フェリー移動2025年07月18日

太平洋フェリー
仙台港12時50分発名古屋港翌日10時30分着の太平洋フェリーいしかりの船中である。秋田行きの新日本海フェリーでは、最安値の雑魚寝部屋で電源コンセントがなく困ったが、太平洋フェリーでは二段ベット部屋で照明の下にコンセントがあって助かった。スマホもタブレットも暇な時ほど使い倒すので、電源問題は重要だ。愛用のバッテリー型ACアダプターは2台同時に充電できる。狭い所にコンセントがあるとバッテリー筐体が邪魔してプラグが差せないことがあるが、AC電源がなくてもUSB電源があれば本体にも充電できるので車中でも重宝している。

旅行中は検索の機会が増える。昔はググってどの情報が適当か選択する必要があったが、今はAIで一発回答だ。書籍に掲載されている程度のことはAIが間違いなく答えるし、再質問にも答えてくれる。逆に言えばネットに頼り切っているとも言える。今日もフェリー乗り場に行こうとするとナビのWi-Fiが突然繋がらなくなり出港時間は迫るわ行き先の見当がつかないわでプチパニックだった。急いでいる時にトラブルは起こりやすいものだ。車側のアプリを再起動をすれば解決するのだが、この解決策を焦ってしまうと思い出せなくなる。とは言え、今更地図や本を持ち歩いて移動というアナログ時代にももどれぬ。

携帯デバイスとその電源は無くてはならないもので、雑魚寝部屋だからといってコンセント一つ設置していないフェリーは許せない。だったら車で移動すれば良いというご意見もあろうが、片道1000キロ10時間運転は年寄りには酷だ。今回の旅でも2週間で2000キロ余りだ。燃料代と高速代は京都から往復すれば5万程かかる。とすれば今回のフェリー往復5万5千は悪い選択ではない。ただ時間は倍かかるので暇つぶしの電源問題は捨て置けぬ話なのだ。だからと言って新日本海フェリーが携帯デバイスのことを何も考えていないわけではない。他社の話で有料ではあるが衛星回線の紹介をしていた。でも、自社の船内フェリーのWi-Fi回線の故障はもう1週間以上放置したままだ。潔く太平洋フェリーのように船内Wi-Fiはないと言い切った方が納得感がある。あれ?結局ディスってるなぁ。しかし、新日本海フェリーの給湯室は製氷機がない分やや広めに使えることは胸を張って言える。でも無料の製氷機そのものを見かけなかった。風呂も太平洋フェリーのように入港30分前まで自由に入れるわけでもない。うーむ。

奇跡の一本松2025年07月17日

奇跡の一本松
陸中宮古のキャンプ場では、買い溜めた薪をすべてくべて、深夜まで一人大キャンプファイアーとなった。加川良や高田渡といった懐かしいフォークソングを流し、若き日々を思い出してセンチメンタル・ジャーニーに浸る。鳥のさえずりで目を覚ましたのは午前五時前。結局シュラフは枕代わりにして何も被らなくても十分暖かく、クマとも遭遇せず、安堵と共に吹き抜ける心地よい朝風に身をまかせ、しばし二度寝を貪った。バイオマス燃焼のシャワーで眠気を流し、ノタノタと撤収に取りかかる。湿度が高く、動くだけで汗が吹き出す。車のエアコンで汗を乾かしては荷をまとめるというインターバル作業になり、やたらと時間がかかった。

すぐ近くの浄土ヶ浜は、AIが「見ておけ」と勧めるので立ち寄る。小雨がぱらついていたが、空の合間には青さも覗いている。車を停めて、浜まで歩いた。浄土ヶ浜は、白い砂と白い岩が海と空の青に映える、美しいコントラストが印象的だ。白い岩も砂も安山岩の色。その風景の中に、海沿いの岩肌に咲くオレンジ色の鬼百合が鮮やかなアクセントになっている。鬼百合の花言葉は「富」「誇り」「華麗」など。強く美しい花の象徴とされるという。汗をかきながら坂道を登る帰り道、ビジターセンターに昇降用エレベーターが設置されていたことを知る。どうりで誰も坂を歩いていなかったわけだ。歳を取ったのだから、なにごとも即断せず、もう少し落ち着いて行動したいものだと、頭を掻いた。

その後、「奇跡の一本松」で知られる陸前高田の津波復興祈念公園へ向かう。奇跡の一本松は、東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた陸前高田市において、唯一残った松の木である。津波により松林のすべてが流される中、ただ一本だけが耐え抜き、復興の象徴として知られるようになったが、塩害により枯死。現在は樹脂製のレプリカが立ち、その記憶を伝えている。その隣には、旧ユースホステルの建物が津波遺構として保存されていた。伝承館では、津波のメカニズムから災害救助、復興の記録まで幅広く展示されている。自然災害そのものは避けがたいが、命をかけて人を救おうとした人々の記録に触れるたび、目頭が熱くなる。最後まで地域の人々を守ろうとして命を落とした消防団員。全国から20万人の半数を投入し、長期にわたって救援活動にあたった自衛隊。世界各地から駆けつけた災害医療チーム。名前も知らぬ、多くのボランティアたち。助けたい、力になりたいという一念だけで動いた彼らの記録は、強く胸を打つ。「あるべき国と国民の姿」が、ここにはっきりと示されているように思えた。気仙沼にも立ち寄り、被災を克明に記録したリアス・アーク美術館を訪れた。爆発的な破壊力を持つ津波被害を克明に残した学芸員の記録にも深く感銘を受けた。

「人間も捨てたもんじゃない」と思いながら、余韻に浸って国道を仙台に向かって走っていると、目の前に突然、警官が赤い旗を振って飛び出してきた。しまった、ネズミ捕りだ。居住区間の制限速度は40キロ。18キロオーバーで、罰金1万2千円。国道は通常50キロ制限なので、60キロ未満で走っていたのだが、住宅地の中で速度が下がることは知っていながら、田舎道で交通量が少ないせいか、見落としてしまった。とはいえ、不思議と腹は立たなかった。「震災の勉強代だ」と思い妙に納得している。明日は仙台からフェリーに乗って、家路に着く。

ゲストハウス考2025年07月16日

龍泉洞
一関のGHの主人が言うには、「陸中宮古はめちゃくちゃ時間かかるぞ、朝は早く出ろ」だそうだ。そら確かに遠いけどなあ、と少し首をかしげた。だって、盛岡のGHの主人は「遠野から復興道路走れば楽勝、運転はスイスイよ」なんて言ってたからだ。どっちが本当なんだか、土地の人間のくせに言うことバラバラやんけ。つまるところ、人による、ということなんだろう。盛岡の主人は、嫁にしたいくらい気が利くナイスガイで、なんでもよく知っている。いい意味でうるさい。逆に一関の主人は悪い人じゃないけど、なんとなく片手間でGHやってる感じで、一人一部屋のスタイルだから宿代も高め。だけどまあ、その辺はそれぞれの流儀ってやつだ。ワシはどっちかっていうと、盛岡の4000円GHに軍配をあげたい。

旅人ってのは、ほとんどが一期一会だ。だからこそ、ちょっとした気配りとか、地元の知識を「ググる」レベルで出すんじゃなくて、地面からじわっと湧き上がるような話をしてほしい。せっかくそこに住んでるのだから、もうちょい頼むわ、と思ったりもする。

一関から3時間走って龍泉洞。岩泉町にある日本三大鍾乳洞のひとつ。地底湖はべらぼうに透明で、深さ98メートルっていうからすごい。ライトアップもされてて、観光地感まんさい。でもワシは、山口の秋芳洞のほうがいい。あっちはとにかくでかい。広い。歩いてて気持ちがいい。龍泉洞はというと、幅が狭くてアップダウンが激しくて寒い、正直めんどくさい。足の弱ってきたワシにはちょっとした苦行だった。

最後の夜は、陸中宮古。津波で甚大な被害を受けた土地だが、今は復興して綺麗なキャンプ場までできている。そのキャンプ場がすごい。なんとシャワーのためにバイオマスボイラーを導入している。どんだけ金かけてんだ。と思いながら湯を浴びた。そして、泊まってたのはワシだけ。50張分のサイトを独り占め。平日だからか、それともクマが怖いのか。AIの回答によると、キャンプ中にクマに襲われる確率は、交通事故の1万分の1以下らしい。じゃあしょうがないな、と納得しつつも、やっぱり出たら終わりだな、と思う。そんなことを考えながら、加川良の曲をかけて、焚き火の音を聞きつつ、酒をちびちびやっていた。雲の合間から夏の大三角形、夜はしんしんと更けていく。明日は復興の後を見ながら仙台まで行く。

神子田・遠野・中尊寺を行く2025年07月15日

中尊寺
盛岡の神子田(みこだ)朝市は、土地の人には名の知れた市である。宿のすぐ近くということで、ゲストハウスの主が「ひっつみ」を勧めてくれた。すいとんの類である。朝市は五時開店、七時半には閉まるというから、朝寝坊には不向きな場所である。盛岡の人々は、そこでラーメンや冷麺をすすってから職場へ向かうのだという。朝飯がっつり食とは一日の営みにとって理にかなっているかもしれぬが、こちらには少々重い。とはいえ地元の風俗見物の一環として、閉店ぎりぎりの七時過ぎに滑り込んだ。

市は掘っ立て小屋が100店舗近く出ており、週六日開かれている。串カツ、焼き鳥、唐揚げ、天ぷらと、胃袋が健康でないと太刀打ちできぬ品々が並ぶ。ひっつみの売り場には「噂のひっつみ」と看板があり、年配の夫婦――と見えたが真偽はわからぬ――が大釜の前で忙しく働いていた。英語表記は“Wide Noodles”。なるほど、広めの麺という訳だが、やや違う気もする。“Flat Dumplings”、平らな茹で団子の方がイメージに近くないか。食べてみると出汁がやわらかく胃に染み入る。ひっつみそのものは、小麦粉を練って延ばした生地をちぎって茹でたもの。讃岐うどんを切る前のような食感だが、釜揚げうどんよりもいくぶん柔らかい。その柔らかさを出すには、一晩冷蔵庫で寝かせるのがコツだと主が教えてくれた。春前にはテレビ局の取材もあったという。

中尊寺へ向かう予定だが、平泉の雨は午後から上がるらしい。それまでの時間を使って、途中に遠野を組み込んだ。遠野といえば民俗学の祖・柳田國男、『遠野物語』、そして河童、座敷童、山男――われわれの心の片隅に棲みついている“見えないもの”たちの棲処である。水木しげるもこの地を訪れ、妖怪の宝庫として多くを描いた。雨のせいか、遠野ふるさと村も博物館も人影まばらで、こちらは一人の見学となった。ふるさと村には、茅葺きの豪農屋敷が十数棟移築保存されているが、屋根の葺き替えにかかる費用だけでも今の家が一軒建つという。文化財の保存とは、文化の重みに対する人間の意志の問題でもある。

中尊寺は奥州藤原氏の祖・清衡が、戦乱の世に終止符を打ち、仏の理想郷を築こうと願って建てた寺である。なかでも金色堂は創建時の姿を今にとどめる。中尊寺を含む「平泉の文化遺産」は、浄土思想の視覚化として高く評価され、世界遺産に登録された。金色堂は空調の効いた遺産保存堂の中に入れ子のように入っている。牛若丸こと義経もまたこの地に縁が深い。少年期を平泉で過ごし、兄・頼朝の招きで鎌倉へ向かうが、のちに対立。再び平泉に戻るも、泰衡の軍に攻められ、衣川館で自刃した。その悲劇を今に伝えるのが中尊寺の「義経堂」である。栄枯盛衰は歴史の常。英雄の死も、寒村の民話も、すべては人の世の泡沫にすぎぬ。こうした営みを記す者がいて、それを語り継ぐ者がいて、今日の旅もまたその連なりのひとつなのかもしれない。一関の宿に着くと、台風の吹き返しが木々をしならせていた。風の音が耳を打ち、今日の記憶が眠りへと誘う。今日はここまで、明日は最終キャンプだ。

霧の彼方にドローン消ゆ2025年07月14日

尻尾崎灯台
「台風が来るらしい」――そんな一報に押されるように旅程を前倒ししたが、結局、明日は一日中雨らしい。ならば中尊寺は駆け足で済ませて、雨宿りがわりに美術館でも……頭を悩ませながらの移動が明日も続く。

本日は下北半島の先端、尻屋崎灯台からスタート。ここは日本で最初に霧鐘と霧笛が設置されたという、由緒ある白亜の灯台だ。だが、その姿は、文字どおり霧の中。まるで自らの歴史を隠すかのように、厚い白煙に包まれていた。さらには、放牧されているはずの寒立馬(かんだちめ)も一頭も姿を見せず。台風接近のせいか、厩舎で休業中だったのだろう。極めつけは、ドローンを海に沈めた事件だ。離陸した瞬間、操縦不能になり、霧の彼方へフワリと消えた。どうやら電波妨害――いわゆるジャミング――を受けたらしい。よりによってこんな場所で。機体そのものは惜しくないが、旅の記録を詰め込んだSDカードが戻らないのは痛恨の極みだ。

気を取り直して向かったのは六ヶ所村の「原燃PRセンター」。核燃料サイクルの仕組みが、模型や実機展示で丁寧に解説されている。豪奢な設備に「資金の潤沢さ」がひしひしと伝わってくる。道は妙に広く、子どもの姿は見えないのに公園には立派な遊具が並ぶ。国家のエネルギー政策が、この村に落とす影のようなものを肌で感じた気がした。

三沢では航空博物館を目指したが、月曜はまさかの休館日。基地は防衛上の理由で柵に囲まれており、外からは何も見えない。「残念」がまた一つ。それでも最後の望みをかけて、小岩井農場へ。だが、ここでも雨雲に先回りされ、到着した瞬間から雨脚が強まり、入場は断念。

心が折れかけた旅の終わり、大観 湯守ホテルでのひとときが救いとなった。肌に吸いつくような湯の感触、ロケーションの良さ、そして何よりGHの気の利いた男性オーナーの人柄。思わず「嫁にほしい」と冗談が出るほど、心を和ませてくれた。振り返れば今日は「2勝4敗」。決して上出来とはいえないが、湯に浸かりながら「これも旅の醍醐味」と苦笑いする。明日の雨に備え、今日は早めにゲームセットとしよう。

みちのく慕情2025年07月13日

みちのく慕情
今日は朝8時にキャンプ場を出発し、約7時間かけて400キロのほとんどを地道で走った。左手には岩城山を望み、リンゴ園の中の農道を進む。信号はほとんどなく、行き交う車もまれで、ナビだけを頼りに走る。山間部や農村地帯では電波が届かないことが多く、ナビはGPSと地図情報のキャッシュで行き先を予測してくれるので、なんとか事なきを得ている。だが困るのは楽天モバイルだ。自社電波が届かない場所ではauのローミングを利用しているらしいが、ローミングの帯域は狭く、地図など大容量のデータの送受信がうまくいかないことがある。今や5Gの時代で情報量は膨大なのに、ローミングは通話音声と文字情報にかろうじて対応する旧式電波だ。ローミング圏に入るとカーナビが頼りなくなり、これには困る。もちろん車載のカーナビにもドコモの専用回線はあるが、山間部の林道では電波が途切れてしまうのは同じだ。しかも車の専用カーナビは運転中に気の利いた操作ができないため、ほとんど使わない。Appleのカープレイは音声入力でGoogleマップの操作ができるので重宝している。

これからは電波が届かないことが珍しくなるだろう。携帯電話各社は低軌道衛星から電波を拾えるようにし、悪天候以外は地球上どこでも今まで通りのネットサービスが使えるようになる。運転中に最も行き先を知りたいときに限って電波が途切れて狼狽える必要がなくなるのはありがたい。ちなみに、この技術はウクライナ戦争のドローン攻撃にも大きな役割を果たしているらしい。

竜飛岬は自衛隊のレーダー施設があり、ドローンは禁止されている。そのため、手前の観望台から空中撮影を行った。国防上の規制は仕方ないが、近年ドローン規制がやたらと強化されている。人家や人通りの多い場所は誤って落下した時の危険があるため理解できるが、人のいない国立公園まで禁止されているのは納得がいかない。仕方なく、もっぱら海上や湖上で飛ばしている。ドローンには障害物回避センサーやGPSによる自動帰還機能があり、突然頭上に落ちてくるような危険はないはずだ。新しいものを何でも危険視して規制しがちな国の体質とも言える。そういえば、高齢者の自家用車にこそセンサーを付けるべきなのに、票田に手をつけたくないのか全く進まないのが歯がゆい。

🎵「ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと、見知らぬ人が指をさす」🎵竜飛岬では石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」が盆暮れ問わず流れている。同じ青森のもう一つ北の大間崎では🎵「下北半島北の果て ゆきぐに女の泣く処 ああ風が風が吼えてる大間崎」🎵と歌う天童よしみの「みちのく慕情」があるが、こちらは歌が流れていなかった。やはりレコード売り上げの違いなのか、ビジュアルの問題なのか定かではない。「みちのく慕情」にも歌われる恐山に立ち寄った。硫黄ガスの匂いが漂い、火山岩をあちこちに積み上げて風車を立て、冥土のバーチャル空間を作り出している。これをプロデュースした人は誰なのだろう。恐山は平安時代の高僧・慈覚大師円仁が開山した霊場で、死者の霊を慰める場だ。風車は霊を慰め厄除けの象徴だが、恐山に風車を初めて設置した人物や時期は史料に残らず不明という。恐山は活火山の火山岩が豊富で、その岩を積み上げて風車の土台にする発想は、自然資源を活かし信仰と自然が調和した独特の景観を生んだ。風車は風を受けて回り祈りを届ける象徴で、荒々しい自然と死者への祈りが融合し、訪れる人々に深い感動を与える。ぐるっと回ると1時間はかかった。台風が明日夕刻から東北を直撃するらしい。盛岡を目指す予定だが台風に向かって走ることになる。夕方までに着けばなんとかなると呑気に考えていいものか。

弘前城・白神山地2025年07月12日

弘前城
今朝の青森は23度。まだまだ涼しい。茹だる京都の皆さんには申し訳ないが、東北の夏は別世界だ。弘前城の開門と同時に訪ねてみた。弘前城は、津軽藩の藩庁として1609年に築城が始まり、1611年に完成した。築いたのは、初代藩主・津軽為信の跡を継いだ信枚(のぶひら)である。現存する天守は、1810年に再建されたもので、東北で唯一の現存天守だ。三層三階の木造で、小ぶりながら風格と重みを湛えている。春には約2,000本の桜が咲き誇り、天守と桜の競演は全国にも知られる。

そんな弘前城だが、現在は曳屋工事の最中。長年の風雪と凍結・融解の繰り返しで石垣にゆがみが生じ、ついに修復が必要になった。天守は元々、天守台の東南角に建っていたが、石垣の積み直しのため仮移転中。言われてみれば、今は本丸のど真ん中に、ちょこんと所在なげに座っている。移動といっても、もちろんそのまま運んだのではない。鉄骨で補強し、慎重にずらして運ぶ。ボロボロのままでは崩れてしまうからだ。これほどの作業をしてまで元の姿を守ろうとする人々の熱意には、頭が下がる。お城は建て替えれば良いというものではない。コンクリートの名古屋城も中には入れない状態で、経年劣化はなんでも同じだ。全国で木造復元や保存の取組は現在30件以上が進行中だ。なかでも壮大なのは熊本城。地震で石垣が崩れ、完成予定は2052年というから気が遠くなる。弘前城の元の場所への帰還は、来年の春には間に合うらしい。桜咲く頃、また訪れてみたいものだ。

その後、旅行定番の洋館や由緒正しい禅寺の街並みを抜けて白神山地世界遺産センターへ。だがここで少し醒めた気分になった。どこのセンターでも「デジタル演出」や「バーチャル体験」に金をかけているが、結局「自然を守れ」という一方通行の押し付けに思える。土曜日とはいえ客はまばら、受付でかしこまって座ってないで、君らの声と熱で語ってほしい。上映があるというので300円払ってシアターに入ったが、150人規模の会場には私とおばちゃん二人きり。映像は確かに美しかったし、金のかかった立派なものだった。でも見終えてロビーを振り返ると、職員が二人がかりで客に道案内をしていた。熱意はある。でもなんだか歯車がずれているように感じて、そっとセンターを後にした。

今夜はさらに山奥、暗門渓谷のアクアグリーンビレッジANMONでキャンプ。テントは5張りほどで、ナマハゲキャンプ場のような“完全ボッチ”ではないのがありがたい。トイレの壁には「クマが出るぞ」と張り紙。まあ、東北の山だし、これくらいのスリルはご愛嬌だ。夜はぐっと冷え込んできた。冬用のジャンパーを引っ張り出して、ようやくちょうどいい。焚き火用の薪は、道の駅で買った500円のものの方が、キャンプ場で売っていた800円のより長持ちする。今夜も焚き火の前でバーボンを傾けて眠るつもりだ。明日は竜飛岬へ向かう。

酸ヶ湯温泉vs奥入瀬渓流2025年07月11日

酸ヶ湯温泉vs奥入瀬渓流
昨日。青森港のすぐそばにある「ねぶたの家 ワ・ラッセ」に寄った。名前の由来は「輪」+「ラッセ」(ねぶた踊りのかけ声)らしいけど、青森弁で「出せ」が「ラッセ」と訛る。「ろうそく出せや〜祭り盛り上げろや〜」が意味らしい。ねぶたの起源は、平安時代の朝廷が東北征服の一環で京都の七夕や灯籠流しを広めた事が始まりという。光や火で穢れを祓う事と、眠気を払う農民の眠り流し呪いとを融合し発展させてきたらしい。ねぶたの語源も「眠蓋」なんて説もあるけど、証拠はない。中央文化を地方に浸透させ人心を掌握する一種のソフト侵略とも言えるかも。でも、どっこい宇宙人DNAの東北人は「都のつまんねぇ呪い提灯なんか糞だべ。俺らは宇宙人だからビカビカ光らせんべ!」って言ったかどうかは知らんけど、都の文化と宇宙(地方)文化の融合がねぶたの真骨頂なら面白い。館内では、ハネトの踊りとか太鼓、チャンギリ(摺鉦)を演奏させてくれた。チョロっと参加するだけで祭り気分味わえて悪くない。

今日は奥入瀬渓流までドライブ&散歩。弘前の今朝は快晴。岩木山がドーン、八甲田も遠目にクッキリ。昨日は蒸し暑かったのに夜からいきなり涼しくなって、朝9時で23度。車のエアコン切って窓全開で気持ちいい。東北の夏はやっぱ涼しいもんだなぁと感心しつつ標高を上げていく。国道394号は「湯煙ライン」と呼ばれてて、酸ヶ湯のヒバ千人風呂とか足元湧出の蔦温泉、白濁の猿倉温泉と温泉マニアのオールスター共演。でも標高800m越えたとこで天気が豹変、前見えんほどのガス&時雨。気温は13度。下界と10度も違うわけで車のエアコンもいつの間にか暖房に変わっていた。生憎の曇天で、奥入瀬の水流は光が弱くて本気出せないと言い、晴れてたらマジ美しいからと渓流の岩がぼやく。「曇りってわかってたら酸ヶ湯で千人風呂入ったんだけどな」と返しておいた。

石ヶ戸休憩所に車を停め、石ヶ戸から阿修羅の流れ、雲井の滝まで往復1時間。正直、大したことはない。ただの渓流だ。沢登りしてた自分には普通すぎる。結局、奥入瀬はCMや観光パンフに使いまくってブランド化した勝利だろう。韓国や中国の家族連れもウジャウジャ来てるけど、彼らも「ブランド」を買いに来ているだけだろう。まぁ自分もブランドに釣られてんだけど、奥入瀬に着いて即座に思い直して酸ヶ湯温泉に軍配を上げたので、温泉軍団には許しを乞いたい。源泉掛け流しも温泉の良し悪しを決めるブランド力だけど、昨日と今日浸かったスーパー銭湯風の源泉掛け流し温泉は、直堀の温泉か問題が解決しない。確かに温泉効能書が保健所のハンコを押して脱衣場に掲げてあるのだけど、よく見ると貯蔵式とか書いてある。掛け流しというからには湧き出しでなくてはならない。この疑惑を是非解決したい。それはさておき、青森だけかもしれぬが入浴料が安い。秋田乳頭温泉等700円に対し、青森の津軽おのえ温泉もカランコロン温泉も450円。洗い場にはシャンプーも石鹸も置いてないが250円お得だ。だが、スーパー銭湯慣れした都会者はがらんとした洗い場の前で狼狽えてしまう。そもそも銭湯というものは自分でオケも手拭いも石鹸も持参するのが当たり前だった。いつの間にか「スーパー」旋風で手ぶら入浴が多数派を占めることになった。ただ問題はそこじゃない。直堀り湧き出し掛け流し問題なのだ。どうでもいいこと程ずっと気になる。

三内丸山遺跡と宇宙人2025年07月10日

遮光器土偶は宇宙人?
朝の5時に目がパチリと開いた。クマはいない。よかった〜と胸を撫で下ろして外を見ると、オートサイトの焚き火グリルの下の芝生が、あらら、丸く真っ黒に焼けているじゃないか。炭焼きステーキの下敷きかと思った。たぶん、伸びきった芝がカリッカリに乾いて、焚き火の熱で「ポンッ」といったのだろう。普通ならファイヤーシートってやつを敷く。ファイヤーシート、なんだか強そうな名前だ。でもそれを買いそびれていたのだ。すまないなぁと思いつつ、管理人さんに「ごめんなさいメモ」を残してキャンプ場を後にした。

今日の行き先は青森。これがまた遠い。おまけに最近、トイレが近くなった。寄るコンビニ、寄るコンビニで、コーヒーと休憩。コーヒーが休憩を呼び、休憩がまたトイレを呼ぶという、なんともはや無限ループ。途中、大潟村を通りかかった。ドーン!と広がる大規模農場。広い、広すぎる。まるで空港の滑走路に田んぼが生えてる。これならトラクターもコンバインも思う存分ブイブイ言わせて、採算も取れるというものだ。でも山間の田んぼはどうかというと、あれはあれで意味があるのだ。狭くて急で猫の額どころかネズミの額みたいな田んぼでも、水をたっぷり溜めて下流の災害を防ぐダムのような存在。そういう田んぼを、年配の農家さんが手放すと、そこから土砂災害がザザーンと始まる。結果、道が断たれ、物流が止まり、みんなで陸の孤島。田んぼは米を作るだけじゃなくて、山崩れを防ぐシステムでもあったのだ。つまり、農業の問題は、収支の問題だけじゃない、国土防衛の問題なのである。うーん、深い。

などとブツブツ考えていたら、青森に着いた。でかい。建物がでかい。でかすぎて、隣の県立美術館が小人に見える。三内丸山遺跡センター。2021年に世界遺産に登録されたというだけあって、威風堂々。敷地は東京ドーム8.5個分!そんなに歩けるかいな、ということでガイドツアーに参加したが、これがまた当たり。年配のボランティアガイドさんたちが、あったかくて手慣れていて、アレンジ自由自在。音声案内風の秋田の武家屋敷ガイドさんも少しは学んでほしいな。三内丸山遺跡はなんと4500年前から3000年前まで続いたという。ざっくり1500年。奈良時代から現代までより長いじゃないか。自分が小学生の頃は「縄文人は狩りと木の実でギリギリ生活してました」と教わったもんだが、今じゃ「交易して経済結構回ってました。栗も育ててました、燻製も作ってました」って言うじゃないか。そりゃ、弥生の稲作が津軽海峡を渡れなかったのも納得だ。縄文、案外やりおる。

それにしても、なんで滅びたのか。支配と私有が始まって文化が変わったのだというけれど、本当のところは縄文人に聞いてみないとわからない。個人的にはね、縄文人、ちょっと宇宙入ってると思っている。いや、真面目な話。青森の亀ヶ岡遺跡から出た遮光器土偶。あれ、どう見ても宇宙人。目がゴーグル。宇宙飛行士のアレ。よく「呪術目的で目を強調した」「女性のシャーマンを模した」と言われるけれど、いやいやいや、あれは宇宙服でしょう。宇宙から来た縄文人でしょう。だから進化したてのクロマニヨン人の農耕とか支配政治とか見て「ケッ!野蛮生物どもが」とか思っていたはず。だから宇宙人の血の濃さで日本人の政治や戦さ嫌いが決まるんんじゃないか。国防を考えない人のことを宇宙人て言うよなーなどと、勝手な妄想をしながらガイドの説明を聞いていたら、ほとんど頭に入っていなかった。だからこそ思う。夢想しても良い考古学は面白い。

後、ねぶた会館と源泉掛け流しの話があるけど、と長くなったので今日はここまで。また明日。

完全ぼっちキャンプ2025年07月09日

完全ぼっちキャンプ
ホテルのバイキングコースは、やっぱり危険だ。あれもこれもと食べたくなってしまう。ステーキが目に入れば皿にのせ、寿司が美味しそうだと思えばつい追加。ケーキもいいかなと手が伸び、気がつけばお腹は限界。気分が悪くなった。朝こそはと心に誓い、クロワッサンとトースト、小岩井農場のヨーグルトにフルーツミックス。控えめな朝食…のはずが、ハム、スクランブルエッグ、ソーセージまでしっかり取った。自制心の崩壊に苦笑しつつ、最後はカプチーノで締める。

ところが、コーヒーメーカーの前で前に並んでいたおばさんが大混乱。欲しいのはお茶のお湯らしいのに、ボタンを押すたびコーヒーが次々と抽出されていく。「なんでだべ…」と呟きながら、出てくるコーヒーをカップで受け右へ左へ。思わず「キャンセルしないと…」と声をかけかけたそのとき、スタッフが飛んできて後ろに並ぶ私たちに軽く会釈。おばさんは「お待たせしました」の言葉とともに去っていった。自動サーバー、確かにわかりづらいよね。

ホテルを出て向かうのは、ナマハゲの里・男鹿半島。最初に訪れたのは、標高355メートルの寒風山だ。ちょうど京都の天王山と同じくらいの高さ。爆裂火口の山で、木は一本も生えておらず、一面が草原。荒々しさと穏やかさが同居する不思議な風景だ。この山は約3,000年前の火山活動によって生まれた。現在活動の確認されていない火山だが、玄武岩質の溶岩によって形成された山体は、男鹿半島の地質の歴史を今に伝えている。山頂は広く平坦で、噴火口の痕跡も見てとれる。眼下には秋田の海岸線が広がり、風は心地よく、雲がたなびく空はどこまでも高い。しばらくその風景に立ち尽くした。

次に向かったのは、海辺の奇岩「ゴジラ岩」。本当にゴジラの横顔に見えるから面白い。そこから入道崎灯台へと続く道は、空の青と木々の緑が鮮やかに交差する絶景のワインディングロードだった。アプリを入れ直して復活したドローンを飛ばし、灯台を空から撮影。久々に心が躍る瞬間だった。そして、男鹿の象徴ともいえる「なまはげ館」へ。ここはナマハゲをテーマにした民俗資料館で、男鹿市内の60以上の地区から集められた実物の面と衣装が、ずらりと展示されている。「なまはげ勢揃いコーナー」の迫力は圧巻で、あれほどのナマハゲに一度に囲まれる体験は、他にないだろう。ナマハゲの起源にはいくつかの説がある。一説には、古代中国から渡ってきた鬼神が男鹿の山に住みつき、村人を困らせていたという話。もう一説では、冬に手足にできる火斑(ナモミ)を剥ぐ「ナモミ剥ぎ」が語源とされる。どちらにしても、大晦日の夜、鬼の面をかぶり藁装束をまとった男たちが「怠け者はいねが」と叫びながら家々を回るこの風習は、怠け心を戒め、無病息災や豊作を祈る神聖な行事だった。とはいえ、現代では「子どもへのハラスメントではないか」という声もある。

今夜の宿は「ナマハゲオートキャンプ場」。予約サイトでは比較的メジャーな場所だったのに、受付で言われたのは「今日はあなた一人だけです」とのひと言。クマが出ないよう賑やかなキャンプ場を選んだつもりだったが、まさかのソロ貸切。フリーサイト料金でオートサイトを提供してくれたのはありがたいが、心細さは隠せない。ビクビクしていると、後からライダーのグループが到着してテントを張り始めた。ほっと一息。時計を見るとまだ午後3時だが、すでに缶ビールを開けていた。秋田の風と酔いと静けさに包まれて、「クマが来るなら来い」と胸の内は妙に大きくなる。明日は青森へ向かう。