ノーベル化学賞「硤合反応」 ― 2026年10月14日

ノーベル化学賞「硤合反応」
日本人がまたノーベル化学賞を獲った。硤合(そあい)憲三氏による「硤合反応」の研究である。ニュースを聞いて「そあい? 何やら難しそうな化学反応だな」と思った人も少なくない。ところが、その中身をたどると、生命の起源から宇宙の成り立ちまでつながる壮大な話に行き着く。化学というと試験管の中だけの出来事のように思われがちだが、ときどきそうした認識を軽々と飛び越えてくる研究がある。今回の話もまさにそれだ。試験管の底で起きている出来事が、いつの間にか宇宙の話になってしまうのである。

化学の世界には、右手と左手のような関係にある分子が存在する。鏡に映せば同じ形に見えるのに、実際には重ね合わせることができない。右手の手袋を左手にはめられないのと同じである。専門的には「キラル分子」と呼ばれる。こうした分子を作る反応では、特別な条件がなければ右型と左型が同程度に生じることが多い。まことに平等であり、民主的であり、誰からも文句は出なさそうだ。少なくとも化学反応の世界では。しかし、硤合反応はその平和な状態を容赦なく壊してしまう。ほんのわずかに右型が多ければ右型が右型を増やし続け、逆なら左型が左型を増やし続ける。雪玉が坂を転がるように偏りが増幅され、最後には片方が圧倒的に優勢になるのである。

ここで話は急に生命へ飛ぶ。人間を含む生物のアミノ酸は、ほぼすべて左手型であり、DNAを構成する糖は右手型である。なぜそうなったのか。生命誕生以前の地球には右型も左型も入り混じった化学物質が存在したと考えられるのに、生命はなぜ片方を選んだのか。この謎は「ホモキラリティ」と呼ばれ、長年研究者を悩ませてきた。硤合反応はその謎を完全に解いたわけではない。しかし、「ごく小さな偏りが自己増幅して片方を優勢にする」という仕組みを実験で示した。生命が右か左かに偏っていった過程を考えるうえで、極めて重要な手掛かりになったのである。生命の歴史を振り返ると、壮大な物語の出発点が、驚くほど些細な差だった可能性が見えてくる。

そして、その背景にある考え方が「対称性の破れ」だ。難しそうな言葉だが、ここでは「どちらでもよかったように見えるのに、結果として片方に決まってしまう現象」と考えればよい。実は自然界には、この問題がさまざまな姿で現れる。宇宙誕生の際には、物質と反物質がほぼ対等に存在していたと考えられている。しかし、現在の宇宙には物質が圧倒的に多く残っている。また、南部陽一郎博士が提唱した自発的対称性の破れという考え方は、素粒子が質量を持つ仕組みの理解にもつながった。分子の左右の偏りと宇宙の物質・反物質の非対称性は同じ現象ではない。それでも、「なぜ対称な状態から非対称な世界が生まれるのか」という問いは共通している。自然界というのは案外、完全な平等状態を長く維持するのが苦手らしい。

この点で、野依(のより)良治博士の研究との対比も興味深い。野依博士は、触媒を使って分子の右型と左型を選択的に作り分ける技術を切り開いた。一方、硤合博士は、ごく小さな偏りが自己増幅する仕組みを明らかにした。片や人間が望む分子を作り分ける技術であり、片や自然の中で偏りが生まれ、増幅される仕組みの解読である。どちらも右と左の話なのに、向き合っている問いはかなり違う。世の中には右と左の話になると急に険悪になる分野もあるが、こちらは純粋に化学の話である。それでも根底には、「ごく小さな差が大きな結果を生む」という共通のテーマが流れている。

考えてみれば、人間社会にも似た現象は少なくない。流行も市場も選挙も、最初は大差がなかったはずなのに、いつの間にか一方が圧倒的優勢になることがある。もちろん、その仕組みは化学反応とは違う。しかし、最初の小さな差が後になって大きな違いになるという点では、妙に通じるものがある。研究者の人生もまたそうだろう。右へ行っても左へ行ってもよかったはずの分かれ道が、後から振り返ると決定的な意味を持っていることがある。自然界では、対称性が破れることで新しい構造が生まれる場合がある。宇宙も生命も人間社会も、その仕組みはそれぞれ違う。それでも、ほんのわずかな偏りが思いもよらぬ結果へつながるという不思議は共通している。世界はそんな小さな偏りの積み重ねによって、いっそう多様で、複雑で、そして面白いものになっているのである。

コメント

トラックバック