合成の誤謬ナフサ問題2026年05月22日

合成の誤謬・ブルウィップ効果
ナフサ由来の商品が足りない――とニュースが言う。ナフサ? なんだか聞き覚えはあるのに、いざとなると正体がつかめない。灯油のはとこか、ガソリンの遠い親戚か。そんな曖昧な存在が、突然「不足するらしい」と言われると、こちらの心まで曖昧にざわつく。で、ざわついた心が棚に走る。ああ、また始まった。トイレットペーパー、マスク、そして今回はナフサ。日本人は“○○不足”と聞くと、反射的に棚へダッシュする民族なのか。

ところがよく聞けば、ナフサそのものは足りているという。蒸留も順調、タンカーも元気に来ている。足りないのは、その先の溶剤だの樹脂だの、用途別の“細かいところ”だけらしい。つまり、全体は満タンなのに、蛇口のネジがちょっと固い、みたいな話だ。それなのに人間は、部分の不足を見ると全体が危ないと思い込む。いわゆる「合成の誤謬」である。近所のスーパーの棚が空だと、日本全体が終わった気がする。SNSがそれを全国に拡声して、火に油を注ぐ。いや、ナフサに油を注ぐのはどうかと思うが。

で、みんなが「念のため」に買う。念のための念のため。すると本当に不足する。いわゆるブルウィップ効果というやつだ。店で5%売れ残りが減ると、卸は20%増発注、メーカーは40%増産、上流は100%。まるで伝言ゲームで「りんご」が「ドラゴンフルーツ」になるように、需要が勝手に膨れ上がる。で、過剰発注の山ができ、買い占めが終わると今度は暴落。市場は忙しい。ジェットコースターに乗せられているみたいだが、乗っているのは私たちである。

ここで政府が慌てて「買い占めはやめて」と言うと、逆に不安が増す。「やめて」と言われると「やっぱり危ないのか」と思うのが人情だ。数量制限をかければ「ほら見ろ」となる。価格を固定すれば供給が死に、統制経済の入口が開く。統制すれば裏をかく者が出る。配給すれば闇市場が生まれる。歴史は何度も見た光景である。善意で始めた統制が、気づけば同じ失敗をなぞる。ではどうするか。万能薬はない。あるのは「市場を殺さず、パニックだけ殺す」という、少々気難しい処方箋だ。価格は自由に、数量制限は最小限に、情報は用途別に細かく出す。どこが詰まり、どこは流れているのかを、全体ではなく“蛇口”の話として伝える。それでも揺れは消えないが、揺れ方は穏やかになる。

結局、必要なのは教育である。といっても、黒板いっぱいにグラフを描くような話ではない。もっと実用的で、もう少し切実なやつだ。たとえば道徳の時間に「トイレットペーパーがなくなりそうなときの心の持ち方」をやる。先生が教壇に立つ。「はい、ここにクラス1日分の3ロールがあります。さて、どうしますか」生徒A「全部買います!」生徒B「半分にします!」生徒C「家にあるけど念のため1個買います!」ここで先生、チョークを持って黒板に一行。「それ、30人全員がやるとどうなる?」教室が一瞬だけ静かになる。たぶんこの沈黙が、いちばん大事なところだ。これでいい。立派な経済教育である。下手なグラフを何枚も見せるより、よほど効く。大人になってからニュースを見て棚に走るより、ずっと安上がりで、しかも副作用がない。社会は完璧に安定しないが、少なくとも自分の足でダッシュする回数くらいは減らせる。

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