主婦年金と熱海の旅館 ― 2026年04月29日
年金制度というものは、気がつけば、まるで熱海の老舗旅館である。昭和の本館に平成の別館を継ぎ足し、さらに令和の新館まで無理やりドッキングした結果、廊下は曲がりくねり、階段は急で、どこが大浴場でどこが非常口なのか、案内板を三度見ても分からない。しかも、その案内板が少し黄ばんでいて、矢印が右を向いているのか左を向いているのかも判然としない。これが日本の年金制度である。
たとえば「第3号被保険者」。旅館でいえば、「お連れ様は無料でお風呂に入れます」という、たいへん気前のいいサービスに近い。しかも、そのお連れ様がどれだけ長湯しようが、タオルを何枚使おうが、宿のほうは終始にこやかである。ところが、これを公平にしようとして「では全員から入浴料をいただきます」とやると、今度は「うちは風呂に入らぬ主義でして」という人まで巻き込むことになる。制度というものは、一度ゆがんだ廊下を造ると、後から真っすぐに直すのが実に難しい。
しかも厄介なのは、経済成長を目指そうという時期に、家計の可処分所得を減らすような制度改正を、「公平です」と胸を張って差し出してくるところである。これは旅館の夕食で、刺身そのものは据え置きのまま、“ツマだけ増量しました”と言われるようなものだ。いや、そこではない。客が欲しいのは大根の千切りではなく、マグロである。
本当に公平を言うなら、やるべきことはもっと単純だ。完全個人単位の年金制度である。誰と結婚していようが、扶養だろうが別居だろうが、そんな事情は制度に持ち込まない。稼いだ人がその分だけ負担し、将来その分だけ受け取る。これ以上分かりやすい仕組みはない。所得比例にすれば、働けば働くほど手取りは増える。いまのように「130万円で止めると得です」という、まるで“食べ放題なのに途中で帰った方が元が取れる”ような妙な逆転現象も消える。
では、働かない配偶者はどうなるのか。そこは個人の選択である。働かない自由はある。ただし、制度上の“タダ乗り席”までは用意しない、というだけの話だ。もっとも、世帯収入が300万円を下回るような家庭まで突き放してはならない。そこは給付付き税額控除で下支えする。旅館でいえば、「お風呂は有料ですが、収入の少ないお客様には割引券を差し上げます」という話で、じつに筋が通っている。
つまり、完全個人年金と給付付き税額控除を組み合わせれば、公平性を確保しながら、家計にも財政にも無理な打撃を与えずに済む。しかも、多くの働く人の可処分所得は増える。経済成長にも追い風になる。旅館でいえば、迷路のような廊下をすべて取り払い、一本のまっすぐな通路にして、浴場も食堂も迷わず行けるように配置し直すようなものである。
公平を言うなら、刺身のツマを増やして満足していてはいけない。皿そのものを作り直すべきなのである。制度もまた料理と同じだ。盛り付けをいじるより、レシピから変えたほうが、話はずっと早い。
たとえば「第3号被保険者」。旅館でいえば、「お連れ様は無料でお風呂に入れます」という、たいへん気前のいいサービスに近い。しかも、そのお連れ様がどれだけ長湯しようが、タオルを何枚使おうが、宿のほうは終始にこやかである。ところが、これを公平にしようとして「では全員から入浴料をいただきます」とやると、今度は「うちは風呂に入らぬ主義でして」という人まで巻き込むことになる。制度というものは、一度ゆがんだ廊下を造ると、後から真っすぐに直すのが実に難しい。
しかも厄介なのは、経済成長を目指そうという時期に、家計の可処分所得を減らすような制度改正を、「公平です」と胸を張って差し出してくるところである。これは旅館の夕食で、刺身そのものは据え置きのまま、“ツマだけ増量しました”と言われるようなものだ。いや、そこではない。客が欲しいのは大根の千切りではなく、マグロである。
本当に公平を言うなら、やるべきことはもっと単純だ。完全個人単位の年金制度である。誰と結婚していようが、扶養だろうが別居だろうが、そんな事情は制度に持ち込まない。稼いだ人がその分だけ負担し、将来その分だけ受け取る。これ以上分かりやすい仕組みはない。所得比例にすれば、働けば働くほど手取りは増える。いまのように「130万円で止めると得です」という、まるで“食べ放題なのに途中で帰った方が元が取れる”ような妙な逆転現象も消える。
では、働かない配偶者はどうなるのか。そこは個人の選択である。働かない自由はある。ただし、制度上の“タダ乗り席”までは用意しない、というだけの話だ。もっとも、世帯収入が300万円を下回るような家庭まで突き放してはならない。そこは給付付き税額控除で下支えする。旅館でいえば、「お風呂は有料ですが、収入の少ないお客様には割引券を差し上げます」という話で、じつに筋が通っている。
つまり、完全個人年金と給付付き税額控除を組み合わせれば、公平性を確保しながら、家計にも財政にも無理な打撃を与えずに済む。しかも、多くの働く人の可処分所得は増える。経済成長にも追い風になる。旅館でいえば、迷路のような廊下をすべて取り払い、一本のまっすぐな通路にして、浴場も食堂も迷わず行けるように配置し直すようなものである。
公平を言うなら、刺身のツマを増やして満足していてはいけない。皿そのものを作り直すべきなのである。制度もまた料理と同じだ。盛り付けをいじるより、レシピから変えたほうが、話はずっと早い。