「SNS告発」に追い込まれる学校2026年01月15日

「SNS告発」に追い込まれる学校
学校で起きた暴行が、教師でも校長でもなく、SNSによって発覚する。この異様な光景が、いまや珍しくなくなった。栃木県と大分県の学校で、生徒が別の生徒に暴行する様子を撮影した動画がSNSで拡散した問題を受け、文部科学省は教育長らを集めた緊急会議を開き、「いじめの見過ごしがなかったかの点検」や「情報モラル教育の徹底」「警察との連携強化」を呼びかけた。だが、こうした対応を聞くたびに思う。論点がズレてはいないか。問題の本質は、SNS時代のトラブルでも、生徒の倫理観の低下でもない。むしろ、学校という組織が長年抱えてきた「内部告発の仕組み不在」こそが、暴行の黙殺とSNS拡散という両極端な事態を同時に生み出している。

今回の動画の経路は象徴的だ。栃木県のケースは学校不祥事を扱う“告発系アカウント”に投稿され、大分県ではSNS拡散によって半年も経て学校が事態を把握した。ここから読み取れるのは、単なる悪意の晒しではない。「学校に言っても動かない」という現場の諦念が、外部への告発を選ばせた可能性である。もちろん、告発目的であっても被害者の映像が拡散されれば、プライバシー侵害や二次被害の危険は避けられない。だが、そこにこそ学校制度の致命的な矛盾がある。校内暴力やいじめは何十年も前から繰り返されてきたにもかかわらず、学校は「体面」や「評判」を優先し、問題を矮小化し、時に黙殺してきた。教員の多忙と専門性不足、閉鎖的な人間関係、第三者が介入しづらい制度設計、こうした条件が重なり、暴力は見えなくされ、声は封じられてきた。

その結果、生徒にとってSNSが唯一の告発ルートになってしまった。校内に安全で信頼できる通報制度が存在しない以上、正当な問題提起であっても、ネットに投げれば「晒し」と受け取られ、被害者も加害者も、そして学校自身も傷つく。今回の二つの事例は、まさにこの構造的欠陥が表面化したものだ。

この悪循環を断ち切るために必要なのは、精神論でもモラル教育の唱和でもない。学校に実効性ある内部告発制度を制度として組み込むことである。生徒や教職員が匿名で安全に通報でき、暴行動画などの証拠は第三者委員会が適切に保全する。委員会には弁護士や司法関係者を参加させ、中立性と専門性を担保する。制度内では身元確認を行い虚偽通報を抑止しつつ、外部には匿名性を守る。さらに、学校側や委員会が隠蔽や不正を行った場合に限り、外部発信を「正当な公益通報」として保護すれば、SNSは“暴走する告発装置”ではなく最後の安全弁に戻る。

学校は「秩序」を守るという名目で、子どもたちに沈黙を強いてきたのではないか。その結果として、最も危険な告発手段――SNSでの拡散――を子どもたちに選ばせてしまったのではないか。栃木と大分で拡散した暴行動画は、制度改革を先送りにしてきた大人たちに、この問いを突きつけている。それにもかかわらず、制度そのものの欠陥を議論の俎上に載せようとしない文部科学省の姿勢は、あまりに心許ない。

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