2015年日銀議事録公開2026年01月30日

2015年日銀議事録公開
日銀が公開した2015年後半の金融政策決定会合の議事録は、単なる歴史資料ではない。それは、日本経済がなぜ30年以上も停滞から抜け出せなかったのか、その根源的な誤解を暴き出す「国家の自己告発文書」である。黒田東彦総裁のもとで始まった「異次元緩和」は、日本経済史における例外的な試みだった。市場に前例のない規模で資金を供給し、期待を塗り替え、2年で2%の物価上昇を実現する――それはデフレ体制を打破するための賭けだった。しかし2015年当時、消費税増税の余波と原油価格の急落が重なり、物価は再び沈んでいた。議事録には、日銀内部に広がる不安が生々しく刻まれている。「このまま進んでよいのか」「出口は見えているのか」。委員たちの意見は割れていた。

だが世間が見た「日銀の暴走」という構図は、本質を外している。問題は金融政策の過剰ではない。日本経済を縛ってきたのは、政府、とりわけ財務省が長年にわたり踏み続けてきた「緊縮という思想」だった。1990年代後半以降、日本の政策ミックスは異様な形を取った。本来、不況下では政府が財政拡張によって需要を支え、中央銀行が金融緩和で資金循環を促す。これは世界の標準的な政策運営である。ところが日本では、「財政規律」という理念が絶対化され、不況下で消費税を引き上げ、社会保障負担を拡大し、歳出を抑制する政策が繰り返された。

その結果、日本の名目GDPは1997年の約523兆円から長期にわたり停滞し、2020年代初頭までほぼ横ばいにとどまった。一方、米国は同期間に名目GDPを3倍以上に拡大し、ユーロ圏も2倍近く成長した。これは単なる景気循環の差ではなく、政策思想の差である。緊縮政策の影響は税収にも表れた。日本の税収は1990年代後半から長期にわたり伸び悩み、消費税率引き上げにもかかわらず、名目税収の増加は限定的だった。つまり、日本は「財政健全化」を掲げながら、結果として税収基盤そのものを弱体化させた。

一方、日銀もまた長らく「デフレは金融政策の問題ではなく、構造問題だ」として責任を回避し、積極的な緩和をためらってきた。政府は景気を冷やし、日銀は支えない。この「緊縮財政と消極金融」の組み合わせこそ、日本経済を長期停滞に閉じ込めた核心だ。黒田総裁の異次元緩和とは、この体制を金融政策の側面から破壊するための異例の決断だった。日銀が「何でもやる」という姿勢を示さなければ、日本社会を覆う閉塞感は打破できない――その認識が、異次元緩和の出発点だった。

もし日銀が従来の慎重姿勢を維持していたらどうなっていたか。デフレは固定化し、円高は日本の製造業をさらに圧迫し、名目GDPは縮小を続け、税収は枯渇しただろう。財務省が守ろうとした「財政健全化」も、不況の深化によって逆説的に崩壊していたに違いない。つまり、「失われた30年」は「失われた40年、50年」へと延長されていただけだった。重要なのは、緊縮政策が単なる官僚の暴走ではないという事実である。財務省の論理は、政治家と有権者が選び続けてきた結果でもある。「国の借金は悪」という直感的な恐怖が、緊縮を正義に変え、拡張を罪にした。この認識こそ、日本経済を縛る最も強固な鎖だった。

しかし現在、日本は再び同じ分岐点に立っている。インフレが現実のものとなった今、「財政再建のための増税」「金融正常化のための利上げ」という言葉が、再び正論として語られ始めている。だが、問うべきは単純な財政規律ではない。日本経済がようやく回復の兆しを見せ始めたこの局面で、再び需要を冷やす選択をするのかという国家の意思である。2015年の議事録は、過去の記録ではない。それは、日本が再び踏み出そうとしている未来の設計図である。日本経済の病根は、緩和が過剰だったことにあるのではない。極端な緩和を必要とするほど歪んだ政策環境を、自ら作り出してきた「国家の思想」にこそある。

問われているのは、日銀の手法ではない。緊縮という思想に、どのような終止符を打つのかという覚悟である。この問いから逃げる限り、日本経済は再び自らの足を引っ張り、ようやく見え始めた復活の兆しを、自らの手で摘み取ることになるだろう。