ゴールデンカムイ網走襲撃編2026年03月20日

ゴールデンカムイ 網走監獄襲撃編
前作で感じた“日本映画にしては珍しく、アクションに真正面から向き合っている手応え”とアイヌ文化に深く触れたやり取りが忘れられず、今回も自然と期待が高まっていた。けれど、観終わってみると、その期待をもう一段上に連れていってくれる作品ではなかった、というのが正直なところだ。クライマックス、樺太へ向かう船に乗り込む場面で、「ああ、ここで終わるのか」とふと気づく。その瞬間、物語の余韻よりも先に、「山崎賢人、キングダム続編との掛け持ちはさすがに忙しすぎないか」という妙に現実的な感想が頭をよぎってしまった。次へ続く、という構造そのものに、水を差されたような感覚だった。

もちろん、本作が扱っているのは物語のど真ん中だ。原作18〜20巻にあたるこのパートでは、アシㇼパの記憶、のっぺら坊の正体、そして杉元・土方・鶴見という三つの勢力が正面からぶつかり合う。シリーズでも屈指の山場であり、ここを第2作に持ってきた判断は、よく考えられていると思う。実際、網走監獄という舞台は、物語としてもきれいな折り返し地点になっている。これまで積み重ねてきた謎が一気にほどけ、アシㇼパが“鍵”を取り戻すことで、各陣営の関係も組み替えられる。ここを越えた時点で、物語は明確に「終わりへ向かう段階」に入った、そんな感触がある。

ただ、その“うまさ”は、そのまま日本映画の事情も透けて見せてしまう。シリーズを長く続ければ続けるほど、コストも、スケジュールも、観客の熱も維持するのが難しくなる。山崎賢人が『キングダム』と並行していることを思えば、なおさらだ。もちろん、最初から三部作と決まっているわけではない。それでも、ここまでの流れを見ていると、結果的にそのくらいの規模に収まっていくのが一番自然なのだろう、と感じる。無理なく終わらせるには、それくらいがちょうどいい。

背景には、日本の映像産業の癖のようなものもある。人気漫画がアニメ化され、さらに実写へと展開される流れは、いまや半ば定型だ。リスクを抑える製作委員会方式の中で、成功しそうな題材と、すでに名前の通った俳優が組み合わされる。その結果として似た構造の作品が並ぶのも、ある意味では当然なのかもしれない。そう考えると、本作の立ち位置ははっきりしてくる。シリーズ前半の山場であり、同時にラストへ向けた助走でもある。次はおそらく、五稜郭での決戦へと向かうのだろう。

ただ、だからこそ少し物足りなさも残る。全体の流れとしては納得できるのに、一本の映画として観たときに、もう一段跳ねる瞬間がなかった。前作で感じた“知らない世界に触れる面白さ”や、“こんな見せ方をするのか”という驚きが、やや薄れていた気がする。

結局のところ、次でどう締めるかにすべてがかかっている。きれいに終わるだけでは足りない。その先に、ちゃんと「観てよかった」と思わせる何かがあるかどうか。とはいえ、その行方を見届けるつもりであることに変わりはない。むしろその前に、同じ山崎賢人が主演する『キングダム』の新作が、この“似た構造”をどう乗り越えてくるのか、そちらも楽しみにしている。

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