ストレンジャー・シングス2026年01月03日

ストレンジャー・シングス
2016年の配信開始から、気づけば10年という歳月が流れた。2026年の元旦、ついに最終章となるシーズン5が配信され、私は「ああ、ここまで来たのか」と静かな感慨を抱きながら画面を見つめていた。年末にシーズン4までを一気に視聴し、ホーキンスの闇へ深く沈み込んだまま、その流れで最終シーズンに突入した。この物語を語るうえで、イレブン役のミリー・ボビー・ブラウンという存在を外すことはできない。

彼女は11歳でシリーズに参加し、最終章を迎えた今は21歳になった。子どもから大人へ――その不可逆な変化の時間そのものを、作品と共に生きた稀有な俳優である。日本で言えば『北の国から』の純と螢、海外なら『ハリー・ポッター』の三人組が思い浮かぶが、ここまで役柄と俳優自身の成長が分かちがたく重なった例は多くない。私たちはドラマを観ていたのではない。一人の少女が変貌していく10年間を、リアルタイムで目撃してきたのだ。

初期シーズンを振り返ると、シーズン1のイレブンは驚くほど言葉を持たなかった。丸刈りの頭に、サイズの合わないピンクのワンピース。社会から隔絶された彼女には、自らの意志を伝えるための「言語」が欠落していた。ゆえにミリーは、「目」「呼吸」「身体のこわばり」だけで感情を表現するという、極めて過酷な演技を課せられた。

未知への恐怖、拭いきれない孤独、ふと滲む優しさ。鼻血を流しながら世界を睨みつける、あの射抜くような視線。言葉がないからこそ、視聴者は彼女の瞳の揺らぎに神経を集中させてしまう。子役という枠を軽々と超えた、痛々しいほどに成熟した「沈黙の演技」。それこそがシリーズ初期の強烈な引力であり、本作に底知れぬ深みを与えていた最大の要因だった。そこには、技術を超えた「本物の異質感」が確かに宿っていた。

物語が進むにつれ、イレブンは単なる実験体ではなく、友情や恋、そして自分という存在の輪郭に悩む一人の少女へと変化していく。それに呼応するように、ミリーの演技もまた確かな広がりを見せた。怒りや悲しみだけでなく、思春期特有の戸惑い、大切な人を守ろうとする意志までもが、丁寧に表現されていく。シリーズ外でも『エノーラ・ホームズ』で主演を務め、彼女は着実にスターダムを駆け上がっていった。

しかし、「洗練されたスター」として成熟していく姿を目にするほど、言いようのない寂しさが胸に広がる。経験を積み、大人の俳優へと脱皮していく過程で、かつて彼女が放っていた唯一無二の輝きが、少しずつ遠ざかっていくように感じてしまうのだ。天才子役が成長と引き換えに初期の輝きを失う例は古今東西に枚挙にいとまがない。それでもなお、切なさは拭えない。

シーズン1のミリーには、説明不能な不気味さと、今にも壊れそうな脆さが同居する特異な磁力があった。あの異質感こそが、イレブンというキャラクターの魂だったはずだ。だが現在の彼女からは、そうした危うい輝きは後景に退き、どこか「完成された女優」という安定した場所に収まってしまった印象が否めない。整った表情、計算された身振り、プロフェッショナルな立ち居振る舞い。それは俳優としての正解である一方、かつて私が彼女に見ていた「奇跡」とは、微妙に異なる地点にある。

かつてのイレブンが放っていた、言葉にならないほど強烈な「個の光」は、社会性と技術を獲得する代償として、どこかに置き去りにされたのではないか。もちろんそれは、人としても俳優としても正しい成長だろう。それでも、あの凍えるような孤独の中で世界を睨みつけていた少女に心を奪われた者としては、その洗練を手放しで祝うことができない。あの圧倒的なカリスマ性は、あの年齢、あの瞬間にしか宿り得なかった、刹那の奇跡だったのかもしれない。

10年間の撮影を終え、ミリーは「卒業は安堵ではない。この作品は私を育ててくれた」と語ったという。このシリーズは、彼女にとってキャリアの出発点であると同時に、人生そのものを形作った聖域だったはずだ。脚本や演出、80年代ノスタルジーを喚起する世界観の完成度もさることながら、その中心に刻一刻と変化するミリー・ボビー・ブラウンという「生身の成長」があり続けたことこそが、本作を単なる人気ドラマではなく、一つの文化現象へと押し上げた最大の理由である。

最終章を見届けながら、かつてあどけなくも圧倒的な存在感を放っていたイレブンの残像を今も画面の隅々に探している。ミリーの10年間と、それを見守ってきた私たちの10年間。物語の終わりとともに、あの奇跡のような「子役時代の輝き」が完全に過去へと沈んでいく。その切なさを噛み締めながら、この壮大なフィナーレを最後まで見届けたいと思う。

平熱に見える大谷の深部2025年12月31日

平熱に見える大谷の深部
ロサンゼルス・ドジャースが成し遂げたワールドシリーズ連覇。その喧騒の中心にいた大谷翔平を形容する際、世間は好んで「苦闘」や「葛藤」といった情緒的な言葉を紡ぐ。右肘手術からの復帰、二刀流の重圧、連覇への期待。それらを背負う姿に、私たちはつい悲劇的なヒーロー像を重ねてしまう。しかし、当の本人が発する空気は、驚くほどに「平熱」である。先日のNHKスペシャルが映し出した舞台裏でも、その違和感は拭えなかった。解析データを見つめる眼差しは、苦行に耐える修行僧のそれではなく、新しい玩具を手に入れた子供の好奇の目に近い。マウンドで被弾した直後ですら、彼は絶望に打ちひしがれるのではなく、次の一球へのプロセスを淡々と反芻する。周囲が「壮絶なリハビリ」と呼ぶ過程も、彼にとっては「より良い自分になるための、当然の手順」に過ぎないようにも映る。

大谷の真の凄みは、劇的な物語を拒絶するかのような、この徹底した「日常性」にある。五十五本の本塁打も、前人未到の記録も、彼にとっては特別な魔法の結果ではなく、日々の準備を積み重ねた先に現れる、いわば「計算された必然」である。イチロー氏がかつて語った「準備とは、言い訳を排除するためにある」という言葉を、大谷はより軽やかに、そして楽しげに体現している。

ドジャースという常勝軍団に彼がもたらしたのは、熱狂的なリーダーシップというよりは、この「淡々と、正しく準備する」という基準の伝播であった。山本由伸や佐々木朗希ら後輩たちが、大舞台で平然と己の力を発揮できたのも、隣にいる怪物が、あまりにも当たり前に世界一への階段を上っていく姿を日常として見せていたからに他ならない。「まだ伸びしろがある」という言葉も、謙虚さの表れというよりは、彼の中にある客観的な事実なのだろう。世間が「完成」と呼ぶ地点を、彼は単なる「通過点」としか見ていない。二〇二六年、三冠王やサイ・ヤング賞への期待がかかるが、本人はやはり、周囲の熱狂を余所に平然とグラウンドに現れるはずだ。

私たちは、彼の偉業をドラマチックに飾り立てることをそろそろやめるべきなのかもしれない。大谷翔平という稀代の開拓者は、私たちが「苦闘」と呼ぶ険しい道のりを、誰よりも面白がりながら、軽やかな足取りで進み続けている。その平熱のままに、次はどのような「当たり前の奇跡」を見せてくれるのか。その景色を、静かに待ちたい。番組の最後に「大切にしていきたいこと」を問われた大谷選手の言葉が印象的だ「趣味としての野球を消したくない」「やりたいことやり続ける」平熱に見える大谷の深部はいつも熱い。

たくろうがM-1を制す2025年12月23日

たくろうがM-1優勝
お笑いコンビ・たくろうがM-1を制した。その瞬間、会場を包んだ拍手と同時に、テレビの前には微妙な違和感が残った。「新しい王道が生まれた」と喝采するには、輪郭があまりに曖昧だったからだ。今回の優勝が突きつけたのは、新王者の誕生というよりも、「漫才とは何か」という共通認識が、もはや成立しなくなっているという現実だった。たくろうの優勝ネタは、観客の理解を導くことを最初から目的としていない。ニッチな題材と感覚的なズレを重ね、たくろうが予測不能な方向へボケを放つたび、ツッコミは必死に整合性を回収しようとする。だが、その修復作業は追いつかず、ズレは舞台上で増殖していく。笑いは起きるが、それは「腑に落ちた笑い」ではない。「分からないが、なぜか笑ってしまう」という、半ば置き去りにされたままの反応に近い。

この不安定さこそが、今の時代に受け入れられた理由でもある。説明過多や正解を嫌い、空気や感覚で消費することに慣れた観客にとって、「分からなさ」は欠点ではなく、むしろ参加条件になっている。たくろうの漫才は、笑いの意味を理解することより、場に身を委ねることを要求する。その姿勢が、2020年代の感性と噛み合った。

だが、ここで思い出すべき存在がある。今年、結成50年を迎えるオール阪神・巨人だ。たくろうとは対極に位置する存在である。題材は日常の些事、構造は予定調和、役割分担は絶対に崩れない。巨人が怒鳴り、阪神が受け止める。その繰り返しだ。驚きはなく、裏切りもない。それでも半世紀にわたり、第一線で客を笑わせ続けてきた。

阪神・巨人の漫才は、「分からせる」ことへの執念で成り立っている。誰が見ても、今どこで笑えばいいかが分かる。怒鳴りはツッコミであり、誇張は説明であり、反復は確認だ。観客を置き去りにしないことを最優先に設計されたこの構造は、漫才が本来、大衆芸能であったことを雄弁に物語る。

長寿の漫才師には、必ず枯れない資源がある。中川家なら観察力、NON STYLEなら関係性、ミルクボーイならフォーマット。そして阪神・巨人の場合、その資源はネタ以前の「構造」そのものだ。中身が多少古びても、構造が機能し続ける限り、笑いは再生産される。50年続いた理由は、才能よりも設計にある。

一方で、たくろうの資源は極めて個人的だ。「感覚のズレ」という再現性の低い領域に賭けており、刺さる人には深く刺さるが、刺さらない人には永遠に届かない。普遍性よりもカルト性を選び取った漫才と言っていい。今回の優勝は、そのカルト性が、偶然にも時代の空気と一致した結果だろう。

2020年代のM-1は、形式破壊(マヂカルラブリー)、原点回帰(錦鯉)、言葉の攻撃性(ウエストランド)、技巧の洗練(令和ロマン)と、「王道」の定義を更新し続けてきた。たくろうの優勝は、その更新が限界点を越えたことを示している。もはやM-1は、誰もが納得する王道を決める装置ではない。時代の気分と偶然を映す、極めて不安定な鏡になった。

その変化を、阪神・巨人の50年は静かに照らし返す。分かりやすさを捨てず、予定調和を磨き続けることでしか辿り着けない場所があることを、彼らは証明してきた。たくろうが「今」という瞬間を切り取る芸だとすれば、阪神・巨人は「続くこと」そのものを芸にしてきた存在だ。

たくろうの漫才が、50年後も語られているかどうかは分からない。ただ一つ確かなのは、今年、漫才の地図がまた一歩、分かりにくい方向へ進んだということ。そして、その地図の外縁で半世紀立ち続ける阪神・巨人の存在が、いまなお漫才の基準線を示し続けているという事実だ。

女流棋士の出産規定2025年12月11日

女流棋士の出産規定
「妊娠したら、タイトルか出産かの二択を迫られる。第2子は不可能だと絶望した」。12月10日、大阪。照明に照らされた会見場で、福間香奈女流六冠(32)は、声を震わせながらもはっきりと言い切った。名実ともに現役女流棋界の絶対的エース。その彼女が、妊娠という自然な出来事をきっかけに“キャリアの死角”へ追い込まれるという事実は、将棋界にとって痛烈な一撃となった。前日、彼女が日本将棋連盟に提出した要望書は、遠慮も婉曲も一切ない。妊娠・出産を理由とした出場制限の撤回、タイトルや挑戦権の保護、復帰ルートの明確化──いずれも、世界のプロスポーツでは当たり前の仕組みばかりだ。連盟は慌てて「不安を抱かせ申し訳ない」とコメントを出したが、火消しのスピードは異例。裏側で泡を食った様子が目に浮かぶ。

“火薬庫”となったのは、2025年4月に施行された新規定だ。「出産予定日±14週にタイトル戦が重なれば、出場不可」。表向きは「母体の安全」「棋戦の公平性」。しかし実態は、妊娠した瞬間に王座から転落する構造そのもの。対局は体力勝負ではないと言われながら、制度は身体状況を理由に真っ先に締め出す。矛盾を抱えたまま導入された“乱暴なルール”だ。そもそも十四週の根拠も曖昧だ。医療ガイドラインを踏まえた形跡は乏しく、タイトル戦の年間スケジュールと衝突しないよう“事務的に”設定された気配が濃厚だ。だが棋士は人間だ。妊娠は予定調和の出来事ではない。

さらに言えば、将棋界にはスポーツ界で一般化している制度がほとんど存在しない。テニスでは産休時のランキング凍結(プロテクトランキング)。サッカーや卓球では地位保全と復帰支援。欧米なら契約書に出産時の待遇条項が当然のように盛り込まれる。対して将棋界はどうか。「休めばその瞬間に順位失効」という、アマチュア競技すら驚く“空白地帯”のままだった。

福間が突きつけた改善案は、その空白を一気に埋める内容だ。
1. 新規定の即時停止
2. 出場判断を本人の意思と医師の判断に委ねる仕組み
3. 椅子対局・会場温度・服装など環境整備
4. 暫定王者制度、挑戦権保護などの地位保全策
さらに「1か月以内に回答を」と期限まで切った。これは単なる要望ではなく、“制度改革への時限爆弾”だ。会見で福間は静かに語った。「これから将棋を志す女の子たちが、安心して頂点を目指せる環境にしてほしい」ここにあるのは、ひとりの棋士の叫びではない。将棋界全体が長年放置してきた“構造的な見落とし”への告発である。

不可解なのは、現在の連盟役員構成だ。女性初の会長・清水市代女流七段、理事の斎田晴子女流五段──女性の声が執行部に届く土壌はかつてより整っていたはずだ。それでもこの制度が導入されたのはなぜか。内部を見ると、タイトル戦の主催者やスポンサー、スケジュール調整の論理が優先され、女性棋士が制度設計に本質的に関与できる仕組みが整っていなかった可能性が浮かぶ。表面的には女性役員がいても、実質的な権限が伴わなければ「女性がいるのに何も変わらない」という矛盾だけが残る。

つまり今回の問題は、単なるルール不備ではない。“意思決定の場で、女性当事者が制度を左右できない”という根深い構造の露呈でもある。福間の告発は、長年の暗黙の了解「女流棋士は子どもを産むならキャリアを諦めろ」という不文律を、初めて公式の場で引きずり出した。

連盟は、もう逃げ場がない。1か月後の回答が曖昧なら、世界に向けて「将棋界は女性を守る気がない」と宣言するのと同じだ。少女たちが将棋盤に向かい、「いつか自分もタイトルを」と夢を見る未来を守れるのか。試されているのは制度ではない。この競技を支えてきた“大人たち”の成熟度そのものである。

晩酌を直撃したランサムウェア2025年10月04日

晩酌を直撃したランサムウェア
Windows11のアップデートを、あーでもないこーでもないと格闘してようやくインストールしたのに、ふと調べたらMBR仕様が起動するアップデート版は保守期間がすでに終了。2週間の努力が華麗に「無駄遣い」認定された。PCと私、どっちが旧式なんだろうとしばし考え込む。そんな矢先に発表されたのがWindows11の25H2アップデート版。試しに古いVAIOに入れてみたら、これが意外と通ってしまった。ただしタッチパッドは死んだまま、Bluetoothも冬眠中。まるで「動くけど走らない中古車」を押し付けられた気分だ。それでも一応はアップデートが届くので、まあ良しとする。

一方で、旧BIOSでMBR起動しかできない骨董級マシンは門前払い。そこで救世主として登場したのがLinuxMint。調べてみるとLinuxは世界で1億台、そのうちMintは900万台も動いているという。これなら旧BIOSでもスイスイ動き、しかも最新バージョンは2029年まで保守される。Windowsの短命サイクルに振り回されるより、むしろこっちの方が安心かもしれない。そんなわけでMintをインストールしながら「ふぅ、やっと平和が訪れた」と思ったら、ニュースサイトから飛び込んできたのは「アサヒグループ、ランサムウェア感染」の見出し。私のパソコン1台の騒ぎどころではない。システムが止まったせいで、コンビニからビールやチューハイが消える事態に発展したという。これ、下手したら私の晩酌ライフに直撃する大事件じゃないか。

考えてみれば、企業の情報システムって今や冷蔵庫や電気と同じくらい社会インフラだ。DDoS攻撃みたいに防ぎきれないものもあるけれど、ランサムウェアなんて内部設計や運用でかなり対策できるはず。多層防御とかゼロトラストとか横文字が並ぶけど、要するに「ちゃんと備えとけ」って話だ。それなのに全国規模でシステムが止まる──これは怠慢と呼ばれても仕方がない。ここ5年だけでもKADOKAWA、名古屋港、HOYAといった大企業が同じ目に遭っている。サイバー攻撃はもはや夏の蚊みたいなもので、毎年必ず出るのに「まあ大丈夫だろう」で刺されるパターン。

結局セキュリティは「何も起きないこと」が成果だから地味に扱われる。でも、その地味さを軽視した結果、社会全体に迷惑をかけるなら、それは経済合理性じゃなくてただのズボラだ。池井戸潤の『空飛ぶタイヤ』を思い出す。大企業の見えないリスクが下請けや消費者にしわ寄せされる構図は、サイバー攻撃にもぴったり重なる。責任をあいまいにして、公共性を軽んじて、最後に信頼を失う──お決まりの三段落ちだ。

結局のところ、企業は「儲けるため」にあるだけじゃない。「迷惑をかけない」存在でないと社会が困る。パソコンのドライバー探しに右往左往する私でさえ、ちょっとはその自覚がある。大企業がそれを忘れていたら笑えない。

というわけで今日の教訓。
「古いPCはLinuxで延命、企業はセキュリティで延命」
どちらもサボると、酒の一杯さえ失うことになるのだ。

旧PCでwindows11起動2025年10月01日

windows11起動
知人から「13年前のPCをWindows 11にアップグレードできないか」と頼まれ、つい軽く「できますよ」なんて言ってしまったのが運の尽き。あれから2週間。やっとの思いで、あの青い花みたいな「Bloom」デザインのデスクトップにたどり着いた。いやぁ、長かった。

最初の難関は、まさかのUSBブート非対応。え、今どきそんな仕様ある? Rufusで作ったUSBインストーラーが使えないから、泣く泣くブルーレイドライブを頼るしかなかった。しかも、標準のWindows 11ディスクは「GPT方式」で、この古いBIOSでは起動すらできないときた。開始5分でいきなり詰みそうになる。

ここで思いついたのが、Rufusの「MBR方式変換機能」。これをブルーレイに応用すればいけるんじゃない?と期待して、BD-REに何度も書き込むも、肝心のブートマネージャーが作成されない。時間を無駄に消費するだけの地獄タイム。

そこでAIに相談。すると「SSDをMBR仕様にして起動してみれば?」と提案。なるほど!と飛びつくも、Rufusの「Windows To Go」モードではブートマネージャーが作られない。さらにAIがボソッと、「最新の24H2はMBRで動かないかも」なんて言い出す。おい、それを最初に言え!

方針転換。ネットの片隅から古い「21H2」のISOを拾ってきて、RufusでMBR仕様にしたら……なんと一発成功!あの2週間は何だったんだろう。ちなみにインストール後も「更新が必要」マークが消えないけど、まあこれは愛嬌ってことで。

AIは「完璧です!」なんて調子よく褒めてきたけど、冷静に考えれば「古いバージョン試してみたら?」と提案したのは自分。AIはあくまでこっちの指示に従っただけ。結局、最適解を導けるかは人間のひらめき次第なのだ。

そうして胸をなでおろしたのも束の間。「21H2のサポート、いつまでだっけ?」とAIに聞いたら、しれっと「2023年10月までです」と返してくる。は? もう終わってるじゃん! さらに「MBRで安定する23H2も、今年11月で終了です」とトドメ。……おいおい、ダメじゃん。

結論。2週間の格闘で学んだのは「AIは便利だけど人間の思惑までは読んでくれない」ってこと。そして、古いPCにWindows 11を入れるのは“できる”けど、“使える”とは限らないってこと。いやはや、笑うしかない。

お疲れ、自分。そして、お前もな、コパイロット君。

大阪歴史博物館2025年05月23日

日本刀1000年の軌跡
大阪歴史博物館を訪れた。特別展「-全日本刀匠会50周年記念-日本刀1000年の軌跡」が開催されていた。日本刀の美しい姿が完成したのは平安時代とされ、先の大戦後の一時期を除き、約1000年にわたり製作が続けられてきた。その背景には、時代ごとに活躍する刀匠の存在がある。現在の国宝や重要文化財も、当初は新作刀だったように、現代の新作刀から未来の国宝が生まれる可能性がある。本展は、国内最大の刀匠団体「全日本刀匠会」設立50周年を記念し、1000年にわたる日本刀の歴史とその継承の姿を紹介している。外国人を含め多くの来館者が見学していたが、その価値がいまいち理解できなかった。確かに、1000年の歴史を持つ日本刀の制作技術が現代まで受け継がれていることは価値がある。しかし、ケースに飾られた日本刀の前でじっくりと刀を眺める来館者と自分とは異なる価値観があることは分かるが、どれも同じように見える刀の陳列を前に、唸るほどの感銘を受ける感覚がわからなかったのが残念だ。

常設展の難波京の説明のほうが、自分には興味深かった。難波京(なにわきょう)は、古代日本における都城の一つである。飛鳥時代の孝徳天皇が645年の大化の改新後に遷都し、難波長柄豊埼宮(なにわのながらのとよさきのみや)を造営したことが始まりとされる。その後、奈良時代の聖武天皇が744年に再び難波京へ遷都し、後期難波宮が建設された。難波京は瀬戸内海の東端に位置し、外交や物流の拠点として重要な役割を果たした。遣唐使の出発地としても知られ、海上交通の要衝であった。奈良時代には条坊制が導入され、都市計画が整備されたことが発掘調査によって確認されている。しかし、聖武天皇は翌年には平城京へ戻り、難波京は副都として存続した。8世紀末には摂津職が廃止され、難波京は都城としての役割を終えた。現在、大阪市中央区の法円坂周辺で難波宮跡が発掘されており、古代都市の姿が徐々に明らかになっている。難波京は上町台地の北端に位置し、淀川や大和川の流れ込む河内湖の沿岸に広がる一角にあった。近隣には難波津という港が存在し、外交や物流の拠点として重要な役割を果たしたという。大阪北部が「湖」だったというのは初めて知った。

この経緯をボランティアの方が端的に説明していたのが面白かった。権力者・蘇我入鹿を暗殺した中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)は、天皇中心の政治体制を構築するため、飛鳥の田舎を離れ、大阪に国際都市を作ろうとした。しかし、孝徳天皇と仲違いした中大兄皇子も奈良へ戻っており、天皇の崩御を契機にオピニオンリーダーを失った人々も奈良へ戻った。その90年後、聖武天皇の時代には権力闘争が激化し、首都・奈良だけでなく副都心の必要性が高まり、恭仁京や紫香楽宮への遷都を繰り返した。そして、貿易の拠点として再び難波京が重要視され、第二次難波京が成立した。しかし、財政的に維持できず、奈良へ戻ることになった。その後も仏教勢力との対立が続き、桓武天皇が長岡京へ遷都する際に難波京を解体し、その資材をリユースしたという。この解説は非常に分かりやすく、感心した。1日2回ほど説明を行っているとのことだが、自分の好きなことを語りながら老後を過ごすというのは、とても楽しそうでうらやましく思った。

「平安の文化へ」南ミ連講演会2024年12月08日

宇治十帖
南ミ連(京都府南部地域ミュージアム連絡協議会)は、乙訓、山城地域の公立の資料館等の9館が連携する組織だ。今年は、話題の源氏物語をテーマに展示や講演会、現地見学会を行っている。昨日は大山崎ふるさとセンターで宇治の源氏物語ミュージアムの館長家塚智子氏を迎えての講演会と、向日市大山崎町八幡市の学芸員が平安貴族との関連で報告をした。80名の募集定員なので30分前に到着すれば楽勝だと思っていたが大間違いだった。すでに50名ほどの歴史ファンが入り口前まで並んでいた。参加者は高齢者ばかりだが源氏物語人気は根強いのだろう。源氏物語といっても家塚氏が宇治十帖を話した以外は、向日市は平安貴族と大原野神社の関係を、大山崎町はかつての山崎橋を築いた行基が長岡京や平安遷都の契機を作ったという話、八幡市は八幡宮の一の鳥居の扁額を書いた平安の三蹟・藤原行成に纏わる書の話だった。源氏物語というよりかは学芸員らしく地元名跡の平安時代の考察を語ったということだ。

面白かったのは、向日市館長の大原の話で平安当時の長岡と言えば大原野を指したらしい。春日大社の分院の大原野神社には歴代の天皇や皇后が足を運んでいる。長岡京に遷都した桓武天皇も鷹狩を好み、その後貴族たちは大原野に来て狩猟を楽しんだらしい。長岡京が遺跡発見される昭和までは長岡と言えば大原野のことだと、古文書などから話をされた。宇治川をはさんで光源氏の子孫の恋バナ宇治十帖が展開される話も興味深かった。現代語訳でも読み返してみようかという気になった。

陶芸2024年10月29日

陶芸基本
老人クラブの陶芸クラブに入り、今日は先輩から陶芸の基本を教えてもらった。コーヒーカップ一つ作るのにも基本が大事だということが分かった。粘土を下から引き延ばして立ち上げていくだけだと思っていたが、底の部分の1cm程度は残しておいて、最後に轆轤から底を切り取る時に底の厚みを失わないようにすることなど書いてしまえば当たり前のことだが、実際にやるとなかなかうまくいくものではない。窯の管理のことや釉薬のことなどいろいろ聞いたが情報が多すぎて咀嚼はできていない。わずか3時間ほどのレクチャーだったが盛りだくさんのことを教えてもらった。今日のコーヒーカップは底が割れてしまったので明日作り直すことになる。明日はクラブの会長が指南をしてくださるという。皆自分よりも一回り程年上の方だが陶芸が好きで続けておられる。自分はまだこれが好きかどうかはまだわからないが、教えてもらったことは生かしたいと思っている。

先輩がYoutubeに陶芸の基礎的な説明動画あるから観ておいてと言われた。ただ、あまり気が進まないのは、知識として先に知ることと体感したもので先に掴むことは違うような気がするからだ。とはいえ、何も知らずに取り組むには3週間後の素焼きまでに時間がない。ある程度基礎知識を持って取り組んだ方が形にはなる。趣味なので急ぐ必要は何もないが、形にすることは自分の意欲を高めていくことにつながる。

老人クラブ2024年10月03日

老人クラブ
地元の知り合いから公民館で陶芸をしないかと誘われたので行ってみた。今回は文化祭に向けての会議で15名ほどの会員が参加していた。リーダーの説明が延々と続き久々の長い会議だったが、要は十数名の会員作品の展示や販売の段取りを決めるだけの話だ。一から話をするので会議の着地点が見えず、さすがは高齢者のサークルだと感心した。陶芸サークルは老人サークルの一つなので隣の老人福祉センターで入会を登録した。会館スタッフが施設の中を説明してくれたがわずかなトレーニングマシーンとビリヤード室が目を引いたくらいでこんな施設に6人も職員が必要かと感じた。老人クラブの会員証はICカードで発行するらしく写真を撮影された。丁寧なのか暇なのか長々と説明してくれた。カラオケ会や囲碁将棋と老人サークル定番の活動しかなく自分が気に入る内容はなかった。

老人クラブは、1963年の「老人福祉法」で、自治体が老人の心身の健康の保持に資するための教養講座やレクリエーション事業を実施し、財政的援助をするように定められている。各自治体は長寿苑のような老人センターを拠点としてサービスが行われている。全国の老人クラブの加入者数は400万人という。60歳以上の人口は4000万人なので、老人の1割程しか利用しておらず年々減少傾向にあるという。陶芸クラブの会員が言うには、60代くらいでは「長寿苑」という名前に抵抗があるという指摘があり、一度は改名も取り組まれたが結局はそのままで良いというアンケート結果だったという。通称で「ロングライフハウス=LLハウス」なら折衷案で採択されたかもねというと笑っておられた。だが会員数減の原因は、拠点の呼称名ではなかろう。クラブは口コミで誘われて入会するのがほとんどだ。地域の関係が疎遠になり誘い合うという行為が減っているのだろう。また、内容も60年間ほとんど変わっておらず、時代の変化に応じたクラブが作られていないこともある。民間主催の高額の文化講座などはいつも満杯の老人でにぎわっているので、営業の良し悪しは経営側の戦略次第ともいえる。行政が関与する事業は事業成績が問われにくいので改革が進みにくいのだろう。