歪んだモンゴル火災報道 ― 2026年10月31日
モンゴル東部のヌムルグ自然保護区で大火災が起きた。焼失面積は約50万ヘクタール。東京都の面積のおよそ2.3倍にあたるという。草原が燃えたというより、地平線そのものが焦げたと言った方が早い。ところが世の中というのは不思議なもので、草原がどう燃えたかより、誰を叩けば気が済むかの方に関心が向くらしい。火災発生の報を聞くや否や、「日本のKDDI子会社の車から出火」との見出しが躍り、「また日本企業か」「早く謝れ」の大合唱が始まった。人類は火を消す技術より先に、誰かを犯人にする技術だけは磨いてきたらしい。
謝るのは実に簡単だ。頭を下げればよい。深々と、できれば九十度。カメラの前に並び、「誠に申し訳ございませんでした」と言えば絵になる。司会者も深刻そうな顔で頷けるし、評論家も「けしからんですね」と言うだけで一日分の仕事になる。なにしろ謝罪には専門知識がいらない。現場を見ていなくても語れるし、事情を知らなくても憤れる。しかし、事実関係が一枚も揃わないうちから頭だけ下げさせようとするのは、診察前に手術を始めるようなものだ。患者が誰かも分からないのに、メスだけが立派に磨かれている。
今回、現場にいた日本人はモビコムの越智CEO一人だった。モビコムはKDDIの出資先である一方、モンゴルの法律に基づいて設立され、現地の法令や監督の下で運営される企業である。熊本の半導体工場で火災が起きたとして、「TSMC本社の責任者を呼べ」と台北へ駆け出す人がいるだろうか。普通はいない。いたら消防署より先に病院の場所を教えられるだろう。しかも今回の訪問は、モンゴル側の国境港湾局の要請と許可に基づくものだった。車列は計5台で13名。モビコム側の車両2台7名に加え、当局側の車両3台6名が先導と後方支援を担ったという。どう見ても日本人一人が探検隊長を務めていた図ではない。
ならば問うべきは別のところにある。誰が視察を企画し、誰がルートを決め、誰が安全管理を担ったのかということである。乾燥した草原へ車列を連ねて入るのである。遠足ですら引率の先生がいるのに、役人も警備関係者も揃っていて「誰が責任者か分かりません」では話にならない。寿司屋へ入って板前が見当たらないくらい落ち着かない。車両の火災対策はどうなっていたのか。消火手段は準備されていたのか。誰が最終判断を下したのか。当のモンゴル政府も調査を進め、首相自ら関係当局の責任を含めて検証を指示している。つまり現地では、いま虫眼鏡を持って事実を探している最中だという。管理のため誘導していた政府職員に聞けばすぐにわかるような話にもかかわらずだ。
ところが、その横では別の催しが始まっている。中華系メディア発の情報が流れ、日本企業の責任を印象づける見出しや憶測が広がった。複数の媒体が同じ内容を報じても、出所が一つなら証拠が増えたことにはならない。同じ話を十人で回し読みしても、新しい事実が十個生まれるわけではない。にもかかわらず、転載を重ねるうちに憶測は既成事実の顔をし始める。まるで楽譜も配られていないのに大合唱だけ始まった町内会のカラオケ大会である。誰も歌詞を知らないのに声量だけは立派だ。もちろん被害は深刻であり、環境回復への支援は惜しむべきではない。しかし、支援することと犯人扱いすることは別問題である。善意と責任論を一緒の鍋で煮込めば、だいたいろくな料理にならない。
昔の子供は「ごめんちゃいで済むなら警察はいらない」と言ったものだが、案外これは真理である。車両から発煙したことは分かっている。しかし、当局側の誘導管理のもとなぜ発煙し草原に燃え移ったのか。そして視察全体の安全管理に誰が責任を負っていたのか。まだ調べるべきことは山ほど残っている。頭を下げることはいつでもできる。今日でも明日でも来週でも間に合う。だが事実の確認には時間がかかるらしい。全員生還し誘導した現地政府職員がいるのにその責任者の会見がないのも不可解だ。原因究明より先にお辞儀の角度を測り始めるのは、火災現場で消火栓より記者会見場を探すようなものである。真実はお辞儀の角度からは出てこない。火事の跡から事実を掘り出すのは平身低頭ではなく虫眼鏡である。頭を下げるのは、そのあとでも遅くない。
謝るのは実に簡単だ。頭を下げればよい。深々と、できれば九十度。カメラの前に並び、「誠に申し訳ございませんでした」と言えば絵になる。司会者も深刻そうな顔で頷けるし、評論家も「けしからんですね」と言うだけで一日分の仕事になる。なにしろ謝罪には専門知識がいらない。現場を見ていなくても語れるし、事情を知らなくても憤れる。しかし、事実関係が一枚も揃わないうちから頭だけ下げさせようとするのは、診察前に手術を始めるようなものだ。患者が誰かも分からないのに、メスだけが立派に磨かれている。
今回、現場にいた日本人はモビコムの越智CEO一人だった。モビコムはKDDIの出資先である一方、モンゴルの法律に基づいて設立され、現地の法令や監督の下で運営される企業である。熊本の半導体工場で火災が起きたとして、「TSMC本社の責任者を呼べ」と台北へ駆け出す人がいるだろうか。普通はいない。いたら消防署より先に病院の場所を教えられるだろう。しかも今回の訪問は、モンゴル側の国境港湾局の要請と許可に基づくものだった。車列は計5台で13名。モビコム側の車両2台7名に加え、当局側の車両3台6名が先導と後方支援を担ったという。どう見ても日本人一人が探検隊長を務めていた図ではない。
ならば問うべきは別のところにある。誰が視察を企画し、誰がルートを決め、誰が安全管理を担ったのかということである。乾燥した草原へ車列を連ねて入るのである。遠足ですら引率の先生がいるのに、役人も警備関係者も揃っていて「誰が責任者か分かりません」では話にならない。寿司屋へ入って板前が見当たらないくらい落ち着かない。車両の火災対策はどうなっていたのか。消火手段は準備されていたのか。誰が最終判断を下したのか。当のモンゴル政府も調査を進め、首相自ら関係当局の責任を含めて検証を指示している。つまり現地では、いま虫眼鏡を持って事実を探している最中だという。管理のため誘導していた政府職員に聞けばすぐにわかるような話にもかかわらずだ。
ところが、その横では別の催しが始まっている。中華系メディア発の情報が流れ、日本企業の責任を印象づける見出しや憶測が広がった。複数の媒体が同じ内容を報じても、出所が一つなら証拠が増えたことにはならない。同じ話を十人で回し読みしても、新しい事実が十個生まれるわけではない。にもかかわらず、転載を重ねるうちに憶測は既成事実の顔をし始める。まるで楽譜も配られていないのに大合唱だけ始まった町内会のカラオケ大会である。誰も歌詞を知らないのに声量だけは立派だ。もちろん被害は深刻であり、環境回復への支援は惜しむべきではない。しかし、支援することと犯人扱いすることは別問題である。善意と責任論を一緒の鍋で煮込めば、だいたいろくな料理にならない。
昔の子供は「ごめんちゃいで済むなら警察はいらない」と言ったものだが、案外これは真理である。車両から発煙したことは分かっている。しかし、当局側の誘導管理のもとなぜ発煙し草原に燃え移ったのか。そして視察全体の安全管理に誰が責任を負っていたのか。まだ調べるべきことは山ほど残っている。頭を下げることはいつでもできる。今日でも明日でも来週でも間に合う。だが事実の確認には時間がかかるらしい。全員生還し誘導した現地政府職員がいるのにその責任者の会見がないのも不可解だ。原因究明より先にお辞儀の角度を測り始めるのは、火災現場で消火栓より記者会見場を探すようなものである。真実はお辞儀の角度からは出てこない。火事の跡から事実を掘り出すのは平身低頭ではなく虫眼鏡である。頭を下げるのは、そのあとでも遅くない。