憲法96条問題2026年05月14日

憲法96条問題
国会という場所は、どうも“本丸を避ける名人”が揃っているらしい。毎年のように「憲法改正の議論を深めるべきだ」と威勢のいい声が飛ぶ。ところが、いざ始まると出てくるのは緊急事態条項だの任期延長だのオンライン国会だの、いわば“台所の蛇口が壊れているのに、動かしようのない棚の位置を延々と議論している”ような話ばかりだ。本当に直すべきは蛇口なのに、誰もそこへ手を伸ばそうとしない。蛇口とはもちろん、憲法96条である。

この96条、日本国憲法を改正するには、衆議院と参議院のそれぞれで総議員の3分の2以上の賛成が必要だという条文だ。しかも、その先には国民投票まで待っている。つまり、どれほど改憲論を戦わせても、96条を突破できなければ国民投票の土俵にすら上がれない。国会で何年議論しようが、最後は“ゼロ”。ゼロのまま「議論は深まった」と胸を張るのだから、これはもう砂漠で井戸を掘るふりをしながら、実際にはスコップで砂遊びをしているようなものである。

しかも厄介なのは、この3分の2という数字が、参議院制度と組み合わさることで、ほとんど“開かずの扉”になっていることだ。衆議院はまだいい。小選挙区制の追い風で、大勝すれば3分の2に届くこともある。しかし参議院はそうはいかない。半数改選なので、一度の選挙で議席は半分しか動かず、1人区では野党共闘も効きやすい。つまり参議院は、そもそも“3分の2を作りにくい構造”なのである。

つまり日本の改憲論というのは、実は「改憲案の中身」で止まっているのではない。“入り口の鍵”が硬すぎて前に進めないのである。

これを子どもでも分かるように説明する方法がある。学級会で「デザートはプリンかアイスか」を決める。普通なら多数決で決まる話だ。ところが先生が突然、「奇数番号の班の班長会議と、偶数番号の班の班長会議、その両方で3分の2以上の賛成が必要です」と言い出す。するとプリン派もアイス派も、それぞれ過半数くらいの支持は集めるのに、どちらかの会議で届かない。結局、何も決まらない。子どもたちは「半分以上が賛成しているのに、なんで決まらないの?」と首をかしげるだろう。これが96条の現実である。多数が支持しても、“3分の2の壁”の前では止まってしまう。

では、なぜ国会は96条そのものを正面から議論しないのか。理由は単純で、「ルールを変えてまで憲法を変えるのか」という反発を政治家が恐れているからだ。しかし皮肉なのは、その“ルール”自体が、日本の政治制度を極端に硬直化させている点にある。本来なら、改憲に賛成か反対か以前に、「入口の条件として妥当なのか」を議論しなければならない。ところが学校でもメディアでも、理念論ばかりが先に走り、制度設計そのものはほとんど共有されない。

だから国会は、96条を避けたまま周辺だけをいじる。いじって、いじって、いじり倒して、結局なにも変わらない。変わらないのに「議論は深まった」と胸を張る。これを欺瞞と言わずして何と言うのか。「議論を深めれば民意が惹起され、野党も賛成に回る可能性がある」という主張は、正義としては期待したい。だが国会は議論が深まれば深まるほど、与党は与党の顔、野党は野党の顔を守らねばならず、支持母体の視線が背中にビシビシ刺さる。国会の2/3はコンクリートで固めた壁。議論で動くように見えて、実はまったく動かないのである。

憲法審査会で、実現可能性の低い改憲案を延々と並べているくらいなら、一度、議員たち自身が「プリンかアイスか会議」を体験したほうがいい。国会のセンセー方なら、プリンかアイスではなく、おはぎか団子でも構わない。奇数班と偶数班に分かれ、それぞれで3分の2以上を取らなければデザートなし――。何なら両派の後ろに、おはぎ協会と団子促進会の“協賛”までつけてみればいい。おそらく十分もしないうちに、「こんなルールでは何も決まらないじゃないか」という声が飛び始めるだろう。国会が避け続けてきたのは、まさにその“決まらなさ”そのものなのだ。

その瞬間、彼らは初めて、自分たちが毎年やっている“憲法論議ごっこ”の正体に気づくのかもしれない。