マダニシカと奈良公園2026年06月17日

マダニシカと奈良公園
奈良公園という場所は、どうも人間とシカの距離が近すぎる。近いどころか、ほとんど「同じ縁側で麦茶を飲んでいる親戚」くらいの距離感である。ベンチに座れば横から鼻先を突っ込んでくるし、観光客が袋を開ければ「それは私への供物ですね」と言わんばかりの顔をする。人間のほうも警戒心が薄い。シカせんべいを差し出し、写真を撮り、ついでに頭まで撫でてしまう。ここまでくると、観察しているのは人間ではなくシカのほうではないかと思えてくる。あの黒い目は、たぶん観光客の行動パターンをすっかり学習している。

ところが、この牧歌的な光景の裏には、少々やっかいな同居人がいる。マダニである。米粒ほどの大きさしかないくせに、吸血すると別人――いや別ダニのように膨れ上がる。小さいから可愛げがあるかといえば全然そんなことはなく、SFTS(重症熱性血小板減少症候群)という、名前だけで病院の待合室を連想させるような感染症を媒介する。SFTSにかかると血小板が減る。血小板と言われてもピンと来ないので、人間の体を一軒の家だと思ってみる。血管は外壁、血小板は外壁の傷を見つけては補修に走る塗装職人である。

外壁というものは毎日少しずつ傷む。小さなひびや剥がれができるたびに、職人たちが「はいはい、今行きますよ」と脚立を抱えて駆けつける。ところがSFTSウイルスは、その家にしつこい酸性雨を降らせるようなものだ。最初は小さな剥がれでも、雨が続けば傷は増える。職人はあちこちへ呼び出され、休憩する暇もない。しかも厄介なことに、このウイルスは職人を育てる本社、つまり骨髄にまで負担をかける。新人が入ってこない。ベテランは疲れ切る。免疫反応の混乱で、まだ働ける職人まで現場から帰されてしまうこともある。こうなると外壁の補修は追いつかない。人間でいえば皮下出血、鼻血、歯ぐきからの出血が起きる。さらに傷みが広がれば、脳や内臓といった家の基礎部分にまで影響が及ぶ。これがSFTSの怖さである。

そして、そのウイルスを運んでくるマダニにとって、シカは理想的な住まいだ。広い、暖かい、毛深い、おまけによく移動する。マダニ向け不動産広告があるなら、「食事付き、暖房完備、送迎サービスあり」と大書きされるだろう。シカは自分が大家をしている自覚などないだろうが、マダニから見れば高級マンションのオーナーみたいなものである。奈良公園には多くのシカがいる。そして何より、人との距離が近い。シカが観光客の服に鼻を押しつける。芝生でくつろぐ人のそばを歩く。子どもがしゃがめば横から覗き込む。もちろん、マダニが必ず人へ移るわけではない。しかし宿主同士の距離が近ければ、マダニにとって行き来の機会が増えるのは確かだろう。マダニにしてみれば、シカから人間への乗り換えは引っ越しというより、同じマンション内で部屋を替わる程度の感覚かもしれない。

だから奈良公園は不思議な場所である。世界的な観光地であり、シカとの触れ合いを楽しめる一方で、自然が持つ別の顔も確かに存在する。もっとも、その当のシカは今日も芝生の上でのんびり反芻している。観光客は写真を撮り、シカせんべいを差し出し、マダニはどこかで静かに機会をうかがっている。人間だけが「あれも心配、これも心配」と頭を抱えているわけだ。シカのほうはそんな事情など知る由もなく、「せんべいはまだですか」という顔でこちらを見ている。たぶん奈良公園で一番気楽に暮らしているのはシカである。人間はマダニを警戒し、マダニは人間を探し、行政は注意喚起の看板を立てる。その横でシカだけが、いつも通り芝を噛みながら次のせんべいのことを考えているのである。

サグラダ・ファミリア教会2026年06月12日

サグラダ・ファミリア教会
ガウディ没後100年ということで、新聞なんぞが「天才建築家ガウディ、いまなお輝く」などと大真面目に書いている。が、読んでいて私は「いや、そこじゃないだろ」と、小さく首を傾げてしまうのである。

ガウディという人を一言で言ってしまうなら、あれは「自然を四六時中ガン見していたおじさん」に他ならない。しかも、ただボーッと眺めていたのではないのだ。木を見れば「これは柱だな」、貝殻を見れば「これは階段だな」、蜂の巣を見れば「これは天井だな」と、自然界のカタチを片っ端から建築に翻訳してしまう。散歩をしているのか研究をしているのか、本人の中でも境界が完全に溶けてしまっている。ここにガウディの、ある種の「軽い狂気」がある。そしてその狂気は、「自然=神の法則=構造の最適解」という、彼独自のコワモテな等式に支えられている。要するに、自然を見ては「これ、使えるな」とニヤリとするタイプの人なのだ。

ここで、わが国の寺社仏閣を思い起こしてみる。同じ自然を相手にしていながら、アプローチがまるで違うから面白い。日本の寺社は、自然と仲良く“共存”する建築である。柱は太くまっすぐ、屋根はどっしり反り返り、雨は受け止めて流し、地震にはゆらゆら揺れて耐える。自然は強いんだから、こちらはしなやかに受け流そうという、いかにも日本人的な思想である。祈りの場としては、静けさと余白と陰影でもって、人を日常から切り離す。いわば「自然の中にそっと居候させていただく」タイプの祈りなのだ。

一方のガウディである。彼は自然を観察し、模倣し、構造化し、建築に再構成する。日本が「自然とお友達になりましょう」なら、ガウディは「自然を解析して、その最適解を盗んでやろう」なのだ。あのサグラダ・ファミリアは、自然の法則と聖書の物語と構造力学を全部いっしょくたに建物に押し込んだ、いわば“石のフルコース”である。祈りの場でありながら、自然の法則をそのまま建築に翻訳した巨大な実験装置でもあるのだから恐れ入る。光は色彩の洪水として降り注ぎ、曲線は植物のように伸び、柱は樹木のように分岐する。日本が「静けさの祈り」なら、ガウディは「光の祈り」なのだ。

その違いが、もっとも露骨に現れるのが「塔」というやつである。日本の五重塔は、心柱がゆらゆら揺れて地震をいなし、屋根が大きく張り出して雨を受け止める。自然に対して“受け身の達人”である。一方、サグラダの塔はどうか。中空で風がスースー抜け、雨が入っても下へ落ちて勝手に乾き、熱は上昇気流で逃げていく。あの螺旋階段にいたっては、人間のためではなく、塔自身が筋トレをするための補強リブ(骨組み)なのだという。日本の塔が「揺れて耐える」なら、サグラダの塔は「軽くて抜けてるから、そもそも揺れにくい」。同じ祈りの塔でも、思想のベクトルが真逆なのだ。五重塔が「自然と一緒に揺れる」なら、サグラダの塔は「自然の法則を先回りして形にする」のである。

没後100年たってもガウディが古びないのは、見た目が奇抜だからではない。重力、光、風。どう考えても現代の流行とは無縁な、この“地味な三点セット”だけを相手にしているからだ。流行のデザインというやつは10年も経てばたちまちダサくなるが、重力はダサくならない。風も光も、100年後もまったく同じ顔をして吹き、同じ顔をして差し込んでくる。サグラダの塔は、その三つに対するガウディなりの回答が、170メートルの高さでカチコチに固まったものだと言っていい。要するにガウディは、「いいか、自然を見ろ。自然に従え。そこに神様もいるし、構造の答えもあるんだよ」と、100年後のわれわれの耳元で、ややしつこめに語りかけてくるタイプのおじさんなのである。

ゴミ出し工夫でクマが減るのか2026年06月11日

ゴミ出し工夫でクマが減るのか
去年の日本は、どうもクマにとって「人里観光キャンペーン元年」だったらしい。秋田では住宅街にふらりと現れ、富山では犬の散歩中の女性を襲い、仙台では県庁近くのマンションに十時間も居座った。まるで旅行サイトの口コミを読みながら「今日はここに泊まろう」と宿を探している旅人のようである。結果は死者6人、負傷者200人超。数字だけ見れば立派な非常事態だ。ところが、その後に聞こえてきたのは「来年はクマの数をどうするか」ではなく、「出てきたらどう対応するか」という話ばかりだった。クマの側からすれば「今年もよろしくお願いします」である。

よく「ゴミ出しが悪いからクマが来る」と言われる。もちろん無関係ではない。しかし、それは空腹で街へ出た人が、たまたま目に入ったラーメン屋の赤提灯につられて暖簾をくぐるようなものだ。提灯があるから街へ来たのではない。先に「腹が減った」がある。山ではシカが下草を食べ尽くし、イノシシが地面を掘り返し、ドングリは凶作続き。山の食堂には「本日休業」の札がぶら下がったままだ。クマは仕方なく人里へ降り、そこで見つけたゴミをあさる。ゴミは原因というより、下界で見つけたデザートに近い。メインディッシュがないなら、せめて甘いものでも、というわけだ。

本来、人身被害が繰り返し発生した地域では、翌年に向けて重点的な管理を行うのが自然な発想である。北米などでは個体数管理や問題個体の排除を含めた総合的な対策が広く行われている。しかし日本では、環境省は「共存」を掲げ、農林水産省は鳥獣被害対策を担いながらも個体数管理の主導権は持たず、自治体は人員不足を訴える。結果として、「誰がどこまで責任を持つのか」が曖昧なままになる。人間の縄張りには行政の境界線がびっしり引かれているのに、クマはそんな線を見てくれない。役所の都合を理解して山を下りてくるほど、律儀な動物でもないのである。

自治体からは「猟師の高齢化が深刻でして」という説明も聞こえてくる。確かにそれは事実だろう。しかし、だから何もできないという話にはならない。被害が集中している地域へ周辺自治体の捕獲人員を集中的に投入すればよい。火事が起きれば消防は応援を呼ぶ。豪雨災害が起きれば自治体の枠を超えて職員が派遣される。クマだけが「担当者不足なので仕方ありません」で済まされる理由はない。必要なのは鉄砲の数より、制度の設計である。

ところが政府のクマ対策会議で前面に出てくるのは、AIカメラ、ドローン、情報共有システム、ゴミ管理、麻酔銃といった対策だ。どれも必要ではある。しかし、それらはあくまで市街地へ出てきた後の対応策である。火災で言えば消火器の話であって、なぜ火事が増えたのかという議論ではない。肝心の個体数管理や生息域管理の議論は、どうにも後景へ追いやられている。火元は山にあるのに、議論はいつも街角の消火器の前で終わってしまう。

六人が命を落としている以上、本来問われるべきなのは「クマが現れた後にどうするか」ではなく、「なぜ毎年のように現れるのか」である。対症療法だけを積み重ねても、人里へ降りてくるクマが減らなければ被害は繰り返される。クマにも事情はあるのだろう。しかし、人間にも生活がある。共存という言葉を本気で使うなら、まずは現実の個体数と生息環境に向き合うことから始めるべきだ。

人もクマも、もう十分に様子見はした。増えすぎた大型動物と市街地で「共存」するのは、言葉で言うほど簡単な話ではない。玄関先でクマと鉢合わせして「お先にどうぞ」と譲り合えるほど、人間は器用でも胆力があるわけでもないのである。山で静かに暮らしてもらうためにも、人間側が本気で山と個体数に向き合うしかない。そろそろ必要なのは掛け声ではなく、本気の対策だろう。

飛鳥・藤原宮跡と日本神話2026年06月07日

飛鳥・藤原宮跡と日本神話
飛鳥・藤原宮跡が世界遺産登録の勧告を受けた。めでたい話である。めでたいのだが、ニュースを眺めながら妙な気分にもなる。日本最初の本格的な都城が「人類共通の財産です」と国際的にお墨付きをもらうまで、ずいぶん時間がかかった。まるで実家の押し入れから出てきた古いアルバムを見て、「ああ、うちにもちゃんと歴史があったんだな」と今さら気づくような話である。

考えてみれば、日本の古代史というのは長いあいだ、どこか片目をつぶったまま眺められてきた。中国の史書は熱心に読む。だが日本神話になると、急にみんな視線をそらす。古事記や日本書紀は、本棚の上段に置かれたまま「触らないほうが無難です」という空気をまとっていた。おかげで古代史研究は、地図の半分だけ広げて旅に出るような状態になった。目的地を探しているのに、肝心のページが折り畳まれたままなのである。

世界では少し事情が違う。考古学者という人種は案外ロマンチストだ。ギリシャではホメロスの物語を頼りにトロイを探し、中国では長く伝説扱いだった殷王朝を甲骨文で掘り当てた。インドでも叙事詩に登場する地名を追いかけて遺跡が探されている。要するに「そんな話が残っているなら、一度スコップを入れてみよう」という発想である。世界標準では、神話は信じるものでも否定するものでもない。まず掘るための地図なのだ。

ところが日本では、戦後になると神話は急に扱いづらい存在になった。国家神道への反省もあったし、神話が歴史として教えられた時代への警戒もあった。事情は理解できる。だが戦後の教育現場には、「神話に触れるとどこか思想の地雷を踏むのでは」という、誰が決めたとも知れない妙な緊張感が長く漂った。その緊張感は、教室の床下に“どこに埋まっているか分からない地雷”があるようなもので、誰も確かめようとしないまま年月だけが過ぎていった。警戒心というのは便利なもので、ときとして必要なものまで物置にしまい込む。包丁が危ないからといって台所ごと封鎖するような話である。気がつけば神話そのものが遠ざけられ、「触れないのが大人」という妙な空気だけが残った。

その結果、日本の古代史はどこか窮屈になった。魏志倭人伝はもちろん重要である。だが古代日本を理解する手がかりが中国の史料だけで尽くせるなら、わざわざ日本列島に何万もの遺跡が残っている意味がない。近年になって、纏向遺跡の巨大な姿が見え、箸墓古墳の年代が絞り込まれ、藤原宮跡の都市計画が明らかになるにつれ、神話の中に描かれた政治統合や地理感覚と重なる部分も見え始めた。もちろん神話がそのまま史実だという話ではない。だが、まったくの空想話にしては妙に土地勘が良すぎるのである。

神話というものは面白い。英雄が現れ、国を造り、争い、和解し、ときにはとんでもない失敗もする。物語として読んでも十分楽しい。だから本来は国語の教材としても優秀だし、歴史への入口としても使いやすい。神話を読んだ子どもが「その場所はどこにあるの」と興味を持ち、遺跡を訪ねる。そうやって考古学へ進む子がいてもいい。神話は信仰でも教義でもなく、まず文化なのである。

今回の世界遺産勧告は、飛鳥・藤原の価値が認められたというだけの話ではないように思う。長いあいだ押し入れにしまわれていた古い地図を、ようやく広げ直す時期が来たという知らせにも見える。神話は神話、考古学は考古学である。しかし両方を机の上に並べてみると、これまで見えなかった輪郭がふっと浮かび上がることがある。古代史という風景は、どうやら片目だけでは見えないらしい。せっかく二つあるのだから、そろそろ両目を開いて眺めてみてもよい頃だろう。もっとも、古事記を読んだからといって翌日から神武東征に出発する人はいない。桃太郎を読んだから鬼ヶ島へ遠征しないのと同じである。神話は読むだけで人を変身させる魔法の書ではない。だったら怖がる必要もない。むしろ読まずに遠ざけてきたことのほうが、少しばかり不自然だったのかもしれない。

京都大深度とガンモドキ2026年05月03日

京都大深度シールド工法とガンモドキ
北陸新幹線の延伸をめぐり、京都の地下深くをシールドマシンで突き進もうという計画が、いま大きなざわめきを呼んでいる。だが「トンネルを掘る」といっても、相手はただの土ではない。京都の地下とは、巨大ながんもどきのようなものだ。表面の粘土層は揚げたての皮のようにしっとりしているが、その奥には山から転がり込んだ砂利や岩がぎっしり詰まり、隙間には千年の都を支えてきた“出汁”、すなわち地下水がたっぷり染み込んでいる。

議論の核心は、この出汁をどう守るかだ。本来、大深度地下とは建物の杭も届かぬ“都市の最後の空白地帯”である。だが京都は違う。地下水脈は酒蔵の命であり、豆腐屋の商売道具であり、茶の湯の美意識そのものだ。その下を、巨大な鉄の円筒を回転させながら進むシールドマシンが横切る。これが地下に長大な仕切り板となり、水の流れをせき止めるのではないか。誰もが息をのむ。

技術者は胸を張る。「豆腐に針を通すように、瞬時に穴を開け、すぐ固める。水は漏らさない」と。頼もしいが、相手は具材の偏ったがんもどきである。硬い岩に刃が止まれば圧力が乱れ、地下水がジュワッと噴き出すかもしれない。あるいは見えぬところで水脈が細り、井戸が静かに枯れるかもしれない。一度濁った名水は、札束を積んでも戻らない。

大阪のなにわ筋線は地下五十メートルで奮闘中だ。あちらの敵は過去の杭や基礎の残骸で、食べ終えた魚の骨を一本ずつ抜くような外科手術である。だが京都に求められるのは、もっと繊細な仕事だ。水脈を避け、地盤を乱さず、文化財の足元を揺らさず、暗闇の中で毛細血管を縫うように新たな大動脈を通す。

さらに恐ろしいのは地上への影響だ。五重塔は堂々として見えて、実は絶妙な重心と木組みの均衡で立っている。地下工事で片側だけわずかに沈めば、一ミリの傾きでも大騒ぎだ。釘一本使わぬ古建築に地下の振動がじわりと伝わる。想像するだけで、技術者の胃は痛み、関係者の夜は浅くなる。

国と経済界は「日本海と太平洋を結ぶ大動脈のためには、このがんもどきを貫くしかない」と言い、地元は「この繊細な風味こそ京都の本体だ。穴だらけにするな」と叫ぶ。どちらにも理があり、どちらにも欲がある。

政治を脇に置いても、求められているのは人類未踏の精密な豆腐細工だ。シールドの刃が地下でガリッと鳴った瞬間、京都の井戸から茶の香りが消えるのか。それとも最新技術が奇跡のバイパス手術を成功させ、地下には新幹線、地上には清らかな水という共存が実現するのか。

我々にできるのは、この高価すぎるがんもどきの行方を見守ることだけだ。願わくば、千年かけて染み込んだ出汁が、一時の便利さで濁らぬように。

バンクシーの正体2026年03月17日

バンクシーの正体
覆面芸術家バンクシーの正体を、ロイター通信が「ロビン・ガニンガム氏」と特定したとする報道が世界を駆け巡った。2008年にも同様の指摘はあったが、今回は米国での逮捕資料を入手し、署名や供述内容などから裏付けたという。だが当のバンクシー側は多くを認めず、匿名性こそが権力に真実を語るための条件だと突き放した。この応酬そのものが、彼の作品の核心を改めて浮かび上がらせている。

バンクシーの匿名性は、単なる身元の秘匿ではない。政治的自由、法的防御、市場批判、そして神話性――それらを同時に成立させるための、周到に設計された装置である。反戦、反資本主義、監視社会批判。彼の作品はつねに権力の急所を突いてきた。もし実名で活動すれば、逮捕や監視のリスクは跳ね上がり、作品は検閲の網に絡め取られるだろう。無許可で壁に描くという行為そのものが制度への批評であり、公共空間の所有を問い直すメッセージでもある。今回明らかになった2000年のニューヨークでの逮捕歴は、その緊張関係を象徴する出来事と言える。

制作の手法もまた、匿名性を守るために組織化されている。ステンシルを事前に作り込み、現場では5〜20分ほどで一気に仕上げ、証拠を残さず撤収する。そして後日、公式認証機関「ペスト・コントロール」が真贋を保証する。壁画そのものでは利益を得ず、版画や公式グッズが主な収入源となる。匿名のまま作品を流通させ、市場まで成立させる。この奇妙な仕組みは、アートが資本と結びつく現代の構造そのものを、内側から皮肉っているかのようでもある。

興味深いのは、こうした「無許可の政治的アート」が国によってまったく異なる受け止め方をされる点だ。英国では、一般の落書きは治安悪化の象徴として嫌われる一方、バンクシーの作品は風刺文化と反権力精神の象徴として歓迎されることも多い。市民が作品を保護し、観光資源として誇りにすら感じる例もある。しかし行政にとっては無許可の落書きであることに変わりはない。消せば批判され、残せば模倣を招く。いわば「違法だが文化財」という矛盾の中で扱われているのである。

欧州ではストリートアートを都市文化として受け入れる傾向が比較的強く、作品が街のアイデンティティとして保存される例も少なくない。米国では市民の支持と行政の規制が併存し、日本では関心こそ高いものの、制度としてはなお厳しく拒まれる。壁に描かれた一枚の絵が、社会の公共観や権力観をあぶり出す。ストリートアートをめぐる反応は、その社会がどのような政治文化を持つかを映す鏡でもある。東京都港区の防潮扉に描かれていたネズミの絵は、バンクシーの作品だとされている。都知事はこれを即座に消すのではなく、むしろ保護する姿勢を示した。日本では一般的な落書きは厳しく排除される一方で、この作品だけは例外的に扱われた。そこには、単なる“落書き”ではなく、社会的メッセージを帯びたアートとしての価値を認める空気がわずかに芽生えているようにも見える。

結局のところ、ロイターの報道が示したのは、バンクシーの「正体」そのものではない。むしろ逆だ。正体を暴こうとするたびに、彼の作品の仕組みはより鮮明になる。匿名であること自体が、すでに一つの表現だからである。権力や市場がその仮面を剥がそうとするたびに、皮肉にもその作品は完成に近づいていく。バンクシーとは、一人の人物の名前というより、現代社会が生み出した一つの寓話なのかもしれない。

市バス料金でお茶を濁す市長2026年02月26日

市バス料金でお茶を濁す市長
京都市がオーバーツーリズム政策で打ち出したバス代の「市民優先価格」は、市民に寄り添う政策のように聞こえる。市バス運賃を観光客は350〜400円、市民は200円に据え置くという二重価格制である。だが、その仕組みを知れば、手放しで拍手する気にはなれない。市民割引のためにマイナンバーとICカードを紐づけ、全車両に新型精算機を導入するという。対象は市バス約800両。仮に1台数百万円としても、投資額は数十億円規模に膨らむ。市民かどうかを識別するために、そこまでの重装備が本当に必要なのか。

しかも不可解なのは、観光税導入に背をむけていることとの整合性である。2026年には宿泊税の大幅引き上げが決まっており、観光客が都市交通や観光地に与える負荷が大きいことはすでに明らかだ。それにもかかわらず、「宗教団体等の業界の反発」や「事務の煩雑さ」を理由に、入域料を含む観光税の本格導入には踏み込まない。しかし、世界ではすでに実例がある。ヴェネツィアでは観光客から入域料を事前徴収し、QRコードを発行して観光地で提示させる仕組みを成功させている。バルセロナでも宿泊税を段階的に引き上げ、観光負荷に応じた負担を求める制度を整えてきた。観光による外部負荷に対して相応の負担を求めることは、国際的には特別なことではない。むしろ、観光都市としての持続性を確保するための標準的な政策である。

それでも京都市は、観光税には踏み込まず、市バスの市民識別に巨費を投じようとしている。事前の入域QRコード発行の方がはるかに安価なシステムで済むにもかかわらずだ。理由は単純だ。観光税の導入は政治的に波風が立つ。寺社仏閣への協力はかつての拝観税で大騒ぎになったトラウマがあるからだ。だが、バス運賃は市の裁量で進めやすい。つまり“やりやすい方”を選んだだけである。しかし、朝の通勤時間に満員のバスに揺られる市民にとって、150円の価格差は救いにはならない。混雑の原因は観光客と市民が同じ路線に集中する構造そのものだ。価格差では行動は大きく変わらない。

むしろ観光地直行のシャトル路線を整備し、市民生活路線と分離すべきだ。料金を高めに設定すれば早期に投資回収は可能だろう。宿泊税強化と組み合わせれば、安定財源にもなる。技術的な識別システムより、構造的分離の方がはるかに合理的である。問われているのは精算機の性能ではない。観光公害の負担を誰が引き受けるのかという原則だ。マイナンバー連携という“技術的解決”に走る前に、観光都市としての覚悟を示すべきではないか。

京都市が持続可能な観光都市を本気で目指すなら、向き合うべきは市民識別の精度ではない。観光税や宿泊税の設計から逃げ続ける政治文化そのものだ。この矛盾にメスを入れない限り、「市民優先価格」は名ばかりのスローガンに終わる。

スカイツリー長すぎる夜2026年02月24日

スカイツリー長すぎる夜
もし自分がその箱の中にいたら──そう想像するだけで、背中が汗ばむ。東京スカイツリーのエレベーターが急停止し、約20人が5時間半、密室に取り残された。夜8時過ぎから深夜2時まで。ニュースは「トイレが心配」「精神的負担が大きい」と穏やかな言葉で伝えたが、実際にその空間にいた人々にとっては、時間はもっと重く、もっと長く流れただろう。密室で5時間。子どももいる。トイレはない。座る場所も限られ、行き先も見えない。ただ“待つ”という行為だけが課される。私たちはこれを、「安全のため」という一言で受け止めていいのだろうか。

スカイツリーのエレベーターは、安全装置を多重化し、「一つでも異常があれば動かさない」という思想で設計されている。理想的だ。だが急停止の瞬間から、制御盤、ブレーキ、センサーを一つずつ確認する慎重な手順が始まる。原因が完全に特定されるまで再稼働しない。完璧を目指す姿勢は誇るべきものだが、その時間を誰が引き受けているのかといえば、閉じ込められた乗客である。象徴的なのは“トイレ問題”だ。緊張で尿意が遠のく人もいるだろう。しかし5時間は長い。簡易設備があったとしても、それを使う心理的ハードルは低くない。「出せない」「出したくない」「もしも」という不安が、狭い空間の空気をさらに重くする。事故は起きていない。だが、安心とも言い切れない。隣のエレベーターからの救出も、簡単ではない。かごを完全停止させ、電源を落とし、ワイヤーの張力を確認し、床の高さをわずかな誤差で合わせる。渡り板を設置し、一人ずつ誘導する。安全を確保するための時間は、どうしても積み上がっていく。しかもそれは“最終手段”。まずは復旧を試みるのが原則である以上、救助は後回しになる。

結果として残ったのが「5時間半」という数字だ。全員が無事だったことは何よりである。しかし同時に、この国のインフラに染みついた“優等生主義”も浮かび上がる。安全を最優先にする。その理念は疑いようがない。だが、「完全に安全と確認できるまで動かさない」という設計思想が、利用者の体感時間や心理的負担をどこまで織り込んでいるのか。利用者にとっての安全とは、事故が起きないことだけではない。閉じ込められないこと、あるいは閉じ込められても迅速に解放されることもまた、安全の一部ではないか。物理的に無傷でも、5時間の密室は決して“軽い出来事”ではない。

今回の出来事は単なる機械トラブルではない。それは、「安全」という言葉のもとで思考が停止していないかを、私たちに問いかける出来事だった。安全と迅速さは、本当に両立できないのか。もし次にその箱の中にいるのが、自分自身だとしても――それでも私たちは、「仕方がない」と言い切れるだろうか。

纒向遺跡と紀元節2026年02月12日

纒向遺跡と紀元節
紀元節とは、明治政府が1873年に制定した「日本の建国を祝う日」である。根拠となったのは『日本書紀』に記された「神武天皇が辛酉年春正月朔に即位した」という記事であり、それを太陽暦に換算した日が2月11日と定められた。すなわち紀元節は、古代の神話的年代を近代国家の時間軸へ移し替え、国家の起点として固定した祝日だ。

記紀によれば、神武天皇は天照大神の子孫であり、父は鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと) 、祖父は山幸彦、曾祖父は天孫邇邇芸命(てんそん・ににぎのみこと)とされる。しかしこの系譜は、史実の記録というより皇統の正統性を示すために編まれた神話的構造と理解されている。考古学的にも、即位年とされる紀元前660年に国家規模の政権が存在した確証はない。

だが、神武天皇を単なる作り話と断じるのもまた短絡である。崇神天皇(西暦250〜350年頃)以前の天皇については同時代史料がなく、記紀の年代設定も数百年さかのぼらせて構成され、寿命も百歳を超えるなど現実的とは言い難い。それでも、神武東征の道筋――九州から瀬戸内海を経て大和へ至る経路――は、3〜4世紀における政治勢力の移動と符合する。神話は虚構である前に、記憶の形式でもある。そこには初期王権成立の痕跡が折り重なっている可能性が高い。

この見方を具体的に裏づけるのが、先日公表された奈良県桜井市・纒向(まきむく)遺跡の最新調査成果である。大型建物跡や祭祀遺構に加え、吉備・九州・東海など広範な地域から搬入された土器群が確認された。纒向は孤立した集落ではなく、政治・祭祀・物流が結節する広域ネットワークの中心地であったとみられる。

さらに近接する箸墓(はしはか)古墳の周辺からは、古墳築造期と同時代に埋葬された従者層の墓も見つかり、箸墓が初期王権の象徴的王墓である可能性は一層高まった。纒向の都市的構造、箸墓の巨大規模、そして列島規模の交流網――これらは4世紀前半に大和政権が成立したことを強く示唆する。記紀が「崇神天皇の時代」として描く状況と重なる点も見逃せない。

このように考えるならば、神武天皇とは、特定の一個人というより、初期大王たちの記憶を統合し、王権の起源を象徴化した存在と理解するのが妥当であろう。とりわけ崇神天皇は「初めて国を治めた」と記紀が強調する人物で、年代的にも4世紀前半に位置づけられることから、神武像の有力な歴史的基層をなすと考えられる。

紀元節は、神話の単純な追認でも、史実の確定でもない。それは、神話と歴史が交差する一点を、近代国家が「起源」として選び取った政治的かつ文化的行為であった。建国とは、出来事そのもの以上に、それをどう物語るかによって形づくられる。神武天皇は実在の人物像というより、国家形成の長い過程を凝縮した記憶の結晶である。

紀元節をめぐる議論は、神話の真偽を争う問題にとどまらない。私たちが国家の始まりをどこに置き、どの物語を共有するのかという、より根源的な問いそのものなのである。今回の纒向発掘成果は、神話と歴史を対立させるのではなく、両者が響き合いながら立ち上がる日本の建国像を、いっそう具体的に照らし出している。建国記念の日を目の敵にする向きもあるが、実際にはその背後に、ロマンに満ちた考古学の世界が広がっている。国家の起源を辿る過程で、神話と遺跡が互いに補い合い、古代の姿が少しずつ立ち上がってくる。このような重層的な歴史体験ができる国は、世界でもそう多くない。日本は、国家のルーツを探ること自体が知的な冒険となる、きわめて興味深い国なのだ。

司馬遼太郎記念館2025年12月14日

司馬遼太郎記念館
近鉄奈良線・八戸ノ里駅を降りて、住宅街を歩くと突然現れるモダンな建物。それが司馬遼太郎記念館だ。安藤忠雄設計の打ちっぱなしのコンクリートは一見冷ややかだが、中に入ると空気が柔らかく変わる。目の前に立ちはだかるのは高さ11メートルの大書架。約2万冊の蔵書がずらりと並び、まるで知の壁に囲まれたような感覚になる。窓越しに覗ける司馬の書斎は、机の上に原稿用紙や万年筆が置かれ、今にも執筆が始まりそうな雰囲気を漂わせている。庭は雑木林風に造られ、雑多な街中とは思えない静けさ。ここに立つと、司馬が歴史を「人間の物語」として描いた理由が少しわかる気がする。

司馬史観と呼ばれる彼の歴史の見方は、幕末から明治期の近代化を「青春の物語」として描き、日本人の成長を肯定的に捉えた。坂本龍馬や秋山兄弟といった人物を通じて歴史を語り、多くの人に歴史の面白さを伝えた。しかし「近代化を美化しすぎている」「英雄中心主義だ」と批判も受けてきた。学術的には「歴史修正主義」とのレッテルを貼られることもある。だが記念館の静謐な空間に身を置くと、司馬が晩年にたどり着いた究極の人間観が浮かび上がる。彼が本当に伝えたかったのは、江戸期の商人の先見性でも富国強兵時代の軍人の戦略性でもなく、その基盤にある「思いやり」と「義侠心」だった。

書架の壁に貼られた『二十一世紀に生きる君たちへ』で司馬は、未来を生きる子どもたちに「歴史を友とし、他者をいたわり、支え合う心を持ってほしい」と語りかけている。戦後民主化の中で制度や権利は語られても、人間的な徳が欠落していることへの危惧を込めて。つまり司馬は民主化そのものを否定したのではなく、「民主化を人間的徳で支えなければ空洞化する」と警告した。批判者は近代化美化や英雄中心主義を問題視することはできても、この人間観には反しきれない。むしろ「歴史を学ぶことは人間性を育てること」という司馬のテーゼは、教育や社会において普遍的な価値を持ち続けている。

旅人としてこの記念館を訪れると、単なる文学館以上のものを感じる。歴史を物語として描いた作家の姿と、未来に託された「人間の心のあり方」が重なり合い、静かに問いかけてくる。君の旅の基盤にも、思いやりと義侠心はあるだろうか。司馬遼太郎記念館は、旅人に静かな問いを投げかけ続けている。