高市ブームの3つの理由 ― 2026年02月10日
史上最高の自民党議席数には驚いた。どれほど勝っても260議席が上限だと踏んでいたし、中道も130議席まで下げると予測していた。だが、読みは大きく外れ、結果はぶっちぎりの与党圧勝だった。選挙中盤ではチームみらいの分配戦略に注目したものの、与党がこれほど伸びるとは思いもしなかった。今回の選挙結果で、単なる議席増減以上に注目すべきなのは、有権者が「何を選んだか」よりも、「何に背を向けたか」である。比例代表では、自民・維新・参政の三党が合計98議席を獲得し、全176議席の55.7%を占めた。比例区が政党の政策姿勢を最も端的に映す制度である以上、この数字は、保守的政策を掲げる勢力が政策ベースで過半の支持を得たことを示している。これは保守が熱狂した選挙ではない。方向性の見えない政治と、その場しのぎの妥協に対し、有権者が明確にブレーキを踏んだ選挙だった。
その象徴が、高市早苗を軸に広がった「高市ブーム」である。安全保障、国家観、経済政策において歯切れの良い言葉を発し続けた高市の存在は、沈滞していた保守層の感情を一気に可視化した。しかし、この現象を個人人気として片付けるのは的外れだ。その背景には、石破政権下で進められてきた親中姿勢をにじませる外交方針や、リベラル寄りと受け止められがちな政策運営への倦怠感が、確実に蓄積していた。
さらに見逃せないのが、いわゆる「中道連合」に対する国民の失望である。選挙のたびに掲げられる理念なき連携、政策の整合性よりも選挙区事情を優先した野合、対立軸を曖昧にしたままの数合わせ――こうした姑息な動きに、有権者はすでにうんざりしていた。「どこと組むか」ばかりが語られ、「何を実現するのか」が見えない政治に対する拒否感が、比例区の票行動に如実に表れたのである。
高市ブームとは、支持の創出というより、三つの不満――親中・リベラル寄りと映る政権運営、中道連合の場当たり的野合、そして理念なき政治全般への倦怠が一気に収束した現象だったと言うべきだろう。だが、その追い風に乗って当選した議員たちを見渡すと、別の不安も浮かび上がる。高市の理念や政策への共鳴というより、党の勢いと看板にぶら下がる形で議席を得た、いわば「金魚の糞的当選組」が少なくない。選挙戦で何を語り、何を守るのかが見えないまま当選した議員ほど、選挙後は党内力学に回収されやすい。
自民党は巨大政党であり、保守とリベラルが同居する。高市ブームによって一時的に保守色が前面に出たとしても、政策決定の場では従来の均衡と妥協が顔を出す。そのとき、金魚の糞的に当選した議員が沈黙を選べば、今回示された民意は容易に骨抜きにされる。
一方、維新や参政党が一定の支持を得た背景にも共通点がある。LGBT関連法制、選択的夫婦別姓、皇位継承制度といったテーマで、急進的な制度変更に歯止めをかける姿勢が、有権者の不安と噛み合った。安全保障でも、防衛力強化と抑止力という現実路線が支持された。今回の比例区の結果は、「右傾化」という単語では説明できない、理念なき中道政治への拒否の意思表示でもある。
高市ブームが可視化したのは理念だった。しかし、当選した全員がその理念を背負っているわけではない。看板で当選した議員ほど、選挙後に最初に試されるのは沈黙しない覚悟である。国民はすでに、曖昧さと野合に愛想を尽かし始めている。その警告に応えられるかどうか――それこそが、選挙後の国会で突きつけられた本当の試金石だ。
その象徴が、高市早苗を軸に広がった「高市ブーム」である。安全保障、国家観、経済政策において歯切れの良い言葉を発し続けた高市の存在は、沈滞していた保守層の感情を一気に可視化した。しかし、この現象を個人人気として片付けるのは的外れだ。その背景には、石破政権下で進められてきた親中姿勢をにじませる外交方針や、リベラル寄りと受け止められがちな政策運営への倦怠感が、確実に蓄積していた。
さらに見逃せないのが、いわゆる「中道連合」に対する国民の失望である。選挙のたびに掲げられる理念なき連携、政策の整合性よりも選挙区事情を優先した野合、対立軸を曖昧にしたままの数合わせ――こうした姑息な動きに、有権者はすでにうんざりしていた。「どこと組むか」ばかりが語られ、「何を実現するのか」が見えない政治に対する拒否感が、比例区の票行動に如実に表れたのである。
高市ブームとは、支持の創出というより、三つの不満――親中・リベラル寄りと映る政権運営、中道連合の場当たり的野合、そして理念なき政治全般への倦怠が一気に収束した現象だったと言うべきだろう。だが、その追い風に乗って当選した議員たちを見渡すと、別の不安も浮かび上がる。高市の理念や政策への共鳴というより、党の勢いと看板にぶら下がる形で議席を得た、いわば「金魚の糞的当選組」が少なくない。選挙戦で何を語り、何を守るのかが見えないまま当選した議員ほど、選挙後は党内力学に回収されやすい。
自民党は巨大政党であり、保守とリベラルが同居する。高市ブームによって一時的に保守色が前面に出たとしても、政策決定の場では従来の均衡と妥協が顔を出す。そのとき、金魚の糞的に当選した議員が沈黙を選べば、今回示された民意は容易に骨抜きにされる。
一方、維新や参政党が一定の支持を得た背景にも共通点がある。LGBT関連法制、選択的夫婦別姓、皇位継承制度といったテーマで、急進的な制度変更に歯止めをかける姿勢が、有権者の不安と噛み合った。安全保障でも、防衛力強化と抑止力という現実路線が支持された。今回の比例区の結果は、「右傾化」という単語では説明できない、理念なき中道政治への拒否の意思表示でもある。
高市ブームが可視化したのは理念だった。しかし、当選した全員がその理念を背負っているわけではない。看板で当選した議員ほど、選挙後に最初に試されるのは沈黙しない覚悟である。国民はすでに、曖昧さと野合に愛想を尽かし始めている。その警告に応えられるかどうか――それこそが、選挙後の国会で突きつけられた本当の試金石だ。
ミラノに舞う二つの軌跡 ― 2026年02月10日
ミラノの冬空を切り裂くように、二つの影が舞い上がった。村瀬心椛と木村葵来。同じ「ビッグエア」という戦場で、二人は同じ雪面を蹴り、同じ空をまとい、同じように世界の視線を集めていた。冬季五輪。日本のスノーボード界が前人未到の地平に立つ。男女同種目での同時金メダル獲得。それは単なるスコアの集計を超え、ひとつの時代が完成を見た瞬間だった。
村瀬心椛は、静寂そのものだった。揺るぎない確信を胸にキッカーへエントリーする。バックサイド・トリプルコーク1440、そしてフロントサイド・トリプルコーク1440。左右両方向で最高難度を完遂するという離れ業を、彼女はまるで祈りの儀式のように、淡々と、そして美しく遂行した。着地で舞い上がった雪煙は、熱狂よりも先に、会場に深い溜息をつかせた。評価されたのは回転数だけではない。空中でのグラブの深さ、四肢の制御、そして何より際立っていたのは「時間の支配」だ。彼女はただ回っていたのではない。空中の二秒間を、自らの意志で引き延ばしていた。
対して、木村葵来が描いたのは「剥き出しの意志」という名の放物線だった。二本目の転倒で崖っぷちに立たされた三本目。彼が選んだのはスイッチバックサイド1980。逆スタンスからエントリーし、五回転半の重力に抗いながら、約20メートル下の斜面へと吸い込まれていく。着地の瞬間、氷を切り裂く鋭い音が響き、直後に地鳴りのような歓声がそれを呑み込んだ。90.50点。逆転の金メダル。そこには若さゆえの狂気と、「ここで歴史を変える」という不屈の魂が刻まれていた。
かつて、日本にスノーボードが上陸したばかりの頃、板を担いでゲレンデに立った「爺」の私には、ある種の隔世の感がある。当時はスキーヤーに煙たがられ、肩身の狭い思いをしながら雪を滑っていた。そんな時代の生き残りからすれば、「回転数が多ければ勝てるのか」という素朴な疑問さえ、今や贅沢な悩みだ。現代のジャッジは残酷なほど本質的だ。1980や1440という派手な数字の裏で、彼らは「均衡」を見ている。空中姿勢、グラブの確実性、着地のクリーンさ、そして左右両方向への多様性。回転数という暴力的なパワーに対し、いかに知的な制御を加えるか。村瀬の滑りは、難度と完成度が完璧に調和した、スポーツにおける「黄金比」を証明してみせた。
驚くべきは、木村が1980を叩き出したあの跳躍でさえ、踏み切り速度や滞空時間は女子の村瀬と大差ないという事実だ。時速60キロ前後の進入、落差20メートル強の空間。性別の壁を越え、人類が等しく与えられた「空中の2秒間」という制約の中で、二人はそれぞれに異なる、しかし等しく尊い解答を描いたのだ。
この快挙は、決して偶然ではない。エアバッグを用いた科学的トレーニング、そして選手同士が惜しみなく技術を共有する、日本独自のオープンな文化。その積み重ねが、かつてゲレンデの片隅で「遊び」と見なされていたスタイルを、いまや世界を席巻する「最高純度のスポーツ」へと押し上げたのである。そもそも現代のビッグエアは、人工雪と冷却装置を駆使し、都市の真ん中に巨大なジャンプ台を築き上げて行われる一大イベントへと進化した。自然条件に左右されることなく、常に最適なコンディションを整えられる環境が整ったことで、選手たちは極限の技に挑むことができるようになった。こうした技術的・文化的な基盤があってこそ、日本の若い才能は世界の頂点に立つまでに育ったのである。
村瀬と木村が共有した、あの2秒間。そこには技術だけでなく、積み重ねた覚悟と、次世代へ繋ぐ希望が凝縮されていた。二人が飛んだミラノの空は、日本のスノーボード界が次なる次元へと踏み切るための、輝かしい地平線となった。
村瀬心椛は、静寂そのものだった。揺るぎない確信を胸にキッカーへエントリーする。バックサイド・トリプルコーク1440、そしてフロントサイド・トリプルコーク1440。左右両方向で最高難度を完遂するという離れ業を、彼女はまるで祈りの儀式のように、淡々と、そして美しく遂行した。着地で舞い上がった雪煙は、熱狂よりも先に、会場に深い溜息をつかせた。評価されたのは回転数だけではない。空中でのグラブの深さ、四肢の制御、そして何より際立っていたのは「時間の支配」だ。彼女はただ回っていたのではない。空中の二秒間を、自らの意志で引き延ばしていた。
対して、木村葵来が描いたのは「剥き出しの意志」という名の放物線だった。二本目の転倒で崖っぷちに立たされた三本目。彼が選んだのはスイッチバックサイド1980。逆スタンスからエントリーし、五回転半の重力に抗いながら、約20メートル下の斜面へと吸い込まれていく。着地の瞬間、氷を切り裂く鋭い音が響き、直後に地鳴りのような歓声がそれを呑み込んだ。90.50点。逆転の金メダル。そこには若さゆえの狂気と、「ここで歴史を変える」という不屈の魂が刻まれていた。
かつて、日本にスノーボードが上陸したばかりの頃、板を担いでゲレンデに立った「爺」の私には、ある種の隔世の感がある。当時はスキーヤーに煙たがられ、肩身の狭い思いをしながら雪を滑っていた。そんな時代の生き残りからすれば、「回転数が多ければ勝てるのか」という素朴な疑問さえ、今や贅沢な悩みだ。現代のジャッジは残酷なほど本質的だ。1980や1440という派手な数字の裏で、彼らは「均衡」を見ている。空中姿勢、グラブの確実性、着地のクリーンさ、そして左右両方向への多様性。回転数という暴力的なパワーに対し、いかに知的な制御を加えるか。村瀬の滑りは、難度と完成度が完璧に調和した、スポーツにおける「黄金比」を証明してみせた。
驚くべきは、木村が1980を叩き出したあの跳躍でさえ、踏み切り速度や滞空時間は女子の村瀬と大差ないという事実だ。時速60キロ前後の進入、落差20メートル強の空間。性別の壁を越え、人類が等しく与えられた「空中の2秒間」という制約の中で、二人はそれぞれに異なる、しかし等しく尊い解答を描いたのだ。
この快挙は、決して偶然ではない。エアバッグを用いた科学的トレーニング、そして選手同士が惜しみなく技術を共有する、日本独自のオープンな文化。その積み重ねが、かつてゲレンデの片隅で「遊び」と見なされていたスタイルを、いまや世界を席巻する「最高純度のスポーツ」へと押し上げたのである。そもそも現代のビッグエアは、人工雪と冷却装置を駆使し、都市の真ん中に巨大なジャンプ台を築き上げて行われる一大イベントへと進化した。自然条件に左右されることなく、常に最適なコンディションを整えられる環境が整ったことで、選手たちは極限の技に挑むことができるようになった。こうした技術的・文化的な基盤があってこそ、日本の若い才能は世界の頂点に立つまでに育ったのである。
村瀬と木村が共有した、あの2秒間。そこには技術だけでなく、積み重ねた覚悟と、次世代へ繋ぐ希望が凝縮されていた。二人が飛んだミラノの空は、日本のスノーボード界が次なる次元へと踏み切るための、輝かしい地平線となった。