ボルボの馘首とEUの過信 ― 2026年10月24日
ボルボが世界で約2500人の人員削減に踏み切る。そのうち約2000人は本国スウェーデンである。人口規模で換算すれば、日本なら2万人超の人員削減に近い大量馘首だ。経営陣は中国市場の低迷や関税問題、事業環境の変化を理由に挙げる。しかし企業が苦境に陥るたびに登場する説明はだいたい同じだ。「構造改革」「事業転換」「市場環境の変化」。どれも間違いではないが、最後に代償を支払う人物の名前は隠されている。請求書を渡されるのは現場の従業員である。経営戦略の失敗は難解な経営用語に化け、解雇通知となって届く。今回の人員削減もまた、一企業のリストラというより、欧州自動車産業が抱いた二つの幻想の清算と見るべきだろう。
第一の幻想は、脱炭素を掲げれば世界が予定表どおりEVへ移行するという発想である。もちろんEVそのものが失敗だったわけではない。充電設備は増え、電池性能も向上した。しかし技術の進歩と、根本的な制約の解消は別問題だ。とりわけ寒冷地では、バッテリー性能の低下と暖房による電力消費という課題が今も残り劇的な解決には至っていない。北欧の長い冬に航続距離は縮み、利用者は暖房の使用さえ気にしなければならない。未来の技術は魅力的だが、消費者は未来に住んでいるわけではない。今日、便利で安心して使えるかどうかで判断する。政策担当者は未来から現在を眺めるが、消費者は現在から未来を眺める。その違いを見誤れば市場は動かない。
ところがEUは市場や技術の成熟を待つより先に結論を決めた。脱炭素という目標から逆算し、事実上EVを勝者として扱ったのである。本来、どの技術が生き残るかは競争が決める。企業が失敗し、改良し、価格を下げ、消費者が選ぶ。その過程で技術は磨かれる。ところが欧州は競争の結果を待たず、思想と政策で勝者を指名した。計画経済が繰り返し失敗したのは、市場より賢い計画担当者が存在しなかったからだ。それにもかかわらず、欧州は自分たちだけは例外になれると思ったらしい。しかし市場は命令を聞かなかった。市場には投票箱はないが、消費者には財布がある。そして財布はしばしば政策より正直である。
第二の幻想は、中国という巨大市場への期待だった。欧州メーカーはその規模に魅了され、現地生産や技術協力を進めてきた。しかし中国は単なる顧客ではない。国家主導で産業を育成し、自国企業を競争力ある存在へ押し上げるためなら技術も盗む権威主義国家でもある。外国企業が技術を持ち込み、中国企業が経験を蓄積し、やがて競争相手となる。この構図は日本企業も経験してきた。さらに皮肉なのは、EVシフトを進めるほど中国依存も深まったことだ。電池や重要鉱物の精錬など供給網の要所には中国が座っている。脱中国を唱えながら、中国なしでは脱炭素政策を進められない。石油依存から脱却すると宣言しながら、新たな依存先へ駆け込んでいたようなものだった。
しかもボルボ自身は現在、中国の吉利グループ傘下にある。中国市場の成長に期待し、中国資本の傘下に入り、その中国市場の競争激化に苦しむ。なかなか皮肉な事業計画である。かつて成長の象徴だった市場が、今では利益を圧迫する側に回った。その事実は、グローバル化が常に相互利益をもたらすという楽観論の危うさを物語る。欧州は市場開放と相互利益を信じた。しかし国際競争は道徳教育ではない。どの国も自国の利益を追求し、企業を育て、産業を守る。こちらだけが理想を語っても、相手まで同じ理想を共有してくれる保証はない。欧州は市場規模に酔い、中国は産業育成に集中した。その結果、理想を語った側より現実を見ていた側が力をつけたのである。
ボルボの2500人削減は、単なる業績不振のニュースではない。脱炭素の理想を技術の現実より先に置いたこと。そして巨大市場への期待を警戒心より優先したこと。その二つの過信が招いた結果である。環境政策は産業政策の代用品ではない。巨大市場は利益の保証人でもない。有望な技術への投資と、その技術に会社の命運を賭けることも別である。ボルボは長年、安全で頑丈な車を作ることで評価を築いてきた。しかし企業に本当に必要なのは、衝突試験に耐える車だけではない。流行や政治目標、市場幻想との衝突にも耐えられる経営戦略である。車の衝突試験には合格できても、経営戦略の衝突試験には不合格だったらしい。そして理想を語った政治家も、戦略を描いた経営者も職を失わない。脱炭素グローバリズムが振り出した手形を、最後に現金で支払わされたのは現場の労働者だったのである。
第一の幻想は、脱炭素を掲げれば世界が予定表どおりEVへ移行するという発想である。もちろんEVそのものが失敗だったわけではない。充電設備は増え、電池性能も向上した。しかし技術の進歩と、根本的な制約の解消は別問題だ。とりわけ寒冷地では、バッテリー性能の低下と暖房による電力消費という課題が今も残り劇的な解決には至っていない。北欧の長い冬に航続距離は縮み、利用者は暖房の使用さえ気にしなければならない。未来の技術は魅力的だが、消費者は未来に住んでいるわけではない。今日、便利で安心して使えるかどうかで判断する。政策担当者は未来から現在を眺めるが、消費者は現在から未来を眺める。その違いを見誤れば市場は動かない。
ところがEUは市場や技術の成熟を待つより先に結論を決めた。脱炭素という目標から逆算し、事実上EVを勝者として扱ったのである。本来、どの技術が生き残るかは競争が決める。企業が失敗し、改良し、価格を下げ、消費者が選ぶ。その過程で技術は磨かれる。ところが欧州は競争の結果を待たず、思想と政策で勝者を指名した。計画経済が繰り返し失敗したのは、市場より賢い計画担当者が存在しなかったからだ。それにもかかわらず、欧州は自分たちだけは例外になれると思ったらしい。しかし市場は命令を聞かなかった。市場には投票箱はないが、消費者には財布がある。そして財布はしばしば政策より正直である。
第二の幻想は、中国という巨大市場への期待だった。欧州メーカーはその規模に魅了され、現地生産や技術協力を進めてきた。しかし中国は単なる顧客ではない。国家主導で産業を育成し、自国企業を競争力ある存在へ押し上げるためなら技術も盗む権威主義国家でもある。外国企業が技術を持ち込み、中国企業が経験を蓄積し、やがて競争相手となる。この構図は日本企業も経験してきた。さらに皮肉なのは、EVシフトを進めるほど中国依存も深まったことだ。電池や重要鉱物の精錬など供給網の要所には中国が座っている。脱中国を唱えながら、中国なしでは脱炭素政策を進められない。石油依存から脱却すると宣言しながら、新たな依存先へ駆け込んでいたようなものだった。
しかもボルボ自身は現在、中国の吉利グループ傘下にある。中国市場の成長に期待し、中国資本の傘下に入り、その中国市場の競争激化に苦しむ。なかなか皮肉な事業計画である。かつて成長の象徴だった市場が、今では利益を圧迫する側に回った。その事実は、グローバル化が常に相互利益をもたらすという楽観論の危うさを物語る。欧州は市場開放と相互利益を信じた。しかし国際競争は道徳教育ではない。どの国も自国の利益を追求し、企業を育て、産業を守る。こちらだけが理想を語っても、相手まで同じ理想を共有してくれる保証はない。欧州は市場規模に酔い、中国は産業育成に集中した。その結果、理想を語った側より現実を見ていた側が力をつけたのである。
ボルボの2500人削減は、単なる業績不振のニュースではない。脱炭素の理想を技術の現実より先に置いたこと。そして巨大市場への期待を警戒心より優先したこと。その二つの過信が招いた結果である。環境政策は産業政策の代用品ではない。巨大市場は利益の保証人でもない。有望な技術への投資と、その技術に会社の命運を賭けることも別である。ボルボは長年、安全で頑丈な車を作ることで評価を築いてきた。しかし企業に本当に必要なのは、衝突試験に耐える車だけではない。流行や政治目標、市場幻想との衝突にも耐えられる経営戦略である。車の衝突試験には合格できても、経営戦略の衝突試験には不合格だったらしい。そして理想を語った政治家も、戦略を描いた経営者も職を失わない。脱炭素グローバリズムが振り出した手形を、最後に現金で支払わされたのは現場の労働者だったのである。