票の強奪・施設が人権を壊す ― 2025年11月14日
2025年7月の参院選。その裏側で見過ごせない事件が起きていた。大阪府八尾市と泉大津市の高齢者施設で、不在者投票35人分が虚偽に行われていたのである。施設運営会社の関係者が入所者になりすまし、特定候補の名を記入した投票用紙を選管に提出したという。
つまり、他人の票を“盗んだ”のだ。不在者投票制度は、投票所に行けない高齢者や障害者が政治参加できるように設けられた仕組みだ。本来ならば「本人の意思」がすべての前提になる。しかし、現実にはその“本人”が確認されていない。立会人制度は形だけ、監視カメラもなし。制度は「性善説」に頼り切っており、職員の誠実さにすべてを委ねる設計だ。だが、その善意が通用しない現場が、いま全国に静かに広がっている。
同様の事件は過去にも何度も起きている。2013年の北九州市議選では、特養の施設長が認知症の入所者3人分の票を偽造し、有罪判決を受けた。2016年の鹿児島・奄美大島「虹の園」事件では、施設長らが意思表示困難な8人の投票を操作。2022年の熊本では、職員が知的障害者に特定候補の名刺を持たせ投票を誘導し、9人が書類送検。2024年の藤沢市長選でも、職員2人が票を偽造し、罰金刑で幕引きとなった。
要するに、「介助」と「操作」の境目が、完全に溶けている。しかも厄介なのは、この手の不正が制度の“中”で起きることだ。外見上はすべて合法的手続きに見え、本人の「意思確認」をしたという一筆で事実が塗り替えられてしまう。支援の名を借りた支配。介護現場が、人の尊厳を奪う装置へと変わる瞬間である。
選挙不正と聞くと、政治家の買収や票の水増しを思い浮かべがちだ。しかし、ここで起きているのはもっと陰湿で、もっと静かな暴力だ。投票用紙一枚の重みを知らないまま、入所者の手を握り、候補者名を代筆する。暴力ではない。けれど、尊厳を踏みにじるという意味では、虐待と何も変わらない。
背景には、介護職員の疲弊や人手不足があるという“常套句”がある。だが、それは言い訳だ。人権意識があれば、どんなに過酷な現場でも「してはならないこと」は分かる。問題は、施設運営者がその意識を持たず、監督機関も“現場任せ”を放置してきたことにある。これは個人の逸脱ではなく、制度の腐食である。いま求められるのは、単なる罰則強化ではない。外部立会人の義務化、意思確認支援の専門職制度、投票過程の記録・監査、そして施設ごとの人権評価制度の導入。最低限、これらを整えなければ、制度は「不正を温める箱」にしかならない。
介護施設は、人の最期の時間を守る場所であるはずだ。だが、そこで人権が軽んじられ、票まで奪われるなら、もはや「施設」ではなく「囲い」だ。投票の自由とは、民主主義の根幹である。その最も弱い場所──病床や車椅子のそばで、その自由が消されている。選挙違反? そんな生ぬるい言葉では済まされない。これは、社会全体の怠慢が生んだ“集団的人権侵害”である。
私たちは、票の数ではなく、一票の尊厳を守る覚悟があるのか。その問いが、いま静かに突きつけられている。
つまり、他人の票を“盗んだ”のだ。不在者投票制度は、投票所に行けない高齢者や障害者が政治参加できるように設けられた仕組みだ。本来ならば「本人の意思」がすべての前提になる。しかし、現実にはその“本人”が確認されていない。立会人制度は形だけ、監視カメラもなし。制度は「性善説」に頼り切っており、職員の誠実さにすべてを委ねる設計だ。だが、その善意が通用しない現場が、いま全国に静かに広がっている。
同様の事件は過去にも何度も起きている。2013年の北九州市議選では、特養の施設長が認知症の入所者3人分の票を偽造し、有罪判決を受けた。2016年の鹿児島・奄美大島「虹の園」事件では、施設長らが意思表示困難な8人の投票を操作。2022年の熊本では、職員が知的障害者に特定候補の名刺を持たせ投票を誘導し、9人が書類送検。2024年の藤沢市長選でも、職員2人が票を偽造し、罰金刑で幕引きとなった。
要するに、「介助」と「操作」の境目が、完全に溶けている。しかも厄介なのは、この手の不正が制度の“中”で起きることだ。外見上はすべて合法的手続きに見え、本人の「意思確認」をしたという一筆で事実が塗り替えられてしまう。支援の名を借りた支配。介護現場が、人の尊厳を奪う装置へと変わる瞬間である。
選挙不正と聞くと、政治家の買収や票の水増しを思い浮かべがちだ。しかし、ここで起きているのはもっと陰湿で、もっと静かな暴力だ。投票用紙一枚の重みを知らないまま、入所者の手を握り、候補者名を代筆する。暴力ではない。けれど、尊厳を踏みにじるという意味では、虐待と何も変わらない。
背景には、介護職員の疲弊や人手不足があるという“常套句”がある。だが、それは言い訳だ。人権意識があれば、どんなに過酷な現場でも「してはならないこと」は分かる。問題は、施設運営者がその意識を持たず、監督機関も“現場任せ”を放置してきたことにある。これは個人の逸脱ではなく、制度の腐食である。いま求められるのは、単なる罰則強化ではない。外部立会人の義務化、意思確認支援の専門職制度、投票過程の記録・監査、そして施設ごとの人権評価制度の導入。最低限、これらを整えなければ、制度は「不正を温める箱」にしかならない。
介護施設は、人の最期の時間を守る場所であるはずだ。だが、そこで人権が軽んじられ、票まで奪われるなら、もはや「施設」ではなく「囲い」だ。投票の自由とは、民主主義の根幹である。その最も弱い場所──病床や車椅子のそばで、その自由が消されている。選挙違反? そんな生ぬるい言葉では済まされない。これは、社会全体の怠慢が生んだ“集団的人権侵害”である。
私たちは、票の数ではなく、一票の尊厳を守る覚悟があるのか。その問いが、いま静かに突きつけられている。