クマとボッチキャンプ ― 2026年05月10日
春というのは、キャンパーにとって魔性の季節である。空気は軽く、風はやわらかく、太陽は「そろそろ外に出たらどうだ」と、近所のおばちゃんみたいに世話を焼いてくる。ベランダに干した寝袋が、ふっくらと春の風を吸い込んでいく。その様子を眺めているだけで、胸の奥がむずむずしてくる。ソロキャンパーとは、春になると自動的に山へ吸い寄せられる渡り鳥のような生き物なのだ。ところが今年は様子が違う。テレビをつければクマ、ネットを開けばクマ、SNSを見ればクマ。日本列島全体が、まるで「クマ強化月間」に突入したかのようである。しかも出てくる映像がまた強い。住宅街を横切る黒い影、ドラレコに映る巨体、役場のスピーカーから流れる「付近でクマが目撃されました」の無機質な声。ニュースを見れば見るほど、「自然を楽しみに行く」という行為が、「命を賭けて山へ入る」に変換されていく。
気候は最高なのに、気持ちはどんよりしている。外は春爛漫なのに、心だけ冬眠中である。私はテントを張る代わりに、家の中でノートを広げ、“安全キャンプ計画”を書き続けている。しかし、この「安全」という言葉が曲者だ。考えれば考えるほど、最終的に「山へ行かないのが一番安全」という、身も蓋もない結論へ着地してしまう。ダイエット中にケーキの写真を見ながら、「そもそも食べなければいいのでは」と悟る、あの虚しさに近い。
京都の里山は、かつて“人間の裏庭”だった。だが今や、“クマのリビング”である。そこへソロキャンパーがテントを張るというのは、クマの家の真ん中に勝手に寝袋を敷き、「自然を楽しみに来ました」と言っているようなものだ。クマからすれば、「いや、ここウチなんですけど」と言いたくもなるだろう。人間側だけが「自然との共生」を語っても、相手が納得しているとは限らないのである。
しかも危ないのは東北だけではないらしい。本州はもちろん、四国でも目撃情報が増えているという。地図を眺めていると、キャンプ可能エリアが少しずつ侵食されていき、最後には「島嶼部か九州」という、避難計画みたいな選択肢しか残らなくなる。だが、島へ渡るにはフェリーがいる。九州遠征には日程と覚悟がいる。本来ソロキャンプという趣味は、「天気いいな、行くか」で成立する身軽さが魅力だったはずだ。それが今や、“小さな海外旅行”くらいの準備を要求してくる。気軽さが売りだった趣味が、気軽さを失った瞬間、急に遠い存在になる。まるで、気づけば一杯1800円になっていたラーメン屋のようだ。
それでも私はノートに「対クマ作戦」を書き続ける。管理されたキャンプ場限定。食材は完全密閉。クマスプレー携行。夜間の焚き火は最小限。ラジオ常時再生。鈴装備。書けば書くほど、キャンプ計画というより特殊部隊の行動マニュアルになっていく。自然を楽しみに行くはずなのに、自然に警戒し続ける訓練になっているのだから皮肉な話である。しかも途中で、ふと気づく。「これ、本当に趣味なのか?」と。リラックスするための行為に、ここまで事前準備と危機管理が必要になると、それはもうレジャーではなく“野外自衛訓練”に近い。春の陽気は「山へ来い」と誘ってくるのに、クマのニュースが「やめておけ」と肩を掴んで引き戻す。この綱引きが、今年のソロキャンパーの頭の中で延々と続いている。
外へ出れば、空は高く、風はやわらかい。まさにキャンプ日和である。しかし私は今日も、ベランダで寝袋を干しながらクマニュースを眺め、「どうすれば安全にキャンプできるのか」という答えの出ない問いを反芻している。春の山はあれほど魅力的なのに、その入口には黒い影が立っている。結局のところ、気候が良くなればなるほど、「外へ行きたい気持ち」と「行けない現実」の温度差だけが広がっていく。そして今日も私は、ベランダでコーヒーを飲みながら、乾いた寝袋を取り込む。山を恋しがり、山を恐れ、結局どこにも行かない。これこそが、2026年のソロキャンパーに訪れた、新しい“春の風物詩”なのかもしれない。
気候は最高なのに、気持ちはどんよりしている。外は春爛漫なのに、心だけ冬眠中である。私はテントを張る代わりに、家の中でノートを広げ、“安全キャンプ計画”を書き続けている。しかし、この「安全」という言葉が曲者だ。考えれば考えるほど、最終的に「山へ行かないのが一番安全」という、身も蓋もない結論へ着地してしまう。ダイエット中にケーキの写真を見ながら、「そもそも食べなければいいのでは」と悟る、あの虚しさに近い。
京都の里山は、かつて“人間の裏庭”だった。だが今や、“クマのリビング”である。そこへソロキャンパーがテントを張るというのは、クマの家の真ん中に勝手に寝袋を敷き、「自然を楽しみに来ました」と言っているようなものだ。クマからすれば、「いや、ここウチなんですけど」と言いたくもなるだろう。人間側だけが「自然との共生」を語っても、相手が納得しているとは限らないのである。
しかも危ないのは東北だけではないらしい。本州はもちろん、四国でも目撃情報が増えているという。地図を眺めていると、キャンプ可能エリアが少しずつ侵食されていき、最後には「島嶼部か九州」という、避難計画みたいな選択肢しか残らなくなる。だが、島へ渡るにはフェリーがいる。九州遠征には日程と覚悟がいる。本来ソロキャンプという趣味は、「天気いいな、行くか」で成立する身軽さが魅力だったはずだ。それが今や、“小さな海外旅行”くらいの準備を要求してくる。気軽さが売りだった趣味が、気軽さを失った瞬間、急に遠い存在になる。まるで、気づけば一杯1800円になっていたラーメン屋のようだ。
それでも私はノートに「対クマ作戦」を書き続ける。管理されたキャンプ場限定。食材は完全密閉。クマスプレー携行。夜間の焚き火は最小限。ラジオ常時再生。鈴装備。書けば書くほど、キャンプ計画というより特殊部隊の行動マニュアルになっていく。自然を楽しみに行くはずなのに、自然に警戒し続ける訓練になっているのだから皮肉な話である。しかも途中で、ふと気づく。「これ、本当に趣味なのか?」と。リラックスするための行為に、ここまで事前準備と危機管理が必要になると、それはもうレジャーではなく“野外自衛訓練”に近い。春の陽気は「山へ来い」と誘ってくるのに、クマのニュースが「やめておけ」と肩を掴んで引き戻す。この綱引きが、今年のソロキャンパーの頭の中で延々と続いている。
外へ出れば、空は高く、風はやわらかい。まさにキャンプ日和である。しかし私は今日も、ベランダで寝袋を干しながらクマニュースを眺め、「どうすれば安全にキャンプできるのか」という答えの出ない問いを反芻している。春の山はあれほど魅力的なのに、その入口には黒い影が立っている。結局のところ、気候が良くなればなるほど、「外へ行きたい気持ち」と「行けない現実」の温度差だけが広がっていく。そして今日も私は、ベランダでコーヒーを飲みながら、乾いた寝袋を取り込む。山を恋しがり、山を恐れ、結局どこにも行かない。これこそが、2026年のソロキャンパーに訪れた、新しい“春の風物詩”なのかもしれない。