爆弾2025年11月30日

爆弾
呉勝浩のベストセラー小説を原作とした映画『爆弾』。「東京に爆弾が仕掛けられた!」という未曾有の事態を、密室の取調室と都内の爆弾捜索で同時進行させるという触れ込みの、いわゆる「リアルタイムサスペンス」だ。警察に連行された正体不明の男は「スズキタゴサク」と名乗り、霊感で爆弾の存在を予告。演じるは“へんなおじさん代表”こと佐藤二朗。対する若き刑事・類家役は人気俳優の山田裕貴。この異色すぎるタッグの謎めいた攻防に期待して、劇場へ足を運んだ。しかし、鑑賞後の正直な感想は一言、「疲れた」。

佐藤氏も山田氏も、とにかく早口すぎる。謎の男スズキの出すなぞかけと、それに応戦する刑事の謎解きが、まるで「早口言葉合戦」のように取調室で連発される。年寄りには、耳から入った情報が脳で処理される間がない。一言一句聞き逃すまいと前のめりになるほど、余計に疲労がたまるという悪循環に陥ってしまった。

この映画の核となるトリックは、自死した刑事の息子が企てた連続爆破計画を、その母親が阻止するために息子を殺害し、知り合いのホームレスである佐藤二朗(スズキ)が実行犯として身代わりになるという、なんとも劇的な筋書きだ。佐藤二朗の芝居は予想通りの「怪演」で期待を裏切らない。だが、物語を振り返ると、腑に落ちない点がいくつも出てくる。

取調室の攻防戦がメインのはずなのに、途中で退場する染谷将太(等々力刑事)や渡部篤郎が、どうにも中途半端。これなら最初から、山田VS佐藤の二人だけの緊迫した対決に集中した方が、話はよほど分かりやすくなったはず。さらに、爆弾捜索に奔走する警官・倖田役(伊藤沙莉)のパートも同様だ。せっかく犯人が「賢すぎる」山田君(類家刑事)を出し抜こうと、記録係の刑事を操るという「取り調べあるある」の機転を利かせても、結局、伊藤沙莉の助言で相方の警官が証拠を本部に報告してしまう。これでは、爆弾被害にあう相方警官の悲劇と、取調室の駆け引きとの繋がりが薄れ、観客は置いてきぼりだ。本部に知らせる筋なら山田君がスズキの前で大慌てするというシーンが必要だったが爆発が起こってから悔やむのでは迫力が半減する。「豪華キャストを出したい」「色々なドラマを作りたい」という制作側の意図は分かるが、筋が不自然で物語の純度を下げてしまう。

そもそもの発端である「刑事のスキャンダル」も、殺害現場での自慰行為が止められないという病理を原因にすると、かえって話が小さくなる。ゴシップを消費する社会や事なかれ主義の警察組織を批判する不条理劇というより、ただ「気持ち悪い」という生理的嫌悪感だけが残る。さらに、トリックの要となるホームレスのスズキが、爆弾を開発した息子の死後に、一人で秋葉原・ドーム・公園・アジトと4か所もの爆弾を仕掛けるという展開も、ご都合主義が過ぎる。スズキには「ホームレス」という設定しかないのに、どうやって起爆方法の異なる爆弾を周到に準備できたのか。加えて、トリックに直接関係のない中学時代の冤罪の回想も、スズキの歪んだ認知を描こうとした意図は理解できるが、事件との関連が曖昧で観客の関心と乖離してしまい、意味を成さない。こうした説得力の欠如が、最後まで尾を引いてしまう。

事件解決後も「まだ時限爆弾が残っている」という余韻を残してエンドロールを迎えるが、この積み重ねの甘さのせいで、全く現実味がない。「なんだかなー」と呟いて劇場を後にして溜飲が下がらないのは、ひとえに「脚本の詰めが甘い」という一言に尽きる映画だった。やっぱり二朗さんには「おちゃらけ変なおじさん」が一番似合う。