安物買いの銭失い万博EVバス2026年03月22日

安物買いの銭失い万博EVバス
大阪公立大学の広大なキャンパス。その一角に、学生の日常とはあまりに不釣り合いな光景が横たわっている。講義棟のすぐ脇、大阪メトロの車庫に、150台ものEVバスが整然と並んだまま、いまは動く気配を見せない。総額75億円超。大阪・関西万博で来場者を実際に運んだ車両群は、その役目を終えた途端、日常へ戻ることなく沈黙した。不具合の内容は、もはや“初期トラブル”の域を超えている。ブレーキの異常、ステアリングの不調、警告灯の頻発。自動ブレーキ用センサーが両面テープで固定されていたという話に至っては、苦笑すら引きつる。国土交通省の検査を経ても安全性は担保されず、一般道での運行は見送られた。万博後に路線バスへ転用するという構想も頓挫し、150台は“使い道を失った資産”として留め置かれている。

だが、この一件を「EVという技術の問題」と見るのは、焦点を誤っている。電動バス自体はすでに実用段階にあり、日本国内にも十分な技術と運用実績がある。にもかかわらず、その蓄積は脇に置かれ、補助金と調達条件に導かれる形で、実績の乏しい中華製車両へと一気に舵が切られた。問題の核心は「中国製」であることそのものではない。本国で広く運用され、検証を積んだモデルではなく、認証や市場での実績が十分でない輸出前提の車両が含まれていた点にある。いわば、日本の公道が“実験場”と化した格好だ。本来は国内で走り込み、問題を潰してから外に出るべき技術が、順序を飛ばして投入された。

そして、この構図に既視感を覚える人は少なくないはずだ。補助金に支えられて急拡大した太陽光発電もまた、同じ道をたどった。固定価格買取制度のもとで山林は切り開かれ、安価な海外製パネルが大量に流入した。導入は一気に進んだが、その裏で品質や耐久性、さらには廃棄の問題が後回しにされた。制度が牽引し、市場がそれに追随し、検証は後追いになる——今回のEVバスと、構造は驚くほど似通っている。その背景にあるのが、補助金という装置である。公的資金が前提となることで、導入は“投資”ではなく“消化”へと傾く。コスト意識は鈍り、期限が優先され、比較検証は圧縮される。「補助金があるうちに整備する」という発想が、現場の慎重な判断を押し流す。結果として、本来なら選ばれなかったはずの選択肢が、制度の後押しで正当化されていく。

本来なら、この種の歪みを是正するのが行政の役割だ。型式認証、安全基準、運行管理——いずれも国土交通省の所管である。しかし現実には、EV推進という政策的要請と万博という期限の圧力の前で、チェック機能が十分に働いたとは言い難い。「実証」の名のもとに不確実な車両が導入され、そのリスクは現場へと転嫁された。

構図は明快である。
「補助金が先、技術は後」
「価格が先、実績は後」
「政治の演出が先、現場の現実は後」

そして当時の所管官庁である国土交通省が、長年にわたり公明党の影響下に置かれてきたことは周知の事実であり、その同党が親中の姿勢を取ってきたとする指摘は、各種メディアでも繰り返し報じられてきた。そうした政治的文脈と無関係であったと断言できるのか——疑念が生じるのも無理はあるまい。こうして“未来の象徴”として掲げられたはずの技術は、最後に現場へと重い負担を残す。EVバスは動かず、太陽光パネルは廃棄問題を抱え、制度だけが走り続ける。残るのは、説明のつかない支出と、引き受け手のない後始末だ。

大阪公立大学に並ぶ150台のEVバス。それは単なる不良在庫ではない。補助金に支えられた拙速な意思決定と、実績なき車両への前のめりな依存——その帰結として生まれた、“政策の副産物”である。未来を標榜したはずの装置は、いまや制度疲労を可視化する、沈黙の証言となっている。結局のところ、「安物買いの銭失い」。このありふれた言葉ほど、今回の一件を正確に言い当てるものはない。ただ違うのは、その“銭”が私費ではなく、公費だったという一点である。