「琉球民族」認定勧告2026年05月26日

「琉球民族」認定勧告
沖縄の祖国復帰54周年の式典で、琉球王家の末裔である尚衛さんがメッセージを寄せた。これがなんとも静かなのである。静かなのだけれど、背筋がピッと伸びている。まるで、誰も気づかないうちに核心をスッと差し出すような、不思議な凄みがある。なぜ尚さんがわざわざ釘を刺したかというと、中国が国連の場で「沖縄は日本のものじゃない」「沖縄の人々は先住民族だ」といった話を、まるで“今日もこの話題でいきます”とばかりに繰り返しているからだ。これに対し尚さんは、「沖縄の地位はすでに決まっている。係争地のように扱うのは危険だ」と淡々と、しかし確かな温度でクギを刺した。放置しておくと、物語が勝手に歩き出すことがあるからだ。

国連も国連で、2008年以降、沖縄を先住民族として認めるよう日本に6回も勧告している。6回である。一度や二度なら「まあ意見としては分かる」で済むが、6回となると、これはもう“ストーカー”の領域だ。しかもその根拠は、一部の独立派NGOの提出資料が中心で、沖縄県民の多数意見とはどうにも噛み合っていない。ここで思い出されるのが、アイヌ先住民族認定のときの流れだ。2007年に国連が先に宣言を採択し、翌年、日本政府が追認した。北海道の人たちが「え、どういうこと?」と言っている間に、国際的な流れが先に形を作ってしまった。「国連 → 国内政策」という順番で、地域の議論が置き去りになった。この前例を見て、「国連を使えば日本の内部問題を国際化できる」と考える国が出てきても不思議ではない。

そして、我々日本人の“戦後のクセ”がここで顔を出す。国連(=連合国)と聞くと、どうにも弱い。敗戦時の記憶がどこかに沈殿しているのか、「国連が言うなら正しいのだろう」と条件反射的に思ってしまう。まさにパブロフの犬である。ベルが鳴ったら反応、国連が言ったら従順。そろそろ卒業したい習性だ。しかも困ったことに、国連の組織の中には、中国が主導権を握っているものが少なくない。にもかかわらず、「国連=中立で正しい」という思い込みが根強い。印籠を見せられた町人のように「ははーっ」とひれ伏してしまう。だが、その印籠、よく見ると誰が持っているのか、誰が磨いているのか、誰が裏で使い方を決めているのか――そこまで気にする人は意外と少ないのである。

さらに笑えないのが、中国の“人権”の使い方である。自国内では、新疆ウイグル自治区での強制的な同化政策や、チベットでの宗教・文化への厳しい統制など、国際社会から何度も問題視されている民族弾圧を抱えている。ところが、そういう国に限って、沖縄のように深刻な人権弾圧が存在しない地域に対して「これは重大な人権問題だ!」と声を上げるのだから、これはもう“盗人猛々しい”という日本語がピタリと当てはまる。人権の香りは一ミリもせず、代わりに第一列島線を揺さぶるための地政学的な計算だけが、ツンと鼻をつく。

そもそも民族の問題というのは、その土地の人と国が時間をかけて向き合うべきもので、外部が軽々しく口を出すべきではない。沖縄で深刻な人権侵害が起きているわけでもないのに、国連の委員会がロビー活動に影響されて“先住民族”のラベルを貼ろうとするのは、やはり慎重さを欠く。沖縄の歴史や文化を大切にすることと、外部の政治的利用を警戒することは両立する。むしろ今は、その両方が必要だ。誰かが勝手に“沖縄の物語”を書き始める前に、当事者が「それは違う」と言うこと。その大切さを、尚衛さんの静かな言葉が教えてくれている。