円安悪玉論2026年02月03日

円安悪玉論
選挙が始まると、日本の経済論は決まって幼稚になる。円安を見れば「悪だ」「生活が壊れる」と叫び、あたかもそれですべてが説明できたかのような顔をする。だが、この“円安悪玉論”ほど、選挙向けに都合よく加工された議論はない。分かりやすさの裏で、国民は静かに誤導されている。為替は、政権の善悪を裁く投票用紙ではない。世界経済の循環、国際資本移動、エネルギー輸入構造、産業の海外移転といった複雑な要因の積み重ねとして決まる。現在の円安も、特定の政党や内閣の一存で生じたものではない。それにもかかわらず、選挙戦に入った途端、「円安=失政」「円安=国民の敵」という単純な物語だけが氾濫する。理由は明白だ。その方が票になるからである。

円安には必ず光と影がある。輸入物価の上昇で家計や中小企業が苦しむ一方、輸出企業や観光業は利益を伸ばし、政府が保有する外貨資産の円換算価値も膨らむ。円安とは、“誰かの負担”であると同時に、“誰かの利益”でもある。この当たり前の事実が、選挙中は意図的に語られない。痛みだけを強調し、利益には沈黙する。その沈黙こそが、最も政治的なのだ。さらに悪質なのは時間軸の切断である。短期的には物価高が直撃するが、その裏で政府の財政余力は確実に増している。外貨資産の評価益や税収増は、数字として存在する現実だ。だが選挙戦では、「円安が悪い」という感情的スローガンが前面に出ることで、その余力をどう使うのかという最重要の政策論が意図的に消される。

本来、選挙で問われるべきは、円安か円高かではない。円安という結果によって生じた負担と利益を、政治がどう調整するのかである。具体的には、円安で拡大した税収や評価益を原資に、エネルギー価格の影響を強く受ける世帯や中小企業へ重点的に給付・減税を行うのか。円安で潤った企業の収益が賃上げとして家計に回るよう、分配を後押しする制度を示すのか。観光、輸出、国内投資を軸に、円安を一過性の痛みで終わらせず成長に転じる戦略を持っているのか。問われているのは、その設計図である。

しかし現実には、「円安を止めろ」「円安がすべての元凶だ」という声ばかりが拡声器で増幅される。為替を悪者にすれば、政治の責任はぼやける。分配の失敗も、政策の不在も、「円安のせい」にできるからだ。円安悪玉論は、国民の怒りを代替ターゲットへ誘導する、きわめて都合のいい装置なのである。

円安は善でも悪でもない。ただの為替変動だ。にもかかわらず、それが選挙のたびに“悪役”に仕立て上げられるのは、日本政治が最も問われる論点――どう配り、どう支え、どう成長させるのか――から逃げ続けてきた証拠でもある。選挙とは、本来その逃げを許さないための制度のはずだ。円安を叩くかどうかではない。円安という現実を前に、何をするのか、何もしないのか。その違いこそが、投票で問われるべき本当の争点なのである。