知事ら「もっと買い戻せ」 ― 2026年09月04日

山形知事「もっとコメを買い戻せ」
コメどころの知事たちが県庁の会見室で、「もっと買い戻してほしい」と声を張り上げている。ニュースは米価下落、概算金4割減、農家の嘆きを伝え、さらに民間在庫243万トンという数字を添える。読者は「そんなに米が余っているのか」と思わず茶碗を置く。しかし読み終えると胸に“モヤモヤ”が残る。炊きたてのご飯に小石が一粒まぎれ込んだような違和感である。その正体は、「もっと買え」という知事の要求だけでは、なぜ米価がこれほど乱高下するのか、その構造にまったく届いていないことだ。

現行の政府備蓄制度は100万トンを確保し、年間20万トンほどを入れ替える仕組みである。ところが2023年度には40万トンを超える需給ギャップが生じた。40万トンの振れ幅がある市場に、20万トンのローテーションで挑むのは、お茶碗一杯のご飯で大盛りの腹を満たそうとするようなものだ。制度の器が小さすぎるのである。しかも問題は備蓄量だけではない。需給の「許容ゾーン」そのものが狭く、少し不作になれば価格が跳ね上がり、増産すれば今度は余剰感で価格が沈む。まるで振り子が左右にブンブン振れ続けているような市場である。この振り子を抑えるには、備蓄とともに平時から一定の増産余力を確保し、需給の幅そのものを広げる必要がある。

そこで必要なのは、備蓄米を非常時の倉庫ではなく市場安定装置へと格上げする発想である。政府を市場の外に置くのではなく、平時から大口の市場参加者として位置づけ、価格が下落すれば買い入れ、上昇すれば放出する。ただし買い入れや放出の条件を細かくルール化してはならない。平時に必要なのは「年間にどれだけ備蓄するか」という単一のルールだけである。市場には大口のアンカーが不可欠であり、政府がその役割を担えば市場はその存在を前提に形成される。価格の上下は当然起きるが、それはビジネスとして割り切ることで生産性向上の原動力となる。

大きな買い手が一人いるだけで市場の性格が一変するのは、米市場も例外ではない。所得補償は他国のように別枠で行えばよく、現状でもならし制度や保険によって制度加入者には過去5年間の平均所得の9割が保障される仕組みがある。したがって「価格が暴落すれば明日にでも廃業」という報道は煽り過ぎであり、実際には大きな変動は大口アンカーとして政府が平時から市場に参加することで抑制できる。これこそが市場を機能させるための最低条件である。

一方で、民間在庫243万トンの問題も避けて通れない。在庫が膨らんだ背景には、生産量と消費量の関係、集荷、販売、流通などの問題がある。JAだけでなく、県の生産誘導や農業政策も無関係ではない。それなのに「国はもっと買い戻せ」という議論だけに終始すれば、なぜ民間在庫がここまで積み上がったのかという本質が見えなくなる。農家の声を聴けと言いながら、農家の経営を揺らす需給構造には触れない。消費者の声を聴けと言いながら、価格が振れやすい狭い需給ゾーンにも目を向けない。これでは「国だけを悪者にしていないか」と感じても不思議ではない。米袋の陰で誰がどれだけ積んでいるのか、その影が見えないままなのだ。

だから本当に農家と消費者の声を聴くなら、知事が言うべきは「もっと買え」ではなく「米の需給構造と備蓄制度を改革せよ」である。備蓄規模を見直し、政府を市場の大口参加者として位置づけ、買い占め売り惜しみをある程度抑止できるようにする。同時に、需給の許容ゾーンを広げるため、平時から一定の増産余力を確保する必要がある。40万トンを超える需給変動が起こり得る市場で、100万トンを5年で回す現在の制度だけで十分と言えるのか。制度は昭和のままどころか、中身は古古古米である。問題は「もっと買え」ではない。政府が市場の外に立ち、供給余力も狭いまま放置されている制度そのものを改めよ、という点にある。そこまで踏み込んでこそ、胸に残ったモヤモヤは晴れ、朝ごはんを気持ちよくいただけるのである。

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