還付通知書 ― 2026年08月01日

マイナポータル自動口座振り込み申請
ある日、役所から封筒が届いた。税金の通知といえば、たいてい「払ってください」である。ところが今回は違った。開けると「還付通知書」。返してくれるらしい。おや、ずいぶん気前がいいではないかと思って金額を見ると、400円。思わず桁を見直したが、やはり400円である。コンビニのコーヒーなら2杯ほど。その400円を返すために、役場は通知書を印刷し、封筒に入れ、郵送する。さらに返送された申請書を職員が確認し、振込処理を行う。自治体によって差はあるが、還付1件あたりの事務費は数百円規模になる例もあるという。400円を返すために数百円を使う。何とも不思議な仕事である。

住民の側も決して楽ではない。高齢者なら、まず通帳を探すところから始まる。「あれはどこへしまったかな」と家中を歩き回り、ようやく見つけたら、今度は老眼鏡を探す。口座番号を確認し、必要なら返信の手続きをする。真夏なら炎天下を郵便ポストまで歩くことにもなる。400円を受け取るために汗と時間を使う。金額は軽いのに、そこへたどり着くまでの手間は妙に重い。還付というより、小さな障害物競走のようである。

今回、町では税額更正に伴い、住民税課税者に少額の還付が発生する。総額はいくらになるのだろうか。一方で、その還付事務にも1件あたり数百円規模の経費が発生し、還付人数分だけ積み重なる。役場の職員が悪いわけではない。法令どおり通知を作成し、審査し、支払い手続きを進めているだけである。しかし、同じ作業を何度も繰り返せば、人件費も郵送費も積み重なる。紙は静かに増え続け、人の時間だけが少しずつ削られていく。しかも全国ほとんどの自治体でこの無駄が積み上げられている。

大阪市などが進めるマイナポータル連携の公金受取口座を使えば、還付額の計算や法定確認こそ残るものの、口座確認や入力作業といった事務負担は大きく減らせる。紙ベースの給付事務を電子化することで、定型的な作業がごっそり削れることは、すでに多くの自治体が実証している。公金受取口座を利用すれば、口座情報の記入や通帳の写しの添付といった“昭和の手続き”も省略できる。

そもそも給付DXを実現している自治体であれば、還付DXができない理由はない。給付と還付は小規模自治体では同じ職員が同じ机で同じシステムを使って処理しているのだから、還付だけが特別に複雑という説明は成り立たない。希望しない住民には紙ベースの作業が残るなど制度上の制約はあるにせよ、「前からこうしている」だけで紙中心の運用を続けるのは、住民にも職員にも優しい仕組みとは言い難い。

400円という金額は小さい。しかし、この400円騒動は、日本の行政が抱える問題をよく映している。1件では取るに足らない非効率も、何万件、何百万件と積み重なれば、失われる税金も時間も決して小さくない。行政改革とは、大きな制度を作り替えることだけではない。400円を返すために数百円規模の事務費をかける。その当たり前を一度立ち止まって見直すことも、立派な改革だと思う。そして今日、役所からご丁寧に支払通知書「振込400円」が郵送で届いていた。

大阪気質と松川はん ― 2026年07月27日

大阪人になれない松川氏
副首都法案が成立し、大阪が制度的に「副首都」へ向けて動き出した直後、吉村知事が「住民投票と選挙は同日に実施する。行政コストを抑えるためにも合理的だ」と明言した。その直後に松川るい氏が「付帯決議を尊重すべきだ」と発言したのである。この流れが大阪の政治空間に投げ込まれた瞬間、多くの有権者には「いや、そこ今言うん?」という感覚が広がったのではないか。大阪の政治では、理念や形式だけでなく、「それで何が変わるんや」「結局いくらかかって、どんな得があるんや」という実利を見る目が強い。ここを読み違えると、政治家の評価は一気に厳しくなる。

選挙と住民投票を同日に行えば、投票所の設営費、人件費、印刷物などの行政コストを抑えることができる。だから大阪では、合理的であるなら同日実施を肯定的に受け止める傾向が強い。もちろん付帯決議には政治的な意味があり、国会の意思を示す文書として軽視すべきではない。しかし、それを尊重すべきだと主張するのであれば、「なぜ同日実施では問題なのか」「住民にどのようなメリットがあるのか」、さらに国会は同日実施を法的に禁止する法案を否決しているにもかかわらず、なぜ法的拘束力のない付帯決議を優先するのかまで説明する必要がある。そこが示されなければ、結局「それ、やったら何の得になるん?」という受け止め方になる。大阪では、主張の正しさだけでなく、実際の効果まで含めて判断されるのである。

この感覚は、かつての「エッフェル姉さん事件」とも重なる。自民党女性局のフランス研修をめぐり、視察のはずなのに楽しげな写真をSNSに投稿したことが批判の火種になった。松川氏は視察団の中心的な立場にあり、地元有権者からも「税金を使った活動として、それでええんか」という厳しい目を向けられた。問題だったのは海外視察そのものではない。税金を使う以上、目的や成果を示し、公費に対する自覚を伝えられるかどうかである。今回、行政コストを抑える目的で提案された同日実施に否定的な姿勢を示したことで、「あの時も税金の使い方が問われたのに、また効率より形式を優先するんか」という印象につながったのである。

松川氏は大阪育ちでありながら、安倍政権の落下傘候補として古い大阪自民のしがらみに縛られず、新しい立ち位置を示すこともできたはずである。しかし今回の発言は、大阪の気質や実利感覚への配慮を欠き、結果として過去の大阪自民が示してきた「反維新のための反維新」という姿勢と重なって見えた。大阪の政治では、単に反対するだけでは支持は広がらない。「ほんなら、どう良くするんや」という問いに答える必要がある。自民が存在感を高めるためには、維新を否定するのではなく、改革の不足部分を補う政策型の立ち位置を示すことが求められる。

副首都構想についても、自民が賛成しているのであれば、「大阪を良くするために一緒に進めましょう。そのうえで、ここは波風が立たんように“オチ”をつけて着地を考えましょ」という姿勢の方が有権者には伝わりやすい。大阪政治で評価されるのは、対立の大きさではなく成果である。行政を効率化する、税金を有効に使う、住民に分かりやすい結果を出す。そうした政治家が支持される。今回の騒動が示したのは、政治家の言葉は立派に聞こえるだけでは足りず、「それで大阪のためになるんか」という問いに答えられるかが重要だということである。大阪の政治は、最後には損得と成果で判断される。知らんけど。

「福岡三国志」と倉内体制 ― 2026年07月19日

「福岡三国志」と倉内体制
福岡県政というものは、議事録の乾いた文字をいくら積み上げても、その本体にはなかなか届かない。むしろ、議場の床下に長年染み込んだ湿気――畜産の獣臭、土木の粉塵、派閥の古い汗が幾重にも沈殿し、空気そのものがぬめりを帯びている。その湿気は「福岡三国志」と呼ばれる政治の地層が長い年月をかけて積み重なった結果であり、麻生、武田(旧古賀派)、そして県議会の土着勢力という三つ巴が、福岡政治の湿度をゆっくりと、しかし確実に決めてきた。議場に足を踏み入れれば、昭和の政治がまだどこかで息をしているような、重たい空気が肌にまとわりつく。

その土着勢力の頂点に、二度目の議長として議場の最上段へ返り咲いた倉内氏がいる。初めて議長に就任したのは二十年以上前だが、年月を経て再び議長席に戻る政治家は、もはや議場の空気に影響される側ではない。議場そのものが、彼の呼吸に合わせて湿度を変える。一度なら偶然、二度なら必然。そして、その二度目が「土着勢力を束ねる存在」としての返り咲きであるなら、その象徴性はさらに濃く、重く、湿ってくる。倉内氏は畜産・獣医行政の世界で長年築かれた業界の網の目を掌握し、議場の呼吸を読み、派閥の湿度を調整してきた。彼が議長席に座るだけで、議会の空気は昭和の濃度へと静かに巻き戻される。古い議場の木製の手すりが、かつての政治の体温を思い出したかのように、じっとりと湿り気を帯びる。

加計学園の獣医学部新設は国政案件だが、国の規制改革が地方の既得権益に波紋を広げるとき、「福岡三国志」の湿度は揺らぐ。麻生派は中央の改革に理解を示し、旧古賀派は官僚的慎重論をにじませ、土着勢力は業界の声を束ねて地盤を守ろうとする。既存の需給バランス、家畜保健衛生所の序列、獣医師会との長年の関係――こうした利害の堆積は、中央の乾いた理念よりもはるかに重く、湿り気を帯びている。その湿度の中で、業界のドンが国政の風向きを気にし、どこかで「湿った連絡線」を引いたのではないか――そんな噂が議場の片隅でひそやかに囁かれたこともある。記録は沈黙するが、政治には記録では説明しきれない空気の流れがある。昭和の政治が好んだ「裏の調整」の気配が、どこかで微かに立ち上る。

湿った連絡線がひとたび引かれれば、疑惑物語は政策論より前へ押し出され、本来議論されるべき制度設計は政局へと姿を変えていく。その手際は、二度目の議長として議場の湿度を知り尽くした者ならではの、熟練した政治技法を思わせる。そして今、福岡県が掲げるワンヘルス政策にも「福岡三国志」の湿気が濃く漂う。理念は国際的で華やかだが、実際の事業は自然道の整備に毛が生えた程度で、感染症対策の中核機能など影も形もない。だが政治の世界ではこれが妙に整合する。土木予算、畜産関連施策、地域への利益配分――いずれも土着勢力との親和性が高く、湿った土壌に根を張りやすい。中央主導の改革には慎重でありながら、地元の利益を伴う政策には積極的である。昭和の政治が好んだ「地元への還元」の論理が、今も議場のどこかで息をしている。

倉内氏が必ず参加したハワイを含む高額海外視察や、議長選を巡る「みかじめ料」騒動も、決して孤立した出来事ではない。議会内の互助会的慣習、派閥間の資金の流れ、議長ポストをめぐる駆け引き――それらはすべて「福岡三国志」という湿った政治文化の延長線上にある。倉内氏の二度目の議長就任は、その政治文化がなお現在進行形で息づいていることを示す。こうして眺めると、加計問題、ワンヘルス、高額海外視察、議長選の騒動は、それぞれ独立した事件ではなく、同じ湿った土壌から伸びた枝葉である。政策はいつしか利権と組織維持の道具へ姿を変え、理念は現実政治の湿気の中で形を失っていく。政治とは理念だけで動く舞台ではない。昭和の政治が残した湿り気の上で、利害と組織と権力が静かに絡み合い、時代の流れさえ静かに変えていく力学なのである。

福岡県議会カツアゲ疑惑 ― 2026年07月14日

福岡県議会カツアゲ疑惑
福岡県議会の騒動というのは、巨大な焼き芋を割ったら湯気ではなく領収書がモクモク出てきた、という、胸焼けが先に来る類の話である。しかもその領収書にはハワイ、シンガポール、ドバイ、欧州と世界の観光地がずらりと並ぶ。焼き芋を食べる前に航空券の値段を気にしなければならない政治というのは、どうにも腹の底が重たい。

そもそもこの問題は、2024年初頭から福岡県議会の海外視察をめぐる問題意識が議会内外で高まり、朝日新聞などが「海外視察が高額すぎる」「全国最多クラスの高額視察」と報じたことを端緒として、二年半にわたり燻り続けていた。ハワイ視察は長年続き、理由は「友好交流」だという。もちろん友好は大切だが、毎年数百万円もの旅費で温める友好というのは、焼き芋を温め直すために溶鉱炉を使うようなもので、どうにも釣り合いが取れない。何を学び、何を県政へ持ち帰り、どのような成果を生んだのか。その説明が曖昧なら県民が首をかしげるのは当然である。

思い出されるのが「エッフェル姉さん事件」だ。自民女性議員のフランス研修でエッフェル塔前の記念写真が話題となり、「それは観光ではないか」と批判を浴びた。政治家が「視察」という言葉を使う以上、その中身まで問われる時代になったという教訓である。しかし福岡県議会は、その教訓を十分に生かしたようには見えない。外からの批判が内部に届かず、焦げ目を指摘されても「昔からこういう味だ」と言い張るような閉鎖性が漂う。

しかも海外視察は焼き芋の皮にすぎなかった。皮をめくると「議長1年交代」という慣行が現れ、さらにその下からは、議長就任に1000万円、副議長に500万円を求められたとの内部告発まで飛び出した。真偽は調査を待つべきだが、内部からこうした告発が出たこと自体、すでに尋常ではない。焼き芋を割ったら札束が出てきたようなもので、もはや料理ではなく事件の匂いがする。つまり、高額な海外視察は問題の入口にすぎず、本質は「昔からこうだから」という慣行が幾重にも積み重なり、誰も止められない閉鎖的な議会文化が出来上がっていた点にある。海外視察は、その体質が外へにじみ出た最初の染みにすぎなかったのである。そして、この構造的な焦げ付きは、閉鎖性の高い全国の地方議会でも同様の慣行がまかり通っているのではないかという懸念すら抱かせる。

今回唯一評価できるのは、高額視察を契機に「カツアゲ問題」が週刊誌や捜査機関ではなく、議員自身の内部告発によって明らかになったことである。自分の贈賄罪の時効を迎えているから告発したとの見方もあるが、「この焼き芋はもう食べられない」と声を上げた議員が現れ、長年閉め切られていた台所の換気扇がようやく回り始めた。しかし、換気扇を回しただけでは焦げた匂いは消えない。本当に必要なのは、焼き方そのものを変えることである。議長人事はどのように決まり、議会費は誰が監視し、長年の慣行は県民に説明できるものなのか。そこまで踏み込んで初めて、地方議会は県民の信頼を取り戻すことができる。

政治の焼き芋は少し焦げるくらいなら甘みも増す。しかし焦げすぎれば炭になる。芋を割り続けるうちに煤けていたのは個々の視察ではなく地方議会という炉そのものだった。燃料は県民の税金である。もはや身内だけで火加減を調整できる段階ではない。だからこそ必要なのは監査であれ司法であれ、独立した第三者による徹底した検証である。焼き芋が炭になってから火を消しても遅い。今問われているのは、地方議会という炉そのものを県民の前で掃除し直せるかどうか、その一点である。


たとえ話:
町内会というものは、どこも似たようなものである。普段は回覧板が回り、夏祭りの日程を相談し、湯飲み片手に世間話をする穏やかな場所だ。ところが会長選びの話になると空気が急に重くなる。昔から「まあまあ、これでひとつよろしく」という言葉があり、表向きは感謝でも、包みは年月とともに厚みを増し、手のひらにずしりと残るものになっていた。2020年、その会長に選ばれたのが吉松さんだった。重鎮たちは笑顔で「気持ちを持ってきてね」と言い、別の日には「汗をかいてね」とも言った。柔らかい言葉なのに、背中がひやりとする。吉松さんは腹をくくったが、包みの重さだけは胸に引っかかった。

もしあの「気持ち」が単なる付き合いではなく、「持ってこなければ困る」という圧力の結果だったなら、それは町内会版のカツアゲである。カツアゲは恐喝罪で、時効は七年だ。七年という数字が、町内会の空気のどこかにじっと居座っていた。退任後、普通なら相談役として残るものだが、吉松さんは静かに距離を置いた。中心にいた人物が急に輪の外へ出る。町内会の人々は首をかしげた。

2024年、地区代表選びでも吉松さんの名は出なかった。「あれほどの人なのに」という声もあったが、古い組織では静かな処理が多い。席を一つ外すだけで人は中心から消える。2025年、吉松さんは町内会を離れた。ここまでは単なる疎遠化にも見えた。ところが翌年、役員旅行の大盤振る舞い事件で空気が一変する。吉松さんが「実は会長になった時に、カツアゲがあった」と語ったのだ。包みの話、重鎮たちの言葉。重鎮たちは真っ青になり、座布団の上で落ち着かずに左右へ揺れた。吉松さんに求めたように、まじで冷や汗をかいていた。

町内会の風景は変わった。包みは消え、重鎮たちの座布団は薄くなり、重苦しい空気も軽くなった。湯飲みの底の澱が取り除かれたようだった。振り返れば、吉松さんの歩みは五年がかりの物語である。距離を置き、時を待ち、離れ、最後に語る。小さな動きの積み重ねが、町内会の「当たり前」を問い直したのである。吉松さん体制がどうなるかは、知らんけど。

マダニシカと奈良公園 ― 2026年06月17日

マダニシカと奈良公園
奈良公園という場所は、どうも人間とシカの距離が近すぎる。近いどころか、ほとんど「同じ縁側で麦茶を飲んでいる親戚」くらいの距離感である。ベンチに座れば横から鼻先を突っ込んでくるし、観光客が袋を開ければ「それは私への供物ですね」と言わんばかりの顔をする。人間のほうも警戒心が薄い。シカせんべいを差し出し、写真を撮り、ついでに頭まで撫でてしまう。ここまでくると、観察しているのは人間ではなくシカのほうではないかと思えてくる。あの黒い目は、たぶん観光客の行動パターンをすっかり学習している。

ところが、この牧歌的な光景の裏には、少々やっかいな同居人がいる。マダニである。米粒ほどの大きさしかないくせに、吸血すると別人――いや別ダニのように膨れ上がる。小さいから可愛げがあるかといえば全然そんなことはなく、SFTS(重症熱性血小板減少症候群)という、名前だけで病院の待合室を連想させるような感染症を媒介する。SFTSにかかると血小板が減る。血小板と言われてもピンと来ないので、人間の体を一軒の家だと思ってみる。血管は外壁、血小板は外壁の傷を見つけては補修に走る塗装職人である。

外壁というものは毎日少しずつ傷む。小さなひびや剥がれができるたびに、職人たちが「はいはい、今行きますよ」と脚立を抱えて駆けつける。ところがSFTSウイルスは、その家にしつこい酸性雨を降らせるようなものだ。最初は小さな剥がれでも、雨が続けば傷は増える。職人はあちこちへ呼び出され、休憩する暇もない。しかも厄介なことに、このウイルスは職人を育てる本社、つまり骨髄にまで負担をかける。新人が入ってこない。ベテランは疲れ切る。免疫反応の混乱で、まだ働ける職人まで現場から帰されてしまうこともある。こうなると外壁の補修は追いつかない。人間でいえば皮下出血、鼻血、歯ぐきからの出血が起きる。さらに傷みが広がれば、脳や内臓といった家の基礎部分にまで影響が及ぶ。これがSFTSの怖さである。

そして、そのウイルスを運んでくるマダニにとって、シカは理想的な住まいだ。広い、暖かい、毛深い、おまけによく移動する。マダニ向け不動産広告があるなら、「食事付き、暖房完備、送迎サービスあり」と大書きされるだろう。シカは自分が大家をしている自覚などないだろうが、マダニから見れば高級マンションのオーナーみたいなものである。奈良公園には多くのシカがいる。そして何より、人との距離が近い。シカが観光客の服に鼻を押しつける。芝生でくつろぐ人のそばを歩く。子どもがしゃがめば横から覗き込む。もちろん、マダニが必ず人へ移るわけではない。しかし宿主同士の距離が近ければ、マダニにとって行き来の機会が増えるのは確かだろう。マダニにしてみれば、シカから人間への乗り換えは引っ越しというより、同じマンション内で部屋を替わる程度の感覚かもしれない。

だから奈良公園は不思議な場所である。世界的な観光地であり、シカとの触れ合いを楽しめる一方で、自然が持つ別の顔も確かに存在する。もっとも、その当のシカは今日も芝生の上でのんびり反芻している。観光客は写真を撮り、シカせんべいを差し出し、マダニはどこかで静かに機会をうかがっている。人間だけが「あれも心配、これも心配」と頭を抱えているわけだ。シカのほうはそんな事情など知る由もなく、「せんべいはまだですか」という顔でこちらを見ている。たぶん奈良公園で一番気楽に暮らしているのはシカである。人間はマダニを警戒し、マダニは人間を探し、行政は注意喚起の看板を立てる。その横でシカだけが、いつも通り芝を噛みながら次のせんべいのことを考えているのである。

ゴミ出し工夫でクマが減るのか ― 2026年06月11日

ゴミ出し工夫でクマが減るのか
去年の日本は、どうもクマにとって「人里観光キャンペーン元年」だったらしい。秋田では住宅街にふらりと現れ、富山では犬の散歩中の女性を襲い、仙台では県庁近くのマンションに十時間も居座った。まるで旅行サイトの口コミを読みながら「今日はここに泊まろう」と宿を探している旅人のようである。結果は死者6人、負傷者200人超。数字だけ見れば立派な非常事態だ。ところが、その後に聞こえてきたのは「来年はクマの数をどうするか」ではなく、「出てきたらどう対応するか」という話ばかりだった。クマの側からすれば「今年もよろしくお願いします」である。

よく「ゴミ出しが悪いからクマが来る」と言われる。もちろん無関係ではない。しかし、それは空腹で街へ出た人が、たまたま目に入ったラーメン屋の赤提灯につられて暖簾をくぐるようなものだ。提灯があるから街へ来たのではない。先に「腹が減った」がある。山ではシカが下草を食べ尽くし、イノシシが地面を掘り返し、ドングリは凶作続き。山の食堂には「本日休業」の札がぶら下がったままだ。クマは仕方なく人里へ降り、そこで見つけたゴミをあさる。ゴミは原因というより、下界で見つけたデザートに近い。メインディッシュがないなら、せめて甘いものでも、というわけだ。

本来、人身被害が繰り返し発生した地域では、翌年に向けて重点的な管理を行うのが自然な発想である。北米などでは個体数管理や問題個体の排除を含めた総合的な対策が広く行われている。しかし日本では、環境省は「共存」を掲げ、農林水産省は鳥獣被害対策を担いながらも個体数管理の主導権は持たず、自治体は人員不足を訴える。結果として、「誰がどこまで責任を持つのか」が曖昧なままになる。人間の縄張りには行政の境界線がびっしり引かれているのに、クマはそんな線を見てくれない。役所の都合を理解して山を下りてくるほど、律儀な動物でもないのである。

自治体からは「猟師の高齢化が深刻でして」という説明も聞こえてくる。確かにそれは事実だろう。しかし、だから何もできないという話にはならない。被害が集中している地域へ周辺自治体の捕獲人員を集中的に投入すればよい。火事が起きれば消防は応援を呼ぶ。豪雨災害が起きれば自治体の枠を超えて職員が派遣される。クマだけが「担当者不足なので仕方ありません」で済まされる理由はない。必要なのは鉄砲の数より、制度の設計である。

ところが政府のクマ対策会議で前面に出てくるのは、AIカメラ、ドローン、情報共有システム、ゴミ管理、麻酔銃といった対策だ。どれも必要ではある。しかし、それらはあくまで市街地へ出てきた後の対応策である。火災で言えば消火器の話であって、なぜ火事が増えたのかという議論ではない。肝心の個体数管理や生息域管理の議論は、どうにも後景へ追いやられている。火元は山にあるのに、議論はいつも街角の消火器の前で終わってしまう。

六人が命を落としている以上、本来問われるべきなのは「クマが現れた後にどうするか」ではなく、「なぜ毎年のように現れるのか」である。対症療法だけを積み重ねても、人里へ降りてくるクマが減らなければ被害は繰り返される。クマにも事情はあるのだろう。しかし、人間にも生活がある。共存という言葉を本気で使うなら、まずは現実の個体数と生息環境に向き合うことから始めるべきだ。

人もクマも、もう十分に様子見はした。増えすぎた大型動物と市街地で「共存」するのは、言葉で言うほど簡単な話ではない。玄関先でクマと鉢合わせして「お先にどうぞ」と譲り合えるほど、人間は器用でも胆力があるわけでもないのである。山で静かに暮らしてもらうためにも、人間側が本気で山と個体数に向き合うしかない。そろそろ必要なのは掛け声ではなく、本気の対策だろう。

「琉球民族」認定勧告 ― 2026年05月26日

「琉球民族」認定勧告
沖縄の祖国復帰54周年の式典で、琉球王家の末裔である尚衛さんがメッセージを寄せた。これがなんとも静かなのである。静かなのだけれど、背筋がピッと伸びている。まるで、誰も気づかないうちに核心をスッと差し出すような、不思議な凄みがある。なぜ尚さんがわざわざ釘を刺したかというと、中国が国連の場で「沖縄は日本のものじゃない」「沖縄の人々は先住民族だ」といった話を、まるで“今日もこの話題でいきます”とばかりに繰り返しているからだ。これに対し尚さんは、「沖縄の地位はすでに決まっている。係争地のように扱うのは危険だ」と淡々と、しかし確かな温度でクギを刺した。放置しておくと、物語が勝手に歩き出すことがあるからだ。

国連も国連で、2008年以降、沖縄を先住民族として認めるよう日本に6回も勧告している。6回である。一度や二度なら「まあ意見としては分かる」で済むが、6回となると、これはもう“ストーカー”の領域だ。しかもその根拠は、一部の独立派NGOの提出資料が中心で、沖縄県民の多数意見とはどうにも噛み合っていない。ここで思い出されるのが、アイヌ先住民族認定のときの流れだ。2007年に国連が先に宣言を採択し、翌年、日本政府が追認した。北海道の人たちが「え、どういうこと?」と言っている間に、国際的な流れが先に形を作ってしまった。「国連 → 国内政策」という順番で、地域の議論が置き去りになった。この前例を見て、「国連を使えば日本の内部問題を国際化できる」と考える国が出てきても不思議ではない。

そして、我々日本人の“戦後のクセ”がここで顔を出す。国連(=連合国)と聞くと、どうにも弱い。敗戦時の記憶がどこかに沈殿しているのか、「国連が言うなら正しいのだろう」と条件反射的に思ってしまう。まさにパブロフの犬である。ベルが鳴ったら反応、国連が言ったら従順。そろそろ卒業したい習性だ。しかも困ったことに、国連の組織の中には、中国が主導権を握っているものが少なくない。にもかかわらず、「国連=中立で正しい」という思い込みが根強い。印籠を見せられた町人のように「ははーっ」とひれ伏してしまう。だが、その印籠、よく見ると誰が持っているのか、誰が磨いているのか、誰が裏で使い方を決めているのか――そこまで気にする人は意外と少ないのである。

さらに笑えないのが、中国の“人権”の使い方である。自国内では、新疆ウイグル自治区での強制的な同化政策や、チベットでの宗教・文化への厳しい統制など、国際社会から何度も問題視されている民族弾圧を抱えている。ところが、そういう国に限って、沖縄のように深刻な人権弾圧が存在しない地域に対して「これは重大な人権問題だ!」と声を上げるのだから、これはもう“盗人猛々しい”という日本語がピタリと当てはまる。人権の香りは一ミリもせず、代わりに第一列島線を揺さぶるための地政学的な計算だけが、ツンと鼻をつく。

そもそも民族の問題というのは、その土地の人と国が時間をかけて向き合うべきもので、外部が軽々しく口を出すべきではない。沖縄で深刻な人権侵害が起きているわけでもないのに、国連の委員会がロビー活動に影響されて“先住民族”のラベルを貼ろうとするのは、やはり慎重さを欠く。沖縄の歴史や文化を大切にすることと、外部の政治的利用を警戒することは両立する。むしろ今は、その両方が必要だ。誰かが勝手に“沖縄の物語”を書き始める前に、当事者が「それは違う」と言うこと。その大切さを、尚衛さんの静かな言葉が教えてくれている。

個人情報保護法違反PTA名簿 ― 2026年05月18日

個人情報保護法違反のPTA名簿
静岡市で、学校がPTAに名簿を渡していた──と聞くと、なんだか昔の町内会の回覧板みたいである。名前がぐるぐる回って、最後は誰の家にあるのかわからなくなる、あの感じだ。ところが今どきは、これが個人情報保護法に触れるらしい。時代というのは、ある日ふっと「それ、ダメです」と言い出すから油断がならない。市教委の調査では、20校で9200人分。同意なし。数字だけ見ると、なかなかの“大漁”である。だが現場の先生にしてみれば、「いや昨日まで普通にやってましたけど」という顔になるだろう。ここにすでに、話のズレがある。

このズレ、何に似ているかと考えると、自転車の歩道走行である。歩道は歩行者がいて気をつかうし、車道は車がビュンビュン来て怖い。だからつい歩道をそろそろ走る。誰もが一度はやっている。ところがある日、「はい違反です」と笛を吹かれる。こちらとしては、悪いことをしているつもりはなかったのに、急に“違反者”である。名簿の話も、どうもこの感じに近い。こういうときに元気になるのが、「どっちが悪いか」をすぐ決めたがる人たちだ。事情はどうでもいい、とにかく白黒つけたい。白か黒か、勝ちか負けか。おそらく判定が好きなのだろう。だが現場で動いている側からすると、「ちょっと待ってくれ」と言いたくなる。昨日までの善意が、今日から違反になるのだから、話が急すぎる。

PTAというのは教師と保護者の任意団体である。任意といいつつ、気がつくと半分くらい義務の顔をしている。役員はだいたい前任者のノートを引き継ぎ、「去年もこうだったから」で回していく。安全運転である。ここで「ちょっと変えませんか」と言うと、「じゃああなたがやってください」とくる。この一言、なかなかの切れ味で、たいていの人はここで黙る。校長先生も大変である。昔は地域の顔役みたいなところがあって、PTA顧問といえば「まあ一席どうぞ」という余裕もあった。ところが今は、書類、監査、説明責任と、机の上がどんどん高くなる。顔を上げるとまた書類が増えている。気がつけば「責任は重いが権限は軽い」という、なんとも不思議な立場である。

教育委員会はというと、ここでスッと法律を持ち出す。「これはダメです」と線を引く。たしかに間違ってはいないのだが、どうも話が早すぎる気もする。現場の「なぜこうなったか」は、その線の少し手前にある。結局のところ、学校とPTAと地域が、いちど腰を下ろして話すしかないのだろう。「なんとなく続いてきたこと」を、「これからどうするか」に変える作業である。面倒といえば面倒だが、やらないと、また同じことが別の形で起きる。

良いPTAというのは、不思議と人が集まる。頼まれていないのに手伝う人がいて、言わなくても話が通じる。そういう流れが一度できると、名簿がなくてもだいたい回る。逆に、形だけ残ると、何をやってもぎこちない。さて今回の件、違反は違反として、では明日からどうするのか。そこがいちばん難しい。笛を吹くのは簡単だが、自転車の行き先までは教えてくれない。ここから先は、誰かが少しずつ、様子を見ながら漕ぐしかないのである。

大阪都構想よ大志を抱け ― 2026年05月13日

大阪都構想よ大志を抱け
大阪都構想というのは、どうも「大阪市がなくなるかどうか」という一点に議論の全部が吸い込まれてしまった感がある。だが本当は、もっと大きな話だった。大阪府と大阪市が長年、まるで夫婦漫才のコンビが本番前の楽屋で「あんた、また勝手に動いたやろ!」と怒鳴り合っているように、右と左へ別れて歩き、似たような施設を二つ作り、同じような事業を別々に走らせてきた。その“行政の漫才”を、そろそろ台本ごと書き換えましょう――というのが都構想の本質だったのである。

ところが住民投票では、「区の名前はどうなる」「大阪市が消えるのは嫌だ」といった、“衣装の色”の話に論点が流れてしまった。本来問われるべきだったのは、「舞台装置をどう組み替えるか」という行政システムの話である。だが、人は制度より看板に反応する。「大阪市」という名前は、行政単位である前に、長年しみ込んだ地元意識そのものだった。だから議論が感情戦になったのも、ある意味では自然だったのかもしれない。

しかし数字で見ると、府市対立期の二重行政はかなり大きい。大学、港湾、研究所、文化施設、交通政策――あちこちで似たような事業が並走し、行政自身が認めた重複コストだけでも年間90〜115億円。さらに過去の重複インフラ整備を年換算すると100〜200億円規模とも言われ、合わせれば年間200〜300億円前後になる。これだけ重複していれば、さすがに“二つ買ってしまった福袋”のようなもので、中身が似ているのは当然である。一方で都構想の初期コストは241億円、追加のランニングコストは年間30億円程度とされ、重複が解消されるなら数年で回収できる計算になる。数字だけ見ると、家電量販店で店員が「奥さん、電気代込みならこっちの方が得なんですよ」と畳みかけてくる、あの妙な説得力に少し似ている。

そして議論をさらにややこしくしたのが、「維新が府と市の両方を長く押さえていた」という事実だった。府市協調が続いたのは制度が完成していたからではない。たまたま政治の風向きが一致し、知事と市長の関係がうまく回ったからである。いわば、たまたま晴天が続き、洗濯物がよく乾いただけの話だ。政治は天気と同じで、急に曇り、急に土砂降りになる。「この先もずっと晴れます」と思い込む方がむしろ危うい。さらに都構想反対論者の中には、「大阪市がなくなる」「住民サービスが壊れる」と叫びながら、その実、自分たちの議席や縄張り、長年温めてきた既得権益を守りたいだけではないか、と感じさせる場面もあった。行政改革とは誰かの権限を削る作業であり、反発が大きいほど「触れてはいけない棚」に手が伸びている証拠でもある。

しかも今は、都市間競争がどうこうという悠長な時代ではない。人口減少で“自治体そのものが消える”可能性すら現実味を帯びてきた。全国の市町村が青ざめ、財政は干からび、役場の灯りがいつまで点いているか分からない。そんな時代に、大阪だけが「今まで通り」で立ち止まっていられるはずがない。むしろ大阪こそ、仕組みを変え、体制を整え、先に動かなければならない都市だったのである。変わることを恐れている場合ではない。変わらなければ、生き残れない時代なのだから。

共生社会と個人情報 ― 2026年05月09日

共生社会と個人情報
宮城教育大付属特別支援学校のニュースを見て、「うわあ、学校それはまずいだろう」と思った人は多いはずである。地下鉄で迷惑行為があったとして、一般の通報者を学校に招き、生徒名簿を見せた。しかも顔写真付き。保護者は「鉄道警察隊への提出用」として了承していたもので、見知らぬ第三者への公開は許されない。文科省も「目的外利用」と指摘し、学校は謝罪。当該生徒は登校拒否のまま卒業したという。

ここまで聞くと、学校が悪い。終わり。そういう話に見える。だが、世の中というのは、「終わり」で終わらない。むしろ、そこからギシギシと妙な音がし始める。まず地下鉄のトラブルというのは、本来ぜんぶ警察案件である。足を蹴られた、怒鳴られた、押された。これは学校の生活指導ではなく、鉄道警察隊の仕事だ。ところが今回の通報者は、制服やヘルプマークを見て、「学校へ知らせた方がいいのでは」と考えたのだろう。これ、なんとなく分かるのである。

昔の町内には、頼まれてもいないのに学校へ知らせに来る人がいた。「あそこの子、駅前でちょっと荒れてたよ」とか、「最近元気ないねえ」とか、そういうことを伝えに来る。いま風に言えば“地域連携”だが、昔は単なる世話焼きである。社会というのは、実はこういう余計なお節介で回っていた。そして、子どもを確認するために集合写真や卒業アルバムを見せるようなことも、昔は案外普通にあった。「ああ、この子ですか」「この帽子の子かな」と、地域と学校が雑に情報を擦り合わせる。かなり危ういのだが、その危うさ込みで社会は動いていた。今回も、学校側の感覚としては、おそらくそちらに近かったのではないか。「名簿を開示した」というより、「どの子か写真で確認した」という現場感覚である。

ところが、これを法律や報道の言葉へ翻訳すると、一気に響きが変わる。「確認のために写真を見せた」は、「顔写真付き個人情報を第三者へ提供した」になる。「どの生徒か確認した」は、「名簿を閲覧させた」になる。すると学校は、まるで秘密ファイルを外部へ流出させた組織のような輪郭を帯び始める。もちろん、保護者が怒るのは当然だ。顔写真付き名簿を第三者に見せられたのだから、「それは違うだろう」となる。当たり前である。そして「個人情報保護法違反」という言葉が出た瞬間、善意がきっかけの地域の中の揉め事だったものが、一気に全国ニュース級の“不祥事”へ変わる。

だが、この話でいちばん強い燃料を投げ込んだのは、実はメディアかもしれない。学校も、通報者も、保護者も、本来は「子どもをどう支えるか」という同じ円の中にいた。多少やり方を間違えたとしても、本来は地域と学校の間で調整される種類の話だった。ところが、そこへ「個人情報漏洩」「第三者閲覧」「目的外利用」という強い言葉が並ぶと、空気は一変する。学校は“不祥事側”になり、保護者は“被害者側”になり、通報者は“危険な第三者”になる。本来は、現場の雑で不器用な確認作業だったものが、全国消費型の炎上案件へ変換されてしまうのである。

すると学校側も縮こまる。地域住民も、「もう学校には言わない方がいいな」と考え始める。最近はどこへ行っても、「担当部署に確認します」「個人情報なのでお答えできません」「警察へご相談ください」である。スーパーでも病院でも役所でも、とにかく境界線がきっちり引かれている。全部、法律的には正しい。だが、それを徹底した先にあるのは、学校は教育だけ、地域は通報だけ、あとは全部警察へ、という社会である。たしかに安全だ。責任も発生しにくい。誰も境界線を越えないから、コンプライアンス事故も減る。しかし、それは本当に日本が目指してきた「共生社会」なのか。誤解されやすい子どもを地域で支えるとは、本来、多少の面倒や越境を引き受けることでもあったはずだ。学校と地域が、「まあまあ」と言いながら橋をかけ続けることで、なんとか成り立っていた部分がある。

もちろん、学校の対応は不用意だったのだろう。保護者が怒るのも当然である。メディアにも報じる役割はある。だが、本来みんなが目指していたのは、「誰を処罰するか」ではなく、「どう共生社会を維持するか」だったはずだ。学校も、保護者も、地域も、メディアも、もう少し落ち着いて、「この子たちを社会でどう支えるか」を考える余裕があれば、話は違う形になっていたのかもしれない。最近の社会は、白黒をつける速度だけは異様に速い。だが、共生社会というものは、本来そんな瞬発力ではなく、少し鈍く、少し不器用で、少し面倒くさいものだった気がするのである。