日本経済の死角2025年03月01日

日本経済の死角
著者の河野龍太郎氏は1964年生まれのエコノミストで、BNPパリバ証券経済調査本部長を務める。日経ヴェリタス調査で11回の株式アナリスト首位に輝き、予測的中率の高さで複数回表彰されている。最近はYouTubeでの露出が増えており、本書を手に取るきっかけとなった。本書は、日本経済の停滞を「収奪的システム」として分析している。著者は、生産性が上昇しているにもかかわらず実質賃金がほとんど上がらない現象に注目する。この25年間で生産性は約30%向上したが、実質賃金は逆に3%減少した。企業の利益剰余金は大幅に増加しながらも従業員への還元は進まず、企業は貯蓄主体となり国内投資を控え、海外投資を優先する姿勢を取っている。また、大企業の正社員は定期昇給による賃金上昇で生活水準が保たれたため、全体の賃金停滞に無自覚だった。一方、非正規雇用の拡大と低賃金の固定化が労働者からの収奪を促進した。女性や高齢者の労働参加の増加は労働力不足を補ったが、賃金の上昇を抑える要因となった。日銀の金融緩和政策は円安を維持し、企業の海外投資収益を押し上げたものの、国内投資や賃金の上昇には結びつかなかった。さらに、働き方改革による労働時間の短縮や残業規制は、労働投入量の減少を招き、潜在成長率の低下に寄与したと分析している。

著者は、日本経済の停滞は人口減少や構造改革の遅れだけでなく、企業経営の姿勢や政策判断の誤りによる「収奪的システム」が根底にあると指摘する。このシステムが労働者からの収奪を促進し、経済成長を阻害していると結論付ける。また、DX化による自動化促進も、一部の高所得者を生み出すものの、低所得者の所得底上げにはつながらず、収奪を加速させる恐れがあるという。歴史的に見れば、テクノロジーの発展は政治や社会の在り方によって収奪的にも包摂的にも働く。再分配の民主化は社会民主主義的とも言えるが、経済の安定的発展は単に企業を叩けば実現するものではない。また、リフレ派が主張する未来の果実を先食いする金融政策だけでは、適度な再分配による経済の好循環は本質的には生まれない。結局のところ、問題の解決は政治の在り方に帰結するが、相互に影響を及ぼし合う世界経済の中で、単純な回答は存在しないというのが著者の結論だ。それにしても、日本の高齢化や生産性が向上していないから給与が上がらないというデマを吹聴してきた政治家やエコノミストには、早々に退場してもらいたい。

坂の上の雲2025年01月04日

坂の上の雲
明治の激動期を描いた司馬遼太郎の名作『坂の上の雲』は、秋山兄弟や正岡子規といった歴史上の実在人物を中心に、日露戦争を背景に繰り広げられる小説だ。先日終了したドラマは2009年から3回目の再放送だそうだ。自分は2度目の視聴となるがとなるが、この配役を契機に売れっ子スターになった俳優も多い。ロシア中国とロケをして撮影に金をかけているのはさすが放漫経営のNHKドラマだと感心する。今ならNetflixかAmazonプライムなどから資金調達しないと撮れない作品と思う。司馬小説に傾倒した時期が若いころにあってこの作品も夢中に読んだ記憶がある。ドラマは脚色が若干強いもののほぼ小説を忠実に描いている。ただ、司馬遼太郎の描き方が気に入らない左右の人たちからは評判が悪いらしい。明治時代を能天気に描きすぎだとか、旅順攻略の乃木将軍の描き方が史実と違うとか、秋山兄弟を質実剛健にし過ぎだとか、正岡子規の作風を歪めているとか、挙げればきりがない。歴史小説とは作者の思い入れが発露して当たり前だが、歴史家は気に食わないらしい。

日露海戦での「丁字戦法」「東郷ターン」がこのドラマの最終回のクライマックスで描かれる。この作戦は秋山真之がつくったオリジナル戦術のように描かれるが、「丁字戦法」そのものは当時の海戦の定番戦術のひとつだ。「丁字戦法」にうまく導いた「東郷ターン」は東郷平八の度胸の良さを表現するものだ。海戦の勝ち負けは敵艦隊と向き合うときにどちらが大砲をたくさん使えるかで決まる。縦型に船団を並べたロシア艦隊の前を塞ぐように日本艦隊が横並びに変えて先頭艦に一斉砲火を浴びせて勝ったというのがこの作戦だ。縦型に艦隊を並べては後に続く戦艦は同士討ちを防ぐために前方に砲撃ができず砲火量で不利なのだ。ただ、敵艦に近づいてから横腹をみせて被弾面積を広げると味方も砲撃の餌食になる可能性が高いのでこの距離感は艦長の肝で決まる。「東郷ターン」は東郷の進路変更指示が敵艦の砲撃可能距離ぎりぎりに近づくまで出さなかった胆力が後世に評価されているわけだ。航空機で確実に敵艦を仕留める空母が登場して戦艦の存在は意味をなさなくなるが、戦艦同士の戦闘は武者同士の一騎打ち感に近いものがあるので人気があるのだろう。今や海の戦闘は軍事衛星とも連携するイージス艦と潜水艦で情報を先に掴んだものが勝者となる時代なので海戦そのものが意味をなさなくなっているが、未だに漫画や映画では軍事挑発の局地戦が描かれそれなりに人気がある。そろそろ空母「いぶき」の新刊が発売され、原潜「やまと」のドラマの続きが準備される頃だ。

デジタル脳クライシス2024年12月20日

デジタル脳クライシス
教育のデジタル化が進む一方、手書きや紙媒体の重要性を指摘する声が上がっている。東京大学の酒井邦嘉教授は、AIやデジタル機器に過度に依存することで思考力や創造力が低下する危険性を警告。教育現場では、便利さを追求する価値観が学びの本質を損なうと述べている。デジタル機器への依存は、大学生にも広がり、本を読まず、自分で考える機会を放棄する傾向があるという。家庭教育では、知識の詰め込みよりも子供の好奇心や創造力を育む環境作りが大切とされる。スマートフォンやAIの使用制限を提案し、紙とペンを使った学びを推奨。特に手書きの習慣は情報整理や記憶定着に役立ち、小学生期の脳の成長に不可欠だとする。また、デジタル表示よりも紙の文章のほうが理解や記憶に優れることを強調。キーボードより手書きが思考力を高めると指摘する。教育における本質的な学びを重視し、人間らしい能力の維持には、継続的な鍛錬が必要と述べる。東大ではかたや中邑教授らがデジタル教育推進で読み書き障害をサポートするグループが存在し、もう一方ではこのようにアナログ教育回帰を言う教授もいる。言語脳科学がこの方の専門とあるがそれならもう少し高次脳機能障害やディスレクシアのことも配慮してほしいと思う。

一般論としては、発達期にデジタルデバイスが子どもに悪影響を与える場合があるのは素人でも想像できる。しかし、素人でも想像できそうなことには落とし穴がある。だからこそ専門家は注意して例外があることに触れる必要がある。読むことや書くことが困難な子どもがいるのに、板書をノートに写すことが学校教育では発達上必然だと信じて疑わない教師や親がどれだけ多いか彼は知りもしないのだろう。デバイスが文章を読み上げ、音声を文字に変えてくれることで、子ども本来の創造性を引き出すテクノロジーが、子どもの発達にデジタルは良くないという理由で教室に持ち込めない悲劇が起こる。紙の方が読みやすいというのは文字が読める人の感想であり、読めない人でデバイス読み上げを利用する人は逆の感想を持つ。多様性社会ではデジタルデバイスが「違い」をつなぐ懸け橋にもなる。この書物が「違い」を知らぬ教育者に誤解されぬよう願うばかりだ。

ある晴れた夏の朝2024年08月10日

小説「ある晴れた夏の朝(小手鞠るい2018)」は、米国の高校生8人が原爆投下の肯定派と否定派の2組に分かれて討論会を開いた話。真珠湾攻撃、日中戦争、日系人部隊、ナチスによるユダヤ人弾圧、人種差別…議論は広がり、深まっていく。しかも過去の断罪にとどまらず、現在も各地で続く紛争にも話が及ぶ。被爆国日本の目線で書かれた戦争の本は多くあるが、アメリカの高校生たちに戦争を語らせるというのは、様々な人種の人たちが共に暮らす異民族国家、アメリカの地で書き続けている小手鞠るいさんならではの本だ。政治信条の違うの者同士が、お互いの意見をじっくり聞くこともなく罵倒しあうメディアやSNSにうんざりさせられている自分には一服の清涼剤だった。中高生向けに書かれた小説なのですぐに読めてしまうのも良い。南京事件や大東亜戦争に至る話は正確さに欠くが、重要なことは原爆投下が必要悪か不必要なのかという本質論から高校生たちがぶれないで討論していることだ。

「もしも日本にふたたび原爆を落とそうとする国家が現れたら、それをストップできるのは、アメリカでしかないわけでしょう。核兵器は平和の実現に、ひと役もふた役も買っている。否定派はそのことをもう少しだけ、認識するべきだと思うのです」という現実的な視点も堂々と述べる。もう一方で「わたしたち人類は、もう二度と同じあやまちを犯してはいけない、と、この慰霊碑は語っているのです。原爆投下は、アメリカの犯した罪ではない。人類の罪だと言っているのです」「原爆とガス室。ふたつの行為は、どちらもまちがったものであった。どちらも憎むべき悪であった。どちらも、醜い人種差別の行き着く先にあるものだった」と起きたことへの正しい評価を繰り返す中で、高校生と聴衆らは一つの結論へと進んでいく。議論とはかくあるべきと思った一冊であった。

馴化2024年07月07日

以前なら旅に出て2カ月もすると無性に新たな旅に出たくなったのに、最近はちらちらと旅行のWEBサーフィンはするのものの、旅に出かけたいという強い衝動が起こらない。サンデー毎日の生活にもうんざりしている。気に行った動画やドラマを見ていても長続きしない。完全無職になって2年が過ぎたが、この繰り返しのパターンに厭きてしまったのかもしれない。これを心理学では馴化と言う。神経科学者のタリ・シャロットらの、馴化をテーマにした新著『Look Again: The Power of Noticing What Was Always There』(もう一度見てみよう:いつもそばにあったものに気づく力)に詳しい。快適な家や新しい人間関係など、過去に喜びをもたらしてくれたものに反応しなくなり、嫌悪感を覚えていたものにも反応しなくなる。これは、人の進化の原動力でもあるらしい。常にあるものから受ける刺激の減少は、新しい興味を生み出す効果がある。馴化は生存の観点からも有用で、人が慣れてしまう生き物でなかったら、まだ洞窟の中で暮らしていたかもしれないという。感情は思考よりも早く馴化する傾向があるそうで、どんなにお気に入りでも深く愛していても対象に変化がなければ通常2年で最初の感情に戻る。情熱や恋愛感情がやがて色褪せてしまうのは馴化が原因だという。

「脱馴化」には2つの方法がある。1つは、どんなに短くても一定期間だけ普段の環境から離れ、またその環境に戻ることだ。フーテンの旅はそういう意味で良い役割をしているのだが、繰り返すと旅行したい気持ちに馴化が生じているのか。2つ目の方法は、日常に変化をつける場所を変える、違うタイプの人と友だちになる、様々なプロジェクトに取り組む、仕事以外で新しい習い事をする、新しいスキルを身につけるなどだ。研究会の事務局担当はこれに当てはまるが、これも3年経過している。今必要なのは、新しい趣味や交友関係など、少し変えてみる事なんだろう。ただ、自分から変えるにはそれなりのきっかけや馬力がいる。それが面倒で、さらに馴化が進行するという悪循環がなかなか断ち切れない。

「トランスジェンダーになりたい少女たち」出版妨害2024年04月03日

「トランスジェンダーになりたい少女たち」が発刊された。これについて放火や妨害を行うと脅迫メールが届いているという。角川書店がこの妨害に屈服して発売中止をしてから4カ月が経過し、今回出版権を獲得した産経新聞出版からの発売に脅迫が行われいる。これに対して同社は、『本書の発売をめぐっては、産経新聞出版や複数の書店に対して「出版中止」の要求と「放火」を予告する脅迫がありました。脅迫に応じることは、出版文化と表現の自由を脅かす前例を作ることになり得ると考え、予定通り刊行』すると発表した。脅迫者たちの脅しによってかえってこの本が広まったと考えれば結果的には逆効果だと言える。しかし、書店にとっては一大事だ。暴力をもって表現を阻止するのはこの現代社会においても共産主義など専制体制にはあるあるだ。「人権」を標榜して脅迫をする彼らは、独裁国家の類と何ら変わらない。

今はネットでの販売やデジタル購読が可能になり、彼らは単に書店つぶしに加担しているに過ぎない。多様性を叫びながら、自らの意見と違うものは暴力で排除することが、自分の多様性論理に矛盾すると彼らは思わない。なぜなら多様性など最初から彼らの意識にはないからだ。自分の意見が正しく他は間違いだという幼稚な発想であることが見て取れる。出版妨害を批判しない左派リベラルやメディアも、言論の自由を侵す左翼小児病の彼らと同じだ。

空母いぶきと沈黙の艦隊2024年02月09日

「空母いぶきGREAT GAME(12)」が1月末に発売された。ロシアとの戦争直前の緊迫感が恐ろしい。軍事としては筋を通した交渉術、政権としては先を見越した決断が大事だと教えてくれる。今のウクライナやパレスチナの問題も、世界大戦の火蓋が切られないようにする知恵が必要だ。どの国も戦禍を避けたい思いはある。結局は、引くに引けない状況まで相手国を追い込まない交渉と、隙を見せない軍事力が求められている。ミサイルが飛んでくる世になるとは思ってもみなかったが、かわぐちかいじは30年前から現実に起こりうる世界を早くから描いている。

同作家の「沈黙の艦隊」が昨秋映画化され、今日Amazonでシーズンものとして公開された。今回の公開は映画とほぼ変わりないが今後の進展が楽しみだ。核搭載原潜1機で独立国を宣言するという奇抜なストーリーだがこの作品は1988年作で35年も前の作品だが古さは全く感じない筋書きだ。いぶきは中国を相手にしていたのが以前はロシアを相手にしているだけの違いだ。むしろ共産党政権が崩壊したにもかかわらず、ロシアの脅威を指摘していたところは秀逸とも言える。また動画とキンドルが映し出されるディスプレーの前に座り続ける日が続きそうだ。

文庫本2024年01月18日

十数年ぶりに文庫本を買った。中学生で小松左京を皮切りに星新一、アガサクリスティーとSFやミステリーを好んで読んだ。働きだしてからは宮本輝や三好京三と私小説を乱読した。司馬遼󠄁太郎にはまって全巻読み始めるのと並行して経済小説の城山三郎、高杉良、山崎豊子、池井戸潤、真山仁らのシリーズを読んでいた。本屋に行けば読み逃した文庫本シリーズはないかと探して購入していた。東海林さだおのエッセイ集もシリーズが出るたびに大人買いしていた。老眼になり、PCを見る時間が長くなるにつれ本そのものを読むのが億劫になって、月に平均2冊程度の読書量が年に数冊も読まなくなった。

読みたいと思うものも最近はほとんどがキンドルで購入するようになり本という本は断捨離ですべて廃棄した。ところが古い本は著名な文芸作品などは青空文庫などで復刻されて電子本になっているが昭和の後半のものはない。今回、「私の幸福論」福田恆存著を読みたくなり電子本で探したがなかった。仕方なく楽天ブックで本を購入した。久しぶりにに見る文庫本の文字は9ポイント程度しかない。PCで12ポイント以上にして見ている日常からするとかなり苦痛だ。老眼鏡をかけて少しづつ読み進めるしかない。読むのがめんどくさいと思うと読書人生は終わりらしい。

60歳のトリセツ2023年05月21日

60歳のトリセツ (扶桑社BOOKS新書)黒川 伊保子を読んでいる。なるほどと思う記述がたくさんある。脳科学の視点から年寄りのあるあるを開設している本だ。歳をとるとあれもこれもと気が付くのだが手に余って困っている現状がある。これは脳が気付きの絶頂期を迎えているが処理力は落ちているのではかどらない。記憶をマイルドにして思い出させないようにして脳がオーバーヒートしないようにする自然の摂理だというのだ。そうしてだんだん記憶の引き出し力を落としてぼんやりとした状態にすることで「まぁいいかぁ」という穏やかな方向にもっていくのだという。今の自分はその境界にあるためかイライラしている。つまり脳の状態がアンバランスなのだ。気の短い小言の多い年寄り状態なのだ。

エントロピーの増大は脳内活動にも起こっている。だが、その境界域ではあれこれのハレーションが起こる。若い人たちの仕事ぶりを見ていると「遅い」「粗い」と気になってしょうがないが、脳内活動のハレーションだと思えばいい、若い人の脳は気づいていないと思うことで感情を自制する必要があるのだ。今、事務局を4つも抱えていてオーバーヒートしているのもそのせいだ。これは平均値から言うと異常値の活動だと思うことにした。

『川のほとりに立つ者は』2023年03月19日

「誰もが同じことを同じようにできるわけではないのに、「ちゃんと」しているか、していないか、どうして言い切れるのか。」小説『川のほとりに立つ者は』は発達性ディスレクシアを題材にしたものだ。DVを発端にした事件から友情や恋愛を描いていく。関西弁なので親しみやすい文体で久しぶりにすっと入ってきた読み物だ。「ただちょっと運がよかっただけのくせに、偉そうに」している自分に気がつく。自分も子どものとき友人たちはすらすらと学習課題がこなせるのに自分は明日の予定の板書さえ写しきれずにいた。当然、忘れ物の山となり仲間同士のマウンティングの格好の餌食になった。大人になると今度は反対に自分より劣ると感じた他者を何人もマウンティングしてきた。

「生まれつき備わっているもの」は能力だけではない。生育環境の違いを「親ガチャ」と最近の子どもは言うらしいが、子どもの力ではどうしようもないんだと言う気持ちが表れている。もともと違うスタートラインなのに「不公平な競争」をうすうす気づきながらしている。格差は運命だと悟るのは簡単だ。しかし、どんなに孤独な人でも人は物心支え合って生きている。この世の存在として作用しあって生きていく。それならお互いを違うと面白がってかかわりあえた方が良い。
Bingサイト内検索