空母いぶきと沈黙の艦隊2024年02月09日

「空母いぶきGREAT GAME(12)」が1月末に発売された。ロシアとの戦争直前の緊迫感が恐ろしい。軍事としては筋を通した交渉術、政権としては先を見越した決断が大事だと教えてくれる。今のウクライナやパレスチナの問題も、世界大戦の火蓋が切られないようにする知恵が必要だ。どの国も戦禍を避けたい思いはある。結局は、引くに引けない状況まで相手国を追い込まない交渉と、隙を見せない軍事力が求められている。ミサイルが飛んでくる世になるとは思ってもみなかったが、かわぐちかいじは30年前から現実に起こりうる世界を早くから描いている。

同作家の「沈黙の艦隊」が昨秋映画化され、今日Amazonでシーズンものとして公開された。今回の公開は映画とほぼ変わりないが今後の進展が楽しみだ。核搭載原潜1機で独立国を宣言するという奇抜なストーリーだがこの作品は1988年作で35年も前の作品だが古さは全く感じない筋書きだ。いぶきは中国を相手にしていたのが以前はロシアを相手にしているだけの違いだ。むしろ共産党政権が崩壊したにもかかわらず、ロシアの脅威を指摘していたところは秀逸とも言える。また動画とキンドルが映し出されるディスプレーの前に座り続ける日が続きそうだ。

文庫本2024年01月18日

十数年ぶりに文庫本を買った。中学生で小松左京を皮切りに星新一、アガサクリスティーとSFやミステリーを好んで読んだ。働きだしてからは宮本輝や三好京三と私小説を乱読した。司馬遼󠄁太郎にはまって全巻読み始めるのと並行して経済小説の城山三郎、高杉良、山崎豊子、池井戸潤、真山仁らのシリーズを読んでいた。本屋に行けば読み逃した文庫本シリーズはないかと探して購入していた。東海林さだおのエッセイ集もシリーズが出るたびに大人買いしていた。老眼になり、PCを見る時間が長くなるにつれ本そのものを読むのが億劫になって、月に平均2冊程度の読書量が年に数冊も読まなくなった。

読みたいと思うものも最近はほとんどがキンドルで購入するようになり本という本は断捨離ですべて廃棄した。ところが古い本は著名な文芸作品などは青空文庫などで復刻されて電子本になっているが昭和の後半のものはない。今回、「私の幸福論」福田恆存著を読みたくなり電子本で探したがなかった。仕方なく楽天ブックで本を購入した。久しぶりにに見る文庫本の文字は9ポイント程度しかない。PCで12ポイント以上にして見ている日常からするとかなり苦痛だ。老眼鏡をかけて少しづつ読み進めるしかない。読むのがめんどくさいと思うと読書人生は終わりらしい。

60歳のトリセツ2023年05月21日

60歳のトリセツ (扶桑社BOOKS新書)黒川 伊保子を読んでいる。なるほどと思う記述がたくさんある。脳科学の視点から年寄りのあるあるを開設している本だ。歳をとるとあれもこれもと気が付くのだが手に余って困っている現状がある。これは脳が気付きの絶頂期を迎えているが処理力は落ちているのではかどらない。記憶をマイルドにして思い出させないようにして脳がオーバーヒートしないようにする自然の摂理だというのだ。そうしてだんだん記憶の引き出し力を落としてぼんやりとした状態にすることで「まぁいいかぁ」という穏やかな方向にもっていくのだという。今の自分はその境界にあるためかイライラしている。つまり脳の状態がアンバランスなのだ。気の短い小言の多い年寄り状態なのだ。

エントロピーの増大は脳内活動にも起こっている。だが、その境界域ではあれこれのハレーションが起こる。若い人たちの仕事ぶりを見ていると「遅い」「粗い」と気になってしょうがないが、脳内活動のハレーションだと思えばいい、若い人の脳は気づいていないと思うことで感情を自制する必要があるのだ。今、事務局を4つも抱えていてオーバーヒートしているのもそのせいだ。これは平均値から言うと異常値の活動だと思うことにした。

『川のほとりに立つ者は』2023年03月19日

「誰もが同じことを同じようにできるわけではないのに、「ちゃんと」しているか、していないか、どうして言い切れるのか。」小説『川のほとりに立つ者は』は発達性ディスレクシアを題材にしたものだ。DVを発端にした事件から友情や恋愛を描いていく。関西弁なので親しみやすい文体で久しぶりにすっと入ってきた読み物だ。「ただちょっと運がよかっただけのくせに、偉そうに」している自分に気がつく。自分も子どものとき友人たちはすらすらと学習課題がこなせるのに自分は明日の予定の板書さえ写しきれずにいた。当然、忘れ物の山となり仲間同士のマウンティングの格好の餌食になった。大人になると今度は反対に自分より劣ると感じた他者を何人もマウンティングしてきた。

「生まれつき備わっているもの」は能力だけではない。生育環境の違いを「親ガチャ」と最近の子どもは言うらしいが、子どもの力ではどうしようもないんだと言う気持ちが表れている。もともと違うスタートラインなのに「不公平な競争」をうすうす気づきながらしている。格差は運命だと悟るのは簡単だ。しかし、どんなに孤独な人でも人は物心支え合って生きている。この世の存在として作用しあって生きていく。それならお互いを違うと面白がってかかわりあえた方が良い。

回顧録2023年03月15日

「安倍晋三回顧録」は面白い。官邸の中がどういうパワーバランスで成り立っているのか、官僚と政治家の綱引き、政治家同士の腹の読み合いを赤裸々に語っているところがいい。これを、回顧録はいいとこ取りだ切り取りだと批判するのは簡単だが、一国の首相が語る内容は重い。死人に口なしなのをいいことにして、あからさまに批判するのは己の小ささを証明しているだけに気が付かぬのかと思う。当然、本人が語るのだから、回顧録は全てが真実でもないだろうし言わないことの方が多いに決まっている。そんなことは読み手は分かっている。それでも、さもありなんと読み手が納得するかどうかは読み手の自由である。官僚との闘いはあるに決まっている。官僚が嘘をつくことがないわけがない。彼らは政治家のように国民の前で丸裸にされる心配はないからだ。

政治家と官僚のどちらが嘘つきかという問題でもない。どちらにもまじめに祖国を愛し国民の利益のために働く人はいる。そして、どちらにも、どこの国の人かと国を欺き、自己保身ばかりをする人もいる。安倍さんはそれを赤裸々に語ったところがすごい。言葉は柔らかだが、闘争心を強く感じた。そして、この人を煙たがっている人たちから殺されたかもしれないなと思う。それくらい、情熱を感じる回顧録だった。
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