しまなみ海道2023年06月01日

朝早めに出て、しまなみ海道を走って島々の名刹を巡る。HAKKOUはまだ開館していなかったので耕三寺を目指す。ここは名刹でもなんでもないとチャリガイドのにいちゃんが説明していたが、いわば明治の成金が寺を建てて山頂に大理石尽のモニュメントを作った寺である。拝観料も1400円とバカ高い。苔寺の3000円には負けるが庭はきれいに整備されている。大山祇神社は海運の無事を願う由緒正しい神社だがここも海事博物館は1000円だったのでパスして、亀老山展望台に上がる。ドローンを上げたかったが前線が来ていて水蒸気で視界が良くないので諦めた。

今治城は日本三大水城として有名らしい。海を前にした美しい城だ。道後温泉街街は昔からの街で道が狭くて市営駐車場が見つからずコインパーキングに停めたが正解だった。駐車場は高台に設置されてかなり歩くので雨模様の今日は平場の駐車場の方が良かった。道に迷いながら辿り着いたゲストハウスは貸切状態で、後から美女美男のスウェーデン家族が来たが、十分余裕がありいい宿だ。

飛鳥の湯2023年06月02日

平成29年に開業した道後温泉別館「飛鳥乃湯泉」は、道後の地に誕生した外湯。聖徳太子や斉明天皇を迎えたという道後の歴史にちなんで、建物は飛鳥時代の建築様式を取り入れている。赤いギヤマンがはめ込まれた塔屋で白鷺オブジェが羽を広げる。約60畳ある大広間の休憩室で、浴衣をまとってくつろぐことができ源泉かけ流しの湯に浸かるだけではなく、湯上りも贅沢に過ごすことができた。露天は41度内湯は42度でやや熱いが、お湯がとても滑らかで気持ちがいい。だが、30分おきに上映されるプロジェクションマッピングは子供騙しのレベルだ。温泉利用料金の倍払うと休憩広間でくつろげる。館内スタッフがお茶接待だの館内説明だのあれこれおもてなしをしてくれるのはきもちがいい。だが、温泉のみ利用の600円で休憩できないのはいただけない。

周囲の有料駐車場は探せば近くでも4時間300円というリーズナブルな所もあり、温泉専用の丘の上の駐車場より使い勝手がいい。時間が絵余ったので昔は平屋城だった城跡の道後公園に行くと未草がお堀に満開で咲いていた。公園内の子規資料館は2時間たっぷり見て回れる。正岡子規のことは漱石やバルチック艦隊を破った秋山真之と親しくしており、若く結核で倒れた俳人としてしか知らなかった。俳句のリアリズム革命を提唱した歌人とは今日知ったが、芭蕉とどこが違うのか今一つ分からなかった。

佐田岬2023年06月03日

佐田岬までは思ったより遠い。四国の尻尾のような佐田岬半島には197号線を行くが道が細くて離合できないような所も少なくない。これでも拡幅箇所は増えたそうだが昔はイクナ国道といわれたほどの車の難所だったらしい。伊方原発を維持するために地元の合意を取り付けたい四国電力と政府が周辺開発に相当金を注ぎ込んだのがわかる。ほとんどは人が来ないような道の駅の2階にはアクアリウムを3方に映し出すシアターがあったり、トイレは温風乾燥機能のついた最上級のウオッシュレットが設置されている。

それでも佐田岬灯台までの最後の30分は駐車場から山中のアップダウンの細い道を歩いていかなければならぬ。往復1時間を想定していなかったので、GHを早めに出て良かった。ドローンを上げて中央構造線帯の急峻な岬と崖を撮ったつもりだがカメラの上下操作が思い出せなくて上手く撮れなかった。亀が池キャンプ場は快適だ。トイレは最上級のウオッシュレットだし隣は温泉だ。無料なのにサイトは行き届いている。一昨年火事で温泉宿が焼けてしまい、再建工事中だが温泉は使える。野球場ほどの広さのテントサイトには5張のテントしかない。月も出てきて池を明るく照らしている。温泉の白色街灯がテントサイトを照らすのが興醒めだがご愛嬌か。

四国カルスト2023年06月04日

キャンプ場で朝早く目が覚めてしまうとやる事がない。仕方なくコーヒーを沸かし朝飯にして、顔を洗うともう撤収しか仕事が残っていない。ノロノロと荷物をまとめてシュラフやテントを朝日に当てて乾かす。何度もよっこいせとキャンプチェアーに座って休憩しても片付けは一人分なので1時間もかからない。今日の行き先をチェックしてキャンプ場を後にする。今日は欲張らずに大洲城と四国カルストと決めていたのに、大洲城で名跡を三つ回るとお安いの声に負けて購入してしまう。大洲は小さな町だが3つ回れば2時間はかかる。朝早く出たので時間はあるしと回ったがお腹いっぱいになった。こうなると思考力が働かずカーナビ任せで運転になるがこれが不味かった。

純正のカーナビはdocomo電波なので大体繋がり検索に困らないが時々トンデモコースを選択する。昨日も佐田岬の獣道のような山道に入って肝を冷やした。Googleナビはだいたい普通の道を選ぶのだが楽天モバイルは田舎道でつがらないことがある。山道だと多くはつながらない。だが、今日は不思議と四国の高地の廃村のようなところでも繋がるのでGoogle一択にしたのが失敗の元だった。Googleは最短時間の道を選びがちでそうなると純正と同じように離合もできずバックもできないような山道に入っていくのだ。1時間で30キロ近くを前から車が来ないように祈りながら走った。明日は出発前に地図を見ようと思う。

足摺岬2023年06月05日

マルシェ檮原という宿だか市場だかわからないネーミングのホテルに泊まった。建物全体が茅葺と杉でコーディネートされているデザインは良いしできるだけ凸凹を排してシンプルに部屋を作ろうとしている意図はわかる。だが、コンセントが必要なところにない。近頃はスマホやタブレット、その充電器だのを宿で充電するのが必須なのだがテーブルサイトにもベッドサイトにもコンセントがないのだ。ワシはおまけにドローンのバッテリー充電も必要なのでコンセントを探し回った。木のテーブルの下に隠し板があってそこを開けるとコンセントが出てきた。コンセプトはわかるがなんでそこまで隠すかなぁ。スナップタップを繋いで充電器やらタブレットの充電をしてことなきを得た。

宇和島城は現存天守の一つで350年余の歴史を持つ城だ。小ぶりだがかつては水城だった高虎の工夫がよくわかる。城主は伊達政宗の長男秀宗であることを初めて知る。人質人生で秀吉についたり家康についたりで波乱万丈の人生だが最後はこの城に収まる。ジョン万次郎博物館を見て中2の年齢ならアメリカの文化を砂が水を吸い込むように吸収したのだろうと感じた。彼は政治に口を出さなかったが、龍馬や幕末の志士たちが多くの示唆を得たのは間違いない。足摺岬をドローンで撮影した後は、唐人駄場キャンプ場で雨模様の一晩を過ごすことになる。トイレもテントサイトもこれで無料かと思えるほど素敵なキャンプ場だ。

坂本龍馬2023年06月06日

朝からずっと雨だ。テントは雨が降る前に炊事棟の中に入れたので濡れることはなかった。8時から延々車を走らせて昼前に桂浜に着いた。坂本龍馬記念館で、2時間ほど龍馬の伝記に触れながら見学をした。新しい知見は薩長同盟を結んだ確固たる証拠がないという事だった。確かに龍馬の裏書のある約束事の文書はあるが薩摩側にそれらの文書が一切ないということを知った。一度は下関の会談をドタキャンをした西郷のしたたかさかもしれない。他には龍馬の妻お龍も龍馬もお互いのことを変人と記していることに妙にうなづけた。

ゲストハウスではオランダ人親子と話した。ほぼ1ヶ月過ごすという。アニメやパチンコが好きで日本に来たという。親父さんは足に豆ができてお遍路できないとぼやいていた。オランダでは養鶏場の経営をしているらしい。また飲みすぎた。

牧野植物園2023年06月07日

雨が上がっていい天気だ。高知城に出かけた。台湾人ツアーと一緒に天守に上がる。思ったより小さな城だが美しい作りだ。300年余の時を経て残っているだけでも価値がある。石垣は地震で何度も修復しているらしいが、元々の石垣作りは滋賀の穴太衆の手によるものらしい。城を後にして坂本龍馬の生誕地に行った。龍馬は姉の乙女と頻繁に手紙のやり取りをしている。これが維新の史実を明らかにしているようだ。姉の乙女はトメと呼ばれ親はこれが最後の子供だと思ってつけたオトメだが間違いで龍馬が生まれたという。間違いで生まれた子供が日本を変えるきっかけを作ったということだ。

はりまや橋まで行って、牧野植物園に行く。草花は名前を知る事により俄然身近に感じられる。思いの外バラ園は作られていなかったが、牧野博士の人柄も知れて十分に楽しめた。ただ13人の子供のうち7人を亡くしており貧乏博士の凄まじさも知った。明日はまた雨模様だという。お天気ばかりは文句を言っても仕方がない。湿り模様の室戸の道を楽しむことにする。

廃校水族館2023年06月08日

雨の室戸路を走る。岩崎弥太郎と中岡慎太郎の生家を訪ねる。いずれも坂本龍馬と深い繋がりのある盟友だが、弥太郎は資本主義の土台を慎太郎は政治革命を選択した。龍馬はその両方の動きを捉えていた。世のため人ためならテロも辞さない慎太郎を龍馬は諫め、銭金は軍事や政治に使ってこそ生きてくると弥太郎から支援を引き出す。彼は夢見るロマンチストと描かれるが、実はリアリストだったのだと思う。きっと海舟から世直しのリアリズムを深く吸収したのだろう。人殺しは嫌だと軍事を否定するわけではなく、金儲けを悪だと決めつけずそれを世直しにうまく活かそうとするリアリズムを立憲共産の政治家には学んでほしいものだ。

廃校した小学校後を水族館にしたむろと廃校水族館に行く。旧校舎の教室に設置した水槽にそこらの海辺の魚が泳ぐ。学校中が理科室の感じだ。手洗い場にも魚が飼われ、25mプールにもシュモクザメと海亀が泳いでいた。愛想の良くない地元の若者が真面目に働いているのも好感が持てた。雨はどんどん強くなっているが明朝には晴れるらしい。

うだつ2023年06月09日

雨は上がったがカラッとは晴れず晴れたり曇ったりだ。徳島まで出て阿波おどり会館を覗いてうだつの街並みのある美馬町に向かう。阿波踊りが日本に知られ始めたのは日清戦争の祝勝踊りだったらしい。それまでは、念仏踊りが鎌倉時代に全国に広がって徳島でも盆踊りとして変化したらしい。踊りというのは世界中そうだが人々を熱狂させる力がある。村ごとに趣向を凝らしパフォーマンスや衣装を競い独自の形を作り出す。明治維新当時の討幕のええじゃないか踊りなりいつしか観光目的の阿波踊りとなっていく。発展の原動力は村々が踊りを競い合う形を取ったからだろう。今も会館では1日数回踊りサークルが代わりばんこに踊っている。

美馬町ではうだつの街並みを見た。元々は商家の長屋の防火壁として作られたものだが、いつしかその美しさを競う事によって商売繁盛を示すものとなったらしい。うだつが上がらないとは商売がうまくいかずうだつを屋根に上げる事ができない事が転じ出世できない状況を表現している。ただ、うだつの街並みを維持するには漆喰の塗り替え屋根の補修など莫大な費用が生じるので町が三割程度補助してもなかなか難しいという。中には居住者がおらず傾きかけたうだつの家屋も見られた。京都のようには人は集まらないので、何某の商売を始めると言っても難しそうだ。そばに流れる吉野川が氾濫して藍が育つ土壌を形成し藍染の商売が成り立った古とは違う。

ガス欠2023年06月10日

昨日走行可能距離は140kmと示していたが朝にはガソリンを入れなければいけないかと思っていたが失念していた。山道を登り切って祖谷のかずら橋から小便小僧の道を走っているときにいきなり残り60kmの警告ランプがついた。おいおいまだ30kmも走ってないのに50km分はどこに消えた?どうやら平均燃費で可能距離を計算するらしく登ろ坂を激しく登った場合は持続可能距離が書き換えられるようだ。給油所までの12kmは下り坂でさすがに書き換えられることはないだろうがもう少し上手いプログラムは書けぬものか。四国の田舎道は1車線で何もない道をひたすら20kmくらいはザラに走る。残り60kmに上り坂があればなんの保証もないので心臓に悪いのだ。

今日は時間が余りすぎると夜半から雨の予報なので、明日の予定の金毘羅神宮に行く。785段の御本宮への階段をひたすら上がる。奥社までの階段の数は583段なのでパスしたが、これだけ上がればご利益があると思う。帰りは晴れていればフォトジェニックな父母ヶ浜と銭形砂絵「寛永通宝」有明浜の白砂に描かれたものを見てきた。周囲345mもあり、寛永10年(1633年)に藩主、生駒高俊公を歓迎するために一夜にして作られたと言われており、この砂絵を見れば健康で長生きし、お金に不自由しないと伝えられている。今日のキャンプも夜半から雨模様なので炊事場にテントを移動する事になりそうだ。
Google
www Blog