住宅ローンの金利上昇に眉をしかめ、あちらは何もしなくても受取利息が増える。努力賞ならぬ制度賞である。表彰状の文面を見たい。「右、特段の汗もかかず収益増大につき、ここにこれを賞す」。ついでに紅白のリボンも付けていただきたい。
一方で減税の話は進まず、社会保険料はじわりと上がる。給料明細を見ると、春の陽気なのに財布の中だけ北風が吹いている。そのうえ金利まで上げるとなれば、家計は三方向から戸を閉められる。消費者は外食を一回減らし、旅行を見送り、洗濯機の買い替えを来年にする。町のとんかつ屋は昼の客が一人減り、商店街の電器屋は展示品の前で腕を組む時間が増える。景気というのは、こうして静かに、しかし確実にしぼむ。
本来なら、円安もコスト高も使いようである。輸入に頼りすぎた産業を見直し、国内投資を増やし、観光で稼ぎ、賃金を上げ、地方に仕事を回す。逆風の日こそ、帆船をエンジン船に替える好機ではないか。ところが議論はいつも「次の会合で上げるか、据え置くか」。台所の床が抜けているのに、蛇口の閉め方ばかり相談している。床下から風が入ってきても、会議はなお続く。
思い出すのは失われた30年である。景気が上向きかけると、どこからともなく冷や水が運ばれてきた。今回もまた、せっかく灯いた種火に向かって「火事になると困るから消しておこう」と水をかけるつもりらしい。そしてそのあとで、「なぜ寒いのだろう」と首をかしげるのである。
経済というのは、体温計の数字だけ見て健康になるものではない。飯を食い、働き、稼ぎ、使い、また明日も頑張ろうと思えることが大事だ。そこを忘れて虫歯に目薬をさし続けていると、そのうち財布の中から木魚の音がしてくる。南無阿弥陀仏、と小銭が鳴る。