中道連合の増税なき減税政策 ― 2026年01月23日
「増税なき減税」という甘美な言葉ほど、日本政治を堕落させてきたスローガンはない。その最新版が、立憲民主党と公明党が共同で掲げる新党「中道改革連合」の政策である。食料品の消費税を恒久的にゼロにする。その財源として外貨準備を原資とする政府系ファンド(SWF)を創設し、運用益を充てる——。中道を名乗りながら、その発想は財政の常識から最も遠い。まず数字を見れば、議論は終わる。日本の外貨準備は約1.2兆ドル、円換算で約180兆円規模だ。一方、食料品の消費税収は年間約4〜5兆円。仮に外貨準備の半分、90兆円を運用し、年1%の純利益を得たとしても、収益は9000億円にすぎない。必要な財源の5分の1にも届かない。5兆円を恒久的に生み出すには、500兆円規模の運用資産が必要になる。中道改革連合の構想は、計算式の段階で破綻している。
それでも、この政策が掲げられた背景は明快だ。選挙で最も響くのは「痛みのない減税」だからである。だが、その裏側にあるのは、財政原理への露骨な背信だ。外貨準備とは、国家の最後の防衛線である。為替市場が動揺したとき、即座に投入するための資金だ。実際、日本は2022年の円安局面で約9兆円規模の為替介入を行った。危機時には単年で10兆円規模の資金が必要になる。その資金を恒久減税の財布に転用するという発想は、「非常用資金を日常支出に使う」という禁じ手にほかならない。中道改革連合は、その禁じ手を堂々と政策に掲げた。
さらに深刻なのは、国債との関係である。外貨準備の運用益は、本来、外為特会が発行した国債の償還に充てられてきた。つまり返済に回すべき資金を減税に使うということは、国債償還の不足分を新たな国債発行で補うことを意味する。構造的には「借金で減税する」という倒錯だ。財政規律を語りながら、実質的には財政拡張を掲げる——これが中道改革連合の正体である。
市場はさらに冷酷だ。外貨準備の価値は、「いつでも介入できる」という信認に支えられている。政治目的で拘束されれば、市場はそれを「使えない金」と判断する。円売り圧力が強まり、円安が進めば輸入物価は跳ね上がる。円安が10%進めば、輸入物価は7〜8%押し上げられる。日本の食料自給率は38%にすぎない。結果として食料品価格は上昇し、減税効果は相殺される。中道改革連合の政策は、減税のために減税効果を破壊するという自己矛盾を内包している。
国際的に見ても、この発想は孤立している。ノルウェーやシンガポールのSWFですら、運用益は財政安定化や将来世代のために使われ、恒久減税には用いられない。外貨準備を政治目的で動員した国は、例外なく通貨危機を経験している。トルコは通貨安とインフレが暴走し、アルゼンチンはデフォルトを繰り返した。外貨準備の政治化は、通貨の信認を破壊する。これは理論ではなく、歴史の教訓である。
それでも、この政策は選挙で喝采を浴びるかもしれない。しかし、もし中道改革連合が論理の破綻を理解した上で掲げているなら、それは国民を愚弄する行為だ。逆に、本気で実現可能だと信じているなら、財政・金融・為替の基礎理解が欠落している。どちらに転んでも、政党としての政策能力に重大な疑問が生じる。
国家財政の王道は奇策ではない。生産性を高め、成長によって税収の自然増を実現することである。外貨準備の運用益をつまみ食いするような政策は、短期的な政治メッセージにはなっても、持続可能な制度設計とは到底言えない。中道改革連合の掲げる消費税ゼロ構想は、改革ではなく、財政ポピュリズムの完成形に近い。危険なのは減税そのものではない。減税の名を借りて、国家の金融インフラを切り崩そうとする発想そのものにこそ深刻な問題がある。素直に経済投資を拡大し、税収を増やして国民生活の向上を目指すと言えないのはなぜなのか。不思議を通り越し、悪夢を見ているかのような感覚すら覚える。
それでも、この政策が掲げられた背景は明快だ。選挙で最も響くのは「痛みのない減税」だからである。だが、その裏側にあるのは、財政原理への露骨な背信だ。外貨準備とは、国家の最後の防衛線である。為替市場が動揺したとき、即座に投入するための資金だ。実際、日本は2022年の円安局面で約9兆円規模の為替介入を行った。危機時には単年で10兆円規模の資金が必要になる。その資金を恒久減税の財布に転用するという発想は、「非常用資金を日常支出に使う」という禁じ手にほかならない。中道改革連合は、その禁じ手を堂々と政策に掲げた。
さらに深刻なのは、国債との関係である。外貨準備の運用益は、本来、外為特会が発行した国債の償還に充てられてきた。つまり返済に回すべき資金を減税に使うということは、国債償還の不足分を新たな国債発行で補うことを意味する。構造的には「借金で減税する」という倒錯だ。財政規律を語りながら、実質的には財政拡張を掲げる——これが中道改革連合の正体である。
市場はさらに冷酷だ。外貨準備の価値は、「いつでも介入できる」という信認に支えられている。政治目的で拘束されれば、市場はそれを「使えない金」と判断する。円売り圧力が強まり、円安が進めば輸入物価は跳ね上がる。円安が10%進めば、輸入物価は7〜8%押し上げられる。日本の食料自給率は38%にすぎない。結果として食料品価格は上昇し、減税効果は相殺される。中道改革連合の政策は、減税のために減税効果を破壊するという自己矛盾を内包している。
国際的に見ても、この発想は孤立している。ノルウェーやシンガポールのSWFですら、運用益は財政安定化や将来世代のために使われ、恒久減税には用いられない。外貨準備を政治目的で動員した国は、例外なく通貨危機を経験している。トルコは通貨安とインフレが暴走し、アルゼンチンはデフォルトを繰り返した。外貨準備の政治化は、通貨の信認を破壊する。これは理論ではなく、歴史の教訓である。
それでも、この政策は選挙で喝采を浴びるかもしれない。しかし、もし中道改革連合が論理の破綻を理解した上で掲げているなら、それは国民を愚弄する行為だ。逆に、本気で実現可能だと信じているなら、財政・金融・為替の基礎理解が欠落している。どちらに転んでも、政党としての政策能力に重大な疑問が生じる。
国家財政の王道は奇策ではない。生産性を高め、成長によって税収の自然増を実現することである。外貨準備の運用益をつまみ食いするような政策は、短期的な政治メッセージにはなっても、持続可能な制度設計とは到底言えない。中道改革連合の掲げる消費税ゼロ構想は、改革ではなく、財政ポピュリズムの完成形に近い。危険なのは減税そのものではない。減税の名を借りて、国家の金融インフラを切り崩そうとする発想そのものにこそ深刻な問題がある。素直に経済投資を拡大し、税収を増やして国民生活の向上を目指すと言えないのはなぜなのか。不思議を通り越し、悪夢を見ているかのような感覚すら覚える。