霧の彼方にドローン消ゆ ― 2025年07月14日
「台風が来るらしい」――そんな一報に押されるように旅程を前倒ししたが、結局、明日は一日中雨らしい。ならば中尊寺は駆け足で済ませて、雨宿りがわりに美術館でも……頭を悩ませながらの移動が明日も続く。
本日は下北半島の先端、尻屋崎灯台からスタート。ここは日本で最初に霧鐘と霧笛が設置されたという、由緒ある白亜の灯台だ。だが、その姿は、文字どおり霧の中。まるで自らの歴史を隠すかのように、厚い白煙に包まれていた。さらには、放牧されているはずの寒立馬(かんだちめ)も一頭も姿を見せず。台風接近のせいか、厩舎で休業中だったのだろう。極めつけは、ドローンを海に沈めた事件だ。離陸した瞬間、操縦不能になり、霧の彼方へフワリと消えた。どうやら電波妨害――いわゆるジャミング――を受けたらしい。よりによってこんな場所で。機体そのものは惜しくないが、旅の記録を詰め込んだSDカードが戻らないのは痛恨の極みだ。
気を取り直して向かったのは六ヶ所村の「原燃PRセンター」。核燃料サイクルの仕組みが、模型や実機展示で丁寧に解説されている。豪奢な設備に「資金の潤沢さ」がひしひしと伝わってくる。道は妙に広く、子どもの姿は見えないのに公園には立派な遊具が並ぶ。国家のエネルギー政策が、この村に落とす影のようなものを肌で感じた気がした。
三沢では航空博物館を目指したが、月曜はまさかの休館日。基地は防衛上の理由で柵に囲まれており、外からは何も見えない。「残念」がまた一つ。それでも最後の望みをかけて、小岩井農場へ。だが、ここでも雨雲に先回りされ、到着した瞬間から雨脚が強まり、入場は断念。
心が折れかけた旅の終わり、大観 湯守ホテルでのひとときが救いとなった。肌に吸いつくような湯の感触、ロケーションの良さ、そして何よりGHの気の利いた男性オーナーの人柄。思わず「嫁にほしい」と冗談が出るほど、心を和ませてくれた。振り返れば今日は「2勝4敗」。決して上出来とはいえないが、湯に浸かりながら「これも旅の醍醐味」と苦笑いする。明日の雨に備え、今日は早めにゲームセットとしよう。
本日は下北半島の先端、尻屋崎灯台からスタート。ここは日本で最初に霧鐘と霧笛が設置されたという、由緒ある白亜の灯台だ。だが、その姿は、文字どおり霧の中。まるで自らの歴史を隠すかのように、厚い白煙に包まれていた。さらには、放牧されているはずの寒立馬(かんだちめ)も一頭も姿を見せず。台風接近のせいか、厩舎で休業中だったのだろう。極めつけは、ドローンを海に沈めた事件だ。離陸した瞬間、操縦不能になり、霧の彼方へフワリと消えた。どうやら電波妨害――いわゆるジャミング――を受けたらしい。よりによってこんな場所で。機体そのものは惜しくないが、旅の記録を詰め込んだSDカードが戻らないのは痛恨の極みだ。
気を取り直して向かったのは六ヶ所村の「原燃PRセンター」。核燃料サイクルの仕組みが、模型や実機展示で丁寧に解説されている。豪奢な設備に「資金の潤沢さ」がひしひしと伝わってくる。道は妙に広く、子どもの姿は見えないのに公園には立派な遊具が並ぶ。国家のエネルギー政策が、この村に落とす影のようなものを肌で感じた気がした。
三沢では航空博物館を目指したが、月曜はまさかの休館日。基地は防衛上の理由で柵に囲まれており、外からは何も見えない。「残念」がまた一つ。それでも最後の望みをかけて、小岩井農場へ。だが、ここでも雨雲に先回りされ、到着した瞬間から雨脚が強まり、入場は断念。
心が折れかけた旅の終わり、大観 湯守ホテルでのひとときが救いとなった。肌に吸いつくような湯の感触、ロケーションの良さ、そして何よりGHの気の利いた男性オーナーの人柄。思わず「嫁にほしい」と冗談が出るほど、心を和ませてくれた。振り返れば今日は「2勝4敗」。決して上出来とはいえないが、湯に浸かりながら「これも旅の醍醐味」と苦笑いする。明日の雨に備え、今日は早めにゲームセットとしよう。
みちのく慕情 ― 2025年07月13日
今日は朝8時にキャンプ場を出発し、約7時間かけて400キロのほとんどを地道で走った。左手には岩城山を望み、リンゴ園の中の農道を進む。信号はほとんどなく、行き交う車もまれで、ナビだけを頼りに走る。山間部や農村地帯では電波が届かないことが多く、ナビはGPSと地図情報のキャッシュで行き先を予測してくれるので、なんとか事なきを得ている。だが困るのは楽天モバイルだ。自社電波が届かない場所ではauのローミングを利用しているらしいが、ローミングの帯域は狭く、地図など大容量のデータの送受信がうまくいかないことがある。今や5Gの時代で情報量は膨大なのに、ローミングは通話音声と文字情報にかろうじて対応する旧式電波だ。ローミング圏に入るとカーナビが頼りなくなり、これには困る。もちろん車載のカーナビにもドコモの専用回線はあるが、山間部の林道では電波が途切れてしまうのは同じだ。しかも車の専用カーナビは運転中に気の利いた操作ができないため、ほとんど使わない。Appleのカープレイは音声入力でGoogleマップの操作ができるので重宝している。
これからは電波が届かないことが珍しくなるだろう。携帯電話各社は低軌道衛星から電波を拾えるようにし、悪天候以外は地球上どこでも今まで通りのネットサービスが使えるようになる。運転中に最も行き先を知りたいときに限って電波が途切れて狼狽える必要がなくなるのはありがたい。ちなみに、この技術はウクライナ戦争のドローン攻撃にも大きな役割を果たしているらしい。
竜飛岬は自衛隊のレーダー施設があり、ドローンは禁止されている。そのため、手前の観望台から空中撮影を行った。国防上の規制は仕方ないが、近年ドローン規制がやたらと強化されている。人家や人通りの多い場所は誤って落下した時の危険があるため理解できるが、人のいない国立公園まで禁止されているのは納得がいかない。仕方なく、もっぱら海上や湖上で飛ばしている。ドローンには障害物回避センサーやGPSによる自動帰還機能があり、突然頭上に落ちてくるような危険はないはずだ。新しいものを何でも危険視して規制しがちな国の体質とも言える。そういえば、高齢者の自家用車にこそセンサーを付けるべきなのに、票田に手をつけたくないのか全く進まないのが歯がゆい。
🎵「ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと、見知らぬ人が指をさす」🎵竜飛岬では石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」が盆暮れ問わず流れている。同じ青森のもう一つ北の大間崎では🎵「下北半島北の果て ゆきぐに女の泣く処 ああ風が風が吼えてる大間崎」🎵と歌う天童よしみの「みちのく慕情」があるが、こちらは歌が流れていなかった。やはりレコード売り上げの違いなのか、ビジュアルの問題なのか定かではない。「みちのく慕情」にも歌われる恐山に立ち寄った。硫黄ガスの匂いが漂い、火山岩をあちこちに積み上げて風車を立て、冥土のバーチャル空間を作り出している。これをプロデュースした人は誰なのだろう。恐山は平安時代の高僧・慈覚大師円仁が開山した霊場で、死者の霊を慰める場だ。風車は霊を慰め厄除けの象徴だが、恐山に風車を初めて設置した人物や時期は史料に残らず不明という。恐山は活火山の火山岩が豊富で、その岩を積み上げて風車の土台にする発想は、自然資源を活かし信仰と自然が調和した独特の景観を生んだ。風車は風を受けて回り祈りを届ける象徴で、荒々しい自然と死者への祈りが融合し、訪れる人々に深い感動を与える。ぐるっと回ると1時間はかかった。台風が明日夕刻から東北を直撃するらしい。盛岡を目指す予定だが台風に向かって走ることになる。夕方までに着けばなんとかなると呑気に考えていいものか。
これからは電波が届かないことが珍しくなるだろう。携帯電話各社は低軌道衛星から電波を拾えるようにし、悪天候以外は地球上どこでも今まで通りのネットサービスが使えるようになる。運転中に最も行き先を知りたいときに限って電波が途切れて狼狽える必要がなくなるのはありがたい。ちなみに、この技術はウクライナ戦争のドローン攻撃にも大きな役割を果たしているらしい。
竜飛岬は自衛隊のレーダー施設があり、ドローンは禁止されている。そのため、手前の観望台から空中撮影を行った。国防上の規制は仕方ないが、近年ドローン規制がやたらと強化されている。人家や人通りの多い場所は誤って落下した時の危険があるため理解できるが、人のいない国立公園まで禁止されているのは納得がいかない。仕方なく、もっぱら海上や湖上で飛ばしている。ドローンには障害物回避センサーやGPSによる自動帰還機能があり、突然頭上に落ちてくるような危険はないはずだ。新しいものを何でも危険視して規制しがちな国の体質とも言える。そういえば、高齢者の自家用車にこそセンサーを付けるべきなのに、票田に手をつけたくないのか全く進まないのが歯がゆい。
🎵「ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと、見知らぬ人が指をさす」🎵竜飛岬では石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」が盆暮れ問わず流れている。同じ青森のもう一つ北の大間崎では🎵「下北半島北の果て ゆきぐに女の泣く処 ああ風が風が吼えてる大間崎」🎵と歌う天童よしみの「みちのく慕情」があるが、こちらは歌が流れていなかった。やはりレコード売り上げの違いなのか、ビジュアルの問題なのか定かではない。「みちのく慕情」にも歌われる恐山に立ち寄った。硫黄ガスの匂いが漂い、火山岩をあちこちに積み上げて風車を立て、冥土のバーチャル空間を作り出している。これをプロデュースした人は誰なのだろう。恐山は平安時代の高僧・慈覚大師円仁が開山した霊場で、死者の霊を慰める場だ。風車は霊を慰め厄除けの象徴だが、恐山に風車を初めて設置した人物や時期は史料に残らず不明という。恐山は活火山の火山岩が豊富で、その岩を積み上げて風車の土台にする発想は、自然資源を活かし信仰と自然が調和した独特の景観を生んだ。風車は風を受けて回り祈りを届ける象徴で、荒々しい自然と死者への祈りが融合し、訪れる人々に深い感動を与える。ぐるっと回ると1時間はかかった。台風が明日夕刻から東北を直撃するらしい。盛岡を目指す予定だが台風に向かって走ることになる。夕方までに着けばなんとかなると呑気に考えていいものか。
弘前城・白神山地 ― 2025年07月12日
今朝の青森は23度。まだまだ涼しい。茹だる京都の皆さんには申し訳ないが、東北の夏は別世界だ。弘前城の開門と同時に訪ねてみた。弘前城は、津軽藩の藩庁として1609年に築城が始まり、1611年に完成した。築いたのは、初代藩主・津軽為信の跡を継いだ信枚(のぶひら)である。現存する天守は、1810年に再建されたもので、東北で唯一の現存天守だ。三層三階の木造で、小ぶりながら風格と重みを湛えている。春には約2,000本の桜が咲き誇り、天守と桜の競演は全国にも知られる。
そんな弘前城だが、現在は曳屋工事の最中。長年の風雪と凍結・融解の繰り返しで石垣にゆがみが生じ、ついに修復が必要になった。天守は元々、天守台の東南角に建っていたが、石垣の積み直しのため仮移転中。言われてみれば、今は本丸のど真ん中に、ちょこんと所在なげに座っている。移動といっても、もちろんそのまま運んだのではない。鉄骨で補強し、慎重にずらして運ぶ。ボロボロのままでは崩れてしまうからだ。これほどの作業をしてまで元の姿を守ろうとする人々の熱意には、頭が下がる。お城は建て替えれば良いというものではない。コンクリートの名古屋城も中には入れない状態で、経年劣化はなんでも同じだ。全国で木造復元や保存の取組は現在30件以上が進行中だ。なかでも壮大なのは熊本城。地震で石垣が崩れ、完成予定は2052年というから気が遠くなる。弘前城の元の場所への帰還は、来年の春には間に合うらしい。桜咲く頃、また訪れてみたいものだ。
その後、旅行定番の洋館や由緒正しい禅寺の街並みを抜けて白神山地世界遺産センターへ。だがここで少し醒めた気分になった。どこのセンターでも「デジタル演出」や「バーチャル体験」に金をかけているが、結局「自然を守れ」という一方通行の押し付けに思える。土曜日とはいえ客はまばら、受付でかしこまって座ってないで、君らの声と熱で語ってほしい。上映があるというので300円払ってシアターに入ったが、150人規模の会場には私とおばちゃん二人きり。映像は確かに美しかったし、金のかかった立派なものだった。でも見終えてロビーを振り返ると、職員が二人がかりで客に道案内をしていた。熱意はある。でもなんだか歯車がずれているように感じて、そっとセンターを後にした。
今夜はさらに山奥、暗門渓谷のアクアグリーンビレッジANMONでキャンプ。テントは5張りほどで、ナマハゲキャンプ場のような“完全ボッチ”ではないのがありがたい。トイレの壁には「クマが出るぞ」と張り紙。まあ、東北の山だし、これくらいのスリルはご愛嬌だ。夜はぐっと冷え込んできた。冬用のジャンパーを引っ張り出して、ようやくちょうどいい。焚き火用の薪は、道の駅で買った500円のものの方が、キャンプ場で売っていた800円のより長持ちする。今夜も焚き火の前でバーボンを傾けて眠るつもりだ。明日は竜飛岬へ向かう。
そんな弘前城だが、現在は曳屋工事の最中。長年の風雪と凍結・融解の繰り返しで石垣にゆがみが生じ、ついに修復が必要になった。天守は元々、天守台の東南角に建っていたが、石垣の積み直しのため仮移転中。言われてみれば、今は本丸のど真ん中に、ちょこんと所在なげに座っている。移動といっても、もちろんそのまま運んだのではない。鉄骨で補強し、慎重にずらして運ぶ。ボロボロのままでは崩れてしまうからだ。これほどの作業をしてまで元の姿を守ろうとする人々の熱意には、頭が下がる。お城は建て替えれば良いというものではない。コンクリートの名古屋城も中には入れない状態で、経年劣化はなんでも同じだ。全国で木造復元や保存の取組は現在30件以上が進行中だ。なかでも壮大なのは熊本城。地震で石垣が崩れ、完成予定は2052年というから気が遠くなる。弘前城の元の場所への帰還は、来年の春には間に合うらしい。桜咲く頃、また訪れてみたいものだ。
その後、旅行定番の洋館や由緒正しい禅寺の街並みを抜けて白神山地世界遺産センターへ。だがここで少し醒めた気分になった。どこのセンターでも「デジタル演出」や「バーチャル体験」に金をかけているが、結局「自然を守れ」という一方通行の押し付けに思える。土曜日とはいえ客はまばら、受付でかしこまって座ってないで、君らの声と熱で語ってほしい。上映があるというので300円払ってシアターに入ったが、150人規模の会場には私とおばちゃん二人きり。映像は確かに美しかったし、金のかかった立派なものだった。でも見終えてロビーを振り返ると、職員が二人がかりで客に道案内をしていた。熱意はある。でもなんだか歯車がずれているように感じて、そっとセンターを後にした。
今夜はさらに山奥、暗門渓谷のアクアグリーンビレッジANMONでキャンプ。テントは5張りほどで、ナマハゲキャンプ場のような“完全ボッチ”ではないのがありがたい。トイレの壁には「クマが出るぞ」と張り紙。まあ、東北の山だし、これくらいのスリルはご愛嬌だ。夜はぐっと冷え込んできた。冬用のジャンパーを引っ張り出して、ようやくちょうどいい。焚き火用の薪は、道の駅で買った500円のものの方が、キャンプ場で売っていた800円のより長持ちする。今夜も焚き火の前でバーボンを傾けて眠るつもりだ。明日は竜飛岬へ向かう。
酸ヶ湯温泉vs奥入瀬渓流 ― 2025年07月11日
昨日。青森港のすぐそばにある「ねぶたの家 ワ・ラッセ」に寄った。名前の由来は「輪」+「ラッセ」(ねぶた踊りのかけ声)らしいけど、青森弁で「出せ」が「ラッセ」と訛る。「ろうそく出せや〜祭り盛り上げろや〜」が意味らしい。ねぶたの起源は、平安時代の朝廷が東北征服の一環で京都の七夕や灯籠流しを広めた事が始まりという。光や火で穢れを祓う事と、眠気を払う農民の眠り流し呪いとを融合し発展させてきたらしい。ねぶたの語源も「眠蓋」なんて説もあるけど、証拠はない。中央文化を地方に浸透させ人心を掌握する一種のソフト侵略とも言えるかも。でも、どっこい宇宙人DNAの東北人は「都のつまんねぇ呪い提灯なんか糞だべ。俺らは宇宙人だからビカビカ光らせんべ!」って言ったかどうかは知らんけど、都の文化と宇宙(地方)文化の融合がねぶたの真骨頂なら面白い。館内では、ハネトの踊りとか太鼓、チャンギリ(摺鉦)を演奏させてくれた。チョロっと参加するだけで祭り気分味わえて悪くない。
今日は奥入瀬渓流までドライブ&散歩。弘前の今朝は快晴。岩木山がドーン、八甲田も遠目にクッキリ。昨日は蒸し暑かったのに夜からいきなり涼しくなって、朝9時で23度。車のエアコン切って窓全開で気持ちいい。東北の夏はやっぱ涼しいもんだなぁと感心しつつ標高を上げていく。国道394号は「湯煙ライン」と呼ばれてて、酸ヶ湯のヒバ千人風呂とか足元湧出の蔦温泉、白濁の猿倉温泉と温泉マニアのオールスター共演。でも標高800m越えたとこで天気が豹変、前見えんほどのガス&時雨。気温は13度。下界と10度も違うわけで車のエアコンもいつの間にか暖房に変わっていた。生憎の曇天で、奥入瀬の水流は光が弱くて本気出せないと言い、晴れてたらマジ美しいからと渓流の岩がぼやく。「曇りってわかってたら酸ヶ湯で千人風呂入ったんだけどな」と返しておいた。
石ヶ戸休憩所に車を停め、石ヶ戸から阿修羅の流れ、雲井の滝まで往復1時間。正直、大したことはない。ただの渓流だ。沢登りしてた自分には普通すぎる。結局、奥入瀬はCMや観光パンフに使いまくってブランド化した勝利だろう。韓国や中国の家族連れもウジャウジャ来てるけど、彼らも「ブランド」を買いに来ているだけだろう。まぁ自分もブランドに釣られてんだけど、奥入瀬に着いて即座に思い直して酸ヶ湯温泉に軍配を上げたので、温泉軍団には許しを乞いたい。源泉掛け流しも温泉の良し悪しを決めるブランド力だけど、昨日と今日浸かったスーパー銭湯風の源泉掛け流し温泉は、直堀の温泉か問題が解決しない。確かに温泉効能書が保健所のハンコを押して脱衣場に掲げてあるのだけど、よく見ると貯蔵式とか書いてある。掛け流しというからには湧き出しでなくてはならない。この疑惑を是非解決したい。それはさておき、青森だけかもしれぬが入浴料が安い。秋田乳頭温泉等700円に対し、青森の津軽おのえ温泉もカランコロン温泉も450円。洗い場にはシャンプーも石鹸も置いてないが250円お得だ。だが、スーパー銭湯慣れした都会者はがらんとした洗い場の前で狼狽えてしまう。そもそも銭湯というものは自分でオケも手拭いも石鹸も持参するのが当たり前だった。いつの間にか「スーパー」旋風で手ぶら入浴が多数派を占めることになった。ただ問題はそこじゃない。直堀り湧き出し掛け流し問題なのだ。どうでもいいこと程ずっと気になる。
今日は奥入瀬渓流までドライブ&散歩。弘前の今朝は快晴。岩木山がドーン、八甲田も遠目にクッキリ。昨日は蒸し暑かったのに夜からいきなり涼しくなって、朝9時で23度。車のエアコン切って窓全開で気持ちいい。東北の夏はやっぱ涼しいもんだなぁと感心しつつ標高を上げていく。国道394号は「湯煙ライン」と呼ばれてて、酸ヶ湯のヒバ千人風呂とか足元湧出の蔦温泉、白濁の猿倉温泉と温泉マニアのオールスター共演。でも標高800m越えたとこで天気が豹変、前見えんほどのガス&時雨。気温は13度。下界と10度も違うわけで車のエアコンもいつの間にか暖房に変わっていた。生憎の曇天で、奥入瀬の水流は光が弱くて本気出せないと言い、晴れてたらマジ美しいからと渓流の岩がぼやく。「曇りってわかってたら酸ヶ湯で千人風呂入ったんだけどな」と返しておいた。
石ヶ戸休憩所に車を停め、石ヶ戸から阿修羅の流れ、雲井の滝まで往復1時間。正直、大したことはない。ただの渓流だ。沢登りしてた自分には普通すぎる。結局、奥入瀬はCMや観光パンフに使いまくってブランド化した勝利だろう。韓国や中国の家族連れもウジャウジャ来てるけど、彼らも「ブランド」を買いに来ているだけだろう。まぁ自分もブランドに釣られてんだけど、奥入瀬に着いて即座に思い直して酸ヶ湯温泉に軍配を上げたので、温泉軍団には許しを乞いたい。源泉掛け流しも温泉の良し悪しを決めるブランド力だけど、昨日と今日浸かったスーパー銭湯風の源泉掛け流し温泉は、直堀の温泉か問題が解決しない。確かに温泉効能書が保健所のハンコを押して脱衣場に掲げてあるのだけど、よく見ると貯蔵式とか書いてある。掛け流しというからには湧き出しでなくてはならない。この疑惑を是非解決したい。それはさておき、青森だけかもしれぬが入浴料が安い。秋田乳頭温泉等700円に対し、青森の津軽おのえ温泉もカランコロン温泉も450円。洗い場にはシャンプーも石鹸も置いてないが250円お得だ。だが、スーパー銭湯慣れした都会者はがらんとした洗い場の前で狼狽えてしまう。そもそも銭湯というものは自分でオケも手拭いも石鹸も持参するのが当たり前だった。いつの間にか「スーパー」旋風で手ぶら入浴が多数派を占めることになった。ただ問題はそこじゃない。直堀り湧き出し掛け流し問題なのだ。どうでもいいこと程ずっと気になる。
三内丸山遺跡と宇宙人 ― 2025年07月10日
朝の5時に目がパチリと開いた。クマはいない。よかった〜と胸を撫で下ろして外を見ると、オートサイトの焚き火グリルの下の芝生が、あらら、丸く真っ黒に焼けているじゃないか。炭焼きステーキの下敷きかと思った。たぶん、伸びきった芝がカリッカリに乾いて、焚き火の熱で「ポンッ」といったのだろう。普通ならファイヤーシートってやつを敷く。ファイヤーシート、なんだか強そうな名前だ。でもそれを買いそびれていたのだ。すまないなぁと思いつつ、管理人さんに「ごめんなさいメモ」を残してキャンプ場を後にした。
今日の行き先は青森。これがまた遠い。おまけに最近、トイレが近くなった。寄るコンビニ、寄るコンビニで、コーヒーと休憩。コーヒーが休憩を呼び、休憩がまたトイレを呼ぶという、なんともはや無限ループ。途中、大潟村を通りかかった。ドーン!と広がる大規模農場。広い、広すぎる。まるで空港の滑走路に田んぼが生えてる。これならトラクターもコンバインも思う存分ブイブイ言わせて、採算も取れるというものだ。でも山間の田んぼはどうかというと、あれはあれで意味があるのだ。狭くて急で猫の額どころかネズミの額みたいな田んぼでも、水をたっぷり溜めて下流の災害を防ぐダムのような存在。そういう田んぼを、年配の農家さんが手放すと、そこから土砂災害がザザーンと始まる。結果、道が断たれ、物流が止まり、みんなで陸の孤島。田んぼは米を作るだけじゃなくて、山崩れを防ぐシステムでもあったのだ。つまり、農業の問題は、収支の問題だけじゃない、国土防衛の問題なのである。うーん、深い。
などとブツブツ考えていたら、青森に着いた。でかい。建物がでかい。でかすぎて、隣の県立美術館が小人に見える。三内丸山遺跡センター。2021年に世界遺産に登録されたというだけあって、威風堂々。敷地は東京ドーム8.5個分!そんなに歩けるかいな、ということでガイドツアーに参加したが、これがまた当たり。年配のボランティアガイドさんたちが、あったかくて手慣れていて、アレンジ自由自在。音声案内風の秋田の武家屋敷ガイドさんも少しは学んでほしいな。三内丸山遺跡はなんと4500年前から3000年前まで続いたという。ざっくり1500年。奈良時代から現代までより長いじゃないか。自分が小学生の頃は「縄文人は狩りと木の実でギリギリ生活してました」と教わったもんだが、今じゃ「交易して経済結構回ってました。栗も育ててました、燻製も作ってました」って言うじゃないか。そりゃ、弥生の稲作が津軽海峡を渡れなかったのも納得だ。縄文、案外やりおる。
それにしても、なんで滅びたのか。支配と私有が始まって文化が変わったのだというけれど、本当のところは縄文人に聞いてみないとわからない。個人的にはね、縄文人、ちょっと宇宙入ってると思っている。いや、真面目な話。青森の亀ヶ岡遺跡から出た遮光器土偶。あれ、どう見ても宇宙人。目がゴーグル。宇宙飛行士のアレ。よく「呪術目的で目を強調した」「女性のシャーマンを模した」と言われるけれど、いやいやいや、あれは宇宙服でしょう。宇宙から来た縄文人でしょう。だから進化したてのクロマニヨン人の農耕とか支配政治とか見て「ケッ!野蛮生物どもが」とか思っていたはず。だから宇宙人の血の濃さで日本人の政治や戦さ嫌いが決まるんんじゃないか。国防を考えない人のことを宇宙人て言うよなーなどと、勝手な妄想をしながらガイドの説明を聞いていたら、ほとんど頭に入っていなかった。だからこそ思う。夢想しても良い考古学は面白い。
後、ねぶた会館と源泉掛け流しの話があるけど、と長くなったので今日はここまで。また明日。
今日の行き先は青森。これがまた遠い。おまけに最近、トイレが近くなった。寄るコンビニ、寄るコンビニで、コーヒーと休憩。コーヒーが休憩を呼び、休憩がまたトイレを呼ぶという、なんともはや無限ループ。途中、大潟村を通りかかった。ドーン!と広がる大規模農場。広い、広すぎる。まるで空港の滑走路に田んぼが生えてる。これならトラクターもコンバインも思う存分ブイブイ言わせて、採算も取れるというものだ。でも山間の田んぼはどうかというと、あれはあれで意味があるのだ。狭くて急で猫の額どころかネズミの額みたいな田んぼでも、水をたっぷり溜めて下流の災害を防ぐダムのような存在。そういう田んぼを、年配の農家さんが手放すと、そこから土砂災害がザザーンと始まる。結果、道が断たれ、物流が止まり、みんなで陸の孤島。田んぼは米を作るだけじゃなくて、山崩れを防ぐシステムでもあったのだ。つまり、農業の問題は、収支の問題だけじゃない、国土防衛の問題なのである。うーん、深い。
などとブツブツ考えていたら、青森に着いた。でかい。建物がでかい。でかすぎて、隣の県立美術館が小人に見える。三内丸山遺跡センター。2021年に世界遺産に登録されたというだけあって、威風堂々。敷地は東京ドーム8.5個分!そんなに歩けるかいな、ということでガイドツアーに参加したが、これがまた当たり。年配のボランティアガイドさんたちが、あったかくて手慣れていて、アレンジ自由自在。音声案内風の秋田の武家屋敷ガイドさんも少しは学んでほしいな。三内丸山遺跡はなんと4500年前から3000年前まで続いたという。ざっくり1500年。奈良時代から現代までより長いじゃないか。自分が小学生の頃は「縄文人は狩りと木の実でギリギリ生活してました」と教わったもんだが、今じゃ「交易して経済結構回ってました。栗も育ててました、燻製も作ってました」って言うじゃないか。そりゃ、弥生の稲作が津軽海峡を渡れなかったのも納得だ。縄文、案外やりおる。
それにしても、なんで滅びたのか。支配と私有が始まって文化が変わったのだというけれど、本当のところは縄文人に聞いてみないとわからない。個人的にはね、縄文人、ちょっと宇宙入ってると思っている。いや、真面目な話。青森の亀ヶ岡遺跡から出た遮光器土偶。あれ、どう見ても宇宙人。目がゴーグル。宇宙飛行士のアレ。よく「呪術目的で目を強調した」「女性のシャーマンを模した」と言われるけれど、いやいやいや、あれは宇宙服でしょう。宇宙から来た縄文人でしょう。だから進化したてのクロマニヨン人の農耕とか支配政治とか見て「ケッ!野蛮生物どもが」とか思っていたはず。だから宇宙人の血の濃さで日本人の政治や戦さ嫌いが決まるんんじゃないか。国防を考えない人のことを宇宙人て言うよなーなどと、勝手な妄想をしながらガイドの説明を聞いていたら、ほとんど頭に入っていなかった。だからこそ思う。夢想しても良い考古学は面白い。
後、ねぶた会館と源泉掛け流しの話があるけど、と長くなったので今日はここまで。また明日。
完全ぼっちキャンプ ― 2025年07月09日
ホテルのバイキングコースは、やっぱり危険だ。あれもこれもと食べたくなってしまう。ステーキが目に入れば皿にのせ、寿司が美味しそうだと思えばつい追加。ケーキもいいかなと手が伸び、気がつけばお腹は限界。気分が悪くなった。朝こそはと心に誓い、クロワッサンとトースト、小岩井農場のヨーグルトにフルーツミックス。控えめな朝食…のはずが、ハム、スクランブルエッグ、ソーセージまでしっかり取った。自制心の崩壊に苦笑しつつ、最後はカプチーノで締める。
ところが、コーヒーメーカーの前で前に並んでいたおばさんが大混乱。欲しいのはお茶のお湯らしいのに、ボタンを押すたびコーヒーが次々と抽出されていく。「なんでだべ…」と呟きながら、出てくるコーヒーをカップで受け右へ左へ。思わず「キャンセルしないと…」と声をかけかけたそのとき、スタッフが飛んできて後ろに並ぶ私たちに軽く会釈。おばさんは「お待たせしました」の言葉とともに去っていった。自動サーバー、確かにわかりづらいよね。
ホテルを出て向かうのは、ナマハゲの里・男鹿半島。最初に訪れたのは、標高355メートルの寒風山だ。ちょうど京都の天王山と同じくらいの高さ。爆裂火口の山で、木は一本も生えておらず、一面が草原。荒々しさと穏やかさが同居する不思議な風景だ。この山は約3,000年前の火山活動によって生まれた。現在活動の確認されていない火山だが、玄武岩質の溶岩によって形成された山体は、男鹿半島の地質の歴史を今に伝えている。山頂は広く平坦で、噴火口の痕跡も見てとれる。眼下には秋田の海岸線が広がり、風は心地よく、雲がたなびく空はどこまでも高い。しばらくその風景に立ち尽くした。
次に向かったのは、海辺の奇岩「ゴジラ岩」。本当にゴジラの横顔に見えるから面白い。そこから入道崎灯台へと続く道は、空の青と木々の緑が鮮やかに交差する絶景のワインディングロードだった。アプリを入れ直して復活したドローンを飛ばし、灯台を空から撮影。久々に心が躍る瞬間だった。そして、男鹿の象徴ともいえる「なまはげ館」へ。ここはナマハゲをテーマにした民俗資料館で、男鹿市内の60以上の地区から集められた実物の面と衣装が、ずらりと展示されている。「なまはげ勢揃いコーナー」の迫力は圧巻で、あれほどのナマハゲに一度に囲まれる体験は、他にないだろう。ナマハゲの起源にはいくつかの説がある。一説には、古代中国から渡ってきた鬼神が男鹿の山に住みつき、村人を困らせていたという話。もう一説では、冬に手足にできる火斑(ナモミ)を剥ぐ「ナモミ剥ぎ」が語源とされる。どちらにしても、大晦日の夜、鬼の面をかぶり藁装束をまとった男たちが「怠け者はいねが」と叫びながら家々を回るこの風習は、怠け心を戒め、無病息災や豊作を祈る神聖な行事だった。とはいえ、現代では「子どもへのハラスメントではないか」という声もある。
今夜の宿は「ナマハゲオートキャンプ場」。予約サイトでは比較的メジャーな場所だったのに、受付で言われたのは「今日はあなた一人だけです」とのひと言。クマが出ないよう賑やかなキャンプ場を選んだつもりだったが、まさかのソロ貸切。フリーサイト料金でオートサイトを提供してくれたのはありがたいが、心細さは隠せない。ビクビクしていると、後からライダーのグループが到着してテントを張り始めた。ほっと一息。時計を見るとまだ午後3時だが、すでに缶ビールを開けていた。秋田の風と酔いと静けさに包まれて、「クマが来るなら来い」と胸の内は妙に大きくなる。明日は青森へ向かう。
ところが、コーヒーメーカーの前で前に並んでいたおばさんが大混乱。欲しいのはお茶のお湯らしいのに、ボタンを押すたびコーヒーが次々と抽出されていく。「なんでだべ…」と呟きながら、出てくるコーヒーをカップで受け右へ左へ。思わず「キャンセルしないと…」と声をかけかけたそのとき、スタッフが飛んできて後ろに並ぶ私たちに軽く会釈。おばさんは「お待たせしました」の言葉とともに去っていった。自動サーバー、確かにわかりづらいよね。
ホテルを出て向かうのは、ナマハゲの里・男鹿半島。最初に訪れたのは、標高355メートルの寒風山だ。ちょうど京都の天王山と同じくらいの高さ。爆裂火口の山で、木は一本も生えておらず、一面が草原。荒々しさと穏やかさが同居する不思議な風景だ。この山は約3,000年前の火山活動によって生まれた。現在活動の確認されていない火山だが、玄武岩質の溶岩によって形成された山体は、男鹿半島の地質の歴史を今に伝えている。山頂は広く平坦で、噴火口の痕跡も見てとれる。眼下には秋田の海岸線が広がり、風は心地よく、雲がたなびく空はどこまでも高い。しばらくその風景に立ち尽くした。
次に向かったのは、海辺の奇岩「ゴジラ岩」。本当にゴジラの横顔に見えるから面白い。そこから入道崎灯台へと続く道は、空の青と木々の緑が鮮やかに交差する絶景のワインディングロードだった。アプリを入れ直して復活したドローンを飛ばし、灯台を空から撮影。久々に心が躍る瞬間だった。そして、男鹿の象徴ともいえる「なまはげ館」へ。ここはナマハゲをテーマにした民俗資料館で、男鹿市内の60以上の地区から集められた実物の面と衣装が、ずらりと展示されている。「なまはげ勢揃いコーナー」の迫力は圧巻で、あれほどのナマハゲに一度に囲まれる体験は、他にないだろう。ナマハゲの起源にはいくつかの説がある。一説には、古代中国から渡ってきた鬼神が男鹿の山に住みつき、村人を困らせていたという話。もう一説では、冬に手足にできる火斑(ナモミ)を剥ぐ「ナモミ剥ぎ」が語源とされる。どちらにしても、大晦日の夜、鬼の面をかぶり藁装束をまとった男たちが「怠け者はいねが」と叫びながら家々を回るこの風習は、怠け心を戒め、無病息災や豊作を祈る神聖な行事だった。とはいえ、現代では「子どもへのハラスメントではないか」という声もある。
今夜の宿は「ナマハゲオートキャンプ場」。予約サイトでは比較的メジャーな場所だったのに、受付で言われたのは「今日はあなた一人だけです」とのひと言。クマが出ないよう賑やかなキャンプ場を選んだつもりだったが、まさかのソロ貸切。フリーサイト料金でオートサイトを提供してくれたのはありがたいが、心細さは隠せない。ビクビクしていると、後からライダーのグループが到着してテントを張り始めた。ほっと一息。時計を見るとまだ午後3時だが、すでに缶ビールを開けていた。秋田の風と酔いと静けさに包まれて、「クマが来るなら来い」と胸の内は妙に大きくなる。明日は青森へ向かう。
乳頭温泉朝霧と湯けむりの里 ― 2025年07月08日
フェリーは予定より30分早く、静かに秋田港へ滑り込んだ。まだ朝の5時。角館までは車でおよそ90分。空いた時間をどう過ごすかとAIに尋ねると、角館温泉が朝7時から朝風呂を開いているとの答えが返ってきた。早朝の町並み散策という案も提示されたが、武家屋敷の黒塀だけを外から眺めても興がないので、朝風呂を選ぶ。ところがこの湯、やたらと熱い。腕時計の温度計では44度。多少高めに出るのけど43度はあろう。足だけ浸けていても、じきに額から汗が噴き出す。風呂上がりにロビーで休もうとしたが、ここにはエアコンがない。汗まみれになり、せっかくの湯浴みも台無しだ。やむなく冷房の効いた脱衣所に戻り、しばし汗が引くのを待つ。
国道沿いの駐車場に500円払って受付のおばちゃんに所要時間を聞く。「ぐるっと回って2時間くらい」とのこと。まだ朝9時前、100台は入りそうな広い駐車場も、停まっているのはわずか。まずは石黒家、次に青柳家、そして河原田家と三軒をめぐる。どれも同じような構えで、秋田だけに“飽きた”とつぶやきたくなる。館内ではスタッフが10分ほどかけて説明してくれるところもあるのだが、どこも定型のセリフばかりでつまらない。せっかくの対面説明なのに、自動音声ガイドのような真面目口上では興ざめする。「他の屋敷を見た方はどこも同じと思ってないか?」とか、「京都人に向かって“小京都”と説明されても微妙か」など、ちょっとしたユーモアなど会話の引き出しがほしい。青柳家の小田野直武と平賀源内との関係には興味を惹かれた。『解体新書』の挿絵を手がけた直武と、その才を見出した源内。たしかに面白い話ではあるが、それも青柳家の親戚という少々こじつけ気味の縁ではある。どこを見ても武家屋敷は武家屋敷。重厚な構えに違いはないのだが、三軒目でお腹いっぱい。どこも500円の入館料だが、打ち止めとした。
気を取り直して、本日の主目的・乳頭温泉へ向かう前に、田沢湖畔に立つタツ子像をドローンで撮影しようと立ち寄った。だが、使用しているDJIのリモコンアプリが録画開始と同時にクラッシュしてしまう。以前にも起きた不具合で、アプリの再インストールで一時的に回復したが、今回も調子が悪い。タツ子像は、田沢湖のほとりに静かに立つ金色の女性像である。伝説によれば、辰子という美しい娘が永遠の若さを願い、仏に祈った末に霊水を飲み、龍となって湖の主になったという。その深さ423メートルの湖は、まさに龍の住むにふさわしい深淵である。像は1968年、彫刻家・舟越保武によって制作された。青銅製に金箔を施されたその姿は、永遠の美と人間の欲望、そして自然との調和を象徴すると言われるが、実際には駒ヶ岳を背に、金ピカの裸婦像が静かに立っている――というのが率直な印象だ。
そして旅の締めくくりは、温泉ファンの聖地とも称される乳頭温泉・鶴の湯。乳頭温泉郷最古の湯宿であり、約380年の歴史を誇る。伝説によれば、傷を負った鶴が湯に浸かって癒やされたことからこの温泉が見つかり、「鶴の湯」と呼ばれるようになったという。藩主・佐竹義隆も湯治に訪れた記録があり、彼専用の「本陣」は今なお現存している。ここでは白濁の硫黄泉をはじめ、複数の源泉が楽しめる。茅葺き屋根の建物に囲まれた風情ある露天風呂は、温泉マニアならずとも心躍る光景だ。ちなみに「乳頭温泉」という名は、乳白色の湯の色に由来するわけではなく、近くにある“乳房の形”をした乳頭山から来ているという。
湯はややぬるめで、長湯にはちょうど良い。身体の芯からじんわりと温まる。明日は男鹿半島でキャンプの予定だが、「クマが出た」との話もちらほら。湯宿の人に聞けば、「そこらじゅうに出るから、気にしても仕方がない」とあっさり。旅先の不安も、こうして少し和らぐ。湯けむりと歴史の余韻に包まれながら、秋田の旅は続く。
国道沿いの駐車場に500円払って受付のおばちゃんに所要時間を聞く。「ぐるっと回って2時間くらい」とのこと。まだ朝9時前、100台は入りそうな広い駐車場も、停まっているのはわずか。まずは石黒家、次に青柳家、そして河原田家と三軒をめぐる。どれも同じような構えで、秋田だけに“飽きた”とつぶやきたくなる。館内ではスタッフが10分ほどかけて説明してくれるところもあるのだが、どこも定型のセリフばかりでつまらない。せっかくの対面説明なのに、自動音声ガイドのような真面目口上では興ざめする。「他の屋敷を見た方はどこも同じと思ってないか?」とか、「京都人に向かって“小京都”と説明されても微妙か」など、ちょっとしたユーモアなど会話の引き出しがほしい。青柳家の小田野直武と平賀源内との関係には興味を惹かれた。『解体新書』の挿絵を手がけた直武と、その才を見出した源内。たしかに面白い話ではあるが、それも青柳家の親戚という少々こじつけ気味の縁ではある。どこを見ても武家屋敷は武家屋敷。重厚な構えに違いはないのだが、三軒目でお腹いっぱい。どこも500円の入館料だが、打ち止めとした。
気を取り直して、本日の主目的・乳頭温泉へ向かう前に、田沢湖畔に立つタツ子像をドローンで撮影しようと立ち寄った。だが、使用しているDJIのリモコンアプリが録画開始と同時にクラッシュしてしまう。以前にも起きた不具合で、アプリの再インストールで一時的に回復したが、今回も調子が悪い。タツ子像は、田沢湖のほとりに静かに立つ金色の女性像である。伝説によれば、辰子という美しい娘が永遠の若さを願い、仏に祈った末に霊水を飲み、龍となって湖の主になったという。その深さ423メートルの湖は、まさに龍の住むにふさわしい深淵である。像は1968年、彫刻家・舟越保武によって制作された。青銅製に金箔を施されたその姿は、永遠の美と人間の欲望、そして自然との調和を象徴すると言われるが、実際には駒ヶ岳を背に、金ピカの裸婦像が静かに立っている――というのが率直な印象だ。
そして旅の締めくくりは、温泉ファンの聖地とも称される乳頭温泉・鶴の湯。乳頭温泉郷最古の湯宿であり、約380年の歴史を誇る。伝説によれば、傷を負った鶴が湯に浸かって癒やされたことからこの温泉が見つかり、「鶴の湯」と呼ばれるようになったという。藩主・佐竹義隆も湯治に訪れた記録があり、彼専用の「本陣」は今なお現存している。ここでは白濁の硫黄泉をはじめ、複数の源泉が楽しめる。茅葺き屋根の建物に囲まれた風情ある露天風呂は、温泉マニアならずとも心躍る光景だ。ちなみに「乳頭温泉」という名は、乳白色の湯の色に由来するわけではなく、近くにある“乳房の形”をした乳頭山から来ているという。
湯はややぬるめで、長湯にはちょうど良い。身体の芯からじんわりと温まる。明日は男鹿半島でキャンプの予定だが、「クマが出た」との話もちらほら。湯宿の人に聞けば、「そこらじゅうに出るから、気にしても仕方がない」とあっさり。旅先の不安も、こうして少し和らぐ。湯けむりと歴史の余韻に包まれながら、秋田の旅は続く。
敦賀 気比神社 ― 2025年07月06日
半年ぶりに、やっと旅に出た。明朝早く秋田行きのフェリーに乗るため、昼に出発して敦賀で一泊する。敦賀ではいつも夜発のフェリー乗り場に直行するため、これまでレンガ倉庫のあたりしか見たことがなかった。今日は時間があるので、気比神社と金ヶ崎城址に寄ることにした。
気比神社は紫式部と直接の関係はないが、父・藤原為時が越前守に任命された長徳2年(996年)ごろ、若き紫式部が越前国へ同行した際に立ち寄った可能性が高い。越前での暮らしは、都育ちの彼女にとって厳しく、『紫式部集』に詠まれた和歌にもその苦悩がにじんでいる。滞在は現在の武生あたりで約1〜2年とされるが、この地での静かな時間が、自然や人間の感情への洞察を深める契機となった。この越前での経験が、後の『源氏物語』における繊細な心理描写や情景表現に生かされたとされる。
境内には夏越の茅の輪が設けられ、参拝者がそれをくぐっていた。夏越の祓の神事で用いられる茅の輪は、半年間の穢れを祓い、残りの半年の無病息災を願うためのものだ。参拝者は左・右・左の順に八の字を描くようにくぐり、身を清める。この風習はスサノオノミコトの伝承に由来し、茅の輪を身に着けていた者が疫病から守られたことにちなむという。
その後、金ヶ崎宮へ向かった。ここは、織田信長が越前の朝倉義景を攻めた際、同盟を結んでいた浅井長政の裏切りにより挟撃の危機に陥り、撤退を余儀なくされた「金ヶ崎の退き口」の舞台である。妹・お市の方が小豆を両端を縛った袋に入れて送り、挟撃の危険を暗示したという逸話が有名だ。信長は即座に撤退を決断し、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が殿を務めて見事に脱出した。この戦いは、信長の決断力と秀吉の軍才が光る名撤退戦として語り継がれている。
階段をあえぎながら登ると、金ヶ崎城址と、その先にある月見御殿跡にたどり着いた。そこは展望台になっており、敦賀湾を一望できる。かつて戦国武将たちがここで月を眺めたという。戦の地でありながら、月を愛でる教養の高さもうかがえる。
暑い一日だったが、海沿いには風があり、木陰は涼しかった。気比松原の海岸では海水浴客がにぎわっていたが、昔に比べると数はずいぶん減ったように感じる。ドローンを上げて、松原と海岸線を撮影した。途中でホームセンターに立ち寄り、薪を少し買った。広葉樹が4キロで三千円近くもして驚いた。以前の倍近い価格だが、年金は2%弱しか上がっておらず、虚しさが残る。明日は約20時間、フェリーの中で過ごす予定だ。何をして時間を潰そうか、少し悩んでいる。
気比神社は紫式部と直接の関係はないが、父・藤原為時が越前守に任命された長徳2年(996年)ごろ、若き紫式部が越前国へ同行した際に立ち寄った可能性が高い。越前での暮らしは、都育ちの彼女にとって厳しく、『紫式部集』に詠まれた和歌にもその苦悩がにじんでいる。滞在は現在の武生あたりで約1〜2年とされるが、この地での静かな時間が、自然や人間の感情への洞察を深める契機となった。この越前での経験が、後の『源氏物語』における繊細な心理描写や情景表現に生かされたとされる。
境内には夏越の茅の輪が設けられ、参拝者がそれをくぐっていた。夏越の祓の神事で用いられる茅の輪は、半年間の穢れを祓い、残りの半年の無病息災を願うためのものだ。参拝者は左・右・左の順に八の字を描くようにくぐり、身を清める。この風習はスサノオノミコトの伝承に由来し、茅の輪を身に着けていた者が疫病から守られたことにちなむという。
その後、金ヶ崎宮へ向かった。ここは、織田信長が越前の朝倉義景を攻めた際、同盟を結んでいた浅井長政の裏切りにより挟撃の危機に陥り、撤退を余儀なくされた「金ヶ崎の退き口」の舞台である。妹・お市の方が小豆を両端を縛った袋に入れて送り、挟撃の危険を暗示したという逸話が有名だ。信長は即座に撤退を決断し、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が殿を務めて見事に脱出した。この戦いは、信長の決断力と秀吉の軍才が光る名撤退戦として語り継がれている。
階段をあえぎながら登ると、金ヶ崎城址と、その先にある月見御殿跡にたどり着いた。そこは展望台になっており、敦賀湾を一望できる。かつて戦国武将たちがここで月を眺めたという。戦の地でありながら、月を愛でる教養の高さもうかがえる。
暑い一日だったが、海沿いには風があり、木陰は涼しかった。気比松原の海岸では海水浴客がにぎわっていたが、昔に比べると数はずいぶん減ったように感じる。ドローンを上げて、松原と海岸線を撮影した。途中でホームセンターに立ち寄り、薪を少し買った。広葉樹が4キロで三千円近くもして驚いた。以前の倍近い価格だが、年金は2%弱しか上がっておらず、虚しさが残る。明日は約20時間、フェリーの中で過ごす予定だ。何をして時間を潰そうか、少し悩んでいる。
京都仏教会と既得権益 ― 2025年06月29日
「京都が京都でなくなる」。北陸新幹線の京都延伸計画に対し、京都仏教会が放ったこの一言が、今、都市政策と宗教権益というふたつの領域の交差点で波紋を広げている。地下水枯渇、文化財の破壊、景観の喪失、一見もっともらしい主張が並ぶが、専門家の多くは「科学的根拠に乏しい」と首をかしげる。とりわけ仏教会が強調するのは、「地下水への悪影響」だ。だが、国土交通省や鉄道・運輸機構が行った解析によれば、トンネル掘削による地下水位の変動はごく一部で軽微なもの。過去に整備された京都市営地下鉄東西線や「いろは呑龍トンネル」でも、実害は確認されていない。それでも仏教会は「水枯れ」「地盤沈下」といった不安を煽り、環境派や左派勢力と結託して署名活動や街頭キャンペーンを展開し続けている。
この反対運動の背後にあるのは、「宗教法人による既得権の防衛」ではないかという指摘がある。京都仏教会は、市内の一等地に広大な非課税資産を抱え、観光収入の恩恵を受けているにもかかわらず、財務情報の公開義務も外部監査も受けていない。都市開発が進めば、宗教法人への課税強化や財務の透明化といった制度改革への議論が再燃しかねない。仏教会が掲げる「文化と環境の保護」という大義の裏には、自らの資産と影響力を守ろうとする現実的な動機が潜んでいる。この構図は、1980年代に京都市が導入を試みた「古都税」騒動を思い起こさせる。当時、文化財保全のために拝観料に50円を上乗せする「古都保存協力税」に対し、仏教会は「信教の自由の侵害」として猛反発。寺院の一斉拝観停止という“実力行使”に踏み切り、条例はわずか3年で撤回された。だが、当時平均250円だった拝観料は今や500円前後に達し、観光客数も4,000万人から5,200万人へと増加。仮に古都税が導入されていれば、年間26億円の税収が見込めた計算になる。
一方、宗教法人の固定資産税非課税措置も、自治体財政にとっては大きな障壁だ。地方税法第348条により、宗教活動に使用される土地や建物は非課税とされ、自治体が独自に課税することはできない。ただし、駐車場や売店などの営利部分には課税されている。しかし京都のように寺社が密集する都市では、市街地の一等地が大規模に非課税化されており、市の財政構造に歪みをもたらしているのが実情だ。こうした制度的優遇に対しては、近年、「公益性評価制度」の導入や、宗教法人の免税資格を見直す仕組みの必要性が指摘されている。たとえば米国では、非営利団体として免税を受けるには財務公開と政治的中立が求められる。ドイツでは教会税制度のもと、国家と契約を結ぶかたちで制度に組み込まれている。宗教法人が政治的発言やロビー活動を展開しつつ、非課税特権と財務非公開を維持できる日本の構造は、国際的に見てもきわめて特異だ。
京都市は現在、1兆5,000億円を超える市債を抱え、財政再建のために宿泊税や空き家税など、新たな税源確保に奔走している。市内総生産の約2割を観光が占める現状において、北陸新幹線の延伸は、他都市との競争力を維持し、地域経済を活性化させるうえでも重要なインフラ投資だ。しかし京都仏教会は、文化財や景観保護の名のもとに開発に反対し続け、都市政策における“ブレーキ役”として影響力を行使している。「京都の未来を守る」と語るその主張は、果たして市民の暮らしや都市の持続可能性を見据えたものなのか。それとも、自らの聖域と特権を守る「坊主丸儲け」の延長にすぎないのか。今、問われているのは地下の掘削ではなく、宗教法人制度の透明性と、都市としての京都の持続可能性である。宗教界が政治に口を出して世相を混乱させるのは、応仁の乱以来の京都の“戦前からの伝統”だと看過してよいはずはない。
この反対運動の背後にあるのは、「宗教法人による既得権の防衛」ではないかという指摘がある。京都仏教会は、市内の一等地に広大な非課税資産を抱え、観光収入の恩恵を受けているにもかかわらず、財務情報の公開義務も外部監査も受けていない。都市開発が進めば、宗教法人への課税強化や財務の透明化といった制度改革への議論が再燃しかねない。仏教会が掲げる「文化と環境の保護」という大義の裏には、自らの資産と影響力を守ろうとする現実的な動機が潜んでいる。この構図は、1980年代に京都市が導入を試みた「古都税」騒動を思い起こさせる。当時、文化財保全のために拝観料に50円を上乗せする「古都保存協力税」に対し、仏教会は「信教の自由の侵害」として猛反発。寺院の一斉拝観停止という“実力行使”に踏み切り、条例はわずか3年で撤回された。だが、当時平均250円だった拝観料は今や500円前後に達し、観光客数も4,000万人から5,200万人へと増加。仮に古都税が導入されていれば、年間26億円の税収が見込めた計算になる。
一方、宗教法人の固定資産税非課税措置も、自治体財政にとっては大きな障壁だ。地方税法第348条により、宗教活動に使用される土地や建物は非課税とされ、自治体が独自に課税することはできない。ただし、駐車場や売店などの営利部分には課税されている。しかし京都のように寺社が密集する都市では、市街地の一等地が大規模に非課税化されており、市の財政構造に歪みをもたらしているのが実情だ。こうした制度的優遇に対しては、近年、「公益性評価制度」の導入や、宗教法人の免税資格を見直す仕組みの必要性が指摘されている。たとえば米国では、非営利団体として免税を受けるには財務公開と政治的中立が求められる。ドイツでは教会税制度のもと、国家と契約を結ぶかたちで制度に組み込まれている。宗教法人が政治的発言やロビー活動を展開しつつ、非課税特権と財務非公開を維持できる日本の構造は、国際的に見てもきわめて特異だ。
京都市は現在、1兆5,000億円を超える市債を抱え、財政再建のために宿泊税や空き家税など、新たな税源確保に奔走している。市内総生産の約2割を観光が占める現状において、北陸新幹線の延伸は、他都市との競争力を維持し、地域経済を活性化させるうえでも重要なインフラ投資だ。しかし京都仏教会は、文化財や景観保護の名のもとに開発に反対し続け、都市政策における“ブレーキ役”として影響力を行使している。「京都の未来を守る」と語るその主張は、果たして市民の暮らしや都市の持続可能性を見据えたものなのか。それとも、自らの聖域と特権を守る「坊主丸儲け」の延長にすぎないのか。今、問われているのは地下の掘削ではなく、宗教法人制度の透明性と、都市としての京都の持続可能性である。宗教界が政治に口を出して世相を混乱させるのは、応仁の乱以来の京都の“戦前からの伝統”だと看過してよいはずはない。
特区民泊の急増 ― 2025年06月09日
民泊を巡る大阪市の現状が、いよいよ臨界点に近づいている。国家戦略特区の枠組みで始まった「特区民泊」が、今や全国の認定件数の約95%を大阪市が占めるまでに膨張している。横山市長が関係部局に対し、民泊問題への対策チームを指示したのは、遅きに失したとはいえ、当然の対応である。火種となっているのは、200室を超えるマンション全体を民泊化しようという事業者の計画だ。市保健所には、住民から反対署名が提出された。都市の暮らしが、ビジネスの論理に押し流される光景は、もはや他人事ではない。制度の設計にも根本的な課題がある。特区民泊は、新法民泊に設けられている年間180日という営業制限が適用されず、事実上、常時営業が可能である。営業日数の上限がないという一点だけでも、事業者がこの制度に殺到する理由は明白である。皮肉なことに、この制度設計こそが、地域住民の暮らしを最も脅かす要因となっている。
横山市長は、地域との摩擦を回避しつつ民泊運営を進める必要性を強調している。だが、制度の後追いで「住民への配慮」を求めるのは、行政として責任の所在を事業者に転嫁しているに等しい。市は、規制緩和によって生じた現実に対し、明確な対応を打ち出さねばならない。宿泊者の6割を外国人が占め、中国、韓国、アメリカ、台湾などからの利用が目立つ。都市部では外国人オーナーによる運営も増え、円安を追い風に海外資金が日本の不動産市場へと流入している。そこに、500万円の資本金で在留資格を得られる現行制度が組み合わされれば、もはや民泊は「観光」ではなく「外国人投資」の対象となる。制度が複数の政策目標の下に並行して動くことはある。しかし、住宅政策と外国人在留政策、観光振興が、このようなかたちで無秩序に重なり合うと、社会にひずみが生じる。制度がまるで“連携しているかのように”見えるのは、偶然だろうか。
無人運営の民泊だけではない。もともと交流を重視していたゲストハウスの一部にも、オートロックと監視カメラだけで管理する無人型施設が登場している。管理責任が不在のまま、宿泊者のマナーに依存する運営形態は、騒音、失火、盗難といったトラブルの温床となり得る。かつて、民泊とは農村部で旅人を一室に迎える素朴な宿泊形態だった。しかし都市における民泊は、ホテル不足を補うという名目で拡大し、いつしか収益を目的とした投資商品へと変質した。40平米の部屋に複数人が雑魚寝し、深夜まで宴会が続く――そんな現実に、誰が「地域との共生」を感じるだろうか。
制度の理念と運用の現実。その乖離はもはや看過できない。今求められているのは、制度の「柔軟な活用」ではなく、規制の強化と運用の見直しである。警備体制の常設や、地元住民との事前協議の義務化など、法制度としての歯止めが不可欠である。大阪市の対応は、民泊制度がこのまま観光の名を借りた不動産ビジネスに堕するのか、それとも地域と調和した形で再構築されるのかを占う試金石となるだろう。都市の風景が変わる前に、制度の原点に立ち返る必要がある。
横山市長は、地域との摩擦を回避しつつ民泊運営を進める必要性を強調している。だが、制度の後追いで「住民への配慮」を求めるのは、行政として責任の所在を事業者に転嫁しているに等しい。市は、規制緩和によって生じた現実に対し、明確な対応を打ち出さねばならない。宿泊者の6割を外国人が占め、中国、韓国、アメリカ、台湾などからの利用が目立つ。都市部では外国人オーナーによる運営も増え、円安を追い風に海外資金が日本の不動産市場へと流入している。そこに、500万円の資本金で在留資格を得られる現行制度が組み合わされれば、もはや民泊は「観光」ではなく「外国人投資」の対象となる。制度が複数の政策目標の下に並行して動くことはある。しかし、住宅政策と外国人在留政策、観光振興が、このようなかたちで無秩序に重なり合うと、社会にひずみが生じる。制度がまるで“連携しているかのように”見えるのは、偶然だろうか。
無人運営の民泊だけではない。もともと交流を重視していたゲストハウスの一部にも、オートロックと監視カメラだけで管理する無人型施設が登場している。管理責任が不在のまま、宿泊者のマナーに依存する運営形態は、騒音、失火、盗難といったトラブルの温床となり得る。かつて、民泊とは農村部で旅人を一室に迎える素朴な宿泊形態だった。しかし都市における民泊は、ホテル不足を補うという名目で拡大し、いつしか収益を目的とした投資商品へと変質した。40平米の部屋に複数人が雑魚寝し、深夜まで宴会が続く――そんな現実に、誰が「地域との共生」を感じるだろうか。
制度の理念と運用の現実。その乖離はもはや看過できない。今求められているのは、制度の「柔軟な活用」ではなく、規制の強化と運用の見直しである。警備体制の常設や、地元住民との事前協議の義務化など、法制度としての歯止めが不可欠である。大阪市の対応は、民泊制度がこのまま観光の名を借りた不動産ビジネスに堕するのか、それとも地域と調和した形で再構築されるのかを占う試金石となるだろう。都市の風景が変わる前に、制度の原点に立ち返る必要がある。