LINEの投票依頼2026年02月09日

LINEの投票依頼
選挙のたびに鳴っていたはずの固定電話が、今回は一度も鳴らなかった。代わりに、静かな午後、LINEを開くと知人から投票依頼の動画が届いていた。家族にも同じものが送られてきたという。どうやら選挙運動は、いつの間にか私たちのスマートフォンの中に入り込み、日常の延長のような顔をして現れるようになったらしい。それにしても、日本の選挙制度は不思議だ。メールで投票依頼を送るのは違法なのに、LINEやSNSのメッセージは許されている。私信の手紙も、メールも、SNSも、いずれも「知り合いに自分の考えを伝える」という点では本質的に変わらないはずだ。個人がどの手段で友人に意見を伝えるかは、本来プライベートな領域であり、国家が細かく介入すべきことなのか疑問が残る。むしろ、知り合い同士が率直に政治の話を交わすことこそ、市民の政治的リテラシーを育てる土壌になるのではないか。

しかし、公職選挙法はその自然な流れに逆らうように存在している。「メールは禁止、LINEは許可」というねじれは、2000年代初頭の迷惑メール問題に端を発している。当時はメールアドレスの収集が容易で、大量送信によるスパム化が深刻な懸念とされていた。一方、2013年のネット選挙解禁では、総務省がLINEやSNSのDMを「電子メールではない」と形式的に整理したため、結果としてメールだけが禁止されるという不整合が生じた。だが実際には、メールもLINEも個人宛てのメッセージであり、影響力も構造もほとんど同じだ。手段ごとの規制は、もはや公平性の観点からも説得力を失っている。

封書による投票依頼も、別の矛盾を抱えている。通信の秘密によって行政は封書を開けられないが、選挙運動文書の頒布は一般有権者には禁止されているため、行為自体は違法とされる。ただし、受信者が黙っていれば発覚しない。違法でありながら実効性がない――この奇妙な構造は、公選法全体に漂う「時代のほころび」を象徴しているようにも見える。

海外に目を向ければ、この違和感はさらに際立つ。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、韓国などでは、メールもDMもSNSも封書も、選挙運動の手段として原則自由だ。規制の中心は虚偽情報や誹謗中傷、資金の透明性であり、手段そのものを細かく縛る国はほとんどない。日本のように「メールだけ禁止」「封書は一般人NG」「ビラは候補者のみ」といった手段別規制は、世界的に見ても例外的である。

戦後、紙媒体を前提に設計された制度が、技術の進化に追いつけないまま継ぎはぎされてきた。その結果が、現在の整合性を欠いた体系だ。「メールは禁止、LINEはOK」という矛盾は、その象徴にすぎない。選挙運動のあり方を、私たちの生活実感に即したものにすべきだ。そもそも個人の政治信条についての発信を、お上があれこれ言う時代ではなかろう。