剃髪2024年03月18日

高野山の金剛三昧院宿坊に泊まる。尼将軍、北条政子が、夫・源頼朝と息子・実朝の菩提を弔うために建立したと言われ鎌倉調の雰囲気のある寺だ。真言宗は、弘法大師(空海)を開祖とする宗派で修行で誰でもがすぐに仏になることができる、「即身成仏」が教え。いつもの宿の三倍近い宿泊料だが部屋も食事も質素で、違うところは部屋まで食事を上げ下げしてくれるところ。氷点下まで下がる高野山ではさすがにエアコンは効かないらしく、スチーム暖房となっていた。朝6時半から朝勤行で、本堂で僧侶六名が念仏を唱える。宿泊者は30分程参加して阿弥陀如来と愛染明王にお参りしてから朝食となる。

若い尼僧がおられて剃髪をされていないので気になった。修行僧は剃髪するのだがその後のスタイルは男女とも自由だと聞く。だが、坊主と坊主頭は同義という先入観があるので妙な気分にさせられる。精神のスタイルが重要でコスプレ尼では意味がないといえばそれまでだが、見えるものに左右されるのが現世の情だ。朝勤行の前に寝癖の髪をとく尼僧侶を想像するだけで俗世に引き戻されてしまう。念仏で男性五名はバリトン音域なのに一人だけソプラノ声も妙に落ち着かない。多様性も何だかなーと思いつつ12日間の旅を終える。

中辺路2024年03月08日

熊野本宮から路線バスに乗って中辺路の発心門王子に行く。バスでは15分の場所だが歩くと3時間かかるらしい。乗客は二人。降りて本宮に向かい始めるともう誰もいない。集落から出てくる人影もない。まさに一人旅。中間点の伏拝王子までポカポカ日差しで汗をかく。風も心地よい。ここからは大斎原の大鳥居が小さく見える。昔は川の中洲に本宮があったそうで、これを大斎原といいここから巡礼者は伏して拝んだのでこの名がつく。大斎原は明治に水害で消失し今の場所に移転したそうだ。

本宮まで1万6千歩だった。もう今日は歩かないぞと思っていた。場所を変えて速玉大社は新宮にある。ここで終わろうかと地図を見ると神々が降臨した神倉神社を残していた。石段は崖のような石段で降りるには自信がない。喘ぎながら登り詰めると岩の下に支えるように神社があり、太平洋まで見える高台だ。確かに神々が降臨しそうな風景だ。明日は串本のロケット打ち上げで道が混むという。昼までは反対側の瀞峡の川巡りなので影響がないが、午後の那智の滝方面が打ち上げは終わっているはずだがどうだろう。串本大島のキャンプ場まで辿り着けるだろうか。

梅林2024年02月04日

長岡天満宮の梅を見に行く。長岡天満宮は本殿・八条が池(八条ケ池)周辺や隣接する長岡公園梅林などに約200本の梅の木が植えられている。梅林には八重寒紅梅・鹿児島紅梅・鶯宿梅・紅千鳥・思いのまま・白加賀など約20種の梅の木が植えられている。長岡公園の裏門から梅林に入ると早咲きの八重寒紅梅と白加賀が七分咲きだった。まだ香りはしないが、薄いピンクと白い花の梅が青空に映えている。日中でも外はまだ寒く、休日だが人はまばらだった。これから、鹿児島紅梅・鶯宿梅・紅千鳥と順に咲いていく。

自宅からは往復1時間のちょうど良い距離なのでこれからの楽しみができた。膝が直ってから久しぶりに歩くので臀部が少し痛くなる。歩かないと筋力がすぐに落ちてしまうようだ。白加賀梅という名前は、江戸時代、加賀藩の前田家の家紋が梅鉢だったことに由来している。前田藩ではウメを多く植栽しており、江戸藩邸にも植えられていたことから「加賀白梅」と呼ばれた。震災地に思いを寄せて梅林を後にする。

海印寺寂照院2023年12月03日

光明寺の紅葉有料参拝は今日までらしいので、その手前の海印寺寂照院と走田神社に行く。819年に空海の弟子道雄僧都が創建した海印寺十院のうちのひとつ。 1568年9月27日、上洛した織田信長が西岡を制圧する際、ここで一泊したとの記録が残っているらしい。モミジは一つしか植わってないがきれいに紅葉していた。寺院の奥に古墳時代の後期7世紀初めに造られたと考えられる走田9号墳が屋内にある。地元有力者の墓と推定される円墳で、石室は見学することができた。

その山手には、走田神社があり、乙訓南部から淀川までが一望できる。奥海印寺のコスモス畑に寄ってみたがすでに刈り取られていた。晩秋の夕暮れが気持ちの良い散歩だった。

歩こう会2023年11月18日

自治会連合主催の歩こう会に参加した。4キロの距離を2時間ほどかけてゆっくり散策する企画だ。15人ほどの参加者に二人のふるさとガイドのボランティアが説明がてら同行する。自分の居住する近隣はほとんど歩いたつもりだが、詳しい歴史は知らなかった。天王山の戦いで明智方と豊臣方が戦をしたことくらいは子供でも知っているが、それより前の長岡京に遷都した平安京創設の頃の平家の先祖にあたる皇族の豪邸があったことや、ため池だと思っていた池は庭園の造設池だったことなどは初めて聞いた。

コロナ前までは100名を超す参加者だったらしいが、今回はその1割の参加だ。今年から弁当支給をやめたためかと勘繰っていたら、長く参加しているメンバーは永年レギュラーの高齢参加メンバーがとうとう歩けなくなったのだろうと言う。「歩こう会」というネーミングはいかにも高齢者の健康イベントのようで若手が敬遠するのではないか。参加した若い人は、近くにこんなに歴史的に興味深い名跡があるとは面白いという。山崎の歴史を歩こう会という名にすれば歴史ブームに乗っかって高齢者以外も参加するような気がする。

帰省2023年09月24日

お彼岸なので帰省した。今年は坊主は来ないと母はいう。理由を聞くと、1回御布施に1万円も払うのに近所に回るのに忙しいとすぐに帰ってしまうので、他の寺に頼もうと紹介する僧侶の協会に問い合わせると、現在のお寺の了解がなければ紹介はできないと断られたらしい。母にしてみれば父の葬儀の際に紹介してもらったお寺だというだけで、しがらみはないというのだ。だが、お寺は既得権の王者だ。同じ宗派でもおいそれと他人の領地を荒らすわけにはいかぬというのが坊主同士のルールなのだ。

母の気持ちはわかるが、置いてきぼりにされた父や先代の霊は苦笑いをしているだろう。今時のお寺の経営状態は知らないが、檀家が減ることはあっても増えることはないご時世だろう。そもそも我が家は檀家になったつもりもないのだが大事な春秋の彼岸の収入源ではあろう。檀家制度はそもそも江戸時代のキリスト教排除の幕府の政策から生まれたもので信心とはあまり関係のない徳川の支配政策の一環と言っていい。まぁ硬いことを言わずにと実家を後にした。

法隆寺2023年07月12日

法隆寺に来た。観光用駐車場は500円だが、法隆寺前の道を進んで西にに折れると境内のすぐ近くに100円セルフ駐車場があった。ここに駐車して境内に入る。拝観料は夢殿まで拝観できて1500円。高いなとは思ったが世界遺産はこんなものか?京都よりも500円程度高いのは人が少ない分仕方がない。駐車料金が安く済んだのでこれでいい。五重の塔の中には入れないが中から涼しい風が吹き出していた。五重塔最下層の心柱の四方には塑土で洞窟のような舞台を造り、釈迦に関する四つの説話から四つの場面を塑像の小群像で表している。塔本塑像と呼ぶこの群像は塔の完成の後、和銅4年(711)に造られたものだそうだ。一五〇〇年間保たれていることに驚きだ。そもそも自分は奈良時代とそれ以前が混沌としている。飛鳥時代という聖徳太子らの時代も奈良時代と勘違いしていた。

法隆寺は聖徳太子の寺程度にしか理解をしていなかったが、先日訪れた興福寺よりさらに100年ほど古いらしい。江戸時代まで見出されなかった百済観音は天を指すようなすらりと伸びた体躯に、優しく微笑みかける柔和な尊顔が華麗な光背に映え心を惹きつける。夕立に打たれながら、藤木古墳によって現地を後にする。

興福寺2023年06月30日

興福寺の五重塔が7月から足場を組んで修復工事に入りしばらくの間は観ることができないというので行ってきた。奈良観光は子どもの頃に行ったが奈良公園の鹿しか記憶にない。凧あげかサイクリングで一度平城宮跡にも行ったような気がするが、まじめに観光したことはない。興福寺は、和銅3年(710年)の平城遷都に伴い、藤原不比等が現在の地に開いた藤原氏の氏寺という。天智天皇8年(669)、中臣鎌足(藤原鎌足)の夫人・鏡女王(かがみのおおきみ)が、夫の病気平癒を祈って建立した山階(やましな)寺が起源とされている。つまり山科が起源のお寺なのだという。

日本史に疎いのでYoutubeで調べてみると大化の改新やら壬申の乱やら懐かしいキーワードが出てきて見入っていると夜半を過ぎてしまった。平安京より前は天皇が変わるたびに遷都をしているのも初めて理解した。天武天皇がこの時代のキーパーソンで皇族の争いを押さえてやっと政権の安定を図ったころ国の安寧と幸福を願ってこの寺の名前が付いたらしい。

善通寺2023年06月12日

朝から雨が降るはずが降りそうで降らない、台湾人のおばさん二人組は雨のはずの小豆島に朝早くでかけていった。雨雲レーダー予測は昼前に降り始めるとなっているので、朝うどんを食べにGH近くの人気店「バカ一代」に行く。釜バターうどんが人気なので注文した。釜上げうどんにバターと胡椒がかかっている。出汁と生卵を混ぜていただく。若者向けの味だなと思う。しかも標準のつもりで中を注文したが小が一玉だったようで多すぎたのと、胡椒が効きすぎて汗が止まらず難儀した。やっぱり讃岐うどんはカケかザルがうまいと反省した。GHのオーナーが話好きで青年協力隊で行ったセネガルの話やら会社働の頃の話をするので聞いていると10時になってやけにスタートが遅れた。

雨は結局降らなかった。小豆島日程を変更しなければバイクに乗って島一周出来たのにのと悔やむ。計画はあまり変えない方がうまく行くということかもしれない。台湾レディースは幸運だ。海を睨む丸亀城に登り、弘法大師空海の善通寺に寄る。善通寺は空海の出生地で父親が創建した寺とも白鳳時代から佐伯一族の氏寺とも言われる。京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつとして、古くから篤い信仰をあつめており今年が生誕1250年祭という。2000円は高いと思ったがお祓いを受けて帰る頃には何かしら胸に迫るものがあった。全てを阿弥陀様が払ってくださる。僧侶の言葉には1250年の重みがある。

尾道2023年05月31日

朝9時に出て13時に尾道に着いた。雨は上がり日が差して、尾道水道の海が明るく輝く。展望台から千光寺に向かう。途中、文学の道とかがあって尾道を題材にした歌や詩句が大岩に刻まれている。尾道を詠ったものもあるが、松尾芭蕉の「うき我をさびしがらせよかんこ鳥」の石碑は1792年当時尾道に庵を結んでいた俳人らが松尾芭蕉の100年忌祭を営んだ際に建立されたものでこの地に因んだものではない。『奥の細道』の旅を大垣で終え、伊勢神社遷宮に向かう途中、三重県長島町の大智院で「憂きわれを寂しがらせよ秋の寺」を詠んだ芭蕉は、京都嵯峨の落柿舎に滞在した時の嵯峨日記にした時に秋の寺から閑古鳥=カッコウにしたという。

寺は崖の岩石にへばりつくように建てられており、眼下に尾道水道と向島のドックのクレーンが見える。小型のフェリーが行き来しのんびりした風景だ。ゲストハウスではハンターとパドルボードでガイドをしている方と話した。オーナーは気さくな方で夜遅くまで家族連れと談笑していた。いい宿だ。
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