対岸の家事 ― 2025年06月05日
ドラマ『対岸の家事~これが、私の生きる道!~』が終わった。働く既婚女性の別姓問題や育児、夫の育休取得などが議論される今、あえて“専業主婦”の視点から描かれたこのドラマは新鮮だった。一般的に「専業主婦=ゆったりした生活」というイメージがあるが、現実はそう単純ではない。乳幼児と日々向き合い、ママ友の集まりに行っても周囲の大半は働く母親。自分は少数派だと感じ、孤独感に包まれる——そんな日常が丁寧に描かれていた。主人公・詩穂(多部未華子)は、美容師と家事育児の両立は自分には難しい、と自覚している。何事もゆっくり丁寧に取り組みたいからこそ、主婦という生き方を選んだ。隣室に住むキャリアママ・礼子(江口のりこ)は、仕事に家事、保育所の送り迎えに追われる毎日。そんな中で、のんびりと子育てに向き合う詩穂を羨ましく思い、ついには仕事も手放そうと迷い始める。一方、厚労省官僚の育休パパ・達也(ディーン・フジオカ)は、かつて自分をエリート教育で縛った専業主婦の母にトラウマを抱えている。彼は「現代女性は国家の重要な働き手、専業主婦は時代遅れ」と詩穂に共働きの道を勧めるが、詩穂の揺るがない姿勢に戸惑う。それでも3人はママ友・パパ友として支え合い、互いの違いを受け入れながら関係を築いていく。
礼子は、会社では“働く女性のロールモデル”としてもてはやされるが、詩穂の「自分らしく生きることが大切」という言葉に揺れる。自分は本当に“自分らしく”生きているのか。家族を犠牲にしてでも好きな仕事を選び続けることに、疑問を持ち始めるのだ。詩穂にもまた、複雑な過去がある。早くに亡くなった専業主婦の母の影を追い、父子家庭となったあと、ヤングケアラーとして家事を担っていた日々があった。やがて耐えられず、父を置いて家を出た罪悪感がある。ドラマは一貫して“家事”を中心に描かれている。育児の大変さも喜びも、そこにある日常の積み重ねとして映し出されていた。
私自身、家事も仕事も両立しようと夫婦で頑張ってきたつもりだ。でも、このドラマを見て、気づかされたことがある。私たちは何を犠牲にしてきたのだろうと。道ばたの花を子どもと一緒に眺めたり、他愛のない会話を交わした記憶が、ほとんどない。夏休みに家族ぐるみで遊びに行った記憶はあっても、日常の小さな時間が思い出せないのだ。家事も仕事も日常であり、その積み重ねこそが“人生”を形作っている。専業主婦は楽で恵まれている、そんなふうに思ったこともあった。でも、よくよく考えれば、それぞれの事情や条件がある。発達障害のある子を育てる母親のように、働きたくてもフルタイムでは働けない家庭もある。専業主婦だからといって、必ずしも“恵まれている”わけではないのだ。
第3号被保険者、専業主婦の年金問題もよく話題にのぼる。「納付していないのに年金を受け取るのは不公平」という声もある。共働きで働く女性は、家事・育児をしながら保育料、保険料、年金と負担しているのだから、と。確かに、夫の扶養に入れば保険料負担もなく、税控除などの恩恵もある。年収500万円の3人家族なら、単身者よりも月1万円ほど可処分所得が増える計算だ。これは、専業主婦が月1万円、免除されている社会保険の2万円程を加算しても月3万円で家事・育児をしているとも言える。しかも、子育て支援策は“共働き”を前提に設計されていることが多く、専業主婦家庭には支援が少ないのが現実だ。年金の支給額にしても、厚生年金は収入に比例しており、単純に専業主婦の方が得をしているとは言えない。制度設計を精査すれば、それぞれの立場に見合った仕組みになっているとも言える。
結局、専業主婦も共働きも、何かを選べば何かを手放す。
大切なのは「自分らしく生きる」こと。そしてその選択を、他人と比べずに尊重し合える社会をつくることだろう。……なんて、年金生活に入ってしまった今となっては、少し手遅れかもしれないけれど。
礼子は、会社では“働く女性のロールモデル”としてもてはやされるが、詩穂の「自分らしく生きることが大切」という言葉に揺れる。自分は本当に“自分らしく”生きているのか。家族を犠牲にしてでも好きな仕事を選び続けることに、疑問を持ち始めるのだ。詩穂にもまた、複雑な過去がある。早くに亡くなった専業主婦の母の影を追い、父子家庭となったあと、ヤングケアラーとして家事を担っていた日々があった。やがて耐えられず、父を置いて家を出た罪悪感がある。ドラマは一貫して“家事”を中心に描かれている。育児の大変さも喜びも、そこにある日常の積み重ねとして映し出されていた。
私自身、家事も仕事も両立しようと夫婦で頑張ってきたつもりだ。でも、このドラマを見て、気づかされたことがある。私たちは何を犠牲にしてきたのだろうと。道ばたの花を子どもと一緒に眺めたり、他愛のない会話を交わした記憶が、ほとんどない。夏休みに家族ぐるみで遊びに行った記憶はあっても、日常の小さな時間が思い出せないのだ。家事も仕事も日常であり、その積み重ねこそが“人生”を形作っている。専業主婦は楽で恵まれている、そんなふうに思ったこともあった。でも、よくよく考えれば、それぞれの事情や条件がある。発達障害のある子を育てる母親のように、働きたくてもフルタイムでは働けない家庭もある。専業主婦だからといって、必ずしも“恵まれている”わけではないのだ。
第3号被保険者、専業主婦の年金問題もよく話題にのぼる。「納付していないのに年金を受け取るのは不公平」という声もある。共働きで働く女性は、家事・育児をしながら保育料、保険料、年金と負担しているのだから、と。確かに、夫の扶養に入れば保険料負担もなく、税控除などの恩恵もある。年収500万円の3人家族なら、単身者よりも月1万円ほど可処分所得が増える計算だ。これは、専業主婦が月1万円、免除されている社会保険の2万円程を加算しても月3万円で家事・育児をしているとも言える。しかも、子育て支援策は“共働き”を前提に設計されていることが多く、専業主婦家庭には支援が少ないのが現実だ。年金の支給額にしても、厚生年金は収入に比例しており、単純に専業主婦の方が得をしているとは言えない。制度設計を精査すれば、それぞれの立場に見合った仕組みになっているとも言える。
結局、専業主婦も共働きも、何かを選べば何かを手放す。
大切なのは「自分らしく生きる」こと。そしてその選択を、他人と比べずに尊重し合える社会をつくることだろう。……なんて、年金生活に入ってしまった今となっては、少し手遅れかもしれないけれど。