台湾「大罷免」騒動2025年07月27日

大罷免運動
台湾で巻き起こった「大罷免運動」は、単なる市民運動ではない。制度と市民の政治参加、その摩擦と限界を浮き彫りにする、一種の民主主義ショーだった。発端は総統選。民進党が勝利し、総統府は安泰かと思いきや、立法院(国会)では国民党が多数を占める“ねじれ”状態に突入。すると野党主導で法改正がゴリゴリ進み、与党も市民団体もブチ切れ。ここに登場したのが「大罷免」と呼ばれるリコールの嵐だった。台湾のリコール制度は実に三段階の関門つき。まず発議に有権者の1%、続いて署名で10%、最後は投票で反対票を上回りかつ有効投票の25%以上の賛成が必要だ。小選挙区の有権者数は平均20万人ほどだが、郡部では10万人未満の選挙区も存在する。その場合、発議の1%(1000筆未満)は容易でも、連署の10%(1万筆前後)を得たり、一度選挙で結果の出た勝敗結果を覆す賛成票を得るのは至難の業だ。制度としては市民参加を保障しているように見えて、実際にはリコール成立のハードルは極めて高い。しかも議員就任から1年間はリコール不可という、なかなかにガードが堅い。制度としては“市民の声をカタチに”と耳ざわりはいいが、実際に成功したケースは稀。今回も案の定、全部否決され、制度のハードルの高さと、政治勢力の壁の厚さが証明された格好だ。

とはいえ、ここでふと日本に目を向けてみると、台湾がむしろうらやましく見えてくる。たとえば石破茂氏のように、「なんだかんだでまだ居座ってるな…」と国民の不満がくすぶる政治家がいたとしても、我々にはリコールの手段がない。日本ではリコールはあくまで地方限定。国会議員に関しては、選挙で落とすか、世論で圧をかけるかの二択しかない。もちろん日本には「伝家の宝刀」総選挙があるじゃないか、という声もあるだろう。だがそれとて、最終的には政党内の力学と、首相の胸三寸。市民が任期途中の議員に「ちょっと待った!」を突きつける術は、制度上まるで用意されていないのだ。

台湾のリコール運動は、その成否以前に、「市民の政治的エージェンシー(自らの意思で政治に関与する力)」を制度がどこまで保証しているか、という問いを突きつける。声を上げる自由はある。だが、それが実際に政治を動かす構造になっているかは、また別の話だ。民主主義とは果たして“選挙の頻度”か、“参加の濃度”か。台湾と日本、大統領制か議院内閣制か制度の対比が、政治意識の差として浮かび上がってくる。